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ノーベル賞
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こんにちは。小野ひかりです。 このお盆休みに、5年ぶりの嬉しい再会がありました。 前職の先輩で、毎年の年賀状が再び縁をつなげてくれました。 今回は人とのつながり「縁」についてお話ししたいと思います。 「縁」とは何か 「縁結び」「縁談」「血縁」「宿縁」など、人とのつながりを表す「縁」という言葉は本来、仏教の言葉です。 夫婦・親子・職場の同僚・友人・恋人・師弟など、私たちはさまざまな人とご縁があって生きています。 よく自分と関係の深い人のことを「縁の深い人」とか「因縁のライバル」といいますね。 夫婦や親子になる人も、ライバルも、よほどの因縁の深い人です。 「袖触れ合うも多生の縁」ということわざがあります。 電車の中で隣になった人と袖が触れ合うことがあります。 大抵、電車で隣になった人とは、名前も知らなければ言葉も交わさず、降りる駅までただ隣同士になっただけの人でしょう。 そんな人でも、仏教では
こんにちは。小野ひかりです。 来月はお盆休みがありますね。 年に1回、お盆休みには家族で先祖供養に参られる方も多いのではないでしょうか。 法事の時の悩みの一つに「お布施」があります。 「お布施はいくら包めばいいの?」「どのタイミングで渡せばいいのか」など、明確な目安がよくわかりません。 今回は、私たちの慣習にある「お布施」についてお話いたします。 お布施とは 「お布施」と聞くと、葬儀や先祖供養への感謝やお世話になっている菩提寺への謝礼を思い浮かべる人がほとんどだと思います。 仏教の慣習の一つだと思われてのことでしょう。 私もそう思っていましたが、仏教を学んで本来の「お布施」の意味は全く異なることを知りました。 「布施」とは、六度万行(ろくどまんぎょう)の一つです。 六度万行は六波羅蜜(ろっぱらみつ)ともいわれ、仏教で勧められている「人生を明るく楽しく渡る六つの善」のことです。 「布施」は6
こんにちは。小野ひかりです。 ふるさとの親と話したりするのが面倒だなと感じるときがあります。 親から電話がかかってきても「忙しいから切るよ」と手短に済ませてしまうこともあり、そんなときは「ちょっと冷たかったかな」とはふと思うものの、今度またこちらからフォローしておけばいいや、別にいつでも話ができるんだし、と思ってしまいがちです。 これは、親はいつもいる身近な存在で、いつでも自分の側にいると思い込んでいる心です。 海辺に住む人は海水浴をしない 「海辺に住む人は海水浴をしない」という言葉があります。 海辺に住む人は「すぐそこが海だし、いつでも海水浴ができるんだから今日はいいよ」と思ってしまい、そのうちに遊泳シーズンが過ぎていく、ということです。 家族もこういうところがあるのです。 とても近い仲なので、会おうと思えばいつでも会える、話そうと思えばいつでも話せる、と当たり前に思ってしまい、かえって
こんにちは。小野ひかりです。 先日、アラフォー友達と40代からの人生観について語り合ったのですが、彼女がこんなことを言っていました。 「30代は子供の成長を最優先に考えて、自分が好きだと思えない仕事でも割り切って働いてきた。子供が社会人になるまで支えていくつもりだけれど、40代からは、自分自身のこれからの仕事、人生についてもやりがいのあるものに変えていきたいと思っている。 でも、実のところ本当に「なりたい自分」というのが分からなくて、心がモヤモヤしている」 私も長い間、なりたい自分像が鮮明にならずに悩んでいたので、彼女の気持ちにとても共感しました。 今回から数回にわたって「なりたい自分」の見つけ方について、仏教の視点で見ていきたいと思います。 なりたい自分が サッパリわからない 「自分とは何者か」 「なりたい自分とは」 これは多くの人の心をかきたてる問いではないでしょうか。 古代から現代に
