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掃除・片付け
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アジュガ 京都から 引っ越しの時に持って来た薔薇は あんなに蕾をつけていたのに こちらでは 貧相な風采になってしまい ヒョロヒョロとやっと立っている。 勿論 最近は蕾をつけた事はない。 なんとか 手入れをしないと と思いつつ 10数年が過ぎた。 ブルーベリーも同じだ。 息も絶え絶えに 成長もせずに頑張っている。 増え過ぎて困ると言われている木苺類。 うちでは育たなかった。 かと思えば 植えた栃の実から芽が出て あっという間に 今は2メートルを超える木になった。 細い木だが 一人前の大きな葉っぱを 空に向かって広げている。 ジギタリスも 自生の百合も 毎年 少しずつ増えている。 肥料もやらない。 でも 育つものは育つ。 同じように陽の光を浴びているのに。 問題は土との相性かもしれないと 最近思うようになった。 狭い地面に 色々な草木が植っている。 放っておいても元気なもの 心配しながら 目を
藤の花 雨が降ったり止んだり 南風が吹いたり止んだり そんな日が昨日から続き なんとなく心が騒がしい。 でも そんな事には関係なく 緑は色を変え 木々に咲く花々は 移り変わる。 桜 山桜 梅 木蓮は遠に終わり 今は 薮椿の落ちた花が美しく あちらこちらに淡い薄紫の藤の花が咲き 濃い黄色の山吹の花は 今年は少ない。 「小屋」の前の崖に ガマズミの小さな花が満開で 紫色の花のアジュガが ドアの前に群れている。 ウマノアシガタの黄色の花は 細い茎の上で 風に揺れる。 何種類もの鳥の声が 山の中から聞こえるが 私が分かるのは ツツドリだけだ。 と、良い事ばかりを並べてみた。 自然の天候の厳しさは 想像していただこう。 台風の時は 雨雲レーダーを見て 避難するかどうかを決めている。 絵本「葉っぱのフレディー」は 林の木々達の葉っぱの一生を語っている。 それを読んだ後では 強風で裏返る葉っぱ 枝がしな
4日土曜日 京都シネマまで 映画を観に行った。 山から下り 京都まで映画館に行くのは 京都に住んでいた頃のように 買い物のついでに というわけにはいかない。 だから 一年に2〜3回ほどの映画鑑賞となる。 「悪は存在しない」 監督は濱口竜介。 なんの前知識もなく ミニシアターの 通路側後部シートに座る。 『長野県水挽町。代々そこで暮らす男と小学生の娘。 その暮らしは 水を汲み、薪を割るといった 自然に囲まれた慎ましいもの。 ある日 近くにグランピング場を作る 計画が持ち上がる。 それは環境や水源を汚しかねない ずさんな計画で・・・』 と チラシに書かれている。 筋書きだけだと 開発業者と地元民の対立だが 重奏音の音楽 自然の怖さを感じさせる映像 笑わない地元民達の表情が 何かあると観ている者に思わせる。 映画館から出て歩いている時や 電車の中 私は難解なラストの意味を考えた。 今でも ふと考
八重咲き水仙 道端のあちらこちらに 群れて咲いている 黄色の八重咲水仙を 7、8本手折り 持ち帰り 白い花器に投げ入れた。 その花達もやがて萎れ 「小屋」の中の高い場所に 紐で結えて吊るした。 やがてそれは しっかりと乾き 薄い花びらを触ると パリパリと音がしそうな程だ。 外の杉の木の上に 並べる。 150年は生きたであろう杉に 数日の命だった 黄色い花達。 そよとも風の吹かない 雲一つない青い空の下 若い芽吹きの木々に囲まれ 遠くから聞こえる ツツドリの鳴き声を聞きながら 質素な美しさの 杉の年輪と黄色い枯れた花を眺め 私は満足である。
