サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
円安とは
healthy-boy.hatenablog.com
生まれてから四半世紀を過ぎるまでずっと、粉薬を飲むのが苦手だった。幼い頃、母親から教えられた飲み方は、舌をUの字型に曲げたところへ粉をさらさらと流し入れるというものだったけれど、まず舌をU字型にできなかったし、舌の上に粉薬をのせると薬を味わってしまい、その味が気持ち悪くて吐いてしまうこともあった。 結婚してから妻に教わった飲み方は、舌の下にある歯に囲まれた空間に少し水をためておき、そこへ粉薬を流し込むというもので、この方法なら薬をあまり味わうことなく飲めるのでかなり楽になった。教わるまでずっと病院に行くたびに(粉薬を出されたらどうしよう)とびくびくしていた。他にも怯えることはやまほどあった。物心ついた頃からとにかく心配性で、公園で遊んでいてもどこかで頭をぶつければ脳内出血で死ぬんじゃないかと不安になった。トイレで用を足せば、またすぐにしたくなるんじゃないかと不安になってトイレから出られなく
大学を卒業してから14年か15年、正確には14年と何ヵ月ということになるんだろうけど、勤めてきた信用金庫を退職して、9月からあたらしい会社で働きはじめた。2000年、みたいなキリのいい数字は覚えやすいから大学に入学した年は覚えているけど、2018年というキリがよくない数字はきっとすぐに忘れてしまうだろう。 毎日外壁にひびが入りかけた古い二階建ての支店からスーパーカブに乗ったり軽自動車に乗ったりして営業に出かけていき、ノルマが達成できたとかできなかったとか、圧倒的にできなかったときのほうが多かった気がするけど、朝礼があったり終礼があったり夏の暑い日があったり冬の寒い日があったりしながら働いてきて、ここ数日はオフィスビルの27階、全面ガラス張りの空間で首から社員証をぶら下げてまわりの人たちが何をやっているのかまったくわからずに居心地悪く宙に浮かんでいるような日々を過ごしながら、14年か15年く
妻が家を出ていったことがきっかけではない、そう男は供述している。妻が出ていってしまったせいでやけになって事件を起こすなんて馬鹿げている、発端は結婚するよりも前にある、社会人になった瞬間からこうなる運命だったのかもしれない、そう銀行員の男は供述している。 供述によると、入行してすぐに行員専用カードローンを申し込んだ、というよりも申し込まされたという。三百万円まで自由に利用できる当座貸越枠を手に入れると、最初は(金利がもったいない、給料の範囲で生活していればカードローンなんて使う必要がない)と考え、借り入れすることを恐れさえしていた新入行員たちは、しばらくするとそれぞれが思い思いの、いわゆる遊興費とよばれる資金使途のためにATMにローンカードを挿入し、暗証番号と金額を入力し紙幣を手にすると、まるで打ち出の小槌でも手に入れたかのように気が大きくなって、二度目の借り入れまで時間はかからなかった、皆
陽は昇りきって南中し、眩しさに目を細めつつハンドルを握り、(これはロシア民謡だったかな)と考えながらテトリスのBGMをくちずさんではいるものの、途中で立ち寄ったコンビニエンスストアで買って車内で食べたサラダ巻きの海苔が歯に挟まったのを舌で取ろうと試みるたびに鼻歌は中断されたが、彼の頭の中では音楽は途切れず、急き立てるように流れ続けていた。 流れるラジオはエアコンの動作音に負けないボリュームで世界各地の風力を伝え終え、語学講座が始まり、ロシア語ではなくフランス語で、レストランに入店するところから料理を注文するところまでをレクチャーしていた。 (地元の方言で地元民に媚びを売る、ローカルタレントのくだらない話は聴きあきた) それまでローカルタレントが、リスナーから送られてくる「日常生活で起きたおもしろい出来事」を読み上げて何かコメントをするラジオ番組を好んで聴いていた彼が、急にそう考えてラジオの
