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画力アップ
watabeshinjun.hatenablog.com
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて昭和40年代に起こった「言論出版妨害事件」(言論問題)について、今の創価学会信者さんはどれだけの方がご存知なのでしょう。 この事件は、池田大作会長就任後の創価学会が社会的に大きく批判に晒された最初の事件でもありました。 以下に言論問題について簡単に概要を書いてみます。もちろん私の知る範囲のことでしかありません。ネットで確認しながら私の知る範囲のことを書いてみます。 昭和44年(1969年)、政治評論家の藤原弘達氏による著作『創価学会を斬る』が出版予告されると、藤原氏本人や出版元に対して抗議の手紙や電話が殺到。当時の創価学会幹部で都議会議員だった藤原行正氏や、聖教新聞主幹の秋谷栄之助氏から出版の中止を要請されます。これを藤原氏が拒否したため、公明党の竹入義勝氏から当時の自民党幹事長の田中角栄氏に対して事態の収拾が依頼されるまでになります。 田中角栄
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて私は創価学会の元活動家から徐々に家族の死を契機に非活となり、日蓮正宗の信仰も棄て、自由な身となりました。 そしてこんなブログを書き続けて、もう7年近くも経ちますが、別に私はオピニオンリーダーにもなる気はありませんし、別段特に分派とかを作ろうとも思っていません。 私のブログを読んで、さまざまな感想を頂きます。その中には私を評価して頂く声も多数頂きます。しかし別に「創価学会・気楽非活派」とか(笑)、そんなものを作る気は毛頭ございません。 創価学会の改革は、教団の執行部、とりわけ会長を中心とした執行部、総務会、最高指導会議、参議会等の組織があるわけですから、彼らが考えるべき問題でしょう。 また日蓮正宗は宗務院と法主を中心に考えればよいだけのことです。ただ日蓮正宗の信徒の高齢化は非常な早さで進んでいますから、資金面の問題からも改革は急務であると考えられま
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は大石寺9世日有が謗法を犯したことで自身が悩まされていたことを告白していたことを書いてみます。 大石寺9世日有談・31世日因記『有師物語聴聞抄佳跡』には次のように書かれています。 「されば四五年已前に悉且ノ能化・阿耨と云フ僧に知音候て・且ラく当山に逗留候ひしが、有ル時・呉竹を一間所望する間・大なる間を一ツ出シたれば・やらうに作る、其の夜より天魔乱入して悪夢増長す・如何様なる事ぞと能ク々ク案じたれば・当宗の即身成仏と進メ申ス我レが・禅家の道具たる・やらうを作らせたる故なり、去れば経ニ云ク捨悪知識亦不親近と説キ給ふ・釈ニは悪人に親近すれば復悪人と成ツて悪ノ名天下に満ツと見えたり」 (『有師物語聴聞抄佳跡』、『富士宗学要集』1-198ページ) 阿耨という名の僧侶が大石寺に長く逗留していたのですが、ある時、阿耨が呉竹を望むので日有がこれを与えたところ
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて聖教新聞の報道、また現場の活動家から聞くと、創価学会は座談会の充実に力を入れていまして、例えば手品やマジックの披露、手話を取り入れた合唱、未来部のコーナー等、さまざまな工夫が見られます。 日蓮正宗の信徒は、現在ほぼ9割近くが「元創価学会信者」「元顕正会信者」ですので、彼らも創価学会の真似事をすることも多いです。大石寺の鼓笛隊などその好例でしょう。 問題なのは教義の研鑽や宗教活動の充実よりも、むしろコミュニティとしての教団下部組織の充実を訴えている点です。 つまりもはや創価学会は、教学の研鑽よりも、かつての創価学会に存在した地域のセーフティーネット的な役割を強調して強めることがプライオリティになっていて、それ以外に教団の魅力を外に発信することが難しくなってしまったのかと思います。 「存在意義の終焉」 https://watabeshinjun.ha
