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衆院選
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去年7月から難民や移民、外国人配偶者などと共に、地域の市民学校で、ドイツ語のコース(社会包摂コースの一貫。ただ誰でも受講が可能)を受けてきた。クラスメートは、シリア、イラク、アフガニスタン、イラン、パレスチナ、トルコ、モロッコ、ソマリア、ガーナ、フィリピン、中国、ポーランド、ルーマニア、ロシア、エストニア、カザフスタンなど、私を入れて17カ国25人。
講演タイトルは「日本のグローバル・アグロフードシステムへの援助・外交・投資を通じた関与:1890年から現在まで」。久しぶりだったのでやや緊張したが(見えなかったと思うが…)、伝えたいメッセージは伝わったと思う。つまり、(1)どうやら我々は負の歴史を21世紀になっても繰り返していること、(2)構造が戦前に似通ってきていること、(3)他方で下からの動きが国連などの場を通じて国際規範を変えつつあること。で、(2)については、マネーと結びつく為政者らのパワー、そこに中間層がポピュリズムを通じてくっついていくこと、底辺に位置づけられる人びとの搾取が再生産・拡大されていくこと、これが日本や南の国々だけでなく、世界的に展開しつつあること。だから人類が長い歴史のなかで闘い勝ち取ってきた民主主義を、どう鍛えていくのか・・・そいう狙いまで伝わったかは分からないけど。 この世界には「どうせ何を期待しても、希望し
今日は国際小農の日です。その日にこれを書いていることの意味をシミジミ感じます。 さらに随分時間が経過してしまいました…。 前の投稿で春と思っていたら、あれから極寒が戻ってきて、結局日本に行って戻ってきたらようやく春がきたという感じです。霜が降りないと思われる季節になったので、畑の仕事は大忙しです。朝から晩までやってるけれど、終らない・・・。猫の手も借りたい。モグラの手は借りているのですが(丁度よい場所を掘り返してくれてる) さて、先週4月10日から13日までジュネーブの国連人権理事会で、国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する宣言」のドラフト文の最終的な議論が行われていました。 この宣言文については、下記をご覧下さい。 https://afriqclass.exblog.jp/i43/ 第1回から8回までの議論の様子は下記サイトで視聴可能です。 国連「小農と農村で働く人びとの権利に関する
ずい分サボってました。 が、息子の日本での写真展にご協力、ご来場、ご購入いただいた皆さま、心から感謝申し上げます。帰国したと思ったら、義母が突然の緊急入院で危篤状態になり、年末年始は病院と家の行き来でした。 さてツイッターで少し書いたら、すごい反響だったので、たぶん日本の皆さんは日本以外の介護の実態をあまり知らない、あるいは知りたいと思っているご様子なので、あくまでも個人の経験ということで少し紹介しておきます。 今各種の本の執筆と出版に向けた作業、翻訳・・・(社会活動は前提として)で大忙しでして、とにかく年が明けて、農繁期が目前に迫り、此の2ヶ月が勝負なので、、、政策や別事例を調べるのは多分来年になりそうです。どこかの新聞とか専門家がしっかり調べ、一般向けの発信をすべきと思いますので、どうぞ社会的関心が非常に高いということで、よろしくお願いいたします。 まず、昨日、以下のTWを送りました。
我が家の庭の「楽園」について書いた途端にパラダイス(楽園)文書の話が出てきて、これはこれでどうしても書かなければならない点が多々あるのだけれど、未だ材料が十分でないので、その話の前に、前から世界的に話題になっていたことについて書いておこうと思う。 少し前に国連人権理事会で議論されてきた「小農と農村労働者の権利に関する国連宣言」について紹介した。 完成間近の国連「小農の権利」宣言、そしてモザンビーク小農の異議申し立てhttp://afriqclass.exblog.jp/237279049/ 7月に忙しい中投稿していたので、肝心の日本政府の対応を調べる余裕もなく、しかし後日、日本を含む世界中の仲間たちから「日本どうなっての〜!」のお叱りを受けて、びっくりしたのだけれど、なんと第4回会議が開催された5月15日(19日までジュネーブで開催)の冒頭に、こんな意見を表明していた。。。 第4回会合の詳
森友学園問題によって明るみになった、現政権が着々と築いていた構造の問題。これを、現代アフリカ政治学から読み解く作業の続きですが、一旦休憩。今日発刊された『世界』の最新号「モザンビークで何が起きているのかーーJICA事業『プロサバンナ』への農民の異議と抵抗」に書いたこと、紙幅の関係で削らなければならなかったことを含めて、別の角度から考えてみたいと思います。 『世界』の記事は、次の小農リーダーの発言から始まります。 「JICAによる介入により、肉と骨にまで刻み込まれるような傷を毎日感じています」。 「JICAに伝えます。私たちは、もう秘密を知ってしまいました」。 (2016年11月28日、院内集会でのモザンビークの小農リーダー)。 私は、『世界』編集部から依頼をもらった時に、かつてノーベル文学賞作家ギュンター・グラスが『玉ねぎの皮をむきながら』で行ったように、この「秘密」を玉ねぎの皮を一枚ずつ
