サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
natsunoasa777.hatenablog.com
雨です。今日は片付けものをしようと思います。このバラはやはり育ちが悪くて 花びらの一枚が緑がかっています。小さいし。でも香ります。 次は猫写真です。ピントあってないですが。 安全地帯においでよ〜。 行く〜 ここも 安全地帯。近づけないでしょ。警戒、警戒! うーん。50ミリだとこれより近づくとまだ飛んで逃げます。リラックスした表情なんて夢のまた夢。。 岩合さんってすごいなとつくづく。 初見の猫であれだけ懐くなんて考えられない。私はものの5分しかかけてませんが。ネコに去られなきゃ日課にしたい。。でも猫に迷惑かも あ。ピントあってなきゃダメ? ではお花写真を。 しかし風が。。 ありさんありがとう。 今日は二本投稿します。
今日も薬草園公開日。まめに通っています。花の匂いがします ユッカ タバコの花だそうです。こんなんなんだ。 ギンバイカ フウセントウワタ。うつむいたのを下から シオン ハナシュクシャ。ジンジャー系の花でいい匂いです。 ヤマハギの白い花。 ウラナミシジミ。この蝶の名前は覚えました。花の名前はヌスビトハギではないかと。ピントがどこに合ってるかは深く追求されませんように。南無。。 秋蝶の生き生きしたり 薬草園 光子撒く金水引が風の中 労働の手を導けり綿の花 じゃれる猫見下ろしてをり柘榴の実 行く雲や紫苑大株倒れ込む 秋彼岸小さく見ゆる プロペラ機
アンデルセン公園へ行く道の途中の畑で。背の高い オクラの花です。花の下に オクラ も育ってます 公園内入りました。ちょっと 長すぎる名前ですがゴンフレナラブラブラブ。 外国の花のようです。 これは 萩。もっと近寄ると こんな感じ。もうちょっと咲き進みそうです ダリア。色が凝ってます クミスクチンとスズメガの一種でなんだったっけ。ホシホウジャクかな。ぶれてて、Googleレンズ様無反応。 クミスクチンはネコノヒゲとも言うそうです。覚えやすい名前です。ありがとうございます✨✨ 今年のコスモスの迷路はこんな感じの色合い。もっともっと満開になると思いますよ。 アンデルセンの 行き帰りの途中で。白鷺がこっち向いてひょろひょろ首伸ばしてます 珍しいのかな 。黄色と白の蝶が遊んでいました。モンキチョウとモンシロチョウ だよね。 ※御指摘がありました。どちらもモンキチョウだそうです。白いのはメスとか。あり
朝の神社の絵馬です。お散歩。お願い事は 健康?長寿♫ 明るくなってきた公園 駐車場の猫 猫の旅〜。 安直にテーブルの 庭の白くて小さい秋バラでした。 しかし またよく考えた。写真 サークルの人で上手い人ってみんな男の人だ。この SDGSの世の中に男とか女とか 決めつけちゃいけないのかもしれないけど、面倒なので、男性的 女性的という言葉を使うけど、いわゆる 良い写真とされてるものは男性的なんだな。 その説明はめんどくさいからやめるけど、非常に強い 姿勢を感じる。 でもって何と言うか認めるのも嫌な話 なんですが、私は極めて 弱い 人間なんですね。 これちょっと無理かも。 男性的でない 写真はあのサークルでは取るに足らないものとされてしまいます。 はっきり言うならば、ちやほやされません。 人の輪の中に入って ちやほやされないなんて 私、自分の存在価値に疑問を感じてしまいます。 まあ 現実には病院
森の中のベンチ なんだかめちゃくちゃになってしまった。 無惨なものだわ。 私の人生 整った試しがない。もう慣れた。 大甘だし、理性が弱いんだわ。情に振り回される。まだ自己確立が足りないんだろう。そういえば自他の別ははっきりさせなくてはだったと思う。今回のことこそが経験になるといいな。 本当にお騒がせして申し訳ありませんでした。m(_ _)m 秋のナミアゲハ さてご縁あって入った写真 サークルだし、ちょっとしばらく写真サークルの方向に従って 一歩一歩積んでいきたいと思います。 また主体性がないと言われればそうなんだけど、自己流 だとどうしても狭くなっちゃう。 いろんな人の足跡が残った方法 を少し知ってみたいです。 ヤノネボンテンカ 自己流のお花写真は撮っていてうっとりするけど、今度のは違った 頭の使い方をします。 美しさ華やかさよりも存在の確かさを追求するような。 そもそもまだ写真を見る目が
