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大谷翔平
satoe1981.hatenablog.com
blog.hatenablog.com 先週の半ばに、本のPDFがメールで送られてきた。 しっかりかみしめて読みたかったので休日まで寝かせて、いざ。 わたしの書いたのはどのへんに載ってるのかな、さすがに後ろらへんかな。あっそうか、日記だから日付順なのね。 あったあった、見覚えのあるタイトル。たぶんこれ。これなんだけど、 「そっちなんか〜い!」 satoe1981.hatenablog.com 読み返したら、ほんとにただの日記だった。なんてことない休日の話が書いてあった。それがよかったのか。 「そっち」っていうのは、文学フリマに応募したほうの記事と記憶がごっちゃになっていたからです。 satoe1981.hatenablog.com よく書けたほう。こっちは選考から漏れた。ちょっと堅苦しすぎたかな。 自己評価と人から見た自分像っていうのは、ぜんぜん違うものですね。 わたしは人からどう見られて
最寄りのコメダ珈琲店が閉店してからというもの、休日の朝が落ち着かない。 毎週行くわけじゃないんだけど、思いたったら気軽に行けて、ほっとくつろげる場所がなくなってしまったのは淋しい。 近頃はのんびりモーニング開拓中。 今朝はちょっと足を延ばしてドトールへ行ってみた。 商店街の中にあるこぢんまりとした店内、なんとなくせわしい雰囲気だなあと感じながら、あつあつハムチーズをほおばる。 トーストにはさんだらなんでも特別になって美味しくなる気がする。 豆乳ラテもやさしくて美味しい。 悪くはないんだけど、ちょっとだけ遠いんだなあ。 きのうはミスタードーナツへ。 さつまいもド、すっかり秋の定番になった感。 お芋さん大好き。ドーナツ大好き。 だけどミスドではゆっくりくつろげない気がする。これは前々からそう。 テイクアウトのお客さんのほうがだんぜん多くて回転が早いからか。 混みあってくると、コーヒーのおかわり
なんだか、みんな、怒ってるのである。 職場でも、家でも、なにかしら不機嫌な人がそばにいる。 ああそれで疲れてるんだなわたし、と、ひとりモーニングコーヒーを飲みながらぼんやりと思った。 カフェや喫茶店が好きなのは、周りがみんな知らない人だからだ。 ここなら誰もみんなわたしに八つ当たりしないし、わたしも誰かの顔色をうかがわなくてもいい。 「誰かと一緒」がしんどくなっていた。 自分はなんにも怒ってないのに、気がついたら、いつでもどこでも謎の怒りに巻き込まれてる。 なめられてるのかもしれない。 甘えられてるといえば聞こえがいいかな? 自分の不機嫌を撒き散らす人と一緒にいるのはしんどい。 仕事の進捗が思うようでないからといって、そこで怒って何の役に立つというのだろう。 そうされて他人がどう感じるとか、自分の言動がどんなふうに受けとられるかを、考えないんだろうか。 少なくともわたしは嫌だよ。 いつも不
今夏のお盆休みはおうち時間で疲れた心と体をのリフレッシュに充てることにした。 で、「五日間なに食べる?」ってなったとき、もうカレーしかないと思った。そうだカレーだ。カレーづくしの夏休みにしよう。 さっそくカルディで買いだめしてきた。 めちゃくちゃ種類あるんですね、カルディだけでも。 「せや!もへじのレトルトカレー全種類買ったろ!」くらいの勢いで乗り込んだんだけど、ありすぎて超厳選になってしまった。 というわけで毎晩なんらかのカレーを食べる生活のはじまりはじまり〜。 【初日のお昼】 エリックサウス監修ビリヤニ(セブンイレブン) x.com本格的すぎて、まさにお店の味。 まろやかなバターチキンカレーと、スパイシーなチキンカレーふたつの味が楽しめる。 バスマティライスのパラパラ食感はカレーと抜群に合う。クセになる。 おいしすぎて恥ずかしながらガツガツかきこんでしまった。 コンビニでこのクオリティ