いつもみなさん、ありがとうございます。 ところで、大石寺に江戸時代末期頃、存在した「完器講」という信徒集団を多くの方はご存じないかもしれません。私もさほど詳しい訳ではありませんが、私の知っているところを簡単に紹介してみましょう。 江戸時代後期のことですが、日蓮宗日朗門流に堅樹院日好という人がいました。この日好は明和9年(1772年)に富士大石寺に帰伏します。ところが、ほどなく彼は大石寺への批判を重ねるようになり、離反して異流儀を唱えるようになります。 日好は大石寺に対して「大石寺は折伏をせず、自行の研鑽に明け暮れているので法水が濁っている」として大石寺を批判します。日好派は自分たちこそ日蓮日興の正統であることを主張して「四箇の格言」を強弁するようになります。更には「御本尊は折伏を行ずる者の胸中にある」として宗祖直結の「己心本尊説」を主張するようになります。それにしても現在の創価学会の言い分
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日蓮が文永11年6月17日以降に暮らしていた「庵室」の状態、そしてそこに弘安2年以降、戒壇本尊を果たして置くことができたのかを考えてみたいと思います。 日蓮が住んでいた「庵室」について伝える文献は『庵室修復書』(建治3年、身延曽存)です。 ここで全文を見てみましょう。 「去(いぬる)文永十一年六月十七日に・この山のなかに・き(木)をうちきりて・かりそめにあじち(庵室)をつくりて候いしが・やうやく四年がほど・はしら(柱)くち(朽ち)かき(牆)かべ(壁)をち候へども・なおす(直す)事なくて・よる(夜)ひ(火)を・とぼさねども月のひかり(光)にて聖教をよみまいらせ・われ(我)と御経をまき(巻き)まいらせ候はねども・風をのづから・ふきかへし(吹き返し)・まいらせ候いしが、今年は十二のはしら(柱)四方にかふべ(頭)をなげ(投げ)・四方のかべは・一そ(
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて法華経における嘱累品が実は22番目ではなく、本来は最終章にあたることを以前このブログでは指摘させて頂きました。 「嘱累品の位置は鳩摩羅什によって改竄・変更された」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/07/29/075854 創価学会や日蓮正宗等の大石寺系、また日蓮系諸派は、別付嘱と総付嘱を強調し、智顗の五時八教判から法華経以外の経典では成仏ができないとそれ以外の経典の価値を否定することがしばしばです。 ところが、鳩摩羅什漢訳の法華経嘱累品をよく読むと、事情が違ってきます。 嘱累品には以下のような記述があります。 「於未来世、若有善男子・善女人、信如来智慧者、当為演説此法華経、使得聞知。為令其人得仏慧故。若有衆生不信受者、当於如来余深法中、示教利喜。汝等若能如是、即為已報諸仏之恩。」 (
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回ですが、SNSの旧Twitter(現行「X」)中で、私のアカウントに対して何の根拠もない揶揄、非難中傷、罵詈雑言が頻発しました。しかも現在も継続中です。 彼らの非難中傷は昨年の聖教新聞(2022.12.29付)掲載の紙上座談会の指導「誰かを中傷したり、侮辱したりするような発信は許されません」という内容にも抵触するものです。社会的にも糾弾・批判されるべき内容と考えますので、今回は彼らの非難中傷や侮蔑の発信をそのままに伝え、読者の判断を仰ぎたいと考えます。 以下の非難中傷や侮蔑の発信をした創価学会信者と推定される活動家アカウントについて、今後の注意喚起の意味も含めまして今回は4名紹介したいと思います。 1、「トミー(SGIの友)」 アカウント:@TomySgi0316 2、「hustler オレンジ部隊」 アカウント:@vs0505333 3、「
いつもみなさん、ありがとうございます。 さてTwitterアカウントを作ってから、何やらいろいろ議論になることも多くなりました。 その中でも今回は「もっとん」さん(@donmotton)とのやりとりを紹介したいと思います。本来、私は相手のアカウントをブログ上で特定することは原則しないことにしていますが、今回は「もっとん」さんご本人もTwitter上で「告訴でも通報でも何でもどうぞ」というツイートを頂きましたので、画像つきで紹介したいと思います。 画像を見ればご理解頂けるかと思いますが、「ク◯」「◯ス」等、相手を罵倒する言葉をこの方は普通に使われます。 この方の考え方からすると、私のような者は「ク◯」や「◯ス」と呼ばれて当然の者なのだそうです。 まあ私はいくら批判されても構わないのですが、私はこのような考え方をあまり好みません。自分と意見や思想の異なる人というのは社会には普通に存在するもので