まだ夜の早いうちから娘を寝かしつけるために一緒に布団に入り、尿意でという訳でもないけれど目が覚めて覚めた以上はトイレに行こうかと起き出して、起き出したついでにリビングへと入り、薄いカーテンを開けると人差し指の第二関節までで隠れるくらいの大きさの駅の灯りがみえて、台所の電気だけつけてキーボードを打ち出した。 十月三日、その日にちを特別に記憶していた訳ではなく、いま携帯のメールをみたらその日に届いていた「今日離婚届けを提出してきました」という母親からのメールを受信したとき、特に何も思うことはなかった。わざわざ弟とふたりでそろそろ正式に離婚したほうがいいと説得しに行った後の出来事なので、当たり前といえば当たり前だった。そんな説得をしに行った理由というのもひどい話で、兄弟ふたりとも近い将来父親の面倒をみるつもりがなく、それは金銭的な面だけでなく、一切関わりたくないという考えからであって、どうしてそ
目も鼻も口も眉毛もどこも、どの角度からも自分には似ていないと思っていた娘が成長するにつれて、もしかしたら昔の自分の顔に似ているのではないかと思えはじめてきていた――正月に実家を訪れたときに、その思いが正しいのかどうか確かめようと古いアルバムをタンスの奥から出してきて、持ち帰った。布張りの表紙と背表紙とに挟まれたアルバムは重く、車の助手席に乗せると揺れてもカーブを曲がっても動かなかった。ミカンを食べながら、果汁で汚さないよう気をつけて表紙をめくると、小さな足形があった。いまの娘の足よりもはるかに小さな足。順番にめくっていくと、娘にそっくりな写真もあれば、あまり似ていない写真もあり、似ている、似ていないと妻と娘と笑って話しながら眺めた。2歳を過ぎて弟が生まれ、さらにめくって一枚の写真をみたとき、おそろしくなった。チ、チ、ババチ、チ、チ、ババチ…… 明るい日差しを受けた芝生に寝転んだ父親の上に弟
月曜日から金曜日まで毎朝シャツに袖を通しネクタイをしめて、ズボンをはいてベルトをしめて、ズボンと同じ色のジャケットを着てお弁当を持って自転車に乗って駅に向かうと同じ時間帯に駅に向かうスーツ姿の男たちがそれぞれ同じように自転車にまたがって赤信号の前に勢ぞろいする。名前も年齢もわからないけれど顔だけはなんとなく覚えていて、彼らとの距離によっていつもより家を出た時間が早いか遅いか判断できることもある。同じスーツ姿の男性でも、それぞれ違う顔をしていて、区別ができる、でももっと幼い頃はスーツ姿の男性をみれば、(働いている大人がいるな)と思うだけだったはずで、ましてやそれぞれのスーツ姿の男性が考えることなんて、それぞれの職業に関することだけだと考えていた節もあったような気がする。学校の先生は勉強を教えることだけを考え、警察官は泥棒を捕まえることだけを考え、消防士は火を消すことだけを、銀行員はお金のこと
瞼を閉じているのか、開いているのかわからなくなる程の暗闇の中で、あたりでは物音ひとつせず、生きているのか死んでいるのかもわからないと思いかけたそのとき、聞きなれた耳障りな音が届き、それまでの経験上、(刺されたら痒くなる、だから刺される前に叩き殺さなければ)と考えると同時に、その場所がみなれた寝室であることも思い出される。よりよい睡眠を得るため、外からの灯りが入ってこないよう遮光性の高いカーテンを取り付けたばかりだったと思い返しながら、目はさえてきて部屋の灯りをつけ、耳元から飛び去ったものがどこへ行ったかと探し始める。 キジも鳴かずば打たれまい、というのとは少し異なるが、蚊は痒みさえ残さなければ、吸われる側から危害を加えられる事態は大幅に避けられるだろう。さらに言えば、痒みを残さないだけでなく、血を吸われた側に何かしらのメリットを与えられるようになれば、優遇された状態で、より効率よく血を吸う
