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パリ五輪
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これを初めて日本政府に提案したのは、今は亡き井上建議員(ダニエル・イノウエ)でした。日系人が駐日大使という地位に就くことで、アメリカと日本の双方の国益に結びつくことのみならず、アメリカ社会における日系人の地位向上にもつながると井上議員は考えました。時は1959年、日系人社会は、戦後の復興期からリドレス活動への過渡期にありました。 駐日大使を選ぶ権限はアメリカ政府が握っていますが、日本政府の意向を無視することはできません。そこで井上議員は、当時の日本の政局における最有力者のひとりであり首相でもあった岸信介に面会し、日系人を駐日大使として東京に送ることを提案しました。 井上議員は、日本政府がこの提案に反対することはないと考えていました。ところが、岸は彼の提案を一蹴したのです。さらには、岸は日系人にたいする侮辱ともとられる予想外の発言を、井上議員の前でしたのです。 日本には、由緒ある武家の末裔、
在米48年後、夫婦で日本へ 私の周囲で日本に引き揚げる人が増えている。私自身も節目を迎えつつある。日本で働く長男が私の両親と住んでいるので安心ではあるが、彼らの介護が必要になってくると一人っ子の私が日本に引き揚げて親の面倒をみなければならない。新一世の中にはアメリカを終の住処とせず、私のように「日本に残してきた親の面倒をみるために引き揚げる」という人もいれば、「医療費が高いアメリカでは老後は過ごしづらいから日本へ」という人もいる。そこで、遠からずその日を迎えようとしている自分自身の予習の意味も込めて、長年住んだアメリカから日本に引き揚げた人の話を聞かせてもらった。 今年の2月にロサンゼルスから九州北部に引き揚げたRさんは現在70代。渡米してきたのは1972年だというから、アメリカ生活は実に48年にも及んだ。アメリカで日本人の配偶者と一緒になり、共に生涯、アメリカで暮らしていくと考えていた。
アメリカ大陸に移住した何十万人という日本人は、必要最低限のものしか持参せず少々の着替えといつまでも記憶に残る故郷の写真ぐらいであった。しかし、彼らは自分の家族やその出身村で育んだ無数の伝統と風習を、当然移住先に持ち込んだ。生まれ育った故郷から何千キロも離れたところに住んでいても、消すことのできない記憶のように食べ物の色や味、その匂いを特別な祝賀行事の日に再現したのである。 新年の行事「正月(shogatsu)」は、日本人にとって最も重要な行事であり、今もその伝統は受け継がれている。一年の最後の日「大晦日」の夕食は、家族とともに特別な料理を食べて締めくくり、新年をみんなで明るくおごそかに迎えるのである。昔は旧暦で祝っていたが、明治政府(1868年から1912年)が1873年にグレゴリオ暦を採用してからは、1月1日が正月として定められた。アメリカ大陸でも、新年(año nuevo アニョ・ヌエ
慣れるのに3カ月かかったコロニア語 バブル真っ最中の1991年の暮れ、東京で東証二部上場企業に勤めていた私は、何を血迷ったか、邦字紙で働き始めようと思い立った。 ブラジルの邦字紙「パウリスタ新聞」東京支社の面々と面接を受けた時、「日系社会の人は、みんな日本語をしゃべるから、最初はポルトガル語が分からなくても大丈夫だよ」との説明をうけ、安易にそれを信じていた。 だが、その期待はみごとに裏切られた。1992年4月にサンパウロに到着。それから日系社会で使われる日本語方言「コロニア(日系社会)語」に慣れるのに、正直言って3カ月かかった。 だいたいブラジルのことを「伯国」と表記するが、日本ではあまり一般的ではない。昔はブラジルを「伯剌西爾」と漢字表記したから、その表記が邦字紙では一般的だ。 さらにサンパウロ州はキリストの使徒「聖パウロ」を意味する州名であることから「聖州」だ。リオ・グランデ・ド・スル
『火の鳥』『ブラック・ジャック』などの傑作を次々に発表し、存命中から〝マンガの神様〟と呼ばれていた天才漫画家・手塚治虫(1928―1989年)を知らない日本人はいない。しかし、彼の未完の絶筆『グリンゴ』がブラジル日系社会をモデルにしていたことを知る人は少ない。 この作品に「ブラジル」という言葉は一言も出てこない。にも関わらず、どうして「舞台がブラジル」と分かるのか謎解きをしよう。序章の第1ページ目は《これからはじまる物語は、一切が仮名になっている。もし貴方に興味がおありなら、第一の舞台である商業都市カニヴァリアが、南米の地図のどこに位置するかをお調べいただくのも結構》と敢えて隠して読者の興味を誘うような始まり方をしている。 実はサンパウロ市に住んでいる者にとって、最初のページがすべてを物語っている。一コマ目は明らかに市の中心地点「セー大聖堂」だ。二コマ目は奥が旧サンパウロ州立銀行ビル、その
ここでは、オーラル・ヒストリーインタビューに必要な基礎知識をご紹介します。 ここで紹介するビデオ、インタビューのテクニックの入門編は、2009年にコール・カワナ君が製作したものです。オーラル・ヒストリーインタビューの良し悪しは、さまざまな要因によって決まりますが、きちんとした準備をし計画をたてれば、頭を悩まされることなく、いいインタビューができるでしょう。 コール君がこのビデオを作成したのは、彼がまだ6年生の時でした。コール君は、アジアン・フープス・リーグでバスケットボールをし、サーフィンやピアノ、剣道に挑戦するなど、ごく普通の男の子です。しかし、その一方で、特別な才能の持ち主でもあり、誰にでも簡単にインタビューができる素晴らしいガイドラインをつくりました。 コール君についてもっとよく知りたい方は、2010年7月15日にパリサディアン・ポスト紙に投稿されたこちらの記事をご覧ください。 オー
Journal Read about the Nikkei experience from different perspectives. New stories are posted daily! Click the photo to view the featured article “Jinsei no aki (Autumn of Life)” by Roberto Oshiro Teruya. More »
ジャーナル さまざまな視点から書かれた日系人の体験談を読もう!毎日新しいストーリーを掲載しています。 画像をクリックして、特集記事「人生の秋」(ロベルト・オオシロ・テルヤ ・著)をご覧ください。 詳しく見る »
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