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Aug 21, 2007 この両手に抱えたものを離せないから。 カテゴリ:趣味・オタク "中途半端"という私【見知らぬ世界に想いを馳せさま】 (情報元:闇鍋ブックマークさま) いろいろなことに興味を持ちはするけれど、結局、どれも中途半端で、ごく浅い所にとどまったままだよな…とうのは私は、最近よく思うようになった。 昔はどちらかといえば一つのことに結構のめりこむタイプだったはずなのだけど、どこでこんな風に変わってしまったか…。 正直不思議でならなかったのだが、考えていくうちに、一つの答えが出てきた。 実は単純に興味が分散されたから、その分集中力もぶんさんされてしまっただけなんじゃないだろうか…と。 考えてみると、昔は一つのことに集中する分、ほかの事にはあまり興味をもてなかったような気がする。 特にゲームにはまってた頃はそれが顕著だった様な気がする。暇さえあれば一日中ゲームばっかりしてたんじゃ
Aug 14, 2007 認めてもらいたいばっかりに・・・。 カテゴリ:コミュニケーション・生活 相手の価値観を尊重するということ。【オオカミの遠吠え通信さま】 どうも人間というのは「相手の意見を尊重する」と言いながらも、結局は「自分の考えを押しつける」傾向が強い気がします。私、どちらかいえばそんな感じだな。 (価値観を意見などを)否定されるのは自分だけじゃなくて、相手の人も嫌なはずなのに、いざ互いの価値観がずれたりする場面に出会うと、その価値観を認めることがあまりできていないように感じる。 自分が価値観を認めることができるのって、もともと自分のなかである程度認めていたものか、あとから自分で納得したものぐらいで、その他にはかなり不寛容になってしまっている気がする。そして、その範囲は意外と狭いんじゃないだろうか。 さらに、最初に否定されてしまうと、その相手に自分の意見を認めさせようとして、ぶ
Jul 3, 2007 ありのまま、全てを見せるなんてことはできないけれど…。 カテゴリ:心理・思考 「顔」を使い分ける意味。【オオカミの遠吠え通信 さま】 「裏表のない人格」に憧れたことは過去にあったような気もする。 いまもそうなりたいかどうかはともかくとして、ありのまま、自分のすべてを誰かに見せるなんて事は、もはや今の自分にはできなくなってしまったなぁ…と思った。 私の中には、明らかに誰にも見せたくない、自分の中だけにしまっておきたいと思う、恥ずかしい、醜いと思える部分がある。それを知ってしまった以上、「ありのままの自分を知ってほしい」となどという願いはかなわなくなったし、そう思うこともなくなった。 今も誰かに対して「自分のことを理解してほしい」と思うことはあるけど、自分の全てを受け止めろとか受け入れろという意図でそれを思ってはいないとはずだ。そんなもの、私自身だって受け入れられていな
Jun 18, 2007 ぼーっとできない。 カテゴリ:心理・思考 私は、どちらかと言えば周囲の人からは、「ぼーっとしている」と、見られがちだろうと思う。 普段から思考や意識があちらこちらに向かいがちだったり、何もないところでつまづきかけたり、床に小銭をぶちまけたりなどいうような失敗談に事欠かないというところから、そう思われるのだろう。 と書くとタイトルと矛盾するようだが、これはそういうことではなかったりする。 ちょっと付け加えると、意識的に「ぼーっとできない」、自分の意思で、「何も考えず、なにもしない」、ということをすることができないということだったりする(なんか、かえってわかりにくくなった気もしなくもない)。 昔から、考えてもしかたのないこと、一度自分で決めたはずのことを、なんどもさいどほじくり返してまた考えてだしてしまうという癖があるせいか、ふと油断すると、そういったことを考えてしま
