⚫︎以前考えたことを図にしてみた。これは、一方に「唯一の現実としてのこの世界」という「一としての現実」、他方に「可能なものの総体としての可能世界」という「多としての現実」を置いて、二つの「現実」を両極として、その中間を「広義のフィクション」の場として、その性質を「反復回数」によって分類して考えるというもの。 そもそもこれは、三浦俊彦による「フィクションとシミュレーション」の分類から示唆を受けている。ぼくはこの対照表、および三浦の講義全体をとても興味深く観たが(特に、可能世界から倫理を考えるというやり方に刺激を受けた)、同時に、フィクションの位置付けにどうしても納得がいかなかった。 (分析哲学におけるフィクション論は、いつも「フィクション世界の存在論」のようなものに傾くが、それではフィクションの勘所が掴めないと、ぼくは思っている。) 三浦俊彦「フィクションとシミュレーション」ー公開講座「仮想