一言で怒りの心といっても、日本語にもいろいろな表現があるものです。 「気分を害する」「機嫌が悪い」「ご機嫌斜め」 「憤(いきどお)る」「頭にくる」「頭に血が上る」「怒り心頭」・・・ 怒りのボルテージが様々で、それに応じた怒りの表現がとられます。 さらに言えば、 「カッカしてる」「イラッとする」「イライラする」 「カチンとくる」「ムカムカする」「ムカつく」「キレる」「ブチキレる」 などパッと思い浮かぶだけでもいろいろ出てきますね。 そのさまざまな表現から怒りの心で人生を台無しにしている人間の実態も知らされてくるようです。 怒りは三大煩悩の一つで恐ろしい心 仏教でも怒りのことを「瞋恚」(しんい)といい、三大煩悩の一つに数えられます。 私たちを煩わせる悩ませる煩悩は108あります。 特に大きな心が三つあり、怒りはその一つなのです。 実際どうでしょう。 腹が立つことほど、自分を苦しませ嫌なことはな
こんにちは。小野ひかりです。 仏教、あるいは宗教に関心を持ち始めた時に、まず知りたいことは世界に多数ある宗教は、どこがどう違うのかという疑問だと思います。 私は仏教を学び始めて7年になりますが、学んでみて初めて知った他の宗教と仏教の違い、また仏教の特徴について、今回は書いてみたいと思います。 これから仏教を学んでみたいと思っている方への一助になれば嬉しいです。 あなたの宗教は何ですか? 海外に住んでおられた方で「あなたの宗教は何ですか?」と問われた経験がある方が多いと思います。 国によっては入国審査で宗教を問われ、「no religion」(無宗教)と答えると不信者に思われる場合があります。 「あなたは何も信じていないのか」と怪しいやつだと思われ、入国拒否されることさえあります。 私はカナダに1年住んだことがありますが、時々宗教について尋ねられ、その都度戸惑っていました。 あえて言うならば
新元号は「令和」となりましたね。 響きは近未来的で、新時代を感じさせる元号だと感じました。 今後「令和の歌姫」「令和の怪物」という人物も現われるんでしょうね。 「令」には令嬢・令息と使われたりするように「よい」「すばらしい」という意味があり、「和」は「平和」「和やか」という意味で、つけられたとのことです。 人によっては、「令」には「いいつける」という意味もあり、令状・号令・命令など思い浮かび、和(団結)を強制させられるような語意を感じさせるので、昭和初期の軍国主義を懐古しているのでは、と深読みする人もありましたが、ここは素直に「令」は「よい」「和」は「和やか」でいいのではないでしょうか。 典拠は『万葉集』の梅花の歌三十二首の序文です。 時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す 寒さに身を縮めながらも、ほころぶ梅の花に春の到来を知り、浮き立つ心を詠んだ文で
こんにちは。小野ひかりです。 今はAIの話題を聞かない日はないくらいです。 「AIに奪われる職業ベスト20」 「プロ棋士がAIに完敗」 「人工知能(AI)って本当に信用できるの?」など、テレビでも新聞でも盛んに特集が組まれます。 もしかしたら今、私たちはAI紀ともいえる歴史上の大きな分岐点に立っているのかもしれませんね。 最近、私が知って驚いたのは、AIによる「AIスコア」です。 AIが人間を評価する?「AIスコア」とは 「AIスコア」とは、個人の信用力や信頼性をスコア化(数値化)したものです。 AIが個人の学歴や性格、金銭感覚、ライフスタイルなど、ネット上の行動傾向から大量のデータ分析して、その人の信頼度を数値化するのです。 今後AIスコアが高いほど、様々な良い条件や待遇を受けられるようになります。 例えば ・ローンを低金利で組める ・融資審査などの審査に自動的に合格 ・旅行やレストラン
こんにちは。小野ひかりです。 昨年10月、世界的なベストセラー『「死」とは何か』が日本で書籍化されました。 余命宣告されたイェール大学の学生が”命をかけて”受けたいと願った伝説の講義の内容を一冊の本にまとめたものです。 死の話題はタブーな空気がありますが、こういう本がベストセラーになるのですから、「死」という問題に関心のある人は多いのだなと思いました。 以前、私の友人が「死んだらどうなるのかを考えると、夜に電気を消して寝るのが怖くなる」と言っていたのを思い出しました。 この友人は、若いときに両親を亡くし、それから「死んだらどうなるのか」が気になり始めたそうです。 大切な人を亡くすと、「死んでどこへ行ったんだろう」という得体の知れない闇が、のこされた者の心の世界に侵入します。 焼き場で骨を拾うとき、骨壷をかかえて帰るとき、墓の前にたたずむとき、親の存在がただそこにあるものだけになってしまった