蕗のとうの綿毛 蕗のとうが 小さな花を咲かした後 茎がどんどん伸び 60センチほどになった。 そして 今は綿毛が飛び立つ準備をしている。 白い綿毛の芯は赤く 顔を近付けて見ると 今まで気がつかなかった可愛さを見つけた。 蕗の薹 ボロギク ススキの綿毛が順番に 風の流れに乗って飛んで行くのも もうすぐだ。 今でも 朝晩にはストーブに薪をくべている。 今日は小雨の1日で寒く 冬の服に戻った。 安定しない今年の春だ。
29日夕方から 雨が降り出した。 明日まで続くと天気予報で言っていた。 冬の木々の枝から やっと淡い緑の葉が萌出て 私の目と心を喜ばせているのに 明日から一気に 山の色が濃い緑へと移っていくだろう。 「小屋」の周りに植えた木や 自生の木も 日々 姿を変えている。 何をそんなに時を急ぐのか? 淡い緑と言えば 私は春キャベツのサラダを 飽きずに食べる。 綺麗な薄緑の春キャベツを千切りにし 塩 少しの砂糖 粗挽き胡椒 酢 オリーブオイルを振りかけ ボールの中で さっくりを和える。 簡単なサラダだが とても美味しい。 昼ご飯にチキン胸肉のカツを揚げた。 春キャベツのサラダ 湯がいたブロッコリーと人参のナムル じゃがいもと人参のマッシュ。 ミート皿に全部山盛りだ。
27日 午後 買い物の帰り 私が住む山間の村にも そして うちから車で30分の 図書館や道の駅がある所も 田んぼに水が入った。 水面に 山並みや 白い壁の小屋や 空が映っている。 雲も やがてやってくる 飛ぶ燕も映る事だろう。 車で走っていると ハッとする景色が目に入ってくる。 助手席に座っている時は 車が走っているままで 窓から その景色にスマホをかざす。 私が運転している時は 車を止めて 外に出て撮る。 今日の写真は どちらだろう?
雪が降る日 強風の日 雨が強く降る日以外は スマホをズボンのポケットに入れ 散歩に出る。 3000歩から5000歩の間を歩くが どうしてもそうでなければ とは思わない。 時間にして 1時間まで。 これ以上は歩かない。 歩き始めると その日の微妙な体調の良し悪しを感じる。 最近気がついた事だ。 例えば ちょっと足がだるいとか そんな些細な事だが。 今日は 青空に小さな雲がぽっかり浮かんでいた。 私の好きな雲の一つ。 写真を撮らねば。 坂道を歩く。 棚田から 名前の知らない黒い鳥が4羽 大袈裟な声を上げて 飛び立つ。 幾種類もの鳥の鳴き声が 飛び交う。 杉の人工林の周り 田の脇を流れる山の水音 下の道を走る車の音。 どれもが 広い空間に吸い取られていく。 毎日同じ道を歩く。 自然は いつも大きな 又は小さな変化を見せる。 今日は 土の下から カエルが ゲロゲロゲロゲロと 低く重く鳴く声が 響く
郵便局の川向かい 郵便局に荷物を出しに行った。 午後3時過ぎの便に間に合うように。 車のフロントガラスが 霧雨に濡れる。 季節の中で 今が一番美しいのではないか 広葉樹の若葉の芽吹きが嬉しい。 山間のくねくね道の県道と国道を15分。 局長さんと二人の局員さんの郵便局。 送料の計算をしてもらう間 窓口近くにぶら下げてある 色々な切手を見る。 切手を100枚ほど買う時には 「これは国宝シリーズで これは動物シリーズです。 こっちにしましょうか?」と いつも聞かれる。 2ヶ月ほど前に予約していた 藤野千夜氏の 『「じい 散歩」(2)妻の反乱』が届いたと 図書館からメールが来 それを読了。 結局 藤野千夜氏の本を6冊読んだ。 和多田葉子の本を2冊を 今読んでいる。 初期の「ペルソナ/犬婿入り」 中期「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」。 私が想像していた「和多田葉子」と随分違うな と言うのが
スノーフレーク 数年前 川沿いに すくっと立っていた3本の松。 その根元に 鈴蘭のような花が咲いていた。 数本のその花の株を一つ持ち帰り 土に植えた。 花の名前はスノーフレーク。 たった1本の株が 今年は13本に増え 花も1つから3つに。 そして 川沿いの立派な松は枯れてしまい 根元に生えていたスノーフレークは 消えてしまった。 数日の黄砂で 「小屋」の前を走る車は 粉にまみれたようだ。 木々の芽吹きは あっという間に進み もう 蕨が顔を出した。 アケビの花も満開で 薄いクリーム色が花びらの群れが可愛らしい。
