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ノーベル賞
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渡辺為雄さんが永眠されました。 7月17日夕方、仏壇の前で座布団を枕にしていた為雄さんは急に具合が悪くなり、市内の病院に入院するとその後は自宅に戻ること叶わず、8月26日午前1時27分、静かに息を引き取りました。享年94。 葬儀は近親者のみで執り行われましたので、後日ご焼香に伺いました。遺影は一番お気に入りの帽子を被った少し若い頃の写真で、私が知り合うよりかなり前の為雄さんでした。背景は資料館の裏一面に咲いていた菜の花です。本祭壇の写真を見せていただいたのですが、なんと山々に登っていく石炭のトロッコがあしらわれていて驚きました。みんなで相談して飾ったのだそうです。なんと気持ちのこもった祭壇でしょう。 為雄さんは山登りが大好きで、若い頃の文章を読むと山々の情景を綴ったものが非常に多いです。喪主である息子さん(次男)とは初対面でしたが、お名前は秀峰と書いてヒデミネさんでした。「名前負けしますよ
数奇な運命だ。その踊りの名はヤッチキという。 ヤッチキは、明治~大正期に九州の炭坑夫が伝えたものとされている。しかし証言や記録はほとんどなく、実際調査した者もいない。 大正中期には、内郷白水の炭坑夫たちが、仕事の帰り道、阿弥陀堂の境内でカンテラを囲み踊っていたという。明治36年生まれ、岡崎マサさんの証言だ。坑夫たちは「事故死した人々の供養に踊るのだ」と言っていた。この踊りを見て、マサさんの父は「九州地方の坑夫もこの踊りを踊っていた」と証言している。これが九州炭坑夫ルーツ説の唯一の根拠だ。 磐城地方最大の盆踊りといえば赤井嶽薬師の宵祭りであった。近郷はもちろん、遠くは高萩や古殿などからも大変な数の人々が押し寄せたという。この宵祭りにおけるヤッチキの最古の証言記録は昭和6年。半纏姿の男10人ほどがテンポの早い踊りを始め、従来の盆踊り(当時は平甚句)の輪を壊してしまったという。「異端」とされるヤ
文:岡 映里 医事漫談家のケーシー高峰さんが平成31年4月8日にお亡くなりになりました。享年85。 私とケーシーさんは、2011年の震災をきっかけに出会いました。2013年からは週刊大衆の連載『グラッチェ哉人生』の構成担当として公私にわたってお世話になっていた私に、追悼文を書いてみないかと「いごく」編集部の小松さんが声をかけてくださいました。 願ってもない機会ですし、私が見たケーシーさんについて書いてみたいと思いました。ですが、この4年間について振り返ると、驚くほどきれいに「エピソードにできるイイ話が残っていない」ことに気が付きました。 たいてい80代で死ぬような人は、若輩の者に「人生訓」めいたものを残したりする場合が多いような気がするので、ケーシーさんの場合もそんな発言を記憶の中から引っ張り出してきて重石に使えば、追悼文は完成するだろうと思いました。でも、よく思い返してみても、それがない
今朝ほど、信じられない、いや、どこかでこうなるかもしれないと思っていたニュースが飛び込んできました。日本が誇るエロ漫談家、タレントのケーシー高峰師匠、死去のニュースでした。昨年9月の「いごくフェス」では、体調不良を押しての出演ながらも、できうる限りの最高のパフォーマンスを見せてくれ、まだまだいわきで芸を見せてもらいたいな、そろそろ次のいごくフェスのオファーに行かねば、と思っていた矢先の訃報でした。本当にショックです。 ケーシー師匠には、表彰式のプレゼンターとして、そして本公演で芸を披露して頂くタレントとして、過去2回開催した「いごくフェス」にご出演頂いていました。初めてお会いしてオファーした時には、「これは面白そうな企画だね」と出演を快諾下さいました。とにかくサービス精神旺盛で、ファミレスで打ち合わせをしても、ご自宅で打ち合わせをしても、「コーヒー飲む?」「タバコ吸う?」「なんか注文して、
取材・文 / 江尻浩二郎 すべてが手作りの私設資料館「みろく沢炭砿資料館」。年中無休、一切無料。ここにレプリカはひとつもない。すべてが本物だ。雑然と並んでいるようだが、ひとつひとつに体験談と詳細な解説がつく。こんな資料館はおそらく他にない。館長は渡辺為雄さん、御年92歳。 大正15年(1926)4月1日、片寄平蔵が石炭の露頭を発見した運命の地、白水弥勒沢に生まれる。父は炭鉱の岡仕事(運搬夫)をしていた。 ーーと、まあ。 通常であれば、為雄さんの記事はこんな感じで始まるだろう。なんといっても「みろく沢炭砿資料館」の館長であり、常磐炭田の語り部としては最重要人物といっていい。当然炭鉱との関わりで語られるべきである。 しかしその調子で進めていくとどうしても拾いきれない部分がある。実は私は、為雄さんの「ものづくり」の話がとても好きなのだ。独特の語り口と相俟って、その抜きがたい精神の躍動にいつも魅了
「いごく」=いわきの方言で「動く」の意 ウェブマガジン「igoku」は、 いわき市地域包括ケア推進課がお送りする いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン。 誰もが慣れ親しんだ土地で“最期まで”暮らせる地域をつくるため、 人と人、人と地域、地域と地域の間を「いごく」人、 様々な領域を横断、包括する「いごく」取り組みを 日々脱線しながら、死をタブー視せずに伝えています。 「いごく」=いわきの方言で「動く」の意 ウェブマガジン「igoku」は、いわき市地域包括ケア推進課がお送りするいわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン。 誰もが慣れ親しんだ土地で“最期まで”暮らせる地域をつくるため、人と人、人と地域、地域と地域の間を「いごく」人、様々な領域を横断、包括する「いごく」取り組みを日々脱線しながら、死をタブー視せずに伝えています。
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