こんにちは。小野ひかりです。 仏教学び歴7年。仏教を聞いてから自分は「こういう人間なんだ」と知り、自分が大事にしたい人ややりたい仕事がハッキリしました。 人生を変えるには、自分の死を見つめることが大事 「人生を変えたい」と思った時に、大切な視点は「自分の死」を見つめることです。 自分の人生をどう生きようかと悩んでいるのに死を考えるなんて、と思う方もあるかもしれません。 しかし、「自分の死」を考えることこそが「人生を変える」スタート地点なのです。 このことについて、2016年年間ベストセラー1位に選ばれた本『君の膵臓を食べたい』から 掘り下げてお話したいと思います。 「死を見つめる」と「人生を生かす」の密接な関係 主人公の女子高校生、桜良(さくら)は膵臓の病気で余命あと1年ですが、一緒にいる人を楽しませるユーモアがあり、その明るい彼女の姿が小説にあたたかい雰囲気をもたらしてくれます。 彼女も
「これも運命なのか」 「運命を受け入れるしかない」 何か「運命」と聞くと、ベートーベンの交響曲に代表されるような、衝撃的なことが人生に起きた時に使われます。 しかし考えてみると、「運命」とは、必ずしも私たちにとって悪いことが起きたときの言葉だけではありません。 人間は自惚れているからか、良いことはとかく当たり前なこととして受け流しがちです。 例えば、大きな病気になることもなく、健康であること。 あるいは、家族仲良く暮らしていること。 自分を大切に思ってくれる人が身近にいること、 そういうこと一つとってみても、全く不思議な巡り合わせでその幸運に恵まれていることを受け止めてしかるべきなのでしょう。 私が20代の時、職場の30代の先輩はガンを患い、再発に気を使い、菜食中心に切り替え、体を冷やさないよう、砂糖やコーヒーにまで節制し、がんを嫌う気持ちがストレスとなるのは良くないからと、がんのことを「
人生に意味が有るのか無いのか、と問われたら 「わからない」としか今は言えない。 ただ「私はこのために生まれてきたんだ」といえる「何か」を 心のどこかでずっと待ち続けているような気がする。 こんにちは。小野ひかりです。 今『LIFE SHIFT〜100年時代の人生戦略』を読んでいます。 半世紀前には100歳以上生きる人は1%未満だったのが、これから日本に生まれる子供の約50%以上は105歳まで生きるだろうという予測がたっています。 現在30代の私でも、平均寿命は95歳になるだろうといわれています。 人生100年と考えると、お金の心配が真っ先にきそうですが、金銭面ともう一つ、考えずにいられないことが精神面での「人生の意味づけ」です。 長寿化すれば、必然と働く時間も長くなるでしょうし、また社会保障も時代の変化に沿おうと必死に計画されてゆく可能性はあります。 しかし70、80代になっても休む間もな
こんにちは。小野ひかりです。 「毎日同じことの繰り返しで、このまま歳を重ねていくのかな」とむなしく、寂しい気持ちになる時、あるいは「なんで私ばかりこんな目に」と、現状に大きな不満があり、ストレスで苦しい時、そんな時に人は「人生を変えたい」と思うものです。 しかし、実際にはそう簡単に人生は変えられず、ずるずると同じ状態が続いていき、ためいきをつく日々だ、という方は多いのではないでしょうか。 では、私たちはどうしたら自分の人生を変えることができるのでしょうか。 そこで今回は人生変えたい人が知らなければならない仏の知恵についてお話いたします。 人生を変えていける人と変えられない人の決定的な違い いきなりですが、 オリンピックに出るマラソン選手と素人ランナーのあなたが競争することになったとします。 この競争の勝者はどちらでしょうか? 「あっという間に引き離されて勝負も何もないよ。オリンピックに出る
