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大谷翔平
a-mutter.hatenablog.com
このタグを使うのも久々ですね。年に1回くらいは使うようにしましょうか。 僕を好きになってくれる人が好き、運命を待つ非モテ(或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-) 「近づくなオーラ」を出しているのは女性?非モテ男性?(シロクマの屑籠(汎適所属)) 「生まれて28年と2ヶ月童貞」であり、自サイトにて凡そ恋愛市場では買い手の現れないであろう己の醜いツラを晒している私による個人的な見解に過ぎませんが、上に挙げた2つのエントリに対してそれぞれ違和感があったので言及しておきます。 「好きになってくれる」異性の存在を妄想すらできないのが非モテではないのか? 「全肯定」などはなっから求めていない 前者については、只の問題提起なので特に付け加える点はありません。後者については少し補足を。 「ダメな自分も肯定してくれる母親のような存在を非モテは求めている」という、[Templete]とタグを
幼児的全能感の檻に入って出たがらない大人コドモ:★ 電脳ポトラッチ 「苦しいのは解った。で、社会がどうなれば満足なの?」という問いに明確に答えられる非モテはいない。 「「恋愛経験のない人間は人格的に劣っている」といった趣旨の言説を吐く人間こそ、人格的に劣っているという共通認識を持った社会であること」だと。 恋愛したい人はすればいいと思いますが、「特定の異性と恋愛関係を結ぶこと」が「真人間であること」の必要十分条件である、といった感じの言説には憤りを感じ続けていますので、そういった言説が根絶されればいいのにな、と思います。 後は「男女を問わず、独身者が暮らしやすい社会」でしょうか。役所で私用を済ますため有給消化して午前半休とか不便でしょうがありませんから(私の職場は有給使わず、遅れて出社することを認めてくれますが)。午後8時くらいまで通常営業してくれれば助かります。これから引越が控えてますの
「あなた、たくさん私に言及しましたね!」 理由は2点、一つは「「他人の執着」に執着している理由は何なのか知りたいから」、あとは「ツラが見たいから」。 ついでに、前述のエントリーでも述べましたが「あなたのテキストに対して誰一人反応しない世界、それを望んでらっしゃるのか?」(p_shirokuma氏風に表現すれば「絶対に読んでいる筈なんだけどブックマークしないでスルーしたくるブックマーカー」ばかりの世の中、とでも申しましょうか)についてもお答えいただければ幸いです。 それにしても、ブックマーク数で来ましたか。いやいや参りました。ついでにスポーツそのものに執着し、自意識丸出しで書いている別blogもございますので、こちらの方も「私が何にどの程度執着しているのか」を分析して頂ければと存じます。
p_shirokuma氏のオタクにまつわる一連のテキスト(惑星開発委員会の宇野常寛氏の文章等)を読んでいて感じるのは、「自分の意見に言及することそのものが、言及した者の執着(コンプレックス)を何よりも証明している」というスタンスを取っていることです。相対する相手の思想信条その他もろもろを炙り出す点において、これは非常に有効な手段です。そして、反論を全て「言及したな!」「こんなテキストに怒り狂うから駄目なんだよ」といった感じでメタ化、もしくはレベルの低い相手としてあしらうことも可能です。 このようなスタンスを取っている書き手に対して私はこんな疑問を持ちます。 「あなたのテキストに対して誰一人反応しない世界、それを望んでらっしゃるのか?」 「「言及したな!」とタグを付けることがなくなる状況を望んでらっしゃるのか?」と。 そしてこうも思います。「言及したものに対して個々に具体的なソリューションを
「脱オタ成功した!」という方の文章を眺めていてふと思ったことですが、「脱オタ」を巡るあらゆる言説につきまとう「誤解」は、「脱・コミュニケーション不全」という表現が定着していればその多くは防げたのではないでしょうか。まあ「脱・コミュニケーション不全」だと長ったらしいし、「他人との意思疎通が上手く取れない上に、見た目に気を使わず見ず知らずの人間から罵倒、もしくは嘲笑される存在」である自分を変えるため、「オタク」という属性をスケープゴートにするのが何かと手っ取り早かったのでしょう。私も禁煙が続いていた時代はひたすら「大橋巨泉に出来て、俺に出来ないはずがない!」と念仏のように唱えていましたからw(最近は禁煙についてどうでもよくなりました。これ以上性欲を持て余しても仕方ありませんしねw) 「脱オタ」に成功し、その手の趣味から完全撤退した人間が「俺は脱オタした!」と宣言するのは理に適ってますが、そうで
スポーツ総合研究所blogの「いじめはスポーツで解決すべし!!」というエントリーにブクマコメントが沢山付いていますが、私も広瀬一郎氏の『スポーツマンシップを考える』を読んでいなかったら皮肉たっぷりなコメント付けていたんじゃないかと思います。 『スポーツマンシップを考える』の序章を簡単にまとめるとこんなことが書いてあります。 小4の娘が持っていた国語辞典で「スポーツマン」を引いてみた 「運動能力に秀でた人」と書いてあった 「これはおかしい」と思った広瀬氏はオックスフォード英英辞典を引いてみた 「Sportsman=Good Fellow(良い仲間)」と記されていた 翌日、本屋に行っていろんな国語辞典を引いてみた 「運動の好きな人」「運動を良くする人」等の表記が並んでいた その後米国の友人にスポーツマンシップとは何かたずねると「言葉で説明するのは難しい」が、「英語には"He is a good