今日は ことに艶やかな 芙蓉の色💖 枯蟷螂が吊し人 錆びたガードレールの上に朝顔 朝5時に外灯がついていて 猫 にゃー ところで、メール送付は体力の限界を迎えました。もう目も神経ももちません。そこで知恵を絞って彼女にヘルパーさんを頼むように伝えました。 旦那さんは認知症で動けないけど、息子さんが成人して仕事をしているらしいのです。 で、息子さんの名前を頼りに、Facebookに、連絡を入れました。ことと次第によっては保護責任者遺棄で訴えると伝えました。 考えてみれば友人とは言え私は他人。 授業料を払った学校を欠席してまで彼女にメールを入れることはなかったのかもしれませんが、あの苦しみをそばにすると、こっちの身が持ちません。 もう、言いたいことは全部言い切ったし、彼女とは距離を置こうと思います。 本当に忘れないと身が持ちません 問題は友達でないのにメッセンジャーで連絡を入れて、息子さんがち
ヤブラン。これで背景を入れたことになるんだろうか。構図の取り方が全くわからない。 モミジアオイと白い鉄のポール。。これも背景にならないかなあ。 デュランタ 。後ろにあるのは電柱。。。に見えないよね 背景は緑!普段と変わらない。。 今時 レアな現役 電話ボックスとクサギ。どうやって写したらいいのかわからない。50ミリでは限界が。。 ひまわり がちっちゃい〜。縦にまっすぐカメラを構えるって大変。 今日も先輩に一日中 メールをしていました。でももう俳句は見るのも嫌。 今日は 雑談に終始。 結局 先輩を一番力づけたのは 俳句でもなければ噂でもなく オラクルカードだったような気がする。。 いい 占いが出た。 社会人としての能力が持てないと占い 能力が発達するんじゃないだろうか。。。 実はひそかにそう思っている。 妙に当たるんだよね。。 良い占い 結果だったんだから当たりますように
先週写真サークルに入会してみた。 ご自慢?のお花写真をお見せしたのだが 、先生 は 開口一番 背景も入れろ!と。 ええっ背景 入れたらなんか汚くなっちゃうような気がするんですけどー。 と思ったけれど。 よく考えて この世の中に対する愛をもっと持った方がいいのかもしれないと思ったので色々やってみることにします。 今日、図書館でびっくりした写真集。 エチオピア黙示録: 野町和嘉写真集 作者:野町 和嘉 岩波書店 Amazon この中の、教会に集まる人達を撮った写真がすごいと思った。モノクロの迫力。 あと見ていくらでも時間を潰せたのは 海への旅 作者:中村 征夫 クレヴィス Amazon 驚異の海中アートとか。うっとりとは違うけどパンチが効いている。 さらに絵本コーナーに行きます。 新装版 銀河鉄道の夜 作者:藤城 清治 講談社 Amazon 美しすぎる微妙な光の色合い。。。 さすが影絵の巨匠。
(早朝のイモカタバミ) ずっと無言だった人がメールで愚痴を寄越すようになった。 ちょっと楽になったかもと思う 俳句は完全にネタ切れ。 後半は名句だけ送る しかも 4時から息切れして時々 こっちが寝て休む 明日から 午前か午後のどちらかにしてもらおう。 どうしても1日中は 続けられない。 結局半分は私の気持ちの問題 なんだから。 しかし暑さが堪える日。 蔓伸びて 朝顔八つ風の空 野分とや廻り舞台を雲動く 秋蝶もこの庭離れ難からむ 秋蝶のベランダの柵越し来たり 迫りたればその声聞こゆ 秋の雲 電柱に仇名をつけり螽斯(きりぎりす) 瓦屋根 いくつか残る秋日和 秋日燦窓半分を閉じてをり 音楽を点けるや目の前に銀河 陶の鳩並べて眠る 秋簾 秋植えの球根店にまう並ぶ
ベランダ写真 ジニア 庭写真 朝顔 ベランダ写真 エキナセア 今日は不作。頭が回らなくなってきた。歳時記の名句ばかり送る。そのほうが良いかもしれないけど。 途中 2回 眠った様子。 運動しなきゃなので昼休みの時 サーッとプールに行った。 なんとなく仕事をしている感覚。仕事はしたかったし。 手入れせぬ爪に微光や秋の朝 初鴨にひろがりゆける水輪かな 秋晴れ の圧に堪えたり 雲の瘤 幼稚園 パンダバス 来る 花野かな 評判の良き内科医や真葛原 爽涼や薬剤師皆てきぱきす 揺り椅子に抱かれ心地の秋の昼 ベランダに西瓜腰据ゑ睨むごとし 大鍋に麦茶 水より水のやう 居間にある絵を厭ふなり秋の午後 ねこじゃらし 昔 走りし野は消えて 半月が影絵の町に昇りけり
