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某所で丸山眞男について報告したのだが、その際に使用したレジュメを、寝かせておいても仕方ないし、そもそも常識的なことしか書いてないので公開してしまおうと思う。レポートの題材にお困りな方はどうぞご自由にお使いください、という感じで。 その前に少しだけイントロを書いておこう。 『日本政治思想史研究』の頃の丸山真男に見られる方法論上の特徴は、単線的発展史観に基づく日本社会に対する「近代の未成熟批判」にある、と僕は思う。それはあくまでも「未成熟」なのであって、将来において近代化を遂げる可能性は既に内包されている、ということになる。ここにマルクス主義、というか講座派史観の影響があるのは確実だろう。つまり全ての国が一様に、(先進・後進の区別はあっても)同じ過程をたどって近代化を遂げるという考え方だ。それによって、過去の日本において存在していた、そして現在においても社会の中に隠されている「可能性としての近
スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」を再読。なるほど、面白い本だと思う。安丸良夫の民衆史と合わせて読みたい。知識人であるがゆえの孤独を引き受けなければならない、サバルタンの代わりに語ろうなどと思ってはいけない、ということは安丸自身も(主にあとがきで)繰り返し述べているのだけど、それを踏まえてもなお、サバルタンを語ることには本質的な困難がつきまとう。スピヴァクによってその困難が明確化された、と思う。 たとえば、中東あたりには「パトロニミック」という習慣がある。個人の名前を「固有名+父親の名前+祖父の名前+曽祖父の名前……」という風につける習慣のこと。これは「それ自身の存在への真の合致」というものがいかに人為的で社会的なものであるかを端的に表している。 では、サバルタンが声を持つようになること、つまりサバルタンでなくなるためにはどうすればいいのか。それには、人々をサバルタンたらしめて
世の学生の例に漏れず期末試験対策でちょっと忙しいのだが、そうすると、まったく緊急性の無いことを調べたくなるのが人情というものである。そこで今回は、明治四十五年に雑誌『太陽』に掲載された美濃部達吉「上杉博士の「国体に関する異説」を読む」を通して、天皇機関説問題について考えてみよう(意味の無い前置き)。 前号の本誌に掲載された上杉博士の論文「国体に関する異説」に対して、爰(ここ)に一言の弁解を為すの已むを得ざるに至ったのは、余の甚だ苦痛とする所である。(中略)即ち博士は余を以て、天皇国を統治するの大義を否認し、万世不変の我が国体を無視するものとせられて居るのである。 引用者(tukinoha)は上杉慎吉の「国体に関する異説」にも目を通したが、ここでは「機関」という用語について、機関とは全体に奉仕する家来であり使用人なのだから、それを天皇に当てはめるのは不敬である、という非難がなされている。 し
近代の世界史をきわめて巨視的に捉えるならば、西ヨーロッパ発の産業革命・市民革命が世界的な広がりを見せ、全世界が資本主義・国民国家という均一のシステムに覆われる過程である、ということが出来るだろう。もちろん事実上存在する国々は、それぞれの歴史的、地政学的要因によって拘束され、資本主義と国民国家の理念に独自の解釈を加えることで、実質的に変質させていたことも事実である。しかしながら、そうした固有の環境に規定されながらも、世界経済の進展によって、国際貿易を円滑に進める上での「主権国家」の必要性が認められ、主権国家相互の関係を律する国際秩序の形成が生み出された。主権国家間の平等・内政不干渉を原則とするこの国際法体制は1648年のウェストファリア条約に端を発するものであるが、ヨーロッパ諸国の海外進出にともない世界的な広がりを見せるようになった。 しかし、それがあくまでも経済上の必要によって生まれたもの
ゼミの後輩が竹内好についての発表を行ったのを聞いて、個人的にも竹内の書いた文章を読み直してみた。中国へ兵隊として向かう直前に書かれた『魯迅』にはこうある。 魯迅の根本思想は人は生きねばならぬといふことである。それを李長之は直ちに進化論的思想と同一視しているが、私は、魯迅の生物学的自然主義哲学の底に、更に素朴な荒々しい本能的なものを考へる。人は生きねばならぬ。魯迅は、それを概念として考へたのではない。文学者として、殉教者的に生きたのである。その生きる家庭のある時期において、生きねばならぬことのゆえに、人は死なねばならぬと彼は考へたと私は想像するのである。 この、遺書というべき文章の中で、竹内は何を言おうとしたのか。「人は生きねばならぬ」。それはある意味、戦争への抵抗であったと言えるだろう。昭和九年に中国文学研究会を立ち上げるが、彼も、同人の多くもその中国へと出征していった。竹内が大東亜文学者