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて池田大作氏が自身の著作や対談、随筆等に関して「他の人に代筆させていた」実態については、以前から何度かこのブログでは書かせて頂きました。 「池田大作の代筆の実態」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/10/15/081001 今回は昭和57年10月15日から行われた月刊『ペン』裁判での池田大作氏の証人としての発言記録から、池田大作氏が会長時代から著作については、「自身で書かずに部下に書かせていた」実態について、当時の発言記録から見ていきましょう。出典は、池田証言ハイライト出版委員会編『池田証言ハイライト -偽りだった謗法懺悔-』(継命新聞社、昭和59年)で、池田大作氏の発言は昭和57年10月20日のものです。今回は読者の方からの資料提供をもとに記事を書かせて頂きました。ありがとうございまし
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて天台教学を前提とする日蓮の教説では、法華経の如来神力品の付嘱は別付嘱であり、嘱累品の付嘱は総付嘱として考えられています。当然のことながら、教義的には上行菩薩等、地涌の菩薩に付嘱される「別付嘱」が重要になります。 ところで、如来神力品第21をよく読んでみると、上行等に法華経が付嘱されたとは言い切れない表現になっているのです。 具体的に経文から見てみましょう。如来神力品第21で「嘱累」の文字が出てくるのは、以下の部分のみです。 「爾時仏語。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。若我以是神力。於無量無辺。百千万億。阿僧祇劫。為嘱累故。説此経功徳。猶不能盡。」 簡単に和訳すると次のような意味になります。 「その時、釈迦は上行等の菩薩大衆に語った。諸仏の神力はこのように無量無辺・不可思議である。諸仏が神力をもって無量無辺百千万億阿僧祇劫において
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回はTwitterで反響も大きかった、池田大作の著作の代筆の実態について、元本部職員3人組(野口裕介、滝川清志、小平秀一)の著作を紹介してみます。 「そもそも私たちは、『新・人間革命』をはじめ、師匠の指導や会合へのメッセージが、本部職員によって作られている実態を知っていた。 今から15年以上前に遡るが、小平と野口は学生時代に、師匠の仕事の手伝いをする「池田学校」という現役大学生の人材育成グループで薫陶を受けていた。また、小平と滝川は、本部職員に採用されてから10年にわたって、師匠の仕事を代行する「会員奉仕局」という職場に所属していた。そこで、師匠が自身の仕事を弟子に託している実態をつぶさに見て、体験してきた。 会員奉仕局は、師匠が学会員を激励するために贈る「書籍」や「和歌」「押印和紙」に、師匠の印鑑(「大作」印)や日付印(「2009・3・16」
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて以前、日蓮遺文の文書管理と保存に関して、日蓮は富木常忍に信用を置いていたことを書きました。 「富木常忍と文書の管理体制」http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/01/05/060801 富木常忍は後に出家し、常修院日常と名を改めますが、この人物は下総国の守護・千葉介頼胤の被官でしたから、典籍や文書の保存管理には十分な知識を持ち合わせていました。またこのことから当時の鎌倉幕府というものが、文書の管理を重要視していたことがわかるかと思います。 出家後の日常は中山法華経寺の文書管理にその経験を大いに生かしました。膨大な日蓮の遺文が中山法華経寺に多く伝わったのは彼の功績によるところが大きいでしょう。 日常は中山法華経寺の基礎を固めるにあたり、日蓮真蹟遺文を初めとする多くの文書、典籍の護持を中心に据えま