なんだかどちらがケアされているのかわからない状況になってきました。3日間、10分に1句、毎日正味 8時間の間 俳句を作ってうつ状態にある先輩のもとに SMS で送っています。 先輩は 全部読んでくださっているようです 。既読チェックがつきます。 返事をする気力はないのです。 それでも読まないと身が持たないのです となると、実態は私の独り言みたいな俳句を計 24時間もの長きにわたって黙って ずーっと読んでくださっているということになるのです。 これはもう立派なメンタルケアです。 ケアされてるのは私の方です。 俳句を詠むむことは心を表現することに他なりません。 色々なガラクタでいっぱいで整理のつかなかった私の心を、綺麗にさらって 掃除してくれてるような状況になりました。 この行為 民間のカウンセラーに頼んだらものすごい料金取られると思います。 今とても清々しい 素直な気持ちになってるのです。
カンナの 色違い〜。不作のときに重宝なカンナでした。 はは。朝8時から夜7時途中休憩を入れるとしても10分に1本俳句を送るのは結構な作業です〜💖 自分で20ほど作って他に毎日合わせて数十の俳句を集めなくてはなりません。 絶望や死ぬ事を題材とした俳句は使えませんので、歳時記の中の名句のあれこれも早晩尽きてしまう気配です。 そこで早計かもしれませんが、俳句を皆様から募ることに決めました。 いいの。企画はどんどん出さなきゃー。私もあくまで話題の中に居たいのです。m(_ _)m お願いします。 私はショートメールを使って送っていますので、できれば20文字程度の短詩をタダでくださいませんでしょうか。 その一句で事実上10分間の一人の人の命が買えるわけです。 もちろん上手い下手を問う余裕はありません。 ただお志としての20文字をこいねがいます。 どうぞ下の方のコメント欄に投句してくださいませんでしょ
先日から私はケアを始めたのは、元気になってきた母ではなくて、躁鬱病の先輩です。 統合失調症は派手な病気ですが、薬が本当に良くなって症状も抑えられ 日常生活 もできるようになりました。 私が知ってる限りはですが。 躁鬱病。。 ちょっとユーモラスに聞こえるかもしれません。 実は 統合失調症よりも厳しい状況にいるのが躁鬱病の患者だと思います。 先輩は 治る見込みがありません。薬たいして効きません。 去年は9月から今年の7月まで鬱で、7月には私の誕生日を祝ってくれましたが、ほどなく躁状態になり、入院。 今月 退院したものの 今はひどい鬱に苦しんでいます。 うつをご体験の方はその厳しさを承知のことと思われます。 躁になるとコントロールが効かなくなって滅茶苦茶な行動を取ります。 培った信用も滅茶苦茶です。 これ以上生きるのは苦しいようです。 でも私としては自ら命を絶って欲しくないと本当に思います。 先
先輩に頂いた種からようやく一輪咲きました。。バタフライピーです。 くっきりした青い色。 タイ🇹🇭など南の国の植物ですが、直射日光には弱いです。 花がらはお茶にすることができます。 しかし朝5時過ぎに歩いたんですけど 朝日が 眩しくて 5時半にはこの青空。 何もかもピカー!暑いわけです。 遡って、夜明けの かなり前 (3時半)、思い立ってベランダに出たんです。星空が大変 綺麗でした。夜空だけは秋。すっかり澄み切ってたくさんの星がキラキラと瞬いています。オリオン座ではベルトの三ツ星の下の星雲まで、近視の眼でバッチリ見ることができました。 今年は17日が中秋の名月 だそうです。翌18日が満月。もう来週に迫りました。楽しみです。 それから申し訳ありません。少し病人のケアをします。しばらくみなさまの記事にブックマークコメント残しません。本当に書いていただきありがとうございました。失敗を重ねつつだ
重陽。菊の節句の日でしたが彼岸花です 。通院の際に寄った村上緑地公園というところです。 もう少し経ったら彼岸花祭りが開催されるはず。本当にたくさん植わっています。 3分咲きと言ったところでしたが こんな感じ。私には十分です。とにかく広くて。 一応 縦も写します。 後は〜乱れ撮り〜 月曜日朝8時台誰もいなかったので、いろんな角度から撮ることができました。逆光で揃えました。これが正しい写し方なのかはよく分かりません。。。 暗き地に仄と日が差す曼珠沙華
