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円安とは
sasajun.hatenadiary.org
新しい大統領が誕生した。 仕事先の人たちも、友人知人も、今日はとてもうれしそうだ。「Finally, I don't have to pretend to be Canadian.(これでもう、カナダ人のふりをしないですむわ)」なんてメールに書いてきた人もいた。 本当に多くの市民が参加したオバマキャンペーン。ボランティアや寄付をした人たちは、自分たちが変化をうながす力となり、歴史の一部になれたことを実感していることだろう。 オバマがどんな大統領になり、どのように公約を実行し、どれだけのことを成し遂げるか。そんなことの予想はともかく、重要な第一歩として、市民が自分たちで信じ、行動して新しい大統領を迎えたことに、おめでとうと言いたい。 お祝いに、オバマに人々がどんな期待をしているのか、どんな風に人気があるのかがかいま見られるビデオや音楽、ブログを、いくつか。 moveon.orgが春に実施した
UCバークレーで行われた村上春樹さんのイベント、『Haruki Murakami in Conversation』に行ってきた。(写真は翌日、SF市内でのbook signing) チケットは完売したそうで、2千人くらい入るZellerbach Hallは満員御礼。観客は10代〜60代まで世代はさまざま、アジア系も多いが白人が中心だった。もちろん日本語があちこちから聞こえてくる。 ムラカミさんは演壇に登場すると、まず小説家になったいきさつを。「29歳で初めて小説を書いて、それが賞をもらって、出版されて、そして売れた。悪くないよね」と、カジュアルでユーモアに満ちた話しぶりに、会場は「えっ?ハルキ・ムラカミってこんな人なの?」と面食らいつつ、すっとひきこまれる。 それから「何年も前に書いたものだけど、2、3週間前に読んでみて、’何も変わってないじゃない’と思ったので」と前置きして、『とんがり焼
2、3日前にアップロードされてから、ベイエリアでやたらウケてるビデオがメールでまわってきて、私も大笑いした。 The Richter Scalesという男性コーラスグループがつくったもの。 英語歌詞つき。
Rolling Stone Magazineは、1967年、サンフランシスコで誕生した。ヤン・ウェナーが音楽ライターのラルフ・グリーソンを誘って、「音楽のことだけでなく、音楽が表現するものやあり方について書こう」と始めたもので、第一号の表紙は映画『How I Won the War(ジョン・レノンの僕の戦争)』中の、ジョン・レノンのスチール写真だった。 ベトナム戦争、公民権、女性の権利等などの社会問題に対し、声をあげはじめた若者の雑誌だった。創刊号から大評判になり、他の都市から注文が来た。スクープで物議を醸し、斬新な視点の記事で賞をとり、後年重要な仕事をすることになる多数のジャーナリストが巣立っていった。ヤン・ウェナーは若い才能を発掘する天才だ。 例えば日本でも有名なジョン・レノンとヨーコ・オノのポートレートなどを撮った、写真家のアニー・リーボヴィッツ。アジア系としておそらく初めてジャーナ
アジアやアフリカに図書館、学校を建て、子どもたちに奨学金を授与する教育NGO、Room to ReadのCEO、ジョン・ウッド氏をインタビューしてきた。 ジョン・ウッド氏はマイクロソフト社のアジア地域担当のエグゼキティブだった時に、バケーションでネパールに行った。ひょんなことから現地の学校を訪ねたところ、子どもたちの読める本がイジョーに少ないことに驚き、「本を持って帰ってくる」と約束してしまった。ジョンさんは自身が、子どものころから本の虫だったのだ。 最初は図書の寄贈で始まった活動が、どんどん本格的になっていった。しまいには開発途上国の子どもの教育をライフワークにするために、マイクロソフトも辞めてしまった。そうして作ったNGOが、今や驚くべき成果をあげている。2000年の設立からすでに3200の図書館を建て、120万人の子どもの教育状況を改善したというからスゴイ。まるでIT企業の成長グラフ
フィンランド人の兄弟と、数週間だけだけど一緒に住んでいる。2人はたいてい英語で話している。フィンランドにいる時も、フィンランド語がわからない人がひとりでもいたら、英語で話すんだそうだ。映画、音楽、食べ物、カルチャー、テクノロジー、政治、経済、歴史、バカ話…。どんな話題も、流暢な英語で冗談をまじえながらいろいろ教えてくれる。日本に遊びに来て10日ほどだが、すでに英語のミステリー小説を3冊読んでしまったといって、本を買いに行った。 「あなた達ほど英語がうまい人って、フィンランドではどくれくらいいるの?」と聞いたら、「別に珍しくないよ」との返事。 フィンランドでは、7歳だか9歳だかから外国語の授業が始まるそうだ。数カ国語から好きな言語を2つ選択するのだが、98%の子どもが英語を選ぶとのこと。かといって、大人になってから必ずしも仕事などで英語が必要なわけではない。でも、英語は当たり前に使うものとし