いつもみなさん、ありがとうございます。 最近は1ヶ月に10万を越えるアクセスがブログにあり、本当に驚いています。同時に創価学会や大石寺の教義の欺瞞に気づいて離れる人、非活になる人、離檀される人が多く、メールをよく頂いています。なかなか全ての人に返信が思うようにできず、申し訳なく思っています。 ところで、最近の反響の大きかったブログの記事は、私の母に関することでした。 「母の言葉を」http://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/08/06/000000 母は、亡くなる少し前から非活になりました。大石寺系の教義について、全てを全面的に否定することは難しかったようです。それでも母は「お前が正しいのかもしれないね」と言い、私とともに非活になっても、財務をしなくなって組織から離れても、私に不平の一つも言わない人でした。 母は若い頃、楽しく活動をするのが
いつもみなさん、ありがとうございます。さて今回は創価学会が、外資系コンサルティング会社と契約を結んで法人改革を進めていた点についてです。 時期的に言うと2000年代半ば、創価学会本部は外資系コンサルティング会社である「アクセンチュア」と契約をし、法人改革を進めました。行われたことは、外郭企業や団体を効率よく配したグループ戦略により教義を広めるということで、これこそがアクセンチュアの指南の一つであったと言われています。 冒頭画像は、2008年6月に外資系コンサルティング会社アクセンチュアが創価学会の信濃町内部の「ビジョン会議」で提示した提案資料の一つです。 2008年当時、創価学会は谷川事務総長の主導により、アクセンチュアのコンサルタントを動員して外郭企業の統廃合、人員削減といった法人改革を進めていたとされています。画像を見ればおわかりの通り「コンテンツ」や「リソースシフト」と言った語が散見
さて選挙戦が始まると、創価学会活動家の会話にはやたらアルファベットが飛び交います。 「地区の☆☆さん、まだKになってないのよ」「となりの地区リーダーさん、マルKになってないよ」「昨日の友人との電話で足立区のFを3つとりました!」「墨田区のF30、そしてマルF3をもぎとりました!」 …………等々の感じです。創価学会員ではない方からすれば、ほとんど暗号みたいなものですよね(笑)。今日はこのアルファベットの謎を会員さん以外の方にもわかるように書いていきたいと思います。 ①K(活動家)のこと。 ここでいう「K」とは「活動家」の略です。とはいってもZU台帳上の名簿上の「K」とは活動家というよりも「投票に行ってくれる確約がとれた人」くらいの意味合いがあります。活動家は当然「K」扱いですが、以前ブログで書いたように統監上ではたくさんの非活メンバーがいます。なかなか「K」にならないメンバーってたくさんいる
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は「八日講」について書いてみたいと思います。 日蓮の御書で『四条金吾殿御返事』(弘安5年1月、真蹟は高知要法寺に断簡が現存)と言うものがあります。 ここでは四条金吾並びに鎌倉在住の日蓮門下らが、毎月8日に釈迦仏の誕生日を祝う「八日講」を行っていることに対して、日蓮が褒め称えているのです。 具体的に御書を引用してみましょう。 「抑(そもそも)八日は各各の御父・釈迦仏の生れさせ給い候し日なり、彼の日に三十二のふしぎあり・一には一切の草木に花さき・実なる・二には大地より一切の宝わきいづ・三には一切のでんぱた(田畠)に雨ふらずして水わきいづ・四には夜変じてひる(昼)の如し・五には三千世界に歎きのこゑなし、是くの如く吉瑞の相のみにて候し、是より已来(このかた)今にいたるまで二千二百三十余年が間・吉事には八日をつかひ候なり。 然るに日本国・皆釈迦仏を捨て
広布基金っていつから始まったんですかね いろいろと調べてみるといろいろ驚くことがあります 財務部員ができたのは昭和26年7月ちょうど戸田会長が就任してすぐです 活動資金は当時戸田会長によって動いていたのねだけど事業が破綻しちゃって理事長を辞任で、有志がみんなでお金を出したりしていたらしいんですそれを禁止して財務部員制度にしようと ところで昭和40年代の頃の財務部員って信心がちゃんとしててお金に余裕のある人しかなれなかった当時の学会と言えば「病人と貧乏人の集まり」だったからもう学会の中ではもうエリート扱い聞いた話では財務部員のバッヂがあったらしいっすこれは見たことないんだよなぁ本当かな、バッヂって まあそんな財務制度で最初から収支報告なんてありません昭和40年代の納金額は1回1,000円で年4回計4,000円の定額制だったみたいですね 戸田会長は財務の目的として「本山整備」「寺院建立」として
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