もしも父の日にプレゼントを渡してもお父さんが浮かない顔をしていたのなら、それはきみが描いた似顔絵がお父さんのマイナスな個性を全面に押し出したものだったからだけではなく、ボーナスが昨年の半分しか貰えなかった可能性が高い。お父さんのボーナスが半減してしまうと、夏休みに連れていってもらう約束をしていた旅行先が急遽近場に変更されてしまうおそれが出てくるし、きみの誕生日が冬のボーナス前だったとしたら誕生日プレゼントのリクエストが通りにくくなることも考えられる。それはきみにとっても一大事。ここでそんなピンチを回避するための、いくつかのアイデアを紹介するが、その前に、ボーナスが半分になってしまったからといってお父さんを責めないであげてほしい。大企業に勤めているお父さんはともかく、この狭い日本の大半のお父さんは中小企業に勤めているか、あるいは個人事業主として働いているはずだ。大手メーカーの国内操業停止、製
2011年5月、サンリオが立命館大学との産学連携であたらしいキャラクターのキャンペーンを開始したと報じられました。 キャラクターが販売促進に与える影響は、どの程度のものでしょうか。人のこころを掴むキャラクターはまるで優秀なセールスマンのよう。並のセールスマンより仕事がとれる?!なんて煽り文句が飛び出すほど、マーケティングとの同時戦略によってキャラクターが力を発揮し、売り上げの増加が期待できます。しかしながら、市況低迷による利幅の縮小を思えば、費用対効果を考えなるべくコストを抑えたプロモーションにより最大の利益を生み出したいところです。そこで今回、まだ現在は無名ですが、未来の一流キャラクター、「ほうれい犬」についてご紹介します。 通信事業社のコマーシャルに登場する白い犬のキャラクターにはもうそろそろ飽きてきた、という声があがるなか、彼、ほうれいは押しつけがましいところがなく、どなたにも受け入
3月11日以降、震災の影響を受けた企業に対する融資枠が県知事の指示により唐突に創設され――新聞の朝刊の地域欄に突然その概要が発表されてはじめてその制度のことを知った――間接的な影響でも融資が可能とのことだったので、その焼き肉店へも(世間の自粛ムードの影響による売り上げの減少)という理由で融資を利用してはどうかと提案をし、「借りておこうかな、どうしようかな、検討します」と迷っていたところへ、ユッケの食中毒事件が起き、その影響もあったようで、あらたに借入をするよりも、現状の返済額を減らしてほしいと店主から融資条件変更の申し出を受けるに至った。 一度融資の条件変更をしてしまうと、建前上どうかは別として、返済能力に問題ありとみなされ、今後新規の融資による資金調達が難しくなってしまうという現実があるため、もう少し現状のままの金額で返済を続けてみましょうということで話は終わった。 売り上げを伸ばすため
部屋に置かれているのがソファか、座椅子かでその部屋に住む人がお金持ちか貧乏かが決まると考えていたことがあったと思うし、いまでもその考えはかすかに残っている。いま住んでいる部屋にソファはなく、座椅子がふたつあるが、だからといって貧乏だと言いたいわけでもない。ただ、今でも残っているソファと座椅子に対する考えを、いつ、はじめて持ったのかが気になった。しかしそのはじめて考えた瞬間のことは思い出せない。 小学生の頃、何年生の頃だったかは思い出せないが、よく遊びに行っていた空き地があった。そこは古い民家の門のような塀と扉だけが書き割りのようにたっていて、その扉の向こう側にはなにもない、舗装されていない土の地面がむき出しの、何坪だったかは思い出せないしそもそも何坪かを気にしたこともなかった広場で、たまにゲートボール大会が開かれていたが、普段はほとんど誰も来ない場所だった。放課後、当時気に入っていたウェス
