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アメリカ大統領選
itunalily.hatenablog.com
東大イスラム学科「後輩」の池内恵氏は、同志社神学部とN氏について、次のように総括する(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf)。 「彼が文章で明確にしている原理主義的な真意を読み取れずに、「中田先生は過激派を批判してくれる本当のイスラーム法学者だ。彼こそ「対話」の相手だ」と思って彼を鳴り物入りで迎えたが、彼には別のアジェンダがあるので、やがてジハードに参加するために自主的に辞任して旅立ってしまわれた」。 しばらく封印していた10年前の記憶を引っ張り出してみると、確かにN氏は、最初の頃、現地赴任中にたまたま気づいたマレーシアのキリスト教問題に関して、国内にまともな一次資料もなく、指導教官も見つからず、長年、孤軍奮闘していた私に対して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)(http://d.
正確には、2003年7月に同志社大学神学部で面接を受けたことがきっかけだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141008)。もちろん、私からの志願ではない。呼ばれたのだった。お名前は、当然のことながら、その前から存じ上げていた。拙稿が並べて掲載されたことさえある。正直なところ、価値観が違い過ぎて、一緒には仕事ができないと思った。人柄についてではなく、思想そのものが怖いと感じていた。 面接時には、私の計4年間のマレーシア滞在経験から、見聞した範囲内でそのままを話したが、大変な表情をされて終わったことを覚えている。その後、2004年4月の私の初授業は、まさに氏の保護観察付きだった。学歴も立派で、理路整然とした論文や著書があり、その点に関しては、特に私から何も申し上げることはない。ただし、マレーシア担当に関して、私に対する態度が最初と最後で180度豹変したこ
「はじめに」 大学は学問の府であり、研究と教育を使命とするものであることは、いうまでもありません。しかし、研究と教育を行うのは教員であり、学生はもっぱら教育を受ける受動的なものと考えるのは正しくないと思います。研究と教育とは真理の探求という目標においてつらなっており、その限りでは、学生も教わりながら真理の探求に参加するものです。諸君たちは、そのみずみずしい感受性や思考力を大いに活用して、新しい知識の創造に、能動的、積極的に取りくんでいかねばなりません。 さて、新入生をふくめて、現在本学で学んでいる学生諸君は、来るべき21世紀には、丁度40才代を迎える人達です。年令的には、まさに円熟し、新世紀の文字通りリーダーたるべき人達です。この際、思いを新たにして、我執をすてて虚心にかえり、我々の先達の歩んできた道に反省を加え、正と邪とを判別するきびしい批判精神を武器に、きたるべき新世紀の文字通り百年の
昨日の続きです。『本を読もうー言葉が伝える豊かな心』から、おもしろいと思った箇所をご紹介いたします。なぜ、この冊子から引用することが緊急重要だと考えたかと言えば、ここに書かれている内容は常々私も感じていた由々しき話だからです。 ちなみに、キリスト教出版界はバブル絶頂期の1991年がピークで、大きな事典など高額商品が出版され、25億円を超える売り上げがあったそうです。その後下降し、2006年度の売り上げは17億円以下だとのことです。また、40年前に活躍していたキリスト教出版社が事業を中断してしまったようです。例えば、日本YMCA同盟、聖文舎(ルーテル系)、ヨルダン社(バプテスト系)などがそれに該当します(p. 2)。 しかしそれは、日本の出版界そのものの低迷とも一致し、1996年を売り上げのピークとして、この10年間で、19%、5000億円落ちたと書かれています(p. 2)。 次の作業をした
1年半以上も前のことです。ある教会の礼拝説教で、牧師が初っぱなから次のことを講壇で言われました。「車の運転をしていた時、『ホサナ』という言葉の意味を小学生の娘に聞かれて困りました。辞書がない!娘は教会学校で子ども賛美歌を歌いながら、『ホサナ』とは魚の名前のことかな、と思っていたようです。その場では、『主を賛美せよ』じゃないかな、と返事しておきました。帰ってから本で調べると、それは『ハレルヤ』であって、『ホサナ』は…」。 皆さん、特にクリスチャンの方は、これを聞いてどう思われますか。別に、神学部卒業したての、新米牧師ではないのですよ。かわいい娘さんですね、と思われますか?あるいは、「人をさばいてはいけない」とおっしゃいますか?この牧師の意図をあえて善意に解釈すれば、「こういう私でも、神さまは牧師として立ててくださっているのです。皆さんも、教会やキリスト教に敷居を感じなくても良いですよ」という
2007年10月22日午後2時半から4時半まで。フランシス・フクヤマ氏の講演会概要(於:同志社女子大学栄光館ファウラー・チャペル) 400名ほど出席。入り口で、パンフレットと感想用紙をいただきました。これはもちろん、メモ用紙に早変わり。ところで、随分前に朝日新聞のコラムで、フランシス・フクヤマ氏の写真付きインタビュー記事が掲載されていたのを切り抜いておいたのですが、それから考えると、この同志社の行事ってちょっと遅れをとっていません?今回の記念行事は、ご母堂が同志社と縁が深かったこともあり、この度、名誉博士号授与の運びとなったそうです。 蛇足ですけれども、伝統的な私学では、単なる実力のみならず、係累や同窓のつながりも優先されることが多いようです。私見では、それも善し悪しかもしれないと思っています。その環境に浸ってハッピーで、規定ルートで留学したり就職したりする人生に満足できるならば、問題ない
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