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大谷翔平
tomomiishida.hatenablog.com
こんにちは。石田智巳です。 今日は,これまでに読んできた『エスノメソドロジーの現実』(世界思想社,1992)の中から,山田富秋さんの「精神医療批判のエスノメソドロジー」を読みます。 これが日本に登場するのには,15年ばかり早かったのではないかと思ったりします。 この論文の影響がどうだったのかはわからないのですが,とても勉強になりました。 今日一日では語り尽くせないかもしれません。 では,どうぞ。 この話は,山田富秋さんという人が,イタリアのバザーリアという人の精神病院での実践(と編者による解説など)を読んで,この実践の持つ意味を解釈して,サックスというエスノメソドロジーの研究者の方法や,フーコーの知見を援用して,自分なりにいいたいことを言っている話だ。 つまり,この話は山田さんの実践や研究ではない。 だから,良くないというのではなく,バザーリアの実践を中心に山田さんが書いたことを,僕を介在
こんにちは。石田智巳です。 今日はエスノメソドロジーについて考えてみたいと思います。 これは,言語ゲームを考えているときに,そういえば似ているなあと思ったからです。 専門家ではないので,自分の頭の中の整理という感じで書いてみたいと思います。 では,どうぞ。 以前,言語ゲームについて書いたのは,ソシュールのラングとパロールのアイディアと,ヴィトゲンシュタインの言語ゲームのルールと実践の関係が似ているなあと思ったからだ。 そのときに,エスノメソドロジーというのは,具体的な言語ゲームの記述とそこに内在するというのか,生まれるというのか,そういったルールを見つけ出す営みだったような気がしていた。 記述される(物質化される)という点では,ナラティヴ・プラクティスに近いと思うし,ライフ・ストーリーにも近く,さらにいえば,実践記録にも近いのではないかと思ったのだ。 実は,『エスノメソドロジーの現実』(世
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