小松菜の花 去年 どこからか飛んできた小松菜の種が 苺の苗(鹿に全部食べられたが)を植えてある鉢に 芽を出した。 そして 花を咲かし 私を喜ばした。 濃い緑の葉はお汁の彩りにし 根はそのままに。 すると 今年も花芽が出て 70センチほどの背丈にまで伸びた。 愛でるのは勿論 その生命力に驚いた。 大根の花の様な黄色の花。 アブラナ科の大根と小松菜は兄弟の様なもの。 細くて長い茎は 日々の強い風にも折れず フラフラしながら 元気でいる。 黄砂で煙った山々。 車のガラスもきな粉色の砂でまみれている。 大陸から飛んでくる黄色の砂に 地球のダイナミズムを感じる。
ヒメオドリコソウ 西洋タンポポ 車で20分ほど走ると 国道沿いに精米所がある。 10キロの玄米を精米するために 一走り 車を走らせ山を下った。 玄米をザーッと機械にあけ ¥100を硬貨口に入れ スタートボタンを押す。 大きな音を立て 機械が動く。 外に出て 光を浴びよう。 長閑な風景だ。 明るい日差し 煙る山並み 山に囲まれた 畑や田んぼ 堤に並ぶ まだ散らない桜の並木と山野草たち。 西洋たんぽぽと うちの集落では まだ姿を現さないヒメオドリコソウが 足元に群れる。 たんぽぽは食用に。 ハーブティ たんぽぽの酒 たんぽぽのコーヒー たんぽぽの葉のサラダ。 そして 薬にも! なんと魅力的な野草だろう。 本で読んだ事はあるが まだ試していない。 後少しで 「小屋」の周りにも ヒメオドリコソウが群れて咲くはずだ。 精米したての白米は ほんわかとした暖かさ。 「小屋」に持ち帰り 早速電気炊飯器に仕
プリムラ プリムラが咲いた。 夕方になるとネットをかけ 朝にはネットを外す。 これで 鹿に食べられるのを防いでいる。 10年ほど前に 集落の家の庭に咲いていたのを 数株貰って花壇もどきの場所に植えた。 それが 今や幾つもに増えて うちの春の顔になった。 この花が咲く前に 図書館のカウンター横に並んでいた プリムラが主人公の絵本を借りた。 「オーリキュラと庭のはなし」前田まゆみ著。 プリムラ・オーリキュラという花の「人生」を描く。 絵が清々しい。 夕方 暗くなる前の南西の空に 白く輝く三日月が浮かんだ。 そして 日中の暑さがスッと引き 私は 又冬装束になり 「小屋」の中 ストーブに薪をくべた。 真冬と変わらず ストーブの上には ステンレスのヤカンが3個 湯気をあげている。 www.amazon.co.jp
滋賀県東近江市辺り 私が住んでいる 滋賀県琵琶湖の西岸から 買い物に行くたびに見える 琵琶湖東岸。 近江八幡に行った事はあるが 東岸は殆ど知らない。 そこに ウクライナの戦争が始まった初期に 彦根在住の日本人男性と結婚した娘の元へ ウクライナ人女性が非難して来た。 彼女がウクライナ料理の店を作ったニュースが NHK滋賀テレビで流れた。 ずっしりと重そうなホームメイドケーキ それを観た時に 行ってみようと思った。 雲一つない10日に 行ってきた。 行きは琵琶湖大橋を渡り 東岸の「さざなみ街道」を北進。 琵琶湖を左手に 途中から 青々とした麦畑 原田泰治の絵のような春景色を見ながら 目的地の彦根まで 夫の運転する軽トラで目指した。 ウクライナ料理 The Faina 彦根城の南側 キャッスルロードに面して 白い壁の可愛い店があった。 ウクライナセット ¥1180 ボルシチ チキン「ムレンツィ」