かつて、ブログがものすごく大流行したことがあります。 私が社会人なりたてくらいだったかな… 老いも若きもみなブログ、時は大ブログ時代でした。 周りはみんなやってたんじゃないかな。 物書きでない素人が、好きなことを好きに書く。 何を食べたとか、旅行をしましたとか、ペットのこととか、友だちや家族とのやりとりとか、自分の仕事や人間関係の話とか。 携帯で撮った画像いっぱい貼った写メブログとか、なにげない、とるにたらないこと、みんなが自由に発信してました。 ブログって、そういうものでした。 いつから変わったんだろう? テーマに沿ってて、起承転結があって、高尚で、前向きで、ちゃんとした文章で書かれていて、読み物として成立していて。 いつからか、ブログはそういうものでなければならない風潮になってきたように思えます。 SNSで評価が可視化されるようになってからかな? いいねがもらえて拡散されて、他人に認め
暮れも押し迫る大障害コースから新星が誕生した。 中団でじっくりと脚をため、最後の生垣を飛越したところで先頭に立ってそのまま力強く押し切り。 シングンマイケルと金子光希騎手、気迫のロングスパートだった。 前王者のアップトゥデイトも現王者のオジュウチョウサンも、昨年の覇者ニホンピロバロンもいない。 王者不在となった年の瀬のグランプリレースはまさに群雄割拠の様相を呈していた。 出走馬ボールペンもない。大障害コースをまわるツアーもない。 しかし、夢はある。 どの馬が勝っても悲願達成。 そんな時にこそドラマは生まれる。 男泣きの寮長。みんなに祝福される寮長。 この勝利はジョッキーの悲願でもあったのだ。 初制覇というのは、いつ見てもいい。 平成最後のグランドジャンプも、令和最初の大障害も、私は中山競馬場へは行けなかった。行かなかった。 きのうは自宅でツイッターのタイムラインを追いながら祭典を迎えた。
おひとりさま女子とはよくいったものだけれど。 ただの女ひとりに“お”も、“さま”もない。“子”でもない。 ひとりは淋しいのでも、ダサいのでも、暗いのでもない。 流行に乗っているのでも、気取っているのでもない。 私はどこへ行くにも基本的にひとりだ。 誰かと一緒の楽しさも知っているけれど、本当に好きなこととはじっくり向き合いたいから。 人生につまずいて生きる力をうしなっていたとき、競馬と出会った。 世界の美しさを思い出させてくれた競馬にどんどん魅せられていった。 自分で自分を抑圧し、自分を赦せなかった私は、生きる喜びと自由を競馬の中で見つけたのだ。 それをこころよく思わないひともいた。 十年来の親友には「女がギャンブルなんて」と顔をしかめられた。 つきあいはじめた男性には「僕と競馬どっちが大事なの」と問いつめられた。 みんながみんなそういう人間ばかりじゃないよと頭では理解できたものの、心から信
新旧王者が揃って青い枠におさまった。 この瞬間、伝説は約束された。 前々で対象をぴったりとマークし、自ら仕掛けて獲物をしとめるオジュウチョウサン。 悠々と先行してスタミナで押し切るアップトゥデイト。 隣り合った彼らがすんなりとゲートを出たらどうなるかは火を見るより明らかだ。 アップトゥデイト陣営は、勝ちにいく競馬をすると高らかに逃げ宣言をした。 ハイペースを望むならば自分たちが作ればいい。 はじめから影も踏ませぬところまで突き放せばいい。 一か八か、大敗覚悟の、一世一代の大勝負。 宣言通りに彼らは大障害コースを単騎で駆けた。 このうえなく勇敢ですさまじい、見惚れるほどに美しい逃亡劇だった。 迎え撃つオジュウチョウサンは、ゴール板を解っているのだという。 いわゆる名馬と呼ばれるような優れた馬は、己が何者で、自分が何を成すべきかを理解している。 しかし、はかったようにゴール前で差し切られたとは
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