Jun 13, 2007 見極めが難しい関係、やりとりとかについて(雑感) カテゴリ:コミュニケーション・生活 愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ0.2 【うどんこ天気 さま】 私は基本的な感覚としては左上なのかな。でも、時々ネタかマジかの判別のしにくい罵倒のやりあいなどからトゲトゲしさのようなものを過剰に感じ取ってしまい、不快感が催されることもよくあるので心情的には右上に近いのかもしれない。 とはいっても、「潔癖」というわけでもないつもりで、基本的に当人同士、コミュニティ同士で容認されている分には、別にかまわないんじゃないかな…と思っている。 それに罵倒とまではいかなくても、ちょっとした軽口の叩きあいや、からかい、いじりなどなら、ネット上ではともかく、オフの場では、時々私もやられたり、やりかえしたりしていたりはするので。 罵倒云々にかぎらず、特定の集団や組織
May 13, 2007 「わかってほしい」も一緒に飲み込んでいる。 カテゴリ:コミュニケーション・生活 諦めたらそこでコミュニケーション終了ですよ 【べにぢょのらぶこーるさま】 自分が意図した通りに相手に気持ちが伝わらなかった場合、 誤解されている部分をちょっと訂正するか、注釈的な説明を付け加えれば済む話なのに、 「あぁダメだ、じゃあもういいや」と、理解されることを早々に諦めてしまうのです。 そういうところは、私にもありそうな気がするな。 必ずしもそうするってわけでもないんだけど、話していて「なんか、これ以上言っても、ダメそうだな」って感じてしまうと、もうアウト。「ん~、まぁ、そんな感じ…」などとお茶を濁してしまう。 何度か特定の人と、そういうやりとりが続けば、その人に対して「言うだけ、無駄な人」というレッテルを貼ってしまう。 人間関係じゃなくても、趣味や嗜好なんかの話題とかでもそう。周
Feb 25, 2007 同じ「好き」に思えても、「温度」が違うこともある (2) カテゴリ:趣味・オタク 音楽の「好き」は人とは共有できない、「興味ない」と言いたい【heartbreaking. さま】 自分にとって興味のないものを薦められるというのは結構あるのだけど、場合によっては困ったシチュエーションになったりする。誰にでもはっきりと「興味がない」と言えればいいのだが、状況や人によってはそれが難しいと思えることもある。 私の場合、それでもとりあえず、興味のないそぶりぐらいは見せるようにはしているつもりなのだけど、はっきりと強い口調で断ったりしていないせいか、「食わず嫌い」とかと勘違いされ、より強く勧められたり、半ば強引に作品を押し付けられたりしたこともある。正直勘弁してほしいとは思う。 ただ、自分が逆のことをしないかというと、あまり自信がない。 自分が変わり者、少数派だって自覚がある
Feb 18, 2007 嫌いなものにこそ、無関心になりたい (2) カテゴリ:心理・思考 「嫌い」と思うことが嫌い【鼻が赤くなりにくいティッシュですさま】 私は嫌いなものとはなるべく接点を持たないようにしている。接する機会そのものが少なければ、気になる時間も不快になる時間も減るだろうと思っているからだ。 考えることもできる限りしたくない。嫌いなもののことについて考えていても、私にとってはろくなことがないように思える。 「嫌い」と感じているとき私の中は、強い不快感でいっぱいになっている。おまけにそのことに神経を向けていると、どんどん嫌な方向に考えが向かっていく…。普段思わないようなこと、思わないようにしている方向に考えが向かっていってしまう。 嫌いなものなら、消えてしまってもかまわない。と自分の気持ちだけで考えてしまったりする。ものによってはむしろ、無くなってしまえばいいとさえ思っているだ
Feb 6, 2007 忘れ去られたくなくて…。 カテゴリ:ネット・サイト 忘れられない程度の存在感を残す【『斬(ざん)』 さま】 ブログを書き始めて、1年半ぐらいになるのだけど、知名度があるようには全く感じられない。 私はどちらかといえば、ブログ論関連の記事に反応することが多いように思うのだけど、その方面でさえ、私のHNやサイト名とかを聞いても、何も思い当たらない人はいっぱいいるんじゃないかと思っている。ニュースサイトや、はてなブックマークのクリッパーの人たちでもそうだろうな。 書き始めたばかりのころ、「一週間も更新しなければ、私のことなんて、みんな忘れてしまうんじゃないだろうか」などと思っていたのだけど、似たような気持ちはまだ残っている。 ちょっとした都合で、一時的に休止をしなければいけなかった時も、実は「あとで帰ってきても、その時にはもう忘れ去られているんじゃないか」という思いがかな
