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ノーベル賞
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江戸時代前期の算学者、吉田光由(1598〜1672)算学書。 古活字版・整版が数種伝存するが、本書は寛永11年整板。中本、縦20.5cm、横14.5cm。 次の刊記がある。 寛永十壱年/戌八月八日 その下に著者の自署がある。 さが吉田七兵衛/光由(花押)(朱印記) 本書は、跋文に「今又朱と墨とにて二乗三乗の法をわけて代につたふ事をねかふ」とあるように、 出版史上色刷りの早い例として注目される。巻1の12丁〜16丁、巻4の16丁〜19丁、同22丁の計10丁が色刷り。 朱刷りの部分は変色し、黒銀色に見える。川瀬一馬氏は、著者で開版者の吉田光由の父兄が貿易事業に従事していたので、 キリシタンの色刷りに影響されたかとした。吉田光由の外祖父は角倉了以。 現在は1冊であるが、巻1・2と巻3・4の間に合綴のあとらしいものが見える。 なお背には「上中下」と墨書する。 『塵劫記』(岩波書店 1977.10)
はじめに 『春日権現霊験記繪』(20巻)は、藤原氏の氏神として、興福寺と一体となって政治的・文化的両面での大きな影響力をもった春日大社の効験を集成した絵巻物である。 成立は鎌倉時代後期の1309(延慶2)年、絵師は高階隆兼と、成立年代や絵師の具体的な名までが判明している数少ない例で、歴史的資料としても注目されている。 原本は宮内庁三の丸尚蔵館蔵だが、剥落などで痛みが激しく、研究は通常江戸期の忠実な写本(東京国立博物館蔵)を用いて進められてきた。我々が手近に利用する中央公論社刊の日本絵巻大成も、原本ではなくこの写本を撮影したものである。 ここに画像データとして公開するのは、第一巻末に綴じ込まれた解説紙片によれば正確な刊年は不明ながら大正期の「絵巻研究会」(顧問正木直彦東京美術学校長、今泉雄作大倉集古館館長など)の発行になり、また巻二の軸および巻二・三の箱に張付された紙片によれば、大正一五年七
節用集は室町時代に盛んに行われた国語辞書。日本語の語を書き表すべき漢字を求めるための辞書で(これを「語書」と呼ぶ研究者もいる)、従って、いろは順に語が分類・配列されている。ただし、いろは順は語の第1音節についてだけであって、「い」ならば「い」の内部は「天地」「時節」「草木」などと意味分類がなされている。江戸時代に行われた節用集と区別して、古本節用集と呼ばれることもある。 上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』(東京帝国大学文科大学紀要 第2 1916・3、復刻版 勉誠社 1968・1)は巻頭に掲出する語によって古本節用集を印度本・伊勢本・乾本に類別した。掲出本は、「伊勢」にはじまっており、伊勢本の1本である。伊勢本の内部は、天正二十年本類・伊京集類・天正十八年本類・饅頭屋本類・温故堂本類・増刊本類・天正十七年本類・増補本類に分けられることがあるが、掲出本は天正二十年本類の1本である。 新装
柳生但馬守宗巌が慶長六年(1601)二月,金春七郎のために描かせ,巻末に署名し花押捺印している。七郎の二人の息子達も父と同じく剣術を志し,剣の遣い方の説明を画面の上に書入れて欲しいと頼まれた。一旦は固辞したが,再度にわたって懇願をうけ,止むを得ずその望みに応じた旨の一紙が目録のあとに継ぎ足されている。その末尾に「宝永四丁亥年七月廿五日 大河内氏 松平伊勢守入道 八十一歳 源信定 竹田 金春八郎重栄殿 竹田 金春式部氏睦殿 参」とあって,もともとは剣の名目と絵だけの目録であったことがわかる。
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