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大谷翔平
warszawa.hatenadiary.org
やぁ同志雪の降る日に凍えるイポーニェッツ諸君! 僕はというと、自宅の前に降り積もった雪で盛大に滑ったよ。どうせ降るならロシアのように、滑る恐れもないくらいに降り積もればいいのにね。 さて、今回のガイドはちょっと息抜き編だ。なぜ今息抜きなのかと言うと、ある同志から貰ったリクエストにお答えするには、資料ではなくて僕の脳内持論を展開することになりそうだったから。入門ガイドは端折っている所はあるとはいえ、基本的に資料に基づく事実なので、イデオロギーに関するお話や持論の開陳は息抜きということにしておくよ。 肝心のリクエストは、大体以下のような感じ*1。 素人目にはロシアの人の大部分はソビエト連邦共産党支配よりむしろ以前の帝政を望んでたんじゃないかと。そして今どういう位置付けなのか気になりまする。 これは実は僕がロシアに興味を抱くきっかけになった考えにとっても近いので、ちょっと語りに入りますよ。レポー
やぁ、同志そこそこの共産趣味者諸君! 3回目ともなると、君たちもそれなりの共産趣味同志の顔つきになってきたね。でもまだまだ犠牲的英雄精神や労働精神が不足している。 なるべくガイドの流れに脈絡を持たせるよう「主義、思想」→「国家」と持ってきているので、これからその組織の構造や、代表的な部署、人物、出来事、という風に広げて行く予定だよ。これってなーに? という質問にもよく訓練された政治将校が優しく答えてくれるので、安心するといい。 なんでトップが「書記」長なの? まず、ソ連邦とソヴィエト連邦共産党という二つの組織があることを理解しておく必要がある。つまり、2で述べたように、ソ連邦という国家組織においてトップ、つまり元首にあたるのは最高ソヴィエト(最高会議)議長だ。だが、これは形式的なものであり、そもそも最高会議自体が党の決定を追認する組織でしかないので、実質的なソヴィエト連邦のトップは党のトッ
やぁ、同志能無し諸君! 入門ガイド1で共産趣味のほんの入り口をお見せしたけど、どうだったかな!? ハハハッ(甲高い声で)。いやいやそうじゃねぇんだよ、って思われた同志共産趣味者もいると思うけれど、僕はコミンテルンに忠誠を誓っているので、中共なんかの意見には聞く耳を持たないんだ。つまりそういうわけなので、異論がある場合はルビヤンカで自己批判を行って欲しい。 帝国主義って何? しばしば共産趣味同志たちが口にする「帝国主義」というのは、資本主義の発展の最終段階を指すんだ。 封建制が終わり新たな時代の主役となったブルジョアジー(資本家)は、相互の激しい競争と労働者からの苛烈な搾取を通じて巨大な財閥、独占企業を形成する。その力は一資本主義国内にとどまらず、巨大な市場を求め国境の外部へと拡大する。つまり、外国を市場として支配し、その民から搾取する。 このように外部へと市場を求めて膨張を続ける段階が帝国
やぁ同志能無し諸君! 先日愚弟のレポートのためにいろいろと革命的講義をしてやったのだが、これがまた面白い程理解していなかった。まぁ奴は反ソ反共の無知な帝国主義者なので仕方がない。千葉にある東京の名前のついたテーマパークで浮かれているがよいのだ。 そんな奴は放っておいて、今回はわざわざこのダイアリーを読んでいるような、共産趣味者に憧れているけれど、基礎的なこともよく分からない、という同志たちのために入門解説をしてみるよ。なんでそんなこと思いついたかというと、丁度蔵書整理中で懐かしい資料が色々出てきたからだよ。 何で同志っていうの? ソ連邦では西側諸国と違って万民が平等なんだ。だから、「Sir」とか「Lord」のような呼びかけはせず、誰に対しても「同志」か「市民」と呼びかけるんだよ。 共産主義って何だ? さて、同志たちはそもそも「共産主義」が何か分かるかな。社会主義の違う名称? 平等思想? ニ
今日は12月8日。ジョン・レノンの命日と言いたい所だが、やはりここは真珠湾攻撃の日。これは譲れない。そして僕の大好きな母方の祖父ちゃんの初の実戦の日でもある。あの日一緒に飛び立った戦友は、みんな自分より二階級上になってしまったと祖父ちゃんは嘆く。そんな状況は僕に想像もできないんだけれど(例えば高校の同級生が、自分以外誰も生き残っていないなんて想像できます?)、だからこそ聞き取って記憶しておかなきゃいけない。 真珠湾 真珠湾の話自体は、それほど物珍しいものでもない。空母から飛び立って、地上目標を攻撃するのが第二波空中攻撃隊の祖父の役目だった。初めて見る外国で、ちょっとワクワクしたそうだが、実際上空につくと煙と炎と飛び回る味方機で、海外旅行気分を味わうような状況じゃなかった、と語る。当たり前だ。 祖父が海外旅行でハワイを訪れたのはそれから60年以上経ってから。何を思ったかアリゾナの慰霊碑に行っ
間が空いたから、前回どこまで書いたか忘れてた。 ソ連視点で見る大祖国戦争-第二次世界大戦前後 その1 ソ連視点で見る大祖国戦争-第二次世界大戦前後 その2 ドイツの欧州侵攻まででしたね。この後の大祖国戦争の経緯をだらだらを話すのも面白いんだけど、ありきたりっちゃありきたり。この辺りは視点の有無というより事実の羅列になるので、ちょっと番外的に、いわゆる「暗黒時代」に対するソ連邦的視点でのお話。 暗黒時代 さて、同志スターリンと言えば粛清、というくらいにソ連邦、とくに内戦後のスターリン時代は惨憺たる時代のように語られる訳ですが、それに対してテンプレみたいな感じで、ソ連邦視点からの言い分ってのもある訳です。 今回はそこに、僕なりの資料の解釈も交えつつ、テンプレの解読をしていきましょう。 一応よくあるテンプレ的回答例。 同志スターリンの功績は、革命後間もない、只でさえ遅れた農業国だったソ連邦を就任