こんにちは。小野ひかりです。 ブログを立ち上げてから、拙い文章しか書けない自分を反省するようになり、心に響く表現を探しながら読書するようになりました。 久しぶりに手に取った村上春樹さんの『ノルウエイの森』。 私が特に心に残ったのは、親友を突然失った主人公が述懐する以下の言葉です。 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。 そのときまで僕は死というものを完全に生から分離した独立的な存在として捉えていた。 つまり「死はいつか確実に我々をその手に捉える。しかし逆に言えば死が我々をとらえるその日まで、我々は死に捉えられることはないのだ」と。 生はこちら側にあり、死は向こう側にある。 僕はこちら側にいて、向こう側にいない。 しかし、友人の死を境にして、僕にはもうそんな風に単純に死を(そして生)を考えることはできなくなってしまった。 死は生の対極存在なんかではない。 死は僕という存在の
こんにちは。小野ひかりです。 みなさんは職場で「この人はどうしても苦手」という相手と仕事をしなければならない時、どんな工夫をしていますか? 以前、私は職場に苦手な後輩がいました。 ミーティングもいつも受け身。意見を全くと言っていいほど出さない。 仕事の報告もぞんざいだったり、しなかったりで、彼女のことでストレスが絶えません。 だからといって同じ部署の後輩である以上、距離を置くこともできず、ため息をつく日々でした。 ある先輩に、この困った後輩の愚痴をこぼした時のこと。 その先輩から聞いた話しが、私の悩み解消の大きなアドバイスになりましたので、今日はそのことをご紹介します。 苦手な人には黒いバイアスをかけている 先輩がこの時してくれたのは、警察の「白くする捜査」の話でした。 捜査の現場では「相手を黒(犯人)だ」と狙いをつけて捜査するので、いつしか黒である情報だけに執着してしまい、相手が白である
こんにちは。小野ひかりです。 スマホなどのゲームをやり過ぎで日常生活に支障をきたすゲーム依存症が国際的な精神疾患の一つとして認められました。 インターネット一つで情報収集・通信・買い物など便利な社会となりましたが、精神の病巣にもなっているようです。 今回は情報社会を幸せに生きる上で、必要な力とは何かを考えてみます。 戦争が恐ろしいのは化学兵器ではなく… トランプ大統領がヒラリーと大統領選を戦っていたときのこと 氏の支援演説した著名人が、広島、長崎への原爆投下を指示したトルーマン元大統領を 「原爆を日本に落とすガッツがあった」と称賛、 それを受けてトランプ氏も「同じ決断をするだろう」と話したところ、会場が喝采(かっさい)する場面がありました。 (さすがに大統領になってからは、あれほどの過激発言は自粛気味のようですが) ひんしゅく買うどころか、喝采なのか、と驚きましたし、怖ろしいなと感じました
こんにちは。小野ひかりです。 人生を真面目に考えるキッカケとなったある女性の手記から幸せとは何かを考えてみたいと思います。 ある日の夕方、電車に乗っていた時のこと。 車内にはかなり多くの乗客が立っていた。 ドア近くのつり革を掴(つか)んでぼんやり窓の外を眺めていた。 しばらくして、斜め後ろのほうに座っていた7.8歳位の男の子が私のそばまで近づいてきて声をかけてきた。 「あそこの席に座ってください。」 男の子が指さす先を見ると、そこはお年寄りや妊婦の方が優先される「優先席」。 男の子がその「優先席」に座っていたらしい。 老人が来たと思って譲ってくれたのだろう。 「優先席」であると分かった時、それまで味わったことのないショックを受けた。 「自分は老人扱いをされるほど老いたのか」と、すぐに「ありがとう」と言葉が出なかった。 あの子はただ席を譲ってくれたというより、もっと深刻な何かをこちらに伝えて
こんにちは。小野ひかりです。 私たちが特に失敗しやすいのは、苦しい時です。 不幸な時、苦しい時は、気を付けなければいけません。 苦しい時に、追い打ちをかけて自分を苦しませるようなところへ、自らを追い込んでしまうからです。 苦しい時の落とし穴 ○苦しい時、腹が立ってきます イライラが募って、挙げ句の果てに暴言を吐いたり、手をあげたりして、今の立場を失う事態も起きます。 ○苦しい時、人を妬みます 「なんであの人ばかり」と、人の幸福が妬ましく、人の成功を素直に喜べなくなります。 ○苦しい時、人を憎みます 自分を苦しませる者を「あの人のせいだ」と憎みます。 その結果、余計に苦しみます。 自分を苦しませる者がよくわからないときは、犯人捜しをはじめ、やはり誰かのせいにして、苦しみます。 ○苦しい時、大切なものを捨ててしまいます 「こんなにしてきたのにこんな目にあった」となれば、投げやりになり、逃げ出し
