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ドラクエ3
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慰安婦問題と河野談話をめぐる今日の真の争点は、「吉田証言」流の強制連行=「狭義の強制性」でも軍の関与の有無でもない。「慰安婦」とは公娼なのか性奴隷なのかという点にある。このことは、多少でもこの問題を勉強すれば分かることだ。 要は秦郁彦氏らが90年代からずっと主張している、軍が関与しているのは当たり前だが、「慰安婦」は公認売春婦=公娼であり良い暮らしをしていた、あれこれの証言は「女郎の身の上話」(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』)であり、信用に値しないという論法がこのベースにある。 『慰安婦と戦場の性』は河野談話撤回派のバイブルであり、この問題の理解のためには、一読をおすすめする。彼らの人権感覚の水準もよく分かる。 河野談話は、慰安婦の募集は軍の意を受けた民間業者が主にあたり甘言や強圧的にしたもので、(朝鮮半島では)総じて本人の意思に反していたとしながら、「吉田証言」的な軍や官憲による組織的な強制
現在の慰安婦問題の対決点は、河野談話は継承するが、談話公表直後の会見での河野洋平氏の発言によって、ありもしない「強制連行」があったことにされた、売国奴=河野という流れになっている。 吉田証言と河野談話の関連性については論破され言うことができなくなり、外国の目が怖くて「河野談話」を廃棄するともいえない。 そこで、「河野が悪い」と個人攻撃して、結果として「河野談話」にネガティブな印象を与えて憂さを晴らす。それが安倍首相や菅官房長官の発言にもつながった。表立っては何も反論していない河野氏の心中はいかばかりか。胸が痛む。 河野氏の会見での発言を問題視することの根拠のなさは、安倍政権が任命した検証チーム(秦郁彦も参加)の報告自身が皮肉にも明らかにしているので、まだ読んでいない方はぜひ全文読んでいただきたい。 本来出すべきではない外交機密を一方的に出した弊害は大きいが、「河野談話」をめぐる日韓政府の攻
9月16日、台風18号の影響による豪雨により、古都・京都の桂川が氾濫して甚大な被害が出た。京都出身の知人に聞くと、少なくともこの30年間は京都市で浸水被害の記憶はないと言うから大変な事態である。 同日、奈良県を源とし、堺市と大阪市の境界を流れる大和川も水位が異常に上がり氾濫の危険が生じたことから堺・大阪市の数十万人に避難勧告が出されたその時、、、 前日の15日に堺市長選が告示された。日本維新の会を率いる橋下徹・大阪市長が、大阪都構想に反対する現職・竹山修身市長打倒に全力をあげる激しい選挙戦だ。 16日午前、堺市内の川が増水したことから竹山氏は選挙活動を中止。午前8時に市役所に登庁して担当者から状況を確認し、避難勧告を発令するなど対応した。市民の命を預かる市長として当然だろう。 その一方、大和川対岸の橋下大阪市長はというと、大変な状況が報じられている中でも登庁すらせず、自宅マンションからツイ
週刊朝日問題、出版社社長のクビが飛び、朝日新聞に検証文、筆者・佐野眞一の平謝りの謝罪文が出され、橋下徹が「納得した」で一件落着したようだ。 この無意味なドタバタ劇で、結局のところ、「部落問題に関わると面倒」という「部落タブー」がまた増幅されていくのだろうなと。 朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」は、今回の問題を検証し、「見出しを含め、記事は橋下氏の出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」、「記事中に橋下氏を直接侮辱する表現や、被差別部落の地名を特定するなど、差別を助長する表現が複数書かれていたほか、主要部分が信頼性の疑わしい話で構成されている」として、「差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命とし、正確な報道に努めるべき報道機関として、あってはならない過ち。差別の認識と人権への配慮を欠き、編集部のチェック体制が機能していない」と
話題沸騰、連載中止になった『週刊朝日』の橋下連載「ハシシタ奴の本性」の第1回目を読んだ。想像していた以上に、くだらなかった。 これまで文春や新潮がやりその程度を批判され、大阪市長選で橋下の追い風になった父親ネタの二番煎じもいいところで、いまさら何が言いたいのかよくわからなかった。 ライター・佐野某の橋下への嫌悪感は分かるが、それだけ。「テレビはうんこにでもとびつく」とか、端々に幼児的で知的レベルが伺いしれる記述も目立つ。 自分は橋下の生育過程において大阪の同和行政や教育が与えた影響は少なくないと考えていて、そこを深めることは否定しないが、この連載には、維新の会のパーティで出会った訳のわからんおっさんの話とか、血脈の話とか、この書き手は何をいいたいのか???という感じ。 『週刊朝日』は、さぞかし頭の良い人達が作っている雑誌だと思うのだが、この程度の原稿を是として載せてしまう感覚が意味不明。
