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大谷翔平
panojikara.hatenadiary.org
長い間、このブログ「ジーの思い出し笑い」をごらんいただいた方々に心からお礼を申し上げます。 ブログをやり始めたのは、79歳ごろ。それが今は84歳。皆さまも80歳になるとわかりますが、すぐ横になりたくなる。記憶力が落ちる。 まあ、こういうわけで思い切って、今年で「ジーの思い出し笑い」をやめさせていただこうと思います。どうぞお許しください。 来年は母校の京都工芸繊維大学の「美術工芸資料館」で「サトウサンペイの世界 4コマから切り取る昭和」という展覧会を開いてくれるそうです。入場料:200円 安い! 期間 5月26日(月)〜8月9日(土)。講演:6月8日(日)午後3時〜5時半 短いコメントでも、息がかかるように心が通じます。若い息吹を与えてもらったような気分。皆さま、ほんとうにありがとうございました。 どうぞ良いお年を。2013.12.26 サトウ サンペイ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P2 P2 - 電子書籍になる『フジ三太郎』 3年前から「フジ三太郎」を電子書籍にしたいという話がありました。朝日新聞で記者や編集者として優れた仕事をされ、退職後は電子関係の会社を立ち上げられたトップのN氏からです。 「フジ三太郎」は、長く残すべきだ、あれは庶民の目から見た昭和の歴史だと、おだてられたのです。 そしてN氏のおっしゃるには、普通の電子書籍は、印刷された紙のページを1枚1枚スキャン(電子化)するだけですが、「フジ三太郎」は原画を1枚1枚スキャンして、より半永久化を目指します。 今は紙の本は売れ行き不振、かといって、電子書籍はまだまだ伸びていない現状です。そこに一石を投じてみたい、ということでした。 始まったのは一昨年の秋からです。「フジ三太郎」の原画を1枚1枚スキャンすると、印刷された本からの場合と違って、原画についた汚れがたくさん現れました。 ホコリ、ごみ、僕の消しゴムの消え
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(注) 恐竜のマンガのところで、コメントをくださった>えむさん から、「昭和63年5月24日のマンガが、先見の明がある」と褒められ、さっそく調べましたが、単行本にも文庫本にも載っていなく、新聞紙を切り抜いたスクラップからスキャンしました。やはりむかしのマンガ、色が褪せ、まるでジーさんみたいです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「平凡パンチ」は、大橋歩さんの素晴らしい表紙で創刊されました。東京オリンピックが開かれた1964年のことです。発行部数もやがて100万部を超えました。大橋さんが表紙をやめられたあと、すぐではなかったと思いますが、1983年から1年間、ぼくが頼まれたのです。 すっかり忘れていましたが、スクラップブックを見ておどろきました。こんな下品ななマンガが表紙になったとは! でもまあ男性誌ですからね。 クオーツに振り子をつけたのは、銀座の和光にもありました。でも、こういうデザインを考えたのは世界でぼくだけ。いいじゃないですか、男の週刊誌なんだから。 ピンク・コクピット。1年間の連載で一番好きなのがこれ。こういうアイデアは、世界のマンガ家で、まだだれも考えついていないだろうと思うとき、品の悪さは別にして、とてもうれしいのであります。 これで間違えずに操縦ができたら世界一のパイロットですね。
(注) これは「U.S-Japan Relations:The View From Both Side of The Pacific SPICE 1993」に転載されたもので、題の なかの perspective には、大局的な見方という意味がある。 「ノーモア ヒロシマ」には、「もういいです、原爆は」という平和な響きがあるが、「リメンバー パールハーバー」は、「覚えてるぜ、忘れるもんか。よくもやりやがったな」と、ぼくには聞こえる。ぼくが英語に弱いせいかもしれないが。
< 駐留米軍の家族たちは、帰宅したときも、部屋が暖かいように暖房をつけっ放しで外出する。夏はもちろん冷房をつけっ放しで出かける。もったいない、という気は、全くない。光熱費も何もかも「思いやり予算」で日本人が、払っているからね。 米軍ハウスなどは、ビジネスホテルみたいに、カードキーを壁のホルダーに差し込むと電気がつき、キーを抜くと消える方式に改造すべきだ。しかし、それももういらないか。 福島の原発のことだが、放射能の汚染度を予測し、すでに米国大使館員の家族や、米軍家族には、チャーター便を用意して帰国させるといっている。 安保のころからいずれこんな日が、くるとは思っていた。僕ら行き先ないもんね。
”日本人の栄養学”『食べ物さん、ありがとう』先生=川島四郎 生徒=サトウサンペイという古いけれど、わりによい本がある。(保健同人社刊・朝日文庫刊) 川島先生は農学博士で、日本栄養学の泰斗といってよい素晴らしい方だったが、そのお弟子さんで、助手兼秘書をしておられたのが、岸田袈裟(けさ)さん。当時、20代後半の女性だった。 その後、結婚され、ナイロビ大学に学び、さらなる食糧研究と、ボランティアのため、ご主人やご家族ともども、30年にわたってケニアに在住されることとなった。 その袈裟さんが、昨年、病気療養で実家の盛岡に帰っておられ、去る2月23日に享年66歳で亡くなられた。 ぼくもサファリ観光で行ったとき、ケニアの女性たちが、頭の上に水壺や重い焚き木を乗せ、えんえんと道を歩いている姿を見た。 ケニアでは、電気も水道もない村が多く、女性が、重労働の水運びや薪拾いをしていたのである。 そして、食事の
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