お待たせしました。一応「専門」なので、もう少しまとめてからと思っていたらあっという間に時間が経過。 大学を辞める直前にやっていた研究が、「民主選挙下のアフリカの(独裁)権威主義体制の研究」でした。日本国際政治学会にも論文を掲載していただいていたところで、次はモザンビークとルワンダを比較政治学的にアプローチしようと思っていたところ、色々なことが起こったといこともあるし、世界的にはすでに沢山の方が研究されていることもあり(私でなくていいやん)、止めてしまったところでした。 しかし、現代アフリカ政治学のバックグラウンドが今の日本政治の分析に役立つ(かも)時代がくるとは・・・予感あがったものの、思ったより早くきたな・・・というのが正直なところの感想です。 が、まだ日本については(も)勉強不足なので、あくまでも「森友学園問題」で明らかになった情報を、「現代アフリカの独裁・権威主義体制の研究」を踏まえ
*注1(21日夕方):急いで3度ほど聞いただけで、訳したので間違っていたらすみません!録音があればもう少し正確に訳せるのですが…。 *注2:self-determinationは、「自己決定権」ではなく、国際法上通常使われる「自決権」としています。ただ、沖縄の背景・現状・皆さんの想いにおいては「自己決定権」の方が良いでしょうが(詳細は末尾の「所感」、国連人権理事会総会という場の性格を考えると「自決権」であるべきなのでそう訳しました。またこの点は後日ブログで改めて書きます。 <『沖縄の自己決定権』(新垣毅編、高文研)が出ているそうなのでご一読を。> 2015年2月16日の沖縄国際大学でのフォーラム「道標(しるべ)求めて―沖縄の自己決定権を問う」の動画→http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238976-storytopic-1.html> *注3(21日夕方
気づいたら最後の投稿から1年が経過していた…ようだ。 そして、3月31日で大学を辞めた。 あまりに突然な決断だったので、自分でもビックリしている。 3月に入っていきなり決めて、なんとか滑り込みで2014年度で東京外国語大学を後にした。 あまりに病気が治らないので、これは原因を絶つしかないと年末に思い至ったのだが、あまりに体調が悪く、辞める事自体がストレスすぎて、ある日「辞める!」との衝動に突き動かされるまで、とてもじゃないけれど無理だった。 それにしても、ゼミ生、卒業生ら延べ50人近くのヘルプがなければ、今でも研究室を片付けていたかもしれない…心からダンケ!正直、1年ぶりに研究室の扉を開けた時、目眩がして、どうしようか…と倒れそうになったほどだったが、あの「研究室」がもうないというのも、不思議な感覚だ。 「ゼミのお父さん」こと「マコンデのお面」が睨みを利かせていた、ありとあらゆる魔物の棲む
やっと論文がいくつか終わり、本当はもっと別のことを書きたかった のに、昨日始まった「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取 会」があまりに酷いので、時間を取られてしまった。ツイッターで書い た点を、ここにまとめておきます。 なお、私の本当の専門は「平和のための戦争・政治研究」です。 専門地域はアフリカですが、具体的に膨大な時間をかけてやってき たのは、戦争や暴力に至る多様なアクター(一個人から国家、国際 機関まで)の分析を歴史・政治的観点から行うことです。 その点からいって、今の日本の国家権力の在り方、業界関係者と の癒着、メディアの状況…いずれをとっても、非常に「まずい」状態で す。私は原発に反対ですが、それ以上に、このようなごく一部の利害 関係者による国家権力の「乗っ取り状態」に、強い危機感を覚えていま す。その象徴的(分かりやすい)出来事が、昨日開始されているこの 「エネルギー・環
前から気になっていたのだけれど、日本語で長文を書く習慣を失ってしまって(かといって他の言語で書くのが得意になったわけでもないのに)、超短文でいいツイッター以上の和文を書くのが億劫になったと言うと、私の長文に悩まされた人たちは驚くかもしれない。 ドイツで何年もウロウロしようと思っていたわけでは、全くなかったのに、人生わからないもので、気がつけばこんなに年月が経ち、さらには欧州南下を計画していたのに、突如としてドイツ北方に移動することになり、これまた気づけば1年が経過。 この写真は、去年春に旧東ドイツに移ってから、ドイツを縦断してオランダの学術集会に行った帰りに撮ったもの。片道8時間の大移動(その大半はドイツ内)で、国の大きさを実感。日本と行き来するときよりも、この時の方が遠方はるばるな気がして、旧西ドイツのオランダ・ベルギー国境近辺で暮らしていたときの気楽さがしみじみと懐かしく感じられたので
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