こんにちは。仏教を学んで心が元気いっぱい!小野ひかりです。 私の知り合いで、打ち解けるとすごく良い人なのですが、他の周囲の人からはつっけんどんで、無愛想で、付き合いにくい人だといわれている人がいます。 私も、今でもすれ違った時の彼女の挨拶に、「あれ、ちょっと機嫌が悪いのかな」と思ってしまうこともあるぐらいです。 彼女は言葉ひと言で損をしているな、と思いました。 人間関係が上手くいかないのは、ほんの些細なことから始まる 仏教に「言辞施」が教えられています。 優しい言葉をかけることです。 物や財に恵まれていない人でも、心がけ一つで誰でもできる布施行の一つに数えられています。 今日も忙しく明日もせわしい、とげとげしい人間関係渦巻く社会で、優しい言葉は人を元気づける良薬だ、といわれています。 優しい言葉と言っても、そんな大層なことではありません。 何気ないささいな言葉を三つ紹介いたします。 ○意味
こんにちは。仏教を学んで心が元気いっぱい!小野ひかりです。 今、あなたの隣の人。 どうしてその人は、そこにいるのでしょうか? 隣の人は好きな人ですか。それとも嫌いな人ですか。 なぜあなたの隣は、その人なのでしょう。 70億の人がいるのに、今、なぜその人が自分の隣にいるのか。 袖触れ合うも多生の縁 『袖触れ合うも多生の縁』 袖が触れ合う、というのは、非常に接近している状態です。 東京と大阪では袖は触れ合えません。 となりに座る人、前に座る人、後ろに座っている人。 どうしてそのような人と人との関係が起きたのか。 「偶然だよ」と聞こえてきそうですが、仏教では、その人と「縁」があったからだ、と説かれています。 一つの結果には、必ずそうなる原因があり、縁がある。 これを仏教では「因縁果の道理」といって、仏教の根幹を成す教えです。 隣の人と私とは、何かしらの関係があって、そういう結果が今、おきているの
こんにちは。仏教大好きな小野ひかりです。 私が大学を卒業して就職して3年経ったある休日の朝のことです。 80歳の祖母が「今日は何曜日だっけ?病院行く日?」と聞くので、「今日は土曜日だから病院行く日じゃないよ」と答えて、テレビをつけてコーヒーを入れていると、また祖母が「今日は何曜日だっけ?病院行く日?」と聞くのです。 えっと驚いて祖母の顔を見ると、とても冗談で言っているようではない、これが「もしかしたら認知症かも」と疑い始めた最初の出来事です。 それから祖母の認知症の症状は徐々に悪化し、同じことを何度も話したり、聞いたりするのはいつものこととなりました。 さらに悪化すると、昼夜の時間感覚がなくなり、真夜中に「出かける」と言ってきかないことも多々ありました。 庭の柿の木の前を子供が通るたびに「柿を持ってくなー」と泥棒呼ばわりするようになり、近所から苦情もあがりました。 祖母の言動はじわじわと私
現在、私は映像製作の仕事をしています。 5人のチームですが、20代から40代まで、性別も異なり、出身地にいたっては東京、京都、インドネシア、北海道、ブラジルです。 才能も多士済々(たしせいせい)、デザインに強い人、言葉の感覚に優れている人、パソコンスキルの高い人、誰が抜けても、作品のクオリティは保てません。 そこで日々痛感するのは「チームワーク」の大切さです。 「チームワーク」が大事なのは、職場だけではありません。 家に帰れば夫とのチームワーク、 ご近所ともチームワークが必要ですし、 日本国民としてのチームワークもあります。 願わくば、自分が所属したチームは、幸せに向かうドリームチームでありたいですよね! そこで今回は「チームワーク」を高める最大のポイントとは何か、をテーマにお話しいたします。 「チームワーク」が上手くいかない理由 「チームワーク」を高めるには、一にも二にも、【お互いの違い
ブログを書き始めてみてよーくわかったことを一つ言うと、「私は文章を作るのが下手だ」ということです。 私の文章力ってこんなもんだったのか、と自分にがっかりしています。 なにしろ時間や労力ばかりかかってしまって、やっとこさ完成したものも、読み返してみると分かりにくい。 面白みに欠けるし、歯切れも悪い。 他の人のブログの文章と比較してその差に愕然(がくぜん)とすることもたびたびです。 ブログを始めた当初は、意欲的に関連する本を読んだり、ネットで知識を身につけたりで、うまくいきそうな気がしていたのです。 ところがどれだけ文章をアップしても、あまりの反応のなさにだんだん続けるのに意味を感じられなくなってきました。 そのうち気が散漫(さんまん)になり、何かと文章を書くのを後回しにするようになり、ますます「こんなの続けてていいのかな」と焦りともやもやが続きました。 プロとアマの違いは才能よりも「やり抜く