念願かなって、来日中のウィキペディアのファウンダー、ジミー・ウェールズさんにインタビューしてきた。 eBayのファウンダー、ジェフ・スコールと並ぶ私のヒーローに直接お話が聞けて、感激。 いくつか、とても印象に残った言葉を。 ◆仕事を通して学んだ一番大事なことは、基本的には人を信頼するということ。 ◆世の中には色んな趣味があるが、ウィキペディアの登場によって、人は「物を書く、しかも誰かと一緒に」という新しい楽しみを手に入れた。 ◆グーグルは「Don't be evil.」をマントラにしているが、それは企業として当然のあり方。重要なのは、その上で何をめざすか。 ジンボさんは、母と祖母がフリースクールをやっていたそうで、年齢の違う他の子どもたちと一緒に勉強して育ったとのこと。そのバックグラウンドが、ウィキメディア財団の活動につながっていることは疑いない。「未来は教育にかかっている」と考えて、世界
日本の雑誌などで最近「結婚しない男」「結婚できない男」の特集を見かける。私の男友達の大半は、20代から「ずっと結婚している人」たちか、結婚はしてもいいけどしなくてもいいかな〜という「ずっと独身の人」たちだ。だけどアメリカに行くようになってから、男女とも離婚経験のある知り合いが急増した。アメリカでは何才になっても恋愛ができる、というのは、離婚した人たちがシングル市場にカムバックして、恋愛にチャレンジし続けるからだろう。 そんなわけで、アメリカには「何度も結婚する男」が、日本の何倍もいる(女性もそうだが)。若いうちに最初の結婚をして、ラッキーが続けばそのままハッピーに結婚していられるのだが、20〜30代にかけて、やれ大学院だ、就職だ、転職だ、子育てだ、と変化を経るうちに、夫婦が違う方向に成長してしまうというのはよくあること。心が離れると体もよそを向くので、どっちかが浮気をするか、セックスレスに
『ほんとうの英語がわかる』シリーズや小説『ライス』の作家、ロジャー・パルバースさんと、ロジャーさんの英語を素敵な日本語にする翻訳家の上杉隼人さんが、ブログをはじめた。とてもわかりやすい。 http://getupenglish.blog.ocn.ne.jp/getupenglish/ ロジャーさんの著書はどれも面白いけれど、『日本ひとめぼれ』『文通英語術』は特に好き。そして、『英語で読む桜の森の満開の下』『英語で読む宮沢賢治詩集』の英訳は、ほんとうに素晴らしい。 詳細は、Amazonの著作リストへ。
2年間、ブログを書かなかった。 いろいろなことがあった。 喪失があり、発見があった。 振り返り、人というのは きっと死ぬまで成長をやめないんだな と感じている。 一番よかったのは 英語がうんとラクになったこと。 翻訳も、ものすごく早くなった。 初対面の人と話すのも 取材に出かけるのも もう昔のように億劫ではない。 米国の状況は大きく変わった。 その変化の中で、 アメリカについて 見えなかったことが見えた。 いいことも、悪いことも。 このブログを書き始めたころは、 サンフランシスコが大好きだった。 今は当初の恋がさめて、 好きだったところが反転し 鼻につくようにもなっている。 この間「I hate San Francisco」でググったら かなりの数がヒットして たまにこんな気持になるのは 自分だけじゃないんだなと思った。 来年夏から秋をめどに 引越を考えている。 ベイエリアが恋しくなったら
ラップトップで真剣に仕事してると、こう聞かれる。"Are you geeking out?" geek outというのは、「一時期的にギーク的な行動をとる(コンピュータに向かって集中的に作業する)」ことを言うんだそうで、non-geekの人にも使える動詞だ。ついでに、orgasmをもじったgeekasmという言葉もあり、こちらは「書いたプログラムが想像通りに美しく動いた時に覚える快感」のことだそう。 知らなかったのだが、geekというのは、大昔はカーニバルでニワトリの 頭やヘビを生きたままむさぼるパフォーマーのことを言ったらしい(こわ〜っ!)。それがカーニバルがなくなって”非社交的な変人”のことをさすようになり、後に”コンピュータのバグを食べて生きる人”という意味になったとか。 geekという言葉は、1980年代ごろまでは「ダサくてモテない変わり者」みたなネガティブな含みがあったようだ。そ
グローバライゼーションの波は、翻訳業界にも押し寄せている。欧米の大企業では、ウェブサイトの制作を一括してやっているところが多い。つまり、例えばイギリスの制作会社がA社のウェブサイト制作を引き受け、英語のオリジナルをもとに各国語バージョンをおっかけ作っていく、というパターンである。私もイギリスのウェブ制作・翻訳会社を通じてある企業のレギュラー翻訳者となっているが、制作会社のコーディネーターは日本語はできない。なので訳文のチェックは、クライアントの東京とNY支社が行っているようだ。ウェブサイト担当部署のみならず、法務部のチェックも入り、サイトの翻訳が進むにつれ用語集ができあがり、翻訳者にもフィードバックされていく、というシステムだ。 というわけで、当然、最初のトライアル/翻訳者選別もクライアントが行う。この企業の場合、日本語のトライアルを受けたのは私が8人目で、それでOKが出たという。「でも」
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