近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ) 作者: 片山杜秀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/09/11メディア: 単行本購入: 10人 クリック: 210回この商品を含むブログ (43件) を見る日露戦争後から第二次大戦までの右翼思想を包括的に扱おうと試みた、意欲的な一冊。あまりに包括的すぎるため、頁が進むにつれて無理が目立つようになるが、無思想・大衆迎合的と見做される傾向の強い蓑田胸喜や三井甲之といった「原理日本社」の連中をきちんと思想史の中に位置づけたことは大いに評価されるべきだろう。もっとも、蓑田が無思想だと思われてきたのは、滝川事件において滝川教授を私怨によって批判したと思われる節があるためで、同情には値しないだろうが…… 内容を要約すると以下のようになる。著者の言う右翼とは、すなわち「失われた過去に立脚して現在に異議を申し立てる」ものであり、日露戦争後の社会不安の増大
澁澤龍彦を通してジョルジュ・バタイユを知った私にとって、バタイユという思想家はエロ・グロ・ナンセンスな作品に触れるときに思い出す程度の神秘主義者でしかなかった。 しかし最近、冷戦下におけるバタイユの思想展開を調べているうちに、どうもそうではないらしい、ということがわかってきた。彼の思想における大きなテーマ、例えば「聖なるもの」「非―知」といったモチーフは、芸術だけでなく政治や経済など西洋の社会現象一般について考える上で極めて重要な示唆を与えてくれる。今回は、特に「戦争」というテーマを通して、バタイユの思想に少しだけ触れてみよう。 バタイユの基本的な考えはこうだ。 近代の西洋社会は「生産と蓄積」を至高の価値として位置づけ、消費はその準備にすぎないものとして重要視されていなかった。しかし本当は、「生産と蓄積」の対極に存在するようなもの、つまり、非生産的で、一瞬で消えてしまうようなものこそが重要
1980年代のドイツで起こった「歴史家論争」の渦中、感傷的な筆致によって第二次大戦中のドイツ軍との心情的同一化、ひいては彼らの行った歴史的事実の正当化を試みたアンドレス・ヒルグルーバーに対し、ユルゲン・ハーバーマスは以下のような批判を加えた。 「人は、当惑して次のような疑問を抱くであろう。ヒルグルーバーは、何ゆえに1986年の歴史家に、40年の歳月を経た時点から振り返ることを試みさせないのか、すなわち、どのみち自らをそこから引き離すことはできない自分自身のパースペクティブを引き受けさせないのか、と。さらに言えば、現在から振り返るパースペクティブには、直接その場、その時に居合わせた当事者たちとの選択的な認識を関係づけ、互いに比較考量し、あとから生まれた者の知識でもって補足することができるという解釈学的な利点がある。しかしながら、ヒルグルーバーは、このようなほとんど「正常な」と言いたくなるよう
大正期の政党と国民―原敬内閣下の政治過程 (1973年) (塙選書) 作者: 金原左門出版社/メーカー: 塙書房発売日: 1973メディア: ? クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る大正期の政党、とあるが、本書が取り扱っているのは原内閣に限られる。平民宰相と呼ばれながらも財界の立場から政策を立案し、また、道路や鉄道の敷設を通して地方の支持を取り付けるという、現代の自民党にも通じる手法によって政友会を発展させたことは良く知られているところだ。個人的には田中角栄を連想するのだが、彼との違いといえば、原が政治家としては稀な、公私の区別が出来る人物だという点だろう。 さて、原が首相を務めた大正7〜10年の間の日本社会は極めて多難な時期であった。7年に起きた米騒動によって寺内内閣が倒れ、その結果として原に順番が回ってきたわけだが、そのことは民衆運動によって政権が移りうることを証明し
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