http://d.hatena.ne.jp/noharra/20150321#p1 の続き 「八紘一宇」といった問題を考えるためには、日本書紀の二つの断片が、文字どおり聖典として、近代日本においてことあるごとに顕彰・引用されてきたことを、思い出さなければならない。 1)「天壌無窮の神勅」 葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是(これ)、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまのひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮まりなけむ。 日本書記第2巻神代下第九段 岩波文庫 日本書紀(一) p132 2)「八紘為宇」 上(かみ)は則ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳に答え、下(しも)は則ち皇孫(すめみま)の正(ただしきみち)を養うの心を弘(ひろめ)め、然る