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大谷翔平
espresson.hatenablog.com
オルタマンタベタ。クロゴマ、オイシカッタ 前回の記事では、劇場に足を運んだ後のその熱量のままに書き始めてしまったせいか、冒頭から全て書き出し始めるという暴挙をやり出したんです/が、やや落ち着いて、この調子だと全部書ききれるのかわからんということで、改めて感想記事を書くことにしました(現在非公開)。 (2章全編のネタバレあり。気を遣ってはいますが、微妙に3章以降に触れてる部分もあるかも知れませんので、気にする方はご注意を) 目次(リンクはない) ・須藤友徳という狂気 ・電車に一人残される幼い桜 ・図書室での戦闘シーン ・教会の窓から逃げる桜と残された合鍵 ・rain ・衛宮家の食卓 featライダー ・変容していく桜 ・バーサーカーVSセイバーオルタ ・アーチャーの最後 ・士郎に移植されたアーチャーの腕 ・士郎と桜の情事 ・桜の夜の徘徊 ・英雄王の最後 ・藤ねえと桜の会話 ・衛宮士郎の涙 ・
実家を出ることにしました。 僕は三十路の独身男なんですが、ずっと東京住まいで大学も自宅から通えていたりして、卒業してもずるずる実家で暮らしていました。 特に実家を出るきっかけというのもないもので(ただ職場と家を往復するひきこもりオタクというのもあり)、お先とばかりに上の妹が先に家を出たりしていたわけなんですが、実家での自室ひきこもりスキルや家事スキルを高めていたのと、家にそれなりにお金を入れているということもあり、これは別に出ていっても生きて行けるのではと思った次第です。 まあちょっと不名誉な話も突っ込んですると、実家の父親の家計管理スキルが壊滅的で、金銭的な部分で不明瞭な人間と家計をともにし続けるのにちょっと嫌気がさしたというのもありました。 とまあ前置きはそこらにして、ともかく、実家を出ます。 メインの通信回線を安いモバイル回線へ一本化したい いざ実家を出ようと決めてみると、新生活をあ
ガッチャマンクラウズインサイトの記事はいつもノリノリで書いてる自分ですが、どうもいつもの体裁で、お話を端から拾いながらがっつり書く気力が起きない――一方で、何か言いたいという気持ちで煩悶としていたので、勢いのままに好きなように書こうかなと思います。 ま、何について書きたいかというと当然のことながら「卯月」についてですね。 結局、卯月の葛藤とはなんなのか。卯月とはどういう子で、何が彼女を追い詰め、そしていかにそれを乗り越えうるのか、ということです。 ただ頑張りたいように頑張ることを笑顔で楽しんでいた卯月という幸福な少女 ううん、どういう語り口で書き始めればいいのだろうか。 そうですね、とりあえず何が問題なのかという一つの結論から言ってしまうと、「卯月は自分のためにアイドル活動するということをできなくなってしまった」のだと、僕は理解します。 そもそも卯月はこれまでどのようにやってきたかというこ
はい、というわけで、結局いつもの調子で物語を追いながらの感想記事も作っちゃいました。 なので、前回の記事で書いたことについてはあまり言及せず、さらりと行きたいと思います。(といいつつ、本文5000字以上はある) 今回のサブタイトルは表題の「insight」ですね。 この意味がどう扱われてきたかは、吹き出し様の意味とかでいくらか言及しましたし、本編でもたくさん描かれてきたので大丈夫ですね。 それでは、最後ですが、いつもの調子で書いていきたいと思います。 「カッツェの力を使うということは、悪魔と契約するようなものなんだよ」 「累くんもクラウズを使ったっす、でもクラウズはカッツェさんじゃなくて、累くんのものになったっす」 「それはそうだけど……」 かつてカッツェからクラウズの力を与えられ、結果的に社会を窮地追いやってしまった累くんは、はじめちゃんの選択の危険性を訴えます。 それに対してはじめちゃ
はじめに さて、ガッチャマンクラウズインサイト、最終話である第12話が終わりました。今回のお話はなんというか、物語的なハイライトは前回までで通りすぎて、その結末というか「消化試合」みたいな印象を個人的には抱きました。 それでまあいつものごとく、とりあえず書き始めては見たんですが――そして色々思いついたこともあるのですが、どうもこれまでやってきたフォーマットではうまく書き進めることができなかったんですね。なので、あまりストーリラインを追うことは意識せず、書きたいと思っている中心的なことに絞って書き進めてみることにしました。ガッチャマンクラウズの1期について書いた記事や、この前の卯月について書いた記事みたいな調子ですね。 それでは、やっていきます。 はじめちゃんの行為はみんなを救う単なるヒーローの自己犠牲? まず12話で描かれたいたことがなんであったのかといことですが、つまりは前回のお話の種明
第11話「trade-off」。 取引や交換を意味する言葉らしいですが、ニュアンス的には、何かを得るために何かを差し出すという感じのようですね。二つのものを両立できない。代償、二律背反。 何を得るために、何を差し出すのでしょうか? 「ガッチャなんで邪魔してんだよ!」 「ほんと空気読めねぇなぁ」 「ふん、無駄な抵抗はよせ、ゲルサドラが死ぬまでこの空気は終わらない。飽きるまでやめないのが猿なんだ」 祭りは勝利宣言するまで終わらない。 勝利の中身は関係ない。ただ、「私」がそこに含まれる「みんな」が勝って、その「高揚感」の中で「自己という不安」が紛らわせられればそれでいい。 しかし、この不安は、「自分が自分であること」を生きられたときにだけしか、克服できない性質のものです。つまり、次の「祭り」を永遠に探し続けなければいけない。終わりはないのです。 「カッツェさん、空気ってどうやったら止まるんすかぁ