図書館裏の桜 8日 私の住んでいる市は 川に沿って桜の木が長く続く。 その殆どが ソメイヨシノだ。 淡くて 薄いピンクの花びらが群れて美しい。 毎年 その桜を見ようと思うが 見逃す時もある。 今年は 小雨の夕方 図書館の返却ポストに返本もあり 桜を見に出かけた。 川向こうに横たわる 比良山系の頂き近くは 白い靄に包まれて 小雨の中の花見となった。 木のベンチに座る事も コンビニコーヒーも 今年はなく 傘をさし早々と車に引き返した。 「じい 散歩」藤野千夜著を読んで 面白く 興味を持った。 その後 「編集ども集まれ」「彼女の部屋」 「団地のふたり」「D菩薩峠漫研夏合宿」 と 続けて4冊図書館から借りた。 ・元気な90近い爺の家族の話。 ・藤野千夜さんを投影した小笹が笹子になるまでの話。 ・短編集で 5話からなる小説の最後の作に 凄みを感じた話。 ・50年近く前に建てられた公団住宅に 50年近
「小屋」のそばに やっと土筆が現れた。 細いヒョロリとしたのが2本。 群生しているつくしなら ポキポキポキポキと 欲しくもないのに 摘みたくなる。 三重から蜜柑が届いた。 甘夏と八朔。 黄色の大きいのやら小さいのやらを 段ボールの箱から何個も出し 深い竹籠に入れ テーブルの上に置く。 外は明るい日差し 「小屋」の中は 黄色い蜜柑 「小屋」のそばに ヒョロリとした土筆。 少しずつの春の到来だ。
今日の写真は 飛んでいる3匹の蚊ではない。 私の住んでいる市にある 自衛隊駐屯地から 飛び立ったヘリコプターが3機。 買い物に出かけた琵琶湖西岸の スーパーのパーキングで 食材を車に積み込んでいると ヘリコプターの音が聞こえて しばらくすると 3機のヘリコプターが見えた。 頭を上に向けて スマホをかざし慌てて写真を撮った。 「小屋」の上空を よくヘリコプターが飛ぶ。 その多くが 福井の原発から京都へ 真っ直ぐに結ぶ 関西電力の送電線のチェックだそうだ。 ゆっくりと 時間をかけて飛んでいる。 買い物の行き帰りに見た桜並木は 蕾はまだ固いが 並木全体が淡いピンクに見えた。 梅は盛りで 所々の菜の花が満開。 窓を開けても冷たい風は吹き込んでこなかった。 あ それから 山に拳(コブシ)の花が ポツリポツリと咲き始めていた。 拳の花も まだかまだかと待ち望む花だ。 ( 関西電力の送電線をチェックする
Tさんの家の物置小屋には 大きな冷凍庫がある。 150センチx50センチ 高さは100センチほど。 上に開く扉を開けると 中には様々な食品が冷凍されて びっしりと詰まっている。 餅 きゅうりのQちゃん漬け さつま芋の蔓の佃煮 蕗の佃煮 等々 これらの下には 何年も眠っている物がある。 全てが自家製だ。 生協で配達されたものは 台所の大きな冷蔵庫の 冷凍庫に保存されている。 よく話題に出るのは 餃子 コロッケ。 好きなのだろう。 私が用事で行くたびに 何か持って帰るかと その大きな冷凍庫から ジップロックに入った カチカチに凍ったものを 2個3個と 袋に入れてくれる。 きゅうりのQちゃん漬け さつま芋の蔓の佃煮 茄子とニシンの炊いたものを 数日前に貰った。 この辺りの料理の味は濃い。 すき焼きも佃煮のように煮詰める。 茄子とニシンの炊いたものも 濃い醤油味。 晩御飯に醤油色した 茄子とニシン
馬酔木(あしび)の花 風も吹かず 明るい日差し 暖かい空気 体が軽く動く。 休む時間もなく 今まで放っておいた事を 片付けにかかる。 あちらこちらに咲いている 今が盛りの馬酔木の花の枝を一房 ハサミで切り持ち帰る。 白の長い花瓶に挿す。 緑の葉も美しい。 梅の枝の花が ポツリポツリと咲き始めた。 短いのをひと枝。 そして 道の脇に咲き始めた 八重のラッパ水仙も少し持ち帰る。 花が少しずつ咲き始めた。 次の雨が降り出す前に やり遅れた事に精を出そう。 朝と夜には ストーブに薪を沢山燃やす。 ストーブの上の3個のヤカンが 蒸気機関車のように湯気をたて 湯の沸く音が賑やかだ。