今日も近場で。まあ風景といっても花の周りに少し添えた程度ですが。 枝が柵のようでなんとなく涼しい。 もうちょっと咲いていると綺麗ですが。遅かったかな~。 彼岸花が金網に挟まれて スーパーの駐車場のひまわりにハチがたくさん集っています。この後何処へ行くんだろう。 しかし 暑さが厳しいです。物価高 も 慢性的になってきたし。お米は手に入らないし。ままならぬ 現実が深まりそうですが、 今日は気分が結構良いです。夕方の空が本当に綺麗でした。空に恵まれてる地域っていうのはありがたいです。毎日映画見てるみたいです。タダで。 夕空の七彩無窮秋の蝉 (写真 殺伐としていますが ご勘弁。これしかないです)
たくさん咲き揃い、朝日まであたったハナトラノオの群れ。 咲きかけのボタンクサギ。咲ききってしまうと花は十字形に。 単純な咲き方でも美にこだわり、複雑な色を保つローゼル。 完璧な姿で、隙がないゼフィランサス。写真に撮るのが難しいです。 久しぶりに花にうっとりしています。最近冒険が多かったです。世界が広がる感じがいいのですが、ゆっくりやらねば。 ご近所はリラックス出来て良いです。 私は基本的にうっとりするかパニックしているかの二択。(^_^;) 中身は無いような。 まだ軽き小玉西瓜を手に支ふ
市内の中心部の西側に、その下流で海老川と合流する 長津川という 細い 川が流れています。 縄文時代に 海だった谷を流れる川です。 川の上流の方には大きな調整池があり、その周囲が公園になっていて、綺麗だという噂です。 で、お散歩してみました。 地図で見て一番上流の、川が地面に現れるところから歩き始めました。 右は竹林、左はマンションという土地柄。遊歩道がよく 整備されています。 川沿いを歩き下ると、ほどなく 広い長津川調整池の公園です。 下流の海老川 が氾濫しないように整備されたようです。 コオロギや法師ゼミ、シジュウカラの声が響きます。 草地に分け入ると、驚いた 紋黄蝶が幾羽も飛び立ちます。 見渡す限り緑です。 湧き水 空を映す 池 散歩する人、ジョギングする人、皆さん気持ちが良さそうです。 でも増水の時は立ち入り禁止になるのかな。 また 川沿いを歩きます。 ずっと住宅地の中。落ち着いた雰
(道のリコリス) まあしかしですね。 祈り、祈りと言っても そんなものを 組織立てたり、体制に組み込んでしまったりすると全くろくなことにならないので 、病人個々人に祈りに対する意識を少しだけでも上げてもらうのが無難かもしれないと思います。そもそもついこないだまで私だって全く意識低かったんですし。 さて先日、海老川(元おおひがわ)の源流の一つがあるとされるお寺に行って参りました。 半分 観光地ですので、よそ者が入りこんでも不審な目を向けられることはありません。私も パニックを起こすことないです。(結局観光地巡りしかできないのかもしれませんが) 船橋市内の御滝不動尊 (おたきふどうそん)というところです。 まずお参り。 なかなか大きなお寺で、川の源流地だという珍しい水行の場を備えており、写経会やヨガ、ホタル育成会など色々な工夫で地域によく馴染み親しまれているようでした。 この灯籠の 吉祥文様の
今日は 船橋市主催の市民大学に出席。船橋市内の農業と漁業について市の農水産課の職員の人にお話をたくさん聞いてきました。 ここでは初耳だった漁業についてのお話を少しだけまとめてみたいと思います。 船橋の沿岸部一帯は干潟になっていますが、昔、海苔養殖の盛んなところでした。今は3軒になってしまいましたが、かつて は1000件ほどの海苔屋さんがあったそうです。 伝統的な 「竹ひび式」という漁法で養殖は営まれ、長い竿を何本も海に突き立てて、そこに海苔の種を植え付けた網を引っ掛け、海水に任せて育て、寒くなってから収穫を行ったそうです。 海苔の竹竿は辺り一帯に据えられ、そのため 荒波を抑える作用も生まれていたとか。 また、船橋では昔アサリがよく穫れることで知られていました。事実、昭和50年代頃かな、船橋駅前で漁師の家族らしい人が袋に入れたアサリを売っていたのを私も見たことがあります。 でも今ではホンビノ