ガッチャマンクラウズ10話「seeds」。 seedは種子ですが、seedsでググッてみると広告用語としての意味もあるようです。 消費者に潜在的なニーズを掘り起こしうる「技術」等の意。 みんなを煽って別の空気へと誘導するリズムくんのことかなぁ。 さて、じゃあ感想書いていこー。 「うそつきー! どうしてそんな嘘つくの? お友達じゃないの!?」 自分の言いたいことも言えない関係。もし考え方が違っても、相互に尊重しながら関係を維持できないものが、本当に友達と言えるものだろうか。 仮にそういう関係でも維持される繋がりというのは、自他の境界がしっかりと区別されている――「個」がそれなりに確立されたうえでの繋がりだと思いますね。 自己の存立基盤が、内面の深いところにあるような人間。僕的には、幼児期に形成されるような自己承認の感覚。これがないと、内的感覚や経験されているものを無視したまま(抑圧)外から色
吹出し様、光のスペクトル説 これは思いつきで、「吹き出し様はみんなの感情の状態を表している」という大方の見方と違うのですが、「その場の空気への同調傾向の強さと、それに反比例した内発的思考の低下の度合いを、色相の順序で表している」という可能性なんてのも面白いなと思いました。 光のスペクトルの順序は、 紫 → 青 → 緑 → 黄 → 橙 → 赤 ですね。 感情だけが変化の誘引ですと、もっところころ変わるはずで、はじめちゃんとゆるじいがずっと変化しないのもおかしい。赤という感情にみんなが染まるのもこ の説明だとしっくりくるなと。8話でアランがずっと青のままで、遂には食べられてしまいましたし。まあ、赤が排他性を表すという考えもありますが、個人的 にはスペクトルの順序説がしっくりきますね。 特に説得力を与えてくれるのが、「黄色の吹き出しに黄色が入ると、くうさまが生まれるのではなく、次の橙色に変化する
ガッチャマンクラウズインサイト第21話「opt-out」の感想を書いていきます。 (衝撃! 人を飲み込む床屋のサインポール!) 空気を乱すもの、空気に従わないものを問答無用でくうさまが呑み込んでしまっているようです。 実際の社会であっても、法の名の下に異分子は排除されるのは一緒ですが、誰を排除するのか、その場その場の流動的な空気だけが基準であるというは、まったくお話が別ですね。 現実的には小集団内におけるローカルなルールに、市民社会の規範が影響力を失くす状況なんてのが関連する問題としてイメージできるかな。いじめとか。 (人を飲み込むサインポールの都市伝説に衝撃を受けるつばさちゃん) 「なにこれ……っ」 (^^) まあ当然の反応ですね。かなりの無知っぷりを披露していたつばさちゃんですが、この状況になってもお花畑でいるようだったら、いよいよ精神干渉みたいな要素を本気で考慮しなくちゃいけない展開
ニコ動とかでNG機能を僕はよく使うタイプなのですが、ふと9話のシーンを思い出しました。 (自分へのヘイトを読み上げるはじめちゃん。耳を塞ぐうつつちゃんがかわいい) 「平気なの、こんなことされて」 「平気っすよ、だって」 「嫌なら電源切ればいい」 「そうっす! じゃあ、いくっすよー」 「「せえの!」」 ガッチャマンクラウズでは、「対話」「尊重」「相互理解」「主体の変化(アップデート)」みたいなものは重要なテーマだと思うですが、自分にとって不快なノイズをフィルタリングするのって、それに反するんじゃないの? ってなことを反射的に思ったりしますよね(え、別に?)。 でも、「選択」というのを、僕は重要だと思ってます。今の時代、情報というのはもう無尽蔵に、みさかいなく、頼んでなくても、向こうから勝手にやってきては通りすぎて行く。そのような中で、ゆっくり深く考える(insight)ためには、自分がどんな
・「悲しいなぁ。僕が思ってた以上にこの星はみんなばらばらです。ひとつになれば争いもなくなるのに」 「そんな争いってダメっすかねぇ」 「え?」 「何言ってるんですか先輩、ダメに決まってるじゃないですか」 「必要なときもあるんじゃないすか」 「それって人を傷つけていいってことですか」 「そうじゃないっすけど、バラバラだかこそ、バチバチィってなって、キラキラァってなるんすよ」 「ええ、よくわからないんですけど」 はじめちゃんのこのセリフを聞くと、多少なりと高校倫理の授業を聞いてた人は「弁証法」を想起しますね。 民主主義ってのは、まあ色んな考えがありますけれど、一つは単に民衆の意志を反映するというだけじゃなく、対立する意見の中から、それらとはまた違ったより高次の結論を導くというのもあるはずです。 続くシーンの会話。 「私は間違ったことをしたとは思いません。命より大切なものなんてないんです」 「ほん
結論からいうと、僕は一ノ瀬はじめという女の子を「愛」の体現者と見ている。 一ノ瀬はじめは、本当の意味で人を愛する「能力」をもった女の子であると。 ガッチャマンクラウズ第12話DC版、初見のとき、はじめちゃんがカッツェと対峙したあのシーンの意味を、僕はそれほど飲み込めなかった。 というか今も、はじめちゃんが具体的に何をして、どういう理屈でカッツェを探し出し、ノート(魂)として取り込んだのかはっきりとはわからないのだが、ただ、もう少し抽象的というか、象徴的な意味で、あのやりとりの意味を、僕は僕なりに飲み込んだつもりなのだ。 はじめちゃんがカッツェを見つけた瞬間、彼女はある意味での「合一」を果たしたのだ。 それは、一つの愛の達成である。 一体何を言っているのか、それを語るためには、僕がここでいう「愛」の中身について、先に論じておかなければならないかもしれない。 エーリッヒ・フロムの「愛」 僕が言
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