29日 夕方 最近 夜になると 「小屋」の周りに子鹿が現れる。 北側の窓から 外を見ると まだ 生まれて間もない小鹿が 街灯のLEDに照らされて 懸命に無心に 地面に顔を近づけて 何かを食べているのが見えた。 私は思う。 「あの鹿だな・・・ 「小屋」の周りの花芽を食べるのは」 クリスマスローズ アメリカンワイルドフラワー そして 毎年増え続けるミヤコワスレの芽を すっかり食べられたのは多分昨晩。 可愛い顔をして むしゃむしゃと食べたんだろうな。 買物に行く途中に通る 川沿いのキャンプ場の上に 雲が軽やかに浮かび 大きく広がる空が美しかった。 道路のそばのデジタル温度計では12度。 ダウンのジャケットを着ていたので 車の窓を開けても寒くはない。 このまま春が続けばいい。
オオイヌノフグリ 久しぶりの晴れの日だった。 明るさが嬉しい。 そして やっと春一番の青い花 オオイヌノフグリが咲いていた。 たった 3個の小さい花だ。 今日 隣の集落の人が 薪になる廃材を 軽トラに満載に積んで運んで下さった。 杉 栗 檜 欅 私でも これ位は分かる。 残りも又運んで来て下さるそうだ。 実にありがたい。 明日は又雨なので 大きなブルーシートを すっぽりと被せた。 バターナッツカボチャのシチューを 前回 数行の文で 作り方などを書いたら 数人の方からコメントが届いた。 面白みのない写真だが 載せておこう。 中サイズの陶の鉢にたっぷり入れ 砕いた胡桃をトッピング。
25日 午後 山に靄がかかり 川面を数羽の水鳥が 鳴き声を立てながら飛び去る様は 一幅の水墨画のようだ。 晴れた日もあったはずだが 「小屋」の前の道路は いつも濡れて 私の記憶も 雨の日の景色しか浮かんでこない。 春の野草もまだ顔を見せないで すぐに4月がやってくる。 貰ったバターナッツカボチャで シチューを作った。 瓢箪みたいな形で 皮はベージュ。 包丁で簡単にサクッと切れた。 実は鮮やかなオレンジ色。 皮を剥き 実を鍋で煮る。 シチューの時は必ず厚手の鋳物鍋を使う。 柔らかくなれば ハンドミキサーで滑らかに。 牛乳 コンソメ バター シナモンを加え よく煮れば出来上がり。 鉢にたっぷりとよそい 砕いた胡桃を載せる。 湿った冷たい春に 実に美味しく温かいシチューだった。
22日 深夜に大きな音と地響きがした。 すぐにテレビを付けて 地震情報を観る。 数分後に 京都南部と出た。 ここは震度1。 そんなものじゃなかった、震えた。 朝起きると 真っ白の世界。 でも 空は青空で 積もった雪がすでに溶け始め 屋根にずらりと並んだ氷柱が キラキラと光り そこからポタポタと水滴が落ちる。 時は春・・・だよね? 友達が送ってくれたA-coopの苺は美味しい。 名前のついた 大きくて高い価格の苺と違う。 大きさは不揃い 実は固く 味は甘酸っぱい。 夫はミルクをかけ 私はそのまま ヘタをつまんで食べる。 どの果物でもそうだが 造形と色の美しさに感心する。
画廊の2階の窓から(御所堺町御門) 今日(20日) 一日中 雪と霙が降り 台風の様な 強い北風が続いた。 雪は一面真っ白に積もり 私は「小屋」から 一歩も外へ出なかった。 さて 暖かくはないが 寒くもないお天気の19日 夫と私は 2件の用事で京都へ行った。 最初は夫の友達の個展。 御所の南にあるギャラリーで 友達は2年に1回個展を開く。 絵を描き始めて50余年 案内状が届けば出かける。 1階が油絵 2階が水彩画 琵琶湖東岸の近江富士(三上山)を 鉛筆で描いたのが 私は特に好きだった。 次は 夫の両親の墓参り。 墓石を束子で洗い 花を生けると 一仕事が終わった気分がする。 比叡山が真向かいに見えるのが 気持ちいい。 19日 私は久しぶりに毛糸のセーターを着た。 濃紺に所々白や灰色の毛糸が混ざる ツイードの様な風合い。 クルーネックの大きなサイズのセーターは 忘れていた懐かしい暖かさがした。
