先週、ねむろ九条の会主催の”根室牧の内飛行場 慰霊・踏査”に参加してきた。根室市から先は、戦前は全く農家もない地域だった。根室市街から東に20キロほどのところに、海軍の空 港があった。昭和18年(1943年)に建設が始まった空港は「タコ」と呼ばれる、多くの日本人、朝鮮労働者によって建設された。 戦後の多くの資料が焼かれて、詳細は不明であるが相当数の朝鮮人労働者がいたようである。朝鮮人労働者用の「三角兵舎」は6棟あった。平均200名の定員に、250名ほどが収容されたよう であることから、2000名ほどいたようである。朝鮮人兵舎は板一枚の極めて環境が悪い、半地下式のものだった。当時小学生として、勤労動員で協力した方の話を聞き、当時をうかがい知ることが出来たのは幸いである。 その方の話だと、真冬でも薄っぺらな着るものを付けているだけだった。痩せていて、労働しながらもいつ倒れるか分からないような、