梅田駅火災のあった2月22日、橋下大阪市長は40本のツイートをしている。 火災は、この日の9時頃発生し、利用者は7時間半後の16時30分頃まで梅田駅に入ることができず、22万人以上に影響が出たという。 大阪一の中心部のラッシュ時、3000人が緊急避難し、地下街にも煙がたちこめるなど、大事に至らなかったとはいえ、一歩間違えば大惨事につながりかねない非常に重大な問題だった。 火災元は市営地下鉄の駅であるにもかかわらず、大量のツイートを続ける橋下市長。ツイート内容も火災発生後にも変化はなく、組合批判や学区撤廃、学者批判などに終始。火災についての言及、市民への説明は一言もなかった。 この当事者意識のなさは何なのか。 市長の仕事は、市民の命を守るということに尽きる。鎮火したので関係ないと思ったのか。なぜメディアは突っ込まないのか。朝日新聞が読書の投書という形でこの問題を取り上げたが、これが民主党なら
橋下徹・大阪市長が弁護士としてテレビ番組に出演していた2003年当時に書いた『最後に 思わずYESと言わせる最強の交渉術』(日本文芸社)。 交通事故の示談や、企業間トラブルの交渉を裁判より重きを置いてきたという橋下氏は、この時はまさか府知事や大阪市長になるなどと思っていなかったのだろう。腹の中まで彼のやり口をさらけ出していて、今日の彼の言動に直結するものであり、非常に興味深い内容が書かれている。橋下徹研究には欠かせぬ一冊だ。 橋下流の特徴的パターンは、人を動かすには利益を与えなければならないが、本当に利益を上乗せするとこちらの腹が痛むので、「レトリックによる仮想の利益」=ありもしない架空のデメリットを強調すること。 こちら側の主張に従わないことにより、不利益があるということを、レトリック「実質を伴わない表現上だけの言葉 (大辞林)」で相手に思い込ませることがポイントだと説く。 昨年の大阪市
県・高知市新図書館。単独か合築か、候補地をどこにするのか議論が錯綜しているが、今までと少し視点を変え、高知市民であり、日常的に県立・市民両図書館を利用している者として論じてみたい。 実は追手前小への両図書館の一体的整備は、すごくエゴ丸出しでいうと悪くない。自分は勤務地が市内中心部なので、追手前小には徒歩や自転車でいけるので、駐車場が混雑しようが、なかろうが、どうなろうが関係ない。 県がこれまでの資料費を4倍化して1億円(知事も教育長もここまで言うたらもう後にはひけません)もの蔵書を買い、高価なデータベースをそろえてくれるわけだが、この本の大半は実質的に市民図書館本館に配備されるわけで、データベースも県の金で買って端末を市民図書館に置いてくれるというのだから、ありがたい。 ようするに一体的整備の核心は、県立図書館の廃止。県が大金を払って高知市民図書館のために本をバカバカ買ってそろえてくれ、司
「事業仕分け」。あれは一体なんなのか。 第一印象は「1時間のテレビ番組みたい」。細木なんとかみたいなタレントの必殺仕分け人が、衆人環視の中で、悪代官を切るみたいなイメージ。はたまた人民裁判、魔女狩りか。 予算の向こう側に、国民の暮らしがあることを彼らは理解しているとは思えない。エンタテインメントか自己宣伝くらいにしか思っていないのではないか。もっとまじめにやってもらいたい。あまりの馬鹿さ加減に実は本当は政権を維持するつもりなどさらさらなくて、自ら崩壊を早めようとしているとさえ思えてしまう。 自分がすごく目障りなのは、仕分け人をやっている東京選出の元クラリオンガールの参議院議員。このお方の知ったがぶりはかなり鼻につく。 素人が現場の声も聞かず、思いつきで、こういうことをやってはいけない。行政の仕事は一見無駄に見えても、実は大事なことというのは、数限りなくあるものだ。 自分も、こういう仕事をか
昨年3月、春野町で仁淀川町のスクールバスと県警の白バイが衝突して、白バイ隊員が死亡した事故。先日、高知地裁で被告の運転手Kさんの有罪判決が出たが、無罪を求め高裁での争いとなっている。 自分は裁判関係はうとくて、なんとなくバスの運転手の不注意で白バイをはねとばしたんだろうなという印象をチラッともっていたのだが、最近までさほど関心を払うことはなかった。 しかし最近、この事故はおかしいなと思いはじめた。きっかけは、朝日新聞支局の書いた長文の記事。弁護士は梶原さんだったということも遅ればせながらこの記事で知った。記事は核心を突く力作で、これはヤラレタと思った。 争点は簡単に言うと、①右折のために停車していたバスに白バイがつっこんだのか、②右側車線を走る白バイにバスが飛び出してきてぶつかったのかである。当然前者がKさん側の主張、後者が検察側の主張である。 周辺のことを調べていくと、まことに不可解なこ
案の定、民主党が銃の保管場所を射撃場などに限定する法案を準備しており、○○な連中らが「もっとやるべきだ!」とけしかけている。 射撃場だけでスポーツ的に銃を使う人なら、保管コストや管理責任についてはさておき、それでもいいのかもしれないが、銃が暮らしとともにある山村の実態とは、まったく乖離している。猟に出るたび何時間もかけていちいち銃を取りにいくなど非現実的であることくらい誰にでも分かる。であるから猟期以外の期間中は預かるということにするのだろうか?法案を見ていないので何とも言えないのだが。(共産党がまさかこれに簡単にのるようなことはないと思いたいが、どうかな~、結構東京からしかもの見えないところがあるのでちょい心配)。 そもそもこのようなことをしても、全然本質的でない。「猟に行きます」と持ち出して人を撃てばよいのだから。これで佐世保のような異常者による事件が防げるとはとても思えない。 だいた
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