9.11と言うともはやJKというか、それが一つの単語かのように想起するのは倒壊するWTCですが、僕の中ではチリとアジェンデです。 チリ・クーデターって知っていますか? 南米はクーデターとか日常茶飯事のイメージ? 多分名前くらいは聞いた事がある、ピノチェトという見苦しいおっさんがいるのですが、こいつがチリに独裁体制を敷くきっかけとなったクーデターです。キューバの社会主義化以降、アメリカは中南米の左傾化に異常なまでの反発と恐怖心を見せます*1が、このクーデターを起こさせたのもアメリカです。 アメリカがクーデターを仕込んだきっかけとなったのが、サルバドール・アジェンデの大統領就任です。アジェンデはいわゆるマルクス主義者で、誰が見ても分かる左派であり、革命家でした。ただ、彼が革命家でもゲバラにはならなかったのは「武力闘争とは異なる方法で革命は遂行できる」と信じていたから。どっちが正しい訳でもなく、
米露中日に囲まれて恐怖のあまり核兵器に手を出すというのは、微妙に今回のお話に似た感がある。まぁソ連邦よりはるかに計算が拙いけど。 そんなことはどうでもよくて、1938年頃のソ連邦の気持ちになってみたい。「おーしゅーじょーせーはふくざつかいき」とかぬかして辞職した首相もいたようですが、実は大戦前後の欧州情勢ってのはソ連視点で紐解くと非常に単純明快なのですよ。今回はソ連邦から見たお話。 1938年というとドイツがアンシュルスしたり日本が中国でブイブイ言わせたりと、アゲアゲ状態だった頃。ついでにポーランドもチェコスロヴァキアをゆすってみたりと、何かと皆が熱かった時期だ。ざっと日独の動きに絞って見ても、 月日 あったこと 1月16日 近衛文麿色々面倒になって「国民政府を対手とせず」発言 3月13日 ナチス・ドイツ、オーストリアを併合(アンシュルス)。カンガルーがおらずがっかり 6月13日 NKVD
英仏を巻き込んでの集団安全保障構想が挫折したのが前回までのお話。ここまでで覚えておきたいのは次の2点。 イギリスはソ連邦を快く思っておらず、むしろ敵視している節すらある*1 1930年代後半〜40年代前半のソ連邦は拡大膨張を意図していない*2 この2点は、後々大戦末期における大国間のパワーポリティクスを捉える上で結構なポイントになるので、とりあえず記憶の片隅にでも置いておこう。そこまで書き続けるかどうかは分かりませんが。 さて、英仏が当てにならない一方、ドイツは着々と体制を固めていきます。1939年初頭にはボヘミア占領、モラヴィアの保護領化を宣言(チェコスロヴァキア解体)、リトアニアのメーメル併合ともの凄い勢いで拡張政策を進めます。馬鹿なのか天才なのかはともかく、一連の行動でヒトラーがチェンバレンのような弱体な指導者でないことは明白になっていました。一連の行動を英仏が制止しない以上、当分ナ
Власти Мьянмы отпустили приговоренного к тюрьме американца - МК かつての共産党の活動家ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ・マレンコフについては、あまり知られていない。スターリンの最も近しい戦友であった彼は、ソ連邦の歴史上最も謎めいた人物と呼ぶことができるだろう。一部の歴史家はマレンコフを冷酷な大量殺人者の一人に含め、またある人々は彼こそが「雪解け」の真の父と呼ぶ。 今、かつて強権を誇ったその党員の死から20年の日を迎えた*1。「政治」の姿をしたオリュンポス山での彼の急激な上昇と凋落を、彼の息子であるゲオルギー・マレンコフがモスコフスキー・コムソモーレツ紙のインタヴューで語った。 記者:ゲオルギー・ゲオルギエヴィチ*2、当時を知る多くの人々の中で、あなたの父の名前は1930〜50年代の大粛清に強固に結び付けられています。彼はこれ
それはさておき、パスタですよパスタ。イタリアといえば砂漠でパスタだろーってどっかの模型誌とかミリネタ誌でライターが真面目に書いて、翌号で謝罪記事載せちゃうくらいにメジャーなネタですよ。 まぁどこまでがネタでどこからが事実か正直僕もよく分かりませんが、個人的には食ってないんじゃないの、と思うわけです。昔年鑑を読んだ時に、糧食としてパスタが入っていたのを見たことあるんですが、仮に北アフリカまで運んだとしてそいつを食ったかどうかは全然別ですよね。北アフリカの戦時記録って結構豊富なんですが、シチュー不味いとかそういう話はあっても、パスタ食ったって話がないんですよ*1。 例えば、一応事実で結構有名な「砲弾よりワインが多かった!」ってのも、「降伏した部隊の物資を見たら云々」ってネタ話で聞くと、何だか砂漠のど真ん中に積み上げられたワインを想像しますが、僕の知る限りの話じゃコンパス作戦の折、トブルク占領し
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