精神的な障害で、病気の苦痛もさることながら、何が一番苦しいかというと 社会的無価値感です。そして 疎外感 です。加えて 孤独です。 しかしこれを全部払拭する可能性があるのが お祈りではないかと私は思います。 この間 アメリカかどこかの外国で「祈りには力があることが証明された」という論文が出たということを読みました。今スマホなのでちょっと探すの大変なので証拠は出しませんが、これは私たち 病人にとって 光明だと思います。 この病気には、良かれと思ってやることは全て裏目に出るという症状があります。 これが私の30年に渡る経験を重ねた上での結論です。大げさではないと思います。 共感してくれる方も相当数いらっしゃると思います。 まあ要は迷惑かけるぐらいならお祈りでもしてろ ということなんですが、お祈りに事実上の効果があるのなら本当にそれに越したことはないと思います。 かけたくて 迷惑かけてるわけじゃ
今朝 夜明け前の真っ暗な中を、耳を洗うような 鈴虫の透明な声が長い間、響いていました。 え。ここ住宅地のど真ん中で、アスファルトに覆われ、地面のある庭はすくない所なんですけど。 コオロギ ならともかく 鈴虫? もしかすると飼っていたものが外に逃げ出したのかもしれません。が、本当に何年かぶりに聞く美しい声で、心底うれしくなりました。 鳥かネコにやられない事を祈っています。 さて話変わって、昨日は私のような流れ者と違い、 千年単位の伝統的暮らしを営んでいる事が感じられる地域を、写真を撮りつつ歩いたのですが、現実は大変厳しいような気がしました。 なんだか こんな東京に近いところでも、知らない 顔が土地に踏み込むことをとても抵抗に感じる 雰囲気があっちこっちでひしひしと感じられるんですよ。 カメラを持っていない時でもです。 通りがかりにきつく睨まれるし、ぼそっと言葉を投げつけられます。 服装からか
弁財天とは インド神話から来た女神様。七福神の一人です。普通、琵琶を持つそのお姿は、たおやかで麗しく、音楽、弁舌、財福、 知恵の神とされています。 もともと河川の女神様でしたので生業に水を使う農民に、篤く信仰されていました。 水に縁のあるところに祀られています。 日本最古の弁財天の像は奈良の東大寺にあり、 日本三大弁財天 といえば安芸の宮島、近江の竹生島、相模の江の島の弁財天だそうですが、 ここ船橋でも海老川のほとりに限らず小さなものをあちらこちらで見かけます。 今日は足がだいぶ治ったので、地図を見てまだ行ったことのない弁財天巡りをしてみました。今はほぼ住宅がぎっしりですが、もとは農村地帯のところです。 まず駅を降り、開発の手が行き届いていない南側へ入ります。坂を下ると、ゆるぎ地蔵という史跡の側の窪地に 丸木を渡した弁財天の祠。 すごい湿地でズブズブと足元が定まりません。が、なんとか手を合
アンデルセン公園は大変 広い敷地を誇っています。また船橋の中心部から奥まった田舎の方で、普段は人通りが少ないところにあります。休日になると車が列をなしますが。 奥地にありますから、広い公園の周りには奥地にふさわしいとされる施設が散在している印象が私にはあります。例えば私がよくお世話になった病院も、その一つかもしれません。 今私には、あの病院の大きな 体育館の片隅に置かれたピアノのことが頭に浮かんでいます。 その周りで声を限りに歌われたLet It Be。 自然に集まり、ともに歌い上げた私を含めた十数人の若い患者の影。 その誰にも語ることのできない思いを必死で訴えるようなやるせない表情が頭の中から離れないのです。 ピアノを叩いたのは独学でピアニストになろうとした40代の寡夫男。楽譜を読むのもうまくなかったけれど、Let It Be のジャズバージョンだけは圧倒的でした。 ピアノの音を聞いて最
買い物に行く途中、野良朝顔が青空の見える空に伸びて こんな色でした。 庭ではカボチャの雌花で餌を待ち構えるオオカマキリ。 「お控えなすって」 凄まれました。 さて家で本を広げ ネットを検索。あれこれ資料を見ています。 まず最初に何よりも、船橋の地名のいわれをご紹介するのが筋かもしれません。 きっと細かな点では色々説はあるんでしょう けれども、手元にある本「船橋の民話」から紹介いたします。 昔々 船橋大神宮(オオヒ神社)が今の場所に奉祀されたばかりの頃(いつか調べられませんでした)、当時の名前で太日川(オオヒガワ、今の海老川)であった川は今よりも 川幅が3倍 近くあり、水量も多かったそうです。橋をかけることもできず、 川を渡るには渡し船を使っていました。 しかし年を経るごとに人々の往来も人口も増えていき、渡し船に頼るばかりでは追いつかなくなっていったのです。 そこで土地の重役たちが船大工にた
