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★追記★ 知人のTさんが座り込みに参加され、そのときの情況をブログ「たそがれの品川宿」に書かれています。 東京在住であれば僕も参加したい気持ちですが、関西から応援しています! 転載・転送大歓迎 【緊急支援のお願いです】 下地厚さんのハンストを支え、応援してください!! 鳩山首相は「最低でも県外」の公約を自ら踏みにじり、普天間基地を沖縄県内に移設しようとしています。沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの下地厚(しもじ・あつし)さん(石垣島出身)が、「県内移設」、「基地の県内たらい回し」を絶対に許さない強い決意を込めて、鳩山政権に対する抗議の72時間ハンガーストライキを行ないます。 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックは下地厚さんの思いを共有し全力で支えます。ぜひ多くの方々が共に座る、激励に駆けつけるなどして、下地厚さんを応援してくださることを呼びかけます。 ● 日時 4月19日(月)12:00〜
先週末、留守をしていたので下記の情報を知るのが遅れた。 11/17のイイダ・ヒロユキさんのブログでも逮捕のことがちょっとは触れられていたので、ずーと気に懸けていたのだが、11/28にその逮捕の全容が「ユニオンぼちぼち」のブログにて公式に掲載された。 一昨年だったか、貧困をテーマにしたシンポジュウムで生活保護申請の「水際作戦」の詳細な報告を聴講して、その実態の酷たらしさ(水際作戦自体が、生活保護法の立法趣旨に違反している、違法行為である)に憤りを強くしたことがあったのだが……今回の逮捕には、それだけではない別の狙いもあるように思われる。 ユニオンぼちぼちの公式発表の文面から推して、今回の逮捕は「職務強要罪」の拡大解釈による不当逮捕・不当起訴であるように思われるが、以下、私はその理由を次のように考えている。 裁判では、福祉事務職員をビデオ撮影をしたことが「暴行・脅迫」にあたるのかが論点になるだ
沖縄での県民集会に連帯して同日に行われる抗議行動です。ぜひ参加しましょう! 僕は参加する予定です。 民主党にも社民党に大きくは期待はできないからこそ、院外での「議会主義を超える」抗議行動は大切です。 因みに、「日米安保体制/同盟」や「天皇条項」を問わない、平和/護憲運動は欺瞞である。 PS:上記のコメントをカキコしたら、教条主義とか孤立一直線とかブグコメされた。う〜む。世間はそんなふうに思うのですかね? 逆に言えば、この程度の事で「教条主義とか孤立一直線」とか書かれるほどに世間は保守化しているということでしょうかね? こういう人たちは、昭和天皇が天皇制護持のために沖縄に米軍の駐留を望んだことも知らないようだ*1(→象徴天皇制と安保という新たな「国体」、つまり1条と9条はセットであるということ)。 僕はテーマによってはリベラル保守とも共闘する所存ですから「小異を残して(維持して)大同につく」
★追記が増えました。追記5まで、いろいろあり! 生田武志さんが指摘している「関係の貧困」を援用すれば、「安楽死」容認/「尊厳死」推進論も「関係の貧困」に陥っていると思える。といえないだろうか。 <ある>ということに、どのように向かい合うのか? <ある>ことから/で、自ずから立ちあがってくる<倫理の現在形>の問題だと思っています。 下記の川口さんの批判を勝手に転載しますが、問題があれば削除します。 ★追記1:「誤解」はないとは思いますが、川口さんは番組で紹介されている照川さんの奥さんを批判しているわけではありません。批判しているのは番組の作り方/見え方です。そして 「でも、患者会内部では、照川さんの訴えを真摯に受け止めてもなお、/彼の意思は死ぬまで読み取られるだろうという意見が多いです。/それは、ご家族の介護力のすごさや地域医療との連携ができていること/を知っているからです。信頼関係があるか
東京でも、1月17日夜(本郷)、18日午後(大塚)の2日、「ガザ攻撃に抗議する」集会を開催が行われるそうです。講師は岡真理さんです。詳細は、確定次第告知いたします。 【転送・転載歓迎】 ×××××××××××××××××××××××××× 許すな! イスラエルのガザ侵攻 1・10緊急行動 ×××××× パレスチナの民衆を殺すな! ×××××× イスラエルは、昨年末から続くガザ攻撃によって、すでに500人以上のガザ住民を殺害しています。今も、人々は、電気や水を止められ、食料確保もままならない状況のなか、イスラエル軍の攻撃にさらされ続けています。 私たちは、イスラエル軍による虐殺行為の中止、ガザ地区の封鎖解除、そして、パレスチナにおける公正な平和の実現を広く訴える緊急集会とデモを行います。 イスラエルの暴走を止めるためには、国際社会からの圧力、抗議の声を挙げていくことが不可欠です。より多くの方
