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ノーベル賞
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平素よりAAR Japan[難民を助ける会]の活動にご理解・ご支援を賜りまして、誠にありがとうございます。 当会は6月24日に理事会を開催し、協議の結果、本日6月26日付で柳瀬房子は名誉会長を退任いたしました。この数カ月間、AARの活動理念をめぐり、大変ご心配、ご迷惑をおかけした皆さまに心からお詫び申し上げます。 当会の役職員一同、今後とも難民をはじめ困難な状況に置かれた人々に寄り添う支援活動に真摯に取り組んでまいります。当会の活動へのご理解・ご支援を重ねてお願い申し上げます。 難民を助ける会 会 長 長 有紀枝 理事長 堀江 良彰
難民を助ける会 会 長 長 有紀枝 理事長 堀江 良彰 平素より難民を助ける会(AAR Japan)をご支援いただき、誠にありがとうございます。 現在国会で審議中の出入国管理及び難民認定法の改正案に対し、当会名誉会長の柳瀬房子(以下柳瀬)が衆議院法務委員会(2021年4月21日)で参考人として申し述べた意見、およびその後メディアの取材に応じて行った発言に関して、当会ホームページに「発言は法務省(出入国在留管理庁)難民審査参与員としての柳瀬個人の見解であり、当会を代表するものではありません」というお知らせを掲載いたしました。一連の発言が当会の総意ではないことを改めてお知らせしますとともに、会長・理事長として本件に関する当会の立場についてご説明いたします。 出入国在留管理庁のホームページで告知されている通り、当会の柳瀬は111名おられる難民審査参与員の一人です(2023年5月16日現在)*。
平素よりAAR Japan[難民を助ける会]の活動にご理解・ご支援を賜り、ありがとうございます。 2021年4月21日の衆議院法務委員会における「出入国管理及び難民認定法」(入管法)改正をめぐる審議で、当会会長の柳瀬房子(2021年4月当時。現在名誉会長)が、参考人として意見陳述いたしました。柳瀬の発言は、日本における難民申請者の迅速な保護を主旨としたものでしたが、様々なご意見をいただきました。 本意見陳述は、柳瀬個人が「難民審査参与員」また「収容・送還に関する専門部会」の委員としての経験をもとに述べたもので、難民を助ける会で機関決定したものではないことを申し添えます。 当会は海外において、過酷な境遇にある難民・国内避難民一人ひとりの尊厳を守るための支援活動を今後も続けてまいります。また、日本国内における難民支援は、当会の姉妹団体である社会福祉法人「さぽうと21」に事業を引き継ぎ、現在も支
これまでの南スーダンでの活動についてはこちら 後藤健二さんの殺害からもうすぐ1年がたとうとしています。改めて痛ましい、いたたまれない思いがこみ上げますが、この事件は、このブログで再び問題提起させていただこうとしている、邦人の安全管理という課題と、切っても切り離せない事件です。 あの事件は、日本人一人ひとりに大きな影を落としました。事件そのものの痛ましさもさることながら、「日本に対する9・11」とのご指摘もあったように、ISから安倍首相、そして日本、日本人そのものが名指しで、脅迫されました。 日々、過熱化する報道の陰で、大きく違和感を覚えたことがありました。後藤さんご本人がジャーナリストとして最も伝えたかったであろう、シリアの方々、シリア難民の方々の命や生活についての報道が、大々的に報道された後藤さん、そして湯川陽菜さんという2人の日本人の命の陰にすっぽり隠れてしまったかのように思えたからで
これまでの南スーダンでの活動についてはこちら 新年あけましておめでとうございます。難民を助ける会は、昨年11月から創設37年目の活動に入りました。37年前、ベトナム、ラオス、カンボジアというインドシナ3国から、ボートピープルとして流れ着いた難民を支援するために、文字通り「インドシナ難民を助ける」会として設立されたAAR。当初の目的を達したら、解散する予定でした。しかし、目的を達成する前の1984年、アフリカで飢餓をきっかけに大量の難民が発生したことから、活動の地をアフリカまで広げ、会の名称から「インドシナ」をとって、今日の「難民を助ける会」となりました。以来、今日まで活動を続けています。 そんな中、本日は、残念なお知らせから、新年のブログをスタートせねばなりません。私たちが当初の目的を達したわけでも、私たちが不要とされたわけでも、ニーズがなくなったわけでも、政治情勢が変わったわけでも、資金
5月14日に新たな安全保障法制が、閣議決定される見込みです。いろいろな立場や考え方から議論があると思いますが、ここでは、人道支援に携わってきた日本のNGOの立場から、また日本政府が、わが国の政府開発協力(ODA)の指導理念と位置付け、国際社会にその重要性を訴えてきた「人間の安全保障」の視点から発言をしたいと思います。 人道支援の視点から 「人道支援」という言葉本来の、あるいは組織的な人道支援の生みの親である、赤十字国際委員会(ICRC)が作ってきた歴史的意味でいうならば、人道支援とは、単に危機に瀕した人々の人命救助や、命をつなぐための食料や水、生活物資の配布ではありません。人道組織によって、敵味方の区別なく、戦闘外に置かれたすべての人々に対して行われる活動のみを指す言葉です。戦闘外に置かれた、の意味は、戦争や紛争に無関係な一般の市民のみならず、たとえ兵士であっても、負傷したり病に倒れた傷病
「服もなければ食べ物もない。それに暖をとるために燃やす枯れ木さえもないんだ。私たちはすべてを失ってしまった。」そう嘆くのはビラルさん(34歳)。奥さんと5人の子どもたちを連れシリア北部のアインアルアラブ(クルド名コバニ)近郊の村からトルコのスルチュに逃れてきた。 シリアでは、遠くに響いていた爆撃音が日々近くなってきて、自動小銃を発砲する音も聞こえていたという。武装組織「イスラム国」の噂は聞いていた。見つかれば情け容赦なく殺され、捉えられれば奴隷にされる。女性はイラクに連れられて行き売られてしまうというから、恐怖や不安は増すばかりだった。隣人たちと相談し、村を捨てることを決めたのは数日前。4軒先の家が爆撃された後だ。
宮崎さんのご遺体は、11月13日午後1時3分、成田空港に到着しました。 通夜、告別式は、近親者のみで執り行われる予定です。 難民を助ける会では、以下の予定で宮崎さんを送る会を開催することといたしました。 2011年12月6日(火)午後 会場:日本青年館 詳細は決まり次第改めてご案内いたします。 (2011年11月13日15:30追記) 訃報 日本時間の10日未明に、トルコ東部で10月23日の大地震の余震とみられるマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフ2名が滞在しているホテルが倒壊いたしました。 内1名、近内みゆきは、日本時間の10日午前に救出されましたが、宮崎淳は、大変残念なことに、ワン市内の病院で死亡が確認されました。 宮崎さんは、日本時間の午後5時過ぎに救出され、一時心肺停止状態に陥ったものの、状態が安定し、アンカラ市内の病院への緊急搬送を予定しておりました。しか
AAR Japanについて 1979年に難民支援を目的に発足。国連に公認・登録された日本生まれの国際NGOです。 AAR JapanについてTOP
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