Jan 20, 2007 好きな人に諌言は言いにくい。 カテゴリ:コミュニケーション・生活 好きな人と嫌いな人という分け方で判断する。【こにの壺焼さま】 ああ、そういう傾向はあるかもしれない。 言われ方とか状況、その時の自分の精神状態とかも関係あるのかもしれないけど、よくよく考えてみると、その二人から言われた内容はさほど変わらないような気がするのに、自分が受けたイメージはまるで違っていた…なんてことも実際あるし。 それに、今職場で、私からの感情が「嫌い」と「どちらでもない」の間をふらふらしている人がいるのだけど、その人への感情が「嫌い」の方向に傾く状況を思い返してみると、「胸にささることを言われる」っていうのもあったりするから、やっぱりある程度、判断の際に感情面が先立っているように思える。 では、好きな人に対し、苦言を呈することができるのか、と考えると、私には自信がない。というより、出来な
Jan 6, 2007 「記事」から「人」へと興味が移り変わる カテゴリ:ネット・サイト 文章から人格を読む人・読まない人【suVeneのあれさま】 (情報元:はてなブックマーク - 旅に出ようか(zoniaのブックマーク)さま) 私もどちらかといえば、「何が書いてあるか」の度合いが強いと思う。特に, そのブログに触れ始めたばかりだったりだと、記事の内容だけにしか意識がいかないみたいだ。 最も、常連のように通うブログの中には「誰が」の部分を意識して読みにいく所もある。ある程度一つのブログを読み続けていくうちに、その興味の範囲が記事から人へと移っていくのだろうか。 となると、どこかで「記事」から「人」へと興味が移っていくきっかけみたいなものがあると思うのだけど、そのタイミングがよくわかっていない。 例えば、共感した記事や、何かむっとしたなど、感情的な何かが自分の心に残るような記事に出会ったり
Nov 20, 2006 反応の受付期限はどれぐらいなのだろう カテゴリ:ネット・サイト 読者の反応にブログの楽しさがある【304 Not Modifiedさま】 言われてみると、確かに反応を想定しながら書いていることはある。でも、予想は外れることの方が多いかな。むしろ自分が書いているときには考えていもいなかった反応が来ることが結構あって、向けられた反応に、驚いたり、感心したりしている。 私は、どちらかといえば反応するまでに時間がかかる方だが、かといって、勢いでさっと書けることが無いというわけでもない。 短い時間ですんなりまとまるというのは、かなり気持ちがいいのだけれど、少し時間が経って見直した時に内容を修正したくなることが出てきてしまったりすることも…。 基本的に、一度あげた記事は誤字の訂正以外はしないと決めているので、未練があっても、記事の内容そのものまでは手を加えないようにしている。
Nov 15, 2006 共感してもらえなくてもいい、ただ認めてもらえれば。 カテゴリ:コミュニケーション・生活 自分と違う意見【*LOVE IS DESIGN*さま】(情報元:はてなブックマーク) 私は優柔不断なので、何かを決定するまでの時間が長くなりがちだったりします。誰かの意見に左右されたりすることも多いでしょう。 一度固まれば、そんなにはふらふらはしないと思いますが、頑固なところもあるので今度は柔軟さの方が欠けてしまうかもしれません。 ただ、それでも自分が正しいと思うことはできず、疑ってしまうことも良くあります。私がとかく何かを断定するのを避けるのも、自分自身への迷いやためらいが少なからずあるからだと思います。 集団の中で、周囲と違う意見をはっきり示すことに怖さはあります。でも、人と違うと認識されることが怖いわけではなく、孤立すること、それ以上に、自分の意見を否定されること、間違い
