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明治三〇年ごろの浅子は、すでに実業家として活躍していたにもかかわらず、ほとんど世に知られていませんでした。浅子を紹介した初期の資料で、
連続テレビ小説「あさが来た」(NHK)のキーパーソンである歴史上の人物に、五代ごだい友厚ともあつがいます。この五代と「あさが来た」のヒロインのモデルである広岡浅子との間には、どのような接点があったのでしょうか? 五代は一八三六(天保六)年、薩摩藩士の家に生まれます。「友厚」は明治になって名乗ったもので、元の名は「才助」といい、彼の才能を愛した薩摩藩主・島津しまづ斉彬なりあきらにより命名されました。 このように将来を嘱望された五代は、長崎に海軍伝習所(海軍士官養成のための教育機関)が開設されると、その伝習生として留学。勝海舟や榎本武揚たけあきらとともに、西洋の航海術や砲術、数学などを学びました。 その後も汽船の買い付けのために上海へ渡航し、薩摩藩の遣英けんえい使節団の一員として欧州を歴訪するなど、海外の知見を高め、貿易の実務経験を積んだ五代は、明治新政府でもその経験を大いに活かしました。外国
広岡浅子と彼女が嫁いだ加島屋に関する歴史的資料を一般公開している、大同生命大阪本社(大阪市西区)の特別展示。本年七月にリニューアルオープンし、たいへん好評を博していますが、特に来館者の方に注目されている展示品の一つに「新撰組借用書」があります。 「預申金子之事あずかりもうすきんすのこと」と書かれたこの文書は、金四百両(現在の貨幣価値で約二千万円)を月四朱つきよんしゅ(〇・四%)の利息で借り、翌年五月までに返済するという内容の証文です。 借用主として署名しているのは、「新撰組鬼の副長」と呼ばれた土方歳三ひじかたとしぞう、また、保証人として局長の近藤勇こんどういさみも署名・押印しています。
もっと知りたい広岡浅子 パリ万博(一八八九年)でも受賞! “宮内庁御用達”の銘酒「惣花」 この記事を読む
大同生命創業者の一人であり、連続テレビ小説「あさが来た」(NHK)のヒロインのモデルにもなった広岡浅子は実際にはどんな人物だったのでしょう。近代日本における女性実業家のさきがけとして、明治・大正の時代を颯爽と駆け抜けた浅子の波瀾に満ちた生涯をご紹介します。
広岡浅子はNHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデルとなった人物です。浅子の周囲にどのような人々がいたのかを知っておくことで、彼女についての理解がより深まることでしょう。 そんなわけで、浅子の身近な人物たちにスポットを当てる特集の第一回目。今回は「浅子の家族」をご紹介します。 一八四一(天保一二)年 〜一九〇四(明治三七)年 浅子の夫で、最大の理解者。大坂の豪商・八代目加島屋かじまや久右衛門きゅうえもん正饒まさあつの次男として生まれ、隣接する分家・加島屋五兵衛ごへえ家の当主となります。この加島屋五兵衛家は、代々小石川こいしかわ三井家から妻を娶めとっており(「重縁」といいます)、そのしきたり通りに小石川三井家から一人の女性が嫁いできます。それが浅子でした。 二人の結婚は互いが物心もつかないうちに決められていたとはいえ、二人の仲は非常によかったそうで、浅子が学問をする時には信五郎
大同生命の源流は、大坂商人・加島屋にある。 加島屋は、鴻池こうのいけ屋と並び、江戸時代に経済の中心であった大坂を代表する大商人であり、我が国の経済史を語る上でも、外せない存在である。NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデルとなった広岡浅子。女性実業家・浅子の活躍は、彼女の嫁ぎ先でもある加島屋が舞台となっている。 このコーナーでは、加島屋の歴史をたどってゆく。第一章ではまず、加島屋当主・広岡家のルーツと、大坂を代表する商家に成長するまでを追っていこう。
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