(桜の木の下のベンチの様子) こちらは大雨が降ったり止んだりが続き蒸し暑いです。 図書館に行ったら船橋の民話という本があって、100本近くのお話が収録されていました。その中には海に入水した桔梗ノ前という平将門の愛妾のお話もありましたよ。物語がないなんて言って ごめんなさい。それこそ物知らずでした。でも橋のモニュメントにするとしたらそういう地元の物語を取り上げてほしいですね。 まあ趣味の違いを云々しても仕方ないですが。 さて船橋の情報はwikipediaが詳しいです。ちょっと読んだけど、簡単には読み切れないです。知らないことがたくさんありました。 しかしどうしようかな。又パニック状態にはなりたくないです。 当分アンデルセン公園行きかな。。。気分で動こう。 台風早く消えろ〜。 色々のもの地にありぬ野分後
なんだかうろうろと色々なところを回りそうな台風。本当に被害が増えませんように。 ベランダスイカ、2個目です。先だって食べたのはとても甘かったです。 その写真。 去年のこぼれ種のジニア。 しかし 冷静になってみれば私も変わり者だと思います。もっと 社会正義に関することならばともかく何だって1000年近く前に変わった 川の名前のことであれだけ 腹が立つのか。 しかも 質の悪いことに腹が立つと日頃ぼーっとしてるのにひどく喋り始めてしまうようなのです。今後、できるだけ心が穏やかさを保てる安全なところで行動した方が無難なような気がしてきました。お恥ずかしい。この 厳しい世の中に 迷惑な話です。 昨日の言動はおそらく行き過ぎていたと思います。申し訳ありませんでした。 でも思ったのですが、人の名前に限らず 、土地の名前、 川の名前、 山の名前、ただの記号じゃないんだなと思います。意味もあれば思いも込めら
注意:以下の記事は重篤な障害を持つ者によって記されたものでありその者は文責を負い得ない可能性があることを十分ご承知の上でお時間があればお楽しみください。 第一部 ➀海老川暴論 そもそも高校生の時に移り住んできた当初から受け入れがたかったんです。海老川というこの名前を。川の名前には本来その土地に対する深い愛情と尊敬が感じられなくてはならないと思うのです。 それをエビです。 響きも悪ければ、元は清らかであった 川に、生臭いエビの匂いが漂ってきそうではありませんか。 先日、上流の清々しい光景を見るまでは長い間ずっと、川に海老などといういかにも投げやりな名前をつけるからこのように濁っているのだろうと すら 思っていました。 いえ決してエビが憎いわけではありません。私は好き嫌いはない方なので食べるのは大歓迎です。 ただまた繰り返しますが 川の名前としてはちょっと。と思わざるを得ないのです。 でも本を
私は実に間違いの多い人間ですが、古今東西 人類の果たせぬ野望の一つは不老長寿だという認識に間違いはないと思います。 不老の方はもしかすると来るべき将来の科学技術によって多少の成果が見られるかもしれませんが、見込みは薄いです。 それに対して長寿の方、人それぞれの基準はあろうかと思いますけれども、ほぼ万人が手の届く希望として胸の内に宿すことができるのです。 あらゆる人類共通の心の灯としての長寿への思い。そして虚飾に背を向け実を取る船橋市民の庶民性。その二つが 結晶となったのか、 船橋発祥の地、海老川橋の欄干の中央には。。。。国家の命運をかけた政治家でもなければ、人々の魂を永遠に揺さぶる芸術家でもなかった あの泉重千代翁120歳の時の手形がなぜかあるのでした。 いや この人選に文句を言ってるわけでは決してありません。事実上日本人として 空前絶後かもしれない長寿を誇った泉重千代翁。繰り返しますが、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『natsunoasa777.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く