平和ではあることは、生存の保証である。 現在、国内外における貧困と各地域で起きている紛争によるおびただしい犠牲者/死者そして難民、私たちの現在は<生存の危機>に瀕している。 その認識を基底に、私たちは<平和>を創造的に構築しよう。 そのための一歩は、それぞれの場所/立ち位置において、またそれぞれの言い方/態度において、まずは声を挙げることだ。 ★追記:少しく補足しておこう。私たちは、直接的/間接的に他者(生物も含む)を手段として利用/排除して生きている。そのことにおいて私たちが「暴力的存在」であることの自覚をもつ必要がある。だからこそ、<反-暴力>としての「平和構築」は創造されるべきことがらであって、「平和の回復」では断じてない! [ 転送・転載歓迎 ] 京都の岡です。 まずは、以下をご覧ください。 http://www.youtube.com/watch?v=eMd6JbWzCZs **
★転載可★ ■■■Web評論誌『コーラ』6号のご案内■■■ 本誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、 〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の 声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉 の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ★Web等での本誌のご紹介も、よろしくお願い申し上げます。 ●シリーズ〈倫理の現在形〉第6回● 「みんな」にとって公平な運動と社会を創るために 〜社会運動内部の権力について考えてみる〜 ひびの まこと http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-6.html 海外では、数万人から場合によっては数十万
★11/02深夜に、加筆訂正しました。一部見解と評価が変わっています。 おそらく、いちばん早い書評かも知れない、労働経済学者・濱口桂一郎さんのブログを紹介します。 赤木智弘氏の新著 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html 赤木智弘氏の新著その2〜リベサヨからソーシャルへ http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html hamachanこと濱口氏は「オールド左翼」と「リベラル左派」の違いについては言及されているが、「ニュー左翼」と「リベラル左派」の相違への言及がないが、その辺はどうなんでしょうか? それまでの「左派」というのは、「固有性に対する差別」を問題にするのはブルジョア的であり、まさに「努力しても報われない弱者」働い
★追記(8/23)野崎さんのブログで、氏の論考へのコメントが集積されていますのでお読みください。 本誌は、〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。 ★サイトはこちらです(すぐクリックを!) ★本誌のご紹介も、よろしくお願い申し上げます。 Web評論誌「コーラ」(すぐクリックを!) ●シリーズ〈倫理の現在形〉第2回● どのように<倫理>は問われるべきか 野崎泰伸 ●連載● 「新・映画館の日々」第2回 やおい的身体の方へ 鈴木 薫 『哥とクオリア/ペルソナと哥』 第2章 貫之現象学と定家論理学 中原紀生 ■発行日:2007年08月15日 ■発行元:「コーラ」編集委員会/窓月書房 http://saku
■責任に向き合うこと usauraraさんのブログへの応答を部分的に再録しながら、4/19の責任問題の続き。 倫理の問題が「個人の倫理」としてのみ問われているから、つまり「審問の言葉」として問うているからを息苦しく感じられて反発を呼び込んでいるようにも思いますね。 それで問われるほうは「告白」を強いられたように感じるが、いくらその悪(荷担)を認めて懺悔してみたところで、その見殺してしまったことは救済できない。 http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20070419 上記の引用は4/19に僕が書いた文言だが、僕が言っているのは、告白して悪(荷担)を認めて懺悔しても、「その見殺してしまったこと=罪」は解消されない、残り続けるよ、ということなのだった。 それで、そのことの自覚の上にたって「社会の倫理/社会を組み替える倫理」へ向かうべきだという含意でした。それで
