短歌という詩型は、発展よりも存続を上位に置くべき価値観が支配的である。本コラムを書き始めるにあたって、僕はまず、そのことを確認しておきたい。 この価値観の上下構造は、歌人個々の資質がどうであろうと、関係がない。短歌を選ぶことは、避けようがなく短歌の存続を選ぶことを意味する。短歌の発展を望む歌人が、しばしば苦しむのはこのためだ。 発展を望むことは、表現の自由を担保するだろうか。そうかもしれない。しかし発展の舵をとる人間の手に、権力が集中する危険がある。短歌はその存続を優先させるかぎり、ある特定の歌人に強大な権力を委ねることはない。ないと願う。 言い方を変えれば、絶対的な権力者を持つことなく、発展とは別の原理で短歌は変わり続け、現在まで生き延びてきたのだ。 こんな噂話がある。 花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった 吉川宏志 一九九五年に発表された歌集『青蟬』の代表歌のひ