かつて本多勝一さんが、表題にあるような3つの言葉の違いについて考察した評論を読んだことがある。本多さんは、ジャーナリストという仕事の中で、優れた実績をあげることによって鍛えられた見事な弁証法を駆使する人として僕は尊敬していた。客観的事実というものを論じた際の、主観を通した客観しか存在し得ないという主張を読んだときに感じた、その弁証法性の見事さは、ジャーナリストとしてのルポだけではなく評論においても優れていると感じたものだ。 本多さんは、表題の3つの言葉に意味の違いはないと結論していた。違いがあるとすればニュアンスに違いがあるだけだと。いずれも意味としては「本当のこと」という「本当」に重点がかかった意味になる。その「本当」の判断の対象になるものが微妙にニュアンスが違って来るというのが本多さんの主張だったと記憶している。 事実というのは、過去の出来事の中で「本当にあったこと」というようなニュア