2004年の終わりくらいからこの手の話にはどっぷり漬かってきた私ですが、この日を以って一時撤退したいと思います。別に当事者性を失ったというわけではありません。このような決断に至った理由は色々ありすぎて詳細に描写することができませんが、「恋愛経験(もっと言えば特定の異性とセックスを経験したこと)の有無が、人間として魅力的であるか否かの絶対的な基準である」なんて暴論に対してガチで反論すればするほど「それは防衛機制である」とか「コンプレックスの裏返しである」という印象を与えてしまうわけで。それならいっそ恋愛というトピックに関するあらゆる情報から「耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らそう」と決心した次第です。ここで勘違いして欲しくないのは、恋愛へのアクセスを自ら閉じるからと言って世界そのものとのアクセス全てを閉じるという意味ではないので悪しからず(この辺の誤解って本当にどうにかならないものなんでしょ
私の中の「モテない男のカリスマ」が伊集院光から本田透へと変わった理由は沢山ありますが、もし2005年3月時点での「馬鹿力」が1999〜2000年ごろと変わらない面白さを保っていたとしたら(スペシャルウィークでは自分が恥をかく企画メイン、若手芸人達と徒党を組まない等)、本田透に取って代わられなかったかは分かりませんが、少なくとも伊集院自身が「モテない男」であるかどうかについて非難する者は今より少なくなったのではないかと考えます。自らが結婚している(しかもお相手は元アイドル!)伊集院にとって、モテない男たちの支持を一心に集めた理由は、彼のトークが面白すぎたからに尽きます。ですから彼に面白さを感じられなくなってしまえば、彼が非難されてしまうのは致し方ないのかもしれません(個人的には、浪人時代に彼のラジオと出会っていなければどうなっていたのか想像も尽かないので、積極的には非難できません…)。 伊集
『非モテを救おうとするのならば、その主張をする本人が誘惑して非モテを恋愛させるべきだ』という文章を読んでこんなことを思い出しました。 サークル内で童貞が私一人くらいになってしまった頃くらいでしょうか、話の流れで色恋沙汰になりまして、とある男友達が「いつかお前にも彼女できるよ!」みたいな言葉を下さるわけです。それに数人の男友達が同調。くだらない事をやって盛り上がった仲間なので、きっと煽りとか同情とか、そういうのはなかったと思います。ここまではOKです。その流れに便乗して、とある女性が「絶対○○君はかわいい彼女とか作るって」と発言。私は一気に沸点に達して「じゃああなたが付き合ってくれよ!!」と言いたかったのですが勿論言えず、代わりに「じゃあその根拠は何?」と問いただしたら詰まりました。どう見ても社交辞令です本当にありがとうございました。 これ以外にも、女性から似たような言葉を何回か掛けてもらっ
TYPE-MOON作品には「Fate」から入ったにわかなので、原点であるところの「月姫」がプレイしたいのですが、中古でとんでもない額がついているので諦めています。知り合いでこの方面に詳しい人間もいませんし、リメイク出してくれないものでしょうか…。 ・「受動世代のロンコーゲーム(論考ゲーム)」(シロクマの屑籠) 非モテのテキストで語られていないと言及された部分について書いてみましょうか。 自分がいかに異性を評価するのか(好みの異性含む) 自分の趣味の方向性を理解し、楽しんでくれるという異性は評価に値する。「キモい」を連呼する手合いは評価以前の問題。私という人間に対して興味を抱いてくれる女性を拒絶はしない。 自分が恋に落ちるのはどういう時か 高校時代までのそれに関しては、後に冷静になって考えると何故自分がこの女性に惹かれていたのを全く説明できない類のものだった。大学に入ってからは、私が仲のいい
・「受動世代のロンコーゲーム(論考ゲーム)」(シロクマの屑籠) 非モテのテキストで語られていないと言及された部分について書いてみましょうか。 自分がいかに異性を評価するのか(好みの異性含む) 自分の趣味の方向性を理解し、楽しんでくれるという異性は評価に値する。「キモい」を連呼する手合いは評価以前の問題。私という人間に対して興味を抱いてくれる女性を拒絶はしない。 自分が恋に落ちるのはどういう時か 高校時代までのそれに関しては、後に冷静になって考えると何故自分がこの女性に惹かれていたのを全く説明できない類のものだった。大学に入ってからは、私が仲のいい同性の友人と取るコミュニケーションに親和性が高い(と判断される)女性に惹かれるようになる(無論外見的な魅力に惹かれること付け加えておく)。 恋した時、これから自分は何をするのか 見た目において一般人よりずっと後ろのポジションからスタートなので、費用
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