この間、「G★RDIAS」というブログで問題になっている責任について、下記に引用しながら若干のコメントをしてみたいと思う。 「できる」はずなのに「できない」という抗弁は、「したくない」ことの言い訳になっていると批判することは正当だ。だがその批判だけでは「なぜ、したくないのか」を解きほぐしていない。こういう問題は遍在しているし、その問い方はもっと洗練されてよいと思う。 これは、僕らの<いま・ここ>の<倫理の現在形>に関わっている、象徴的な課題だと思う。 「G★RDIAS」というブログで介護問題での責任論「姥捨て山問題」がこのところ話題になっていた。 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070406/1175824830 話が展開するにつれてズレや拡散がで出て経緯を全部把握するのが困難になってきたところで、 新たにkannjinaiさんが新しい定義を出してこられた。
労働者同士*1を分断して「偽の敵対空間」を出現させているのは当局ではあることは間違いないのだが、支援者らの呼び掛けに応えて市職員らが職場放棄するという「奇蹟」は起こらなかった。このことの意味は大きい。自分が同じ立場に置かれた場合の想像力をもって、自らの問題としても反省しなければならないと思う。 http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20070206 と2月6日のエントリーで書いたが、このことについてさらに考える。 当日の代執行に職務命令で来た職員の中には内心では執行に反対しているが、自分だけが拒否しても替わりの誰かが代執行に駆り出されるだけだから、事態は変わらない……と諦めて命令に服従した者もいるだろう。または当日は有給休暇や理由を付けて代執行に参加せず、「嫌な仕事」を避けた者もいるかも知れない。*2 察するに、あの場に来ている職員は相当の覚悟をもって来
Maxさんのサイトで「民訴権乱用」の法理]が問われているが、これはオリコンIR担当が「J-CASTニュース」にコメントした以下の部分が根拠になっている。 「賠償金が欲しいというのではなく、これ以上の事実誤認の情報が流れないように(多額の賠償金を課すことで)抑制力を発揮させたい」 それとMaxさんのコメント欄で以下の質問があり 民事の係争の解決の手続きについては、示談->調停->提訴、とやはり段階がある訳ですね。この場でコメントすることではないと思いますが、段階を踏まない提訴について裁判所が段階を踏むように諭す、などの方法がないのでしょうか。 それに対して僕は以下のようにコメントしたので、ここでも再録しておく。 民事には国家権力は不介入でなければならないですから、「事前審査」をすることはその権力の介入に当たります。ですから、民訴は形式主義的に受理されます。 それと「民訴権の乱用」については、
「論座」(2007年1月)の特集「現代の貧困」に掲載された、赤木智弘氏の論考「「丸山眞男」をひっぱたきたい」をめぐって、ブログで話題になっている。 「研幾堂の日記」の山下氏は、当の赤木論考を読まないで何方かのブログでの紹介文を下敷きに批判を書かれているようだが、これでは「誤読」の部分が多いと思う。赤木論考の書き方やそのタイトルも「誤読」を誘惑する体裁になっているわけでもあるのだが、山下氏は原文を読まれた上で批判するという初歩的な手続きを疎かにして、「推測」で論難されているようだ。(★追記:赤木論考への批判は、実はそれを読まれた上で危機感をもたれ、あえてレトリックとして「誤読」的に怒っているのかとも、僕は内心思いながら批判させていただきましたが、12/11付けの「研幾堂の日記」で、山下氏はその辺りの意図を書かれています。★12/11,10:36)それと山下氏は赤木氏のブログ「深夜のシマネコ」
ヒットラーは「諸君には闘いと危険と死を約束する」と言ったそうだが、わくわくする愛国心はすすんで自己犠牲に身を躍らす。日本では<散華の思想>という「美しい>」思想が、かつてあったが(いまも?)……魅了されないようにね! ヒットラーには快楽主義的人生観の誤りがよくわかっている。前大戦以来、ほとんどの西欧思想、というより「進歩的」思想にいたってはそのすべてが、人間は安楽と安全と苦痛をのがれる以上のことは望まないと、暗黙のうちにきめてかかっている。こういう人生観には、たとえば愛国心とか武勲といった思想の存在する余地はない。社会主義者は自分の子供がおもちやの兵隊で遊んでいると動転するが、だからといって代りのおもちやを見つけてやることはできはしない。おもちやの平和主義者というのでは、どうにも格好がつかないのだ。ヒットラーは楽しみを知らない人間だけにこれが珍しくよくわかるので、人間が欲しがるのはかならず
11.11の集会で貰ったチラシより転載。申し合わせ事項にもあるように、立場を超えた「教育基本法改悪反対の一点での幅広いネットワークを目指した運動」です。前回(10/22)参加した集会&デモと同じ趣旨です。 ■日時:11月26日(日)午後2時半〜 ★オープニング “浪速の唄う巨人 趙 博さん”「光のエチュード」「橋」など ★各団体・個人よりのアピール ★午後3時40分:デモ出発予定(梅田まで) ■場所:扇町公園 ■主催:11.26関西集会実行委員会 ■連絡先:FAX.06-6856-2941【11.26関西集会実行委員会 田中直子】 メールアドレス:1126kansaiアットマークmail.goo.ne.jp 一日共闘参加は、現在6団体が確定し、数団体が会議での決定待ちという状況です。 11月15日(水)牛後6時半より、エル大阪5階会議室にて実行委員会を開きます。団体の一員として、また個人で