言葉にできない気持ちや、言い表せない感情なんてない、なぜなら気持ちや感情は言葉から成り立っているものだから。これまでそう思ってきたし、いまでもそう思っているけれど、うまれてからもうすぐ三ヵ月になる娘をみていると、まだ言葉を覚えていないのに笑ったり怒ったり、いろいろな顔をしていて、それはみつめているこちら側が勝手に自分たちの気持ちや感情にあてはめているだけかもしれないけれど、言葉の前に気持ちや感情があるのかもしれないとも思えてくる。 小説を読まなければ小説は書けない、そう信じてきたし、いまでもそう信じているけれど、読んだ小説の一節一節だけが小説を書かせてくるわけではないのかもしれないと思うようにもなった。今回掲載して頂いた「新世界の銀行員たち」という小説のことを考え始めたのは、社会人になったばかりの頃だった。それから何年も過ぎてようやくこうしてはじまりと終わりをもったひとつの小説になった。そ
毎朝快速列車を降りると改札を出てバスセンターへと歩いていく。月曜から金曜まで横道にそれることなく階段を上ると、まず高速バスの乗り場があり、大きな荷物を持ち明るい色づかいの服装の人たちが並んでいる。佐世保、香川、富山、京都、東京と行き先を横目でみながら、職場行きの乗り場へと向かわずにそのまま佐世保へ、香川へ、富山へ、京都へ、東京へ行ってしまいたくなるけれど、毎朝我慢して体の向きを変えずに歩ききる。 しかしながら、誰もが突然の、期限を定めない旅に出たいという気持ちを抑えられるわけではない。旅立つ前からふいに旅情が溢れだしてしまい、通勤途中で行方不明になる者は後を絶たない。中には突然旅に出たとみせかけて、周到に準備をしている者もいる。高速バスのチケットを買っておくのもひとつの方法だが、よりさりげなく、より突然に旅立つ方法がある。金銭的に余裕のある者にしか許されない方法だが、JRの自動券売機に定期
ある晴れた気持のよい気候の午後、突然あなたの家のポストに小包が投げ込まれた。階段をのぼってくる足音の荒々しさ、投げ込み様からは普通の郵便局員による行為とは思えない。小包の消印はリオ・デ・ジャネイロ、封を開くと古いノートの束が入っていた。ノートの紙が繊維に戻ってしまう程古くはないそのノートは、いつの時代のものか判断できない。ごくシンプルな表紙のものもあれば、狸のイラストが描かれているものもあった。狸のイラストからは吹き出しが出ており、(じっと我慢の子ダス)と話していた。そのイラストの画調からも、台詞まわしからも、時代を推測することはできなかった。表紙を開くと日本語でさまざまな文章が書き込まれていた。何気なく一冊目のノートを手にとったあなたは、窓の外がうす暗くなっても部屋の灯りをつけるのも忘れて読みふけりはじめた。 煙草を吸う理由として、間をもたせるために吸うと答える者が少なからずいることは周
『UMA−SHIKA』に関連するホームページなどで「id:healthy-boyが参加」と書かれているのをみて、(このid:healthy-boyっていう人…当たり前のように参加しているけれど、一体何者なの?もしかして私が知らないだけで、誰でも知っている有名人なの??)と不安になってしまった方、安心してください、id:healthy-boyはまったく無名のただの会社員です。これまでに小説もなにも発表してきたことはありませんし、特別な経歴もありません。知らなくて当然です。 それでやっと安心できたとしても、(そんな目立たない人がなぜ目次の先頭に来ているのか、謎だわ)と思われるかもしれません。これは単に編集長のid:Geheimagentさんのところに原稿が届いた順に並んでいるせいだと思います。こんなに知名度の低い者が編集長に迷惑をかけることがあってはならないという気持ちから急いで書いたのです。
1 当然と言えば当然だが、アントニーとクレオパトラだけが古代エジプトのカップルではない。近年、ナイル川のほとりにワンルームの小ピラミッドが発見され、世界最古の同棲カップルのものであることが明らかになった。「同棲」という概念が古代エジプトにあったのかどうかは、もちろんわからない。21世紀に生きる人の考え方と紀元前に生きた人の考え方が同じものであるはずはなく、それは犬には犬の思考があるにもかかわらず人間と同じ感情を持っているかのように捉えてしまうのと同様につまらない。 小ピラミッドの間取りは2DKであり、食事をとる部屋と寝る部屋とを分けて生活していたのではないかと研究家は語る。この研究家は親日家で、日本に向けて「エジプトに来るときは、必ずわたしに連絡してください。わたしが案内して最高の思い出を作るお手伝いをしますよ」というメッセージを発表したこともある。しかしながら、実際に彼に連絡を取ろうと思