人間関係の苦しみには、大きく分けて二つあります。 それは「自分の気持ちをわかってもらえない」苦しみと、「相手の気持ちがわからない」苦しみです。 「自分の気持ちをわかってもらえない」から苦しい 「自分の気持ちをわかってもらえない」苦しみの声をいくつか挙げます。 部下は「上司に理解がない。もっと話をわかってくれる上司だったらなぁ」とこぼし、 上司は「新入社員の○○とは、会話が成り立たんよ。こちらの思いを全然わかろうとしないんだから…参ったよ」と愚痴る。 夫は「妻は俺の努力をちっともわかってない。どれだけ苦労しているかなんて、考えたことがないんだ」とぼやき、 妻は「主人はいつも自分のことばかり。何聞いても面倒くさそう」と嘆く。 このように「自分の気持ちをわかってくれない」ことに苦しんでいる人は多くあります。 「相手の気持ちがわからない」から苦しい 反対に、相手の思いが分からずに悩んでいる人もあり
「桃栗3年、柿8年」ということわざがあります。 小学校の先生に教わった言葉です。 どんなシチュエーションで教えてもらった言葉か、もよく覚えています。 体育で跳び箱(とびばこ)の授業があり、私は跳び箱4段がなかなか飛べませんでした。 クラスメイトのほとんどができるようになっ た2ヶ月後も、まだできていなかった私は落ち込んでしまい、跳び箱に自信を失っていました。 その時に、担任の先生が「桃栗3年、柿8年。努力は遅いか早いかの違いだけで、 必ず実を結ぶってことだぞー」と、私を励ましてくれたのです。 努力を続けることの大切さを教えてくれたことわざでした。 気をつけて!結果が出ない時に陥(おちい)りやすい罠 長い人生の中には、なかなか上手くいかない時があり、「人一倍、努力しているのに、なんで良い結果を出せないんだろう…」と悶々(もんもん)とすることがあります。 そんな時、早く結果が欲しいと焦るあまり
キャリアウーマン? 結婚? 専門スキルを磨く? 世界中を旅する? 美を磨く? 好奇心はそそられるけれど、どれもしっくりこない… 毎日仕事から帰って、頭がモヤモヤ、焦燥感との戦い。 途方もなく毎日を過ごすことに正直、疲れた。。 「誰かこんな状況から私を連れ出して〜!」という泣き叫びたい心境でした。 家族や職場、友達の前では平常を装い、明るい私を繕っていました。 虐待を受けていたとか、職場でイヤがらせにあったとかいつも一人ぼっちだったっていうわけでもない。 むしろ人間関係には恵まれていたほうだと思う。 「それなりに幸せだけれど、幸せを感じられない」 「何が不満なの?」って聞かれたら、 「それなりに幸せな環境だけれど、急にいろんなことがうわぁって嫌になることがある」 「何を手に入れ、何をすれば幸せいっぱいと感じられるんだろう」 「周りのみんなはお酒を飲んだり、美味しいものを食べながら楽しそうに笑
私たちは人の役に立っているときは生きがいを感じますし、たよられると、がんばらなければと奮い立ちます。 逆に誰の役にも立たず、誰からもたよりにされなくなると、意気消沈してしまいます。 「お金や物がないから、誰かの力にもなれない。資格や知識もないので、誰かの役にも立てない、自分なんかいてもいなくても一緒」とつい元気を失ってしまいます。 そんな人にお釈迦様は「金も才能も知識がなくても、心がけ一つで、人の役に立てますよ、人を支えることができますよ」と教えられています。 お釈迦様が教えられた、誰にでもできる親切とは? それが『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)というお経に説かれている、無財の七施(むざいのしちせ)です。 今日はその一つ、「眼施(げんせ)」についてお話しします。 「眼施(げんせ)」とは、「眼を与えて」親切するということです。 「眼を与える親切?なんだそれ?」と思われる方も多いと思います。
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