★毎日新聞(11/12朝刊)で報道された。→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061112-00000282-mailo-l27 教育基本法改正:反対3000人が集会・デモ 在日コリアンも呼びかけ /大阪 ◇中央区で 「愛国心」を強調した教育基本法改正案に反対する集会とデモ行進が11日、大阪市中央区の大阪城公園などであり、府の教員ら約3000人が参加した。 改正案が来週中にも衆院を通過しかねず、弁護士や在日コリアンら112人が呼びかけた。 集会のリレートークでは、府内の女性教諭(31)が「いじめや不登校など山積する教育問題は基本法を変えても解決しない。今の基本法の理念の追求こそ必要」などと指摘した。 また、大戦で友人を失った鈴木祥蔵・関西大名誉教授(88)が「戦時中は、国や天皇のために死ぬことが一番の名誉と教えられた。愛国心は麻薬だ。人間らしい生活が再
と、精神科医の高岡健氏は『こころ真論』(高岡 健・宮台真司 編)という新刊の「まえがき」で断言しているが、そうあることを希望する。 僕は高岡氏の見通しと見解にも、すべてではないが強く共感するところが多いにあるので、下記に引用する。今日買ってきたばかりで、本文は未読(これから……)。 まえがき 二〇〇六年五月の国会党首討論で小泉純一郎首相は、「今日のすさんだ日本社会の状況について、どうとらえているのか」と問う小沢一郎氏に対し、「まさに心の問題」だと答弁した。また、「教育の基本的な責任はどこにあると思うか」という重ねての問いには、「基本的には親にあると思う」と応じた。 ここに「社会などというものはない、男と女がいて家族があるだけだ」というマーガレット・サッチャーの言葉を加えれば、新自由主義者にとっては完壁な答えが述べられたことになる。政治の自然的過程と人為的過程の双方がもたらす矛盾を、<こころ
「図書新聞」11月4日号に、宇和島での臓器売買事件を契機とした臓器移植問題に関する、小松美彦氏へのインタビュー記事が掲載された。 活字になった部分は全体の約三分の一であり、そのロングバージョンを下記の図書新聞サイトで読むことができる。 宇和島の件については、どのマスメディアも報道していないことも語っているそうで、最後部分では「教育基本法」の改定問題との関係にも言及している。http://www.toshoshimbun.com/SpecialIssuepages/nousi/review1.html その「教育基本法」の改定問題の部分を下記に引用する。 日本の場合は特に教育基本法の改定と連動している、と私は見ています。というのは、現在の臓器移植法の改定にあって、A案とB案の提案者のいずれも「脳死や死の教育を普及しなくてはいけない」と力説しているからです。このことで秀逸な教育がなされるはずは
「mitibosatuの日記」(http://d.hatena.ne.jp/mitibosatu/20061026)で知ったのですが、国会を1000人規模で取り囲もうというプロジェクトです。 これが実現すれば、60年安保デモ(僕はもちろん経験していないが)以来の民衆の意思表示(デモンストレーション)ですね! 11月8日は水曜日で平日だが、大阪から夜行バスで駆けつけようかな? 「教育基本法改悪反対ウエブリング」の方たちも、みんなで宣伝しよう。 :::::::::::::以下。転送可:::::::::::::::::: ■緊急行動のお知らせ■ 教育基本法・共謀罪が危ない! 安倍内閣の暴走を許さない! 「ヒューマン・チェーン」(人間の鎖)を次のようにやります。 ★「ヒューマンチェーン」・★(人間の鎖) 実施日程● 11月8日(水)午後4時 場所● 衆議院議員面会所 集合(地下鉄丸の内線国会前下車
10月22日の集会&デモの報告は、下記のブログが詳しい。 http://kyokiren.seesaa.net/article/26114852.html その会場での野田正彰さんの講演から、僕の印象に残った言葉をいくつか拾い挙げてみよう。 ・教師への「日の丸」「君が代」強制が神経障害をもたらしているが、これは事実の問題であって解釈の問題ではない。 ・その強制からくるストレスに対して、周りが無自覚になってなってきている。 ・そのような教師の背中を見て、子どもたちは人格の分裂を巧みにしてゆく。 ・仮に基本法が改悪されても、私たちは現行の教育基本法を常に携帯して読み続ける必要がある。 ・現行の教育基本法の骨子は「平和教育」と「個人の確立」であるが、政府案は現行法10条の改悪によって国家が教育に介入できるようにしている。 政府案の基本法改悪の問題点を僕なりに要約すると、教育への国家介入を法的に根
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