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コミケ販売グッズの価格が決定 グッズの販売価格が決定したであります! ・Tシャツ「魔法少女まどか☆マギカ」 5,000円 ・Tシャツ「〈物語〉シリーズ」 4,000円 ・「MADOGATARI展」クリアファイル3点セット 1,500円 ・「MADOGATARI展」トートバッグ 2,000円 (すべて税込価格。コミケ会場限定販売) どすか! これら魅惑の品々で人々のハートをわしづかみ! コミケ侵略、いや、もとい。コミケ出展計画の成功を勝ち取るのであります! ゲ~ロゲロゲロゲロ。 投稿時刻 11:33 | 個別ページ コメント まどかTシャツは5千枚ぐらい販売して、必ず入手できるようにしてください 投稿: まどかすき | 2016年7月22日 (金) 16:26 コメントを投稿 名前: この情報を登録する コメント:
本日付のスポーツ報知に社告を出しました 7月15日付スポーツ報知の芸能面に社告として記事を掲載しました。1面には「スポーツ紙初!コミックマーケット90出展!」の見出しを出してアピール! 当ブログも毎日新たな情報を発信していく予定です。 投稿時刻 12:00 | 個別ページ コメント コメントを投稿 名前: この情報を登録する コメント:
11月25日(木)から発売開始のグッズ付きタブロイド新聞「『劇場版ソードアート・オンライン╴プログレッシブ╴星なき夜のアリア』特別号」の表紙ビジュアルを公開しました! 主人公のキャラクター、アスナとキリト、アスナの親友・ミトという新キャラクターの3人が並んだ描き下ろしイラストを使った1面になっており、抜き取りA1サイズの大型ポスターにも採用。タブロイド判オールカラー16㌻で、チェキ風カード3枚が付いて定価1,000円(税込)です。全国のローソン(一部店舗除く)、アニメグッズ専門店、書店、スポーツ報知ECサイト「報知エンターテインメントマーケット(H.O.E.M.)」などで販売します。 描き下ろしイラストを使った表紙ビジュアル Ⓒ2020 川原 礫/KADOKAWA/SAO-P Project 全世界シリーズ累計2,600万部突破の大人気小説「ソードアート・オンライン」、その原点となる物語を
こんにちは。報知新聞写真部巨人担当の矢口です。10月19日。読売新聞東京本社で行われた原監督の退任会見を取材しました。 花束を手に会見場を後にする原監督㊨(左は白石オーナー) 報道陣のフラッシュを浴びながら会見場に入る原監督 報道陣の質問に答える原監督 表情豊かに話す原監督 会見の最後に球団職員の中山さんから花束を受け取る原監督(杉山カメラマン撮影) 原監督は「やり遂げたことには満足している」と晴々とした表情で話しました。監督人生で一番学んだことは「我慢」。「我慢というのは自分を成長させ、周りを成長させる。単純に言うならば、その中から何かが生まれる」。 1年前のジャイアンツ球場での秋季練習で原監督に聞いてみました。「監督はずっと巨人の監督を務められていますが、どうやってモチベーションを保っているんですか」 原監督「選手もチームも生き物だ。一日一日変わっていく。飽きることはないし、俺は毎日が
最後にドラマが待っていた | Tweet | | | どうも、こんにちは。山本です。今日も栗東からの更新。朝から珍しくツイートもしつつ、こちらではパッチパチと更新でございます。 さて、もともと自分に興味のない話題を遮断することの多いワタクシではありますが、最近はそれが明らかにひどくなってきました。先週あたりの更新分で書いた久々にできた彼女に浮かれまくっている友人の話。まぁ、彼女が可愛くて仕方ないんでしょう。昨夜も飲み会をしておりまして、我々も何度、そのお相手の画像を見たことか(まぁ、確かに可愛いですよ、そりゃね)。その中で彼女に部屋着をプレゼントしたというんですが、そのメーカーの名前が「ジェラートピケ」という。ワタクシには全くなじみのない名前だったんですが、他の競馬記者仲間たちは「あ~」と納得げにうなずきます。何で、君たち、そんな名前を知ってんねん、と思っていたんですが…。 ところが、です
電卓不在時代の、打率、防御率レコナーの思い出(第802回) 1月に続いて先日も、私のプロ野球記録担当時代の話をする機会があった。その席に持参して、皆さんが一番興味深く手に取っていたのが写真のレコナー(RECKONER)である。これは打率と防御率の早見表で、私が報知新聞の記録部員として入社した1973年、部長からいただいたものだ。 なぜ、こんな早見表が必要になるか、ということを説明する。現在はオンラインで共同通信から試合の成績や勝敗表、打率、防御率のランキング表が入電する。しかし、40年以上前、試合成績は各球場の学生アルバイトがスコアをつけて速記に電話で吹き込み、その成績を元に記録部が、勝敗表、打撃30傑、投手15傑を作成していた。私の仕事は集計専門でそれも打撃30傑担当。今のようなコンパクトな電卓など無い時代、編集局に1台だけあった卓上計算機(当時の金額で30万円以上したと聞いたことがある
「早起きは三文の得」という言葉がある。プロ野球担当記者は大概夜型人間であるが、たまに朝早く現場に向かうと、いい情景を目撃できる。 あれは10月30日のことだった。西武ドームでの1軍秋季練習は午前11時から始まる。それでも隣接する西武第二球場には、午前9時から星孝典、大崎雄太朗が汗を流していた。戦力外通告を受け、トライアウトを受験する坂元弥太郎の練習を手伝おうと、集まったのだ。 弥太郎はずっと西武第二でトレーニングを積んでいるが、一人でできる練習には限りがある。トライアウトは投手対打者の勝負。ならばやはり、実戦に即した準備をしたい。 星は弥太郎とのキャッチボールを終えると、プロテクターを身につけた。マシン打撃を終え、心