前回、5月10日に投稿した記事は、1977年11月に毎日新聞社から出版された、『世界史の中の 1億人の昭和史 ①』にある「朴烈・文子事件」を取り上げた。 その本に載っている写真がこれ(右)で、キャプションには「……鈴木文治の選挙応援の際 大阪で」とある(画像はクリックすれば拡大)。 そしてこの記述を受けて、かの文子ならばさもありなん、となにげなく書いた。 この、文子の肖像とされる写真は、「梨の木舎」発行・鈴木裕子編の単行本(旧版)カバーにも使われていて、比較的よく目にするもの。金子文子の顔写真は、数は少ないが公になっているものがいくつかある。ネット上でも、名前で検索すればあちこちでヒットする。手許にある黒色戦線社発行の『獄窓に想ふ 金子ふみ子全歌集』(復刻版)にも、不鮮明ではあるが何種類か掲載されている。 右写真の左ページにある、朴烈とのツーショット写真が、いわゆる「怪写真」。右ページ下の