二十代なかばの頃、いつまでもネクタイをふらふらさせておくのも大人げないのではと思いネクタイピンをはじめて買った。クリップのような形状をした金具を手にとってみると、ほんとうにこれでネクタイが固定されるのだろうか、動き回っているうちにネクタイとワイシャツとをはさみきれなくなって落ちてしまわないだろうかと不安になり、店員につめよった。心配はいらないと言い、店員はガラスケースから商品を取り出し、キャッシュレジスターの置かれた机へと案内した。 高齢者が住む家の玄関先に飾られた幼児の写真をみれば、それは孫だと考えてしまいがちだが、実は全く血のつながりのない、本名も知らない幼児の写真が飾られていることも多い。それはかつて流行した、孫カードというものだった。 カードの表は幼児の写真であり、裏面には故意にふにゃふにゃさせた絵手紙のような文字でその幼児のプロフィールが記されている。二重まぶたの、瞳の大きな幼児
山手線で上野駅に向かう途中、佐々木は居眠りをしてしまい、目覚めると東京駅の医務室にいた。ひどい頭痛がしてベッドから起き上がることができなかった。数時間後、ようやく立ち上がり外へ出たとき、持っていたはずの紙袋がなくなっていることに気づいた。 佐々木はその日、上野の国立科学博物館の地下23階にある日本秘密研究所へ向かっていたのだった。研究所への入り口は秘密になっていて、展示されているヒグマの口に、ICチップが埋め込まれた木彫りのマスを差し込むと床が地下23階へと急降下する仕組みになっている。佐々木に残されたのは、内ポケットに入れてあったそのマスだけだった。あとの荷物はすべて何者かに奪われてしまったらしい。佐々木は研究所のボスのことを思った。研究所のボスは20年前に肉体を失っており、特殊な溶液に入れられた脳髄だけが存在している。脳髄ケースからは、赤・青・緑・黄緑の四色のコードがのびていて、電光掲
先日取引先とキックオフミーティングを行った。生まれてはじめてのキックオフミーティングだった。その集まりをキックオフミーティングと呼んだのは、前任者も毎年プロジェクトを開始する際にキックオフミーティングをしていた、との記録が社内の共有フォルダに残っていたので、それを手がかりにキックオフしたからだった。 キックオフと聞くとどうしてもサッカーやラグビーなどの試合開始時に勢いよくボールを蹴る選手の姿が頭に浮かぶ。 高校生の頃、体育祭のサッカーでなぜかボールの上に玉乗り状態になり、そのまま倒れて背中を打って息が止まった経験がある者としては、とてもいやな気持ちになる。なぜビジネスの場で球技を連想させる必要があるのか。 取引先とのやり取りにおいて、現在どちらが作業をしなければならない状態にあるのかを言い表すのに、「球はどっちにあるのか?」という聞き方をするひともいる。硬いボールがそれなりのスピードで飛ん
恋人に別れを告げられてから一ヶ月が過ぎた。 帰宅してドアを開けると床にサッカーボール程の大きさの毛玉が転がっていた。人の毛と犬の毛を混ぜたような質感の塊が、風もないのに動いている。とても生きているようにはみえないが、乾いた笑い声のような音をたてて転がっている。(ずっと掃除をしなかったからほこりや髪の毛がたまってしまったのか)と考えていると、毛の塊が触手のようにのびてきて胸ポケットにさしてあったボールペンを奪った。奪ったボールペンを顔の前に持ってきたその仕草が催促しているように思えたのでペンをノックしてやると、床に落ちていた茶封筒に文字を書きはじめた。(マヤ文明の暦は2012年で終わっているから、2012年で文明社会は終わるかもしれない)と読めた。自宅の住所を横切るようにして書かれたので多少読みづらいが、そうとしか読めなかった。あと4年でなにもかも終わるのかと思うと胸がすっとするような感じが