馬酔木の花 馬酔木の木は 村の山 道の脇 どこにでもある。 花が咲いていない時の馬酔木は 濃い緑の艶のある葉っぱが 枝にふさふさとついている 全く目立たない木だ。 20代に読んだ 堀辰雄のエッセイ「大和路」に 馬酔木の花が出てくる。 京都 浄瑠璃寺の山門への道に 並んで植っているというのを読み 数年後(半世紀前)に友達と尋ねた事がある。 JRの駅から どうやって行ったのか覚えていないが 田舎道 山道を随分歩いた記憶がある。 そして 辿り着いた浄瑠璃寺は 本堂の前に 小さな池があるこぢんまりとした寺だった。 綺麗な吉祥天の像もあったと思うが 覚えていない。 馬酔木の木は 花の季節ではなかった。 帰り道に 道端に並べて売られていた 椎茸 柿の実を買い 竹筒にお金を入れた。 確か200円だった。 今日目覚めると 強風で雪が横殴りに降っていた。 山の木の枝が 大きく揺れてゴーゴーと音を立て 数セン
3月14日(木)集落 15日金曜日 琵琶湖西岸の比良に行った。 別荘地の中にあるギャラリーでやっている 若い知人のグループ展を覗きに行った。 比良は「比良八荒(ヒラハッコウ)」と呼ばれる強風が 春先に 比良山系から吹き下ろすので名高い土地だ。 車で走っていると 西側に雪を載せた比良山系が おい被さるように迫り 東には 青い琵琶湖が広がっている。 狭い谷筋から湖西に来ると 空の広さを感じる。 山も 湖も柔らかい靄がかかり ここらはもう春だった。 帰宅後 「小屋」の周りの整理をし すぐに夕飯準備にかかった。 紅鮭と鰆の粕漬けを焼き レンジでチンした じゃがいもと人参を付け合わせ ほうれん草を湯がき すり鉢で胡麻を擦り 少しの醤油を垂らして和えた。 今年のほうれん草は 実に美味しい。 具沢山の味噌汁 ワカメを忘れずに。 そして 白菜の葉を数枚ザクザクと切り 塩で揉んで 漬物とした。 ちょっと疲れ
枇杷の木の芽 枇杷を食べた後 土にバラバラと捨てた種が 毎年 芽を出しては消えを繰り返していた。 深い雪に押されて 枝が折れ そしていつの間になくなる。 そんな 私に見捨てられた木が 今年の少ない雪で持ち堪え 花芽(多分)まで付いていた。 枇杷の花は 地味なアイボリー色だったと思う。 今朝気がついたが 下の葉っぱがすでに鹿に食べられたいた。 果たして 花が咲くまで持ち堪えるか? 観察を続けよう。 「じい 散歩」藤野千夜著が面白かったので 同じく藤野千夜の「編集ども集まれ」を借りて読んだ。 藤野千夜の自伝的小説。 大学を卒業した後 主人公の「小笹」が 神田神保町の出版社に勤め 漫画の編集者として働いた時の 社内の編集者達 漫画家とのエピソードが綴られる。 本半ば LGBTのTである事を カミングアウトしたあたりから面白くなる。 時は1990年前後。 LGBTの知識 理解が今よりもっとない時代
3月10日 明るく晴れた今日。 たっぷりと降った雪が光る。 紅空木(ベニウツギ)の枝に積もる雪。 馬酔木の蕾 京都では満開の馬酔木の花も こちらではまだ米粒ほどの蕾だ。 凍った氷の滴り 小さな凍った露を覗く。 その中に在る逆転した世界。 春一番に咲く 青空色のオオイヌノフグリ 待ち侘びているのに まだ出てこない。
数日前 「小屋」のすぐ近くの所だが 初めて歩いてみた。 市バスが走っている県道から 山に向かってまっすぐの坂道。 そこは 道の両側は棚田で 山の中だが 珍しく視界が広がっていた。 空が広い。 坂道を上ると 田んぼに山の水が張られ そこは池の様になっていた。 バタバタっと10数羽の黒い渡り鳥が飛び立ち 次の田んぼも その上の段の田んぼからも バタバタっと大きな羽音を立てて 渡り鳥が飛び立った。 まだ 春には遠い 枯葉色の広い世界。 春一番に咲く 水色の花オオイヌノフグリさえ まだ咲いていない。 帰り道から見た 向かいの山の稜線がいつもより低く感じ 後1ヶ月もすれば あの山に白い拳の花が そして 山桜の淡いピンクの花が咲くだろう。 小さな希望だ。 今日も冷たいシャワーの様な雨が 間隔をおいて降った。
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