Oct 22, 2006 自意識だけで(勝手に)思い込んでいたようです カテゴリ:趣味・オタク オタクのなりそこない【瀬戸風味@はてなさま】 (情報元:はてなブックマーク - 旅に出ようか(zoniaのブックマーク)さま) 大文字として使われるカテゴライズの前に存在するもの【砂上のバラックさま】 私はオタクと(勝手に)思い込んでいた人といったところだろうか。 私はオタクになるために何らかのブームを必要としなかった。 というより、何かをもってオタクになったというよりは、オタクという言葉を知ったとき、そこから感じられる雰囲気と自分の気質や嗜好などから、「自分もまあ、オタクみたいなもんだろう」と根拠もとくになく認識していた。 最も、私がいつごろ、オタクという言葉を知って、自分がオタクだと思い込み始めたのかが、いまいちよく覚えていないのだが(まあ、仮に高校ぐらいとしておく。下の記事に出てくる『セー
Oct 4, 2006 そういうサイト、記事ほどクリップしたくなります カテゴリ:ネット・サイト ブクマしない隠し玉的サイトを持っているかね【ただウェブに駄文を綴るのみさま】 ネットを見ていて、明らかに質のいい、というか琴線に触れるというか、そういう記事でありながら、なぜかブックマークのuser数がない、あるいは伸び悩んでいる状態を目にすることは結構ある。 それは、たまたま発掘されていなかっただけなのかもしれないし、あるいは、嗜好や感性の面で多くのブックマーカーたちと会わなかったりしている場合もあるのかもしれない。 私はそういう記事を見つけると、何とかしてブログで紹介できないかな。それがダメならせめてクリップだけでも…と思いだす方だったりする。だから、本来であれば明らかにクリップしているんだけど、変に有名になってもらっても困るから、あえてブックマークしないサイトというのはないと思う。 紹介
Oct 5, 2006 クリップされなかったからって、ダメなわけじゃない カテゴリ:ネット・サイト はてブだけが全てではない 【無題さま】 確かにはてブにクリップされる記事の傾向は偏っている。面白いサイト、記事でありながら、クリップされにくい、あるいはされない記事やサイトもいっぱいあると思う。「はてブは一つのニュースサイト」っていう言葉があったように思えるが、まさにそんな感じだろう。 だから、別にuser数が伸びなかったから、あるいは0だったからといって、その記事がダメってわけじゃない。 これは何もはてブだけじゃなくて、ニュースサイトに関しても同じことが言えると思う。ニュースサイトを管理する人たちが紹介する記事やサイトにも、明らかにその人ごとに傾向はあるだろう。 だから、別にニュースサイトに紹介してもらえなかったからといって、その記事がダメってわけじゃない。 はてブで大量のuser数を集め
Sep 8, 2006 これからも、ふらふらとはっきりしない文章を書いていくよ カテゴリ:ネット・サイト ブログの文章は断定的に書くべきだ【奥様、鼻毛が出ておりますことよさま】 断定と衆愚化【奥様、鼻毛が出ておりますことよさま】 曖昧なことばかり言っていて、探さないと断定していることがみつからないぐらいの状況ですので、「確かな何か」を求めてここに来られた方は、肩を落としていかれるのでしょうね。 もしかしたら、そのあまりにもはっきりしない文章に「言いたいことがあるんならはっきり言え!」と、苛立ちすら感させてしまっている方もいるんじゃないかな。 何度か言っているように私がとかく断定を避けるのは、自分の文章がただの「私見」だということだからなんです。まあ、単純に自信がないというのもありますけど。 幸い、ここで書く事の大半は「論」ではなくて「感想」のため、「と思う」が多少多くてもさほど気にならない