初めて住宅展示場へ行った。金曜日に、ハウスメーカーの営業マンから住宅ローン案件を紹介してもらうためにモデルハウスで待ち合わせた。どのメーカーのモデルハウスも豪邸だった。約束の時間に営業マンが現れなかったのでリビングで待たせてもらった。まず中庭が目についた。中庭には行楽地に置いてあるような丸いテーブルと椅子が四脚並んでいた。壁に花瓶などを飾っておくための窪みがあった。台所の調理台が部屋の中央にあるのに驚いた。まったく興味のない画家の展覧会よりも、モデルハウスははるかに興奮する場所だった。とはいえ、まったく興味のない画家の展覧会にわざわざ出かけたことはない。 壁に「ぜひスリッパを脱いで確かめてください」というプレートが貼られていたので脱いでみると足の裏がじんわりと暖かくなった――あれは確かお昼前のお腹が空いてくる時間。なんとなくおしっこがしたいような気もするし、ローソンに寄ってお菓子でも買うか
お前らは全員ぬるま湯につかっている。先週の金曜日の夜、支店長が語るのを聞き黙ってうなづいていた。支店長に言われるまでもなく、今後どんなにきびしい職種に就いても平気で働けるよう自らを訓練していく必要があると感じていたからだ。自分にきびしくするため、まずは菓子を食べながら営業活動をするのをやめた。ささいな尿意を口実にコンビニエンスストアに入り、ついでに菓子を購入するのをやめた。それ以後、尿意をこらえながらハンドルを握ることが多々ある。尿意をこらえることで、無駄を省いた分刻みの行動が実現できることは確かにある。しかしながら、2メートルあるかないかの細い道を営業車で通り抜けなければならないことも多く、そんなときにはやはりおしっこは我慢すべきではないとも思わされる。 家主が自分の家を破壊されまいと、塀の角などに反射板だとか蛍光色の棒のようなものを取りつけているのをたまに目にするが、飾りつけをしたとこ
お風呂あがりに鏡の前に立ち、すこしお腹に肉がついてきたような気がして、お菓子を食べるのをやめて一週間くらいたち、またお腹がへこんできた。営業車に乗るようになってから仕事中にお菓子を食べまくってきたのがいけなかったのかもしれない。いらいらしてくるとセブンイレブンでお菓子を買い込んでカリカリダブルチーズやジャガビーやキットカットなどを勢いよく食べた。助手席にカニチップをのせて左手で袋をさぐりながら運転していたこともあった。もうそんなことはしていない。反省している。また、お風呂上りに鏡の前に立つと、たまに「あれ、乳首ってこんな位置だったっけ?」と思うこともある。もともと男性には乳首は必要ない。触られると性的に興奮するとか、触られないとオーガズムに至ることができないとか、そういう必要性はあるかもしれないが、なくなったらなくなったで肋骨を一本一本なぞられると性的に興奮するとか、なぞられないと至ること
悲しいことがあって卒業アルバムを後ろからひらくと、在学当時に起きたニュースが掲載されており、その中に毒入りギョーザ事件も載っているであろう今年卒業予定の女学生たちは、バレンタインデーに愛の告白をしたのだろうか……できることなら女学生に変身し、好きな男子のことをおもって胸をときめかせて毎日を過ごしたいが、変身の仕方がわからないので今日も嫌々出勤した。サラリーマンも三年か四年で卒業できるといいのだが、そんな制度はない。アルバムも作られないので、その代わりにこの冬に起きた餃子にまつわる出来事をここに記しておく。 集金先のひとつに、いさむちゃんラーメンという飲食店があった。いさむちゃんという名は仮名なのでいつか悲しいことがあってこの日記を読む際にも、頭の中で本当の名に変換しながら読むことを忘れないでほしい。いさむちゃんラーメンは、主人のいさむちゃんと、苗字は異なるがどうみても生活を共にしているよう
ヘルメットをしていると頭がかゆくなる。蒸し暑いせいだと思うけれど、冬でもかゆくなったことがあったような気もする。でも冬には頭がかゆかったことよりも冷たい風のせいで顔が痛かったことのほうが印象が強くてはっきり思い出せない。頭皮をかきむしると髪の毛が抜けて禿げてしまうのではないかという心配がある。「来月からわたくし昇格いたしますので今後は指名料をいただきます」と言われ、もともと自宅から遠くて通うのが面倒だったこともあり行くのをやめてしまった美容院でヘアチェックをしてもらったときに聞いた髪についての話は覚えていて、いまでも禿げにくくするためのシャンプーの仕方を実践している。 ヘアチェックは美容師の手で小型カメラを頭皮に向けられ、自分の太ももにモニターを置いて映し出される頭皮を観察するというやり方で行われた。頭皮は予想していたより脂で汚れており、髪の毛の太さもまちまちだった。髪の毛の太さがまちまち
歯科医院に通い始めたのはいつからだったか思い出せなかったので手元にある医療費領収書をみてみると、7月18日付のものが一番古かった。7月18日付のものを含めて領収書は全部で6枚ある。一ヶ月とすこしの間に6回歯科医院に通うというのは頻度として多いのか少ないのかどちらかよくわからない。今日は先週削られた歯に銀歯を埋めてもらうために歯科医院に行った。先週は虫歯を削られるのが痛かったし、今週は銀歯を埋めるだけなのにやはり痛かった。痛いおもいをするのがとても嫌なので歯科医院へ行くときは気持ちが沈んでしまう。 虫歯をみればなんでもかんでも削ってしまうのではなく、削らずに治療をすすめてくれる先生が埼玉県にいるという噂を耳にしたことがある。埼玉まで歯の治療に行くのは難しいので、埼玉のすばらしい先生が愛知県に移住してくれたらと思う。ただ移住してくれというのは虫が良すぎる話なので、先生が移住したくなるような環境
(セールスお断り)というプレートを玄関先に貼りつけている家がある。(セールスお断り)というプレートが掲げられているにもかかわらずインターホンを押すと「セールスお断りって書いてあるでしょうが、あなた字も読めないの!」と怒鳴られる可能性もないとは言えないけれど、実際にはそんな風に怒鳴ることができるひとならわざわざ(セールスお断り)というプレートをお金を出して購入しないのではないか。セールスマンに訪問されるとつい話を聞いてしまい、話を聞いてしまったからには何かを買わされてしまうようなひとが、半ば自分への戒めの意味で(セールスお断り)というプレートを貼りつけているのではないか。そう考えると、プレートが貼られている家を狙って訪問するほうが効果的ではないかとも思える。まるで「ここにはいません!」と大声で叫んでいるようなものだ……小声でそうささやきながらインターホンを押す悪いセールスマンが街を徘徊する。
ちょっとした遊び心から、(シャープ!)だとか(ボールペン、黒!)だとか念じる際に猥褻な気持ちが混じるとペン先からインクがにじみ出すように作られた。もちろんインクがにじむのは性器が湿った状態を模している。どんなに誠実そうな表情で机にむかっていても、紙の上がインクでベタベタになっていれば、ああそういうことかと思う。すこしでも猥褻な気持ちになると画数の多い文字は判読できなくなってしまうのでとても扱いづらい筆記具だけれど、にじみ具合をうまくコントロールするととても味わい深い文字が書ける。そんな文字が書けるのは猥談の名手しかいない。猥談の名手は、普段はまったく猥褻なことを考えず、ふとしたきっかけで瞬時に猥褻な話を始めることができる。たとえばボーリングの球に指を差し入れる瞬間に始めたりする。名手の書く文字は真っすぐな細い線と水墨画のようなにじみとを使い分けていてとても美しい。老人たちがふれあい会館のよ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『リオ・デ・ジャネイロの祭り』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く