Aug 1, 2006 「速さ」へのコンプレックス カテゴリ:心理・思考 「速さ」に対して、私はコンプレックスを抱いていたりする(他にもコンプレックスはいろいろありますが)。物事の処理能力、思考や決断、気持ちの切り替えとか…。いろいろなことに対して、私は素早くそれらをこなすということが出来ないでいる。 文章を書く速度もそうだ。考えがすぐにまとまらない。記事への反応にしてもそうで、一時期は、読んでから反応するまでが、半月ぐらい離れていたりすることもよくあった。 「ネットの速さについていけない」と最初に感じたのはいつのことだったろうか…。流行や話題のネタ、時事などに対して、何も書けずにおわるというのはよくあって、そのことに寂しさを覚えたときもある。 別に遅いからダメなんてことはないはずなのに、(同じことなら特に)速い方がいい。先に言われてしまったら終わりだとか、勝手に思い込んでいる部分があるの
Jul 20, 2006 意識はしつつも、依存はしすぎない。 カテゴリ:ネット・サイト アクセス数の超えられない壁に悩むより、一人の常連を大事にしよう【heartbreakingさま】 カウンターに現れる数字は「足跡」みたいなものだろうから、その中身を紐解いてみても「通りすがり」がほとんど、というのはそうだろうと思う。自分に興味がある人がそんなにいないという自覚はそれなりにしているつもり。 最も、わかっていはいてもついついカウンターに目がいってしまうし、その変動に、一喜一憂している部分もあるので数字の呪縛がとかれたわけではないんだけど。 記事の内容はおろか更新までまちまちなブログだが、通ってくれる常連さんの存在は間違いなく励みになっている。モチベーションが不安定で時々無気力にすらなる私が、なんとか続けてこられているのは、見守っていてくれる人たちの存在によるところが大きい。 ただ、一方で自分
Jun 24, 2006 いつになったらまともに会話できるようになるんだろう カテゴリ:コミュニケーション・生活 コメントは嬉しいのに【eserealさま】 凄く共感しました。私も似たようなことをした経験があります。私の場合は、自分のブログ内ではなくて、他の人のブログでコメントするときだったけど。そのときは、そのブログ内でコメントしているほかの方の文を片っ端から読んで、参考にしつつ、コメントをつけたんだよな、確か。 自分の記事に対して反応をもらえることは嬉しいものです。だから、なんとかして何らかの形で返してあげたいと思っている。でも、なかなか返信の言葉が思い浮かばないんです。最初の頃は嬉しさで浮ついて、ある程度気分を落ち着かせてから、書いたりしたこともありましたね。 ブログ始めてしばらくの間は、「下手なこと書いて、コメントしてくれた方を不快にさせてしまうのもなんだろうから」と思い、うまい返
Jun 11, 2006 自信というのは積み上げていくものらしいのだけど…。 カテゴリ:心理・思考 肯定できるためには肯定されねばならない【世界は称賛に値する さま】 自信というのは小さな成功を積み上げていくことで出来ていく。とかいうのを本か何かで読んだことがある(出展も忘れているのでいろいろ間違っていたりするかもしれないけれど、確かそんな感じだった)。 私は自信のない奴で、根拠の無い自信を持っている人に憧れを持ちつつも、なぜ、根拠も無いのに自信が持てるのかがわからなかったりするのですが、この記事を読んで、そういえば、私はしばしば、自分で自分自身を否定してるときがあるよな。と思った。 別に誰からか「つかえない」とか「ダメ」とか言われたわけでもないのに、周囲の状況とか、社会や世間とか、自分より器用で要領のいい人とかと勝手に比べたりなどして、ただでさえ多くない「肯定」を自分からすり減らしてしま
May 28, 2006 考え出すとほぼ送れなくなってしまいます…。 (2) カテゴリ:ネット・サイト もっとトラックバックを活用しませんか【こころの風景さま】 活用してないなあ。うちはもうトラックバック送らないのが基本になってしまった。一応はてブに記事のURLを貼ってはいるけど、ソーシャルブックマークの認知度は1割強とかいうし、多分書き手の方にはあまり伝わっていないだろうな。 毎回のように記事リンクを貼って、その記事に対する反応を書いているのだから、それこそ送ろうと思えばそのたびに送ることもできる(それはさすがにまずいか)のだけれど、なかなか送ろうという所までいかない。 ブログ始めたばかりの、まだブログの方向性さえ決まっていない状況の時の方が気楽にトラックバックしていたような気がするな。それは多分、「書き手に読ませる」とか、「送られた側がどう思うのか」という意識が薄かったからだろうけど。
Mar 8, 2006 ネットに載せる文章の持つ危険性 カテゴリ:ネット・サイト スポーツニッポンの田原総一朗の記事【ただただ土曜日を待ってるさま】(情報元:樹の節さま)或いは黒板ぽさま ああ、確かに。そういう所はある。私にしても思考をそのまま文章にしているから、気がつくと、本来書くつもりじゃなかったところまで書いていたりすることがあるものなぁ。 それだけにネット上の文章には深層的な部分、本音みたいなのが出てきているのかもしれない。 けど、だからこそ、文章にその時の感情・状態が如実に映し出されてしまうという問題性があるだと思う。 私はできるだけ精神が安定しているときに文章を書くようにはしているつもり。でも、思考を文章という形にすることそのものがその想いを増幅させる効果があるためか、書いているうちに感情的な文章になってしまうこともある。 一応、書き終えてから、一通りチェックはしていますが…。
May 14, 2006 作り上げる「私」、作り上げられる「私」 カテゴリ:ネット・サイト これは、何を見せるのか、どうやって見せるのか。の補足記事です。リンク先の前記事を読んだ上でお読みください。 文章の全てが「自己表現」であるとするなら、ウェブサイト上の文章も、全ては「自己表現」にならないだろうか。 前回はここを軸に、思ったことを書いてみたわけだが、幸いにもそれがニュースサイトに紹介され、記事への反応もいただいた。 今回は、そこからさらに思いをはせてみることにする。 ・最初に何を見せるのか サイトは読むというよりまず眺めるものです。第一印象で読むか読まないかを決めたりするけど、だいたいあってたりする。だからこそアフィリエイトの商品がずらっと並んでかなりスクロールしないと本文にたどり着けないブログは、第一印象がかなり悪い。 何を見せるのか、どうやって見せるのか。【りんごアンテナ日記さま】
May 4, 2006 何を見せるのか、どうやって見せるのか。 カテゴリ:ネット・サイト サイトを運営していくうちに、何度か悩んだことがある。「これは、載せたほうがいいだろうか」と。 記事の質とか、内容とかといったことではなくて、、サイトの方向性として、あるいはコンテンツとしてといったことだ。 ネット上の記事を読んで、そこから浮かんできたことを文章にする。 メインコンテンツとしてそんなことをやっていることもあって、いままで、いろいろな記事を読んできたけれど、最近とくに感銘を受けた記事の一文がある。 もしかしたら我々の書くものはすべて自己紹介であり自己の確認だ。 「私はこういう人間です」というのを様々な角度から書いているにすぎない。 ニュースを羅列することで個人のパーソナリティを表現できるって、かなり魅力的なことだ。【パズルと迷路で最強の塾をつくる!さま】 文章の全てが「自己表現」であるとす
Dec 9, 2005 「最近のブロガーは引っ込み思案なんです…」とか言ってみる。 (2) カテゴリ:ネット・サイト 言いっ放し症候群(CONCORDEさまより) 「言いっぱなし」か。記事の感想等を書いてもはてブに記事のURL貼るだけで、殆どトラックバックしない私もそういう人たちの一人とも言えるだろうな。 ただ、個人的にはコメントやトラックバックによる「交流」に意味を見出していない、全く求めていないというわけでもないと思うのです。ただ臆病というか、積極的に自分から交流をして行こうという気分にはなれないだけなのではないでしょうか。 積極的にトラックバックをすることや、読んだ他のブログにコメントすることがほとんどないブロガー(私もそうですが)でも、コメントやトラックバックという記事への直接的な反応をわずらわししいと思っているわけでも、アクセスが上がろうが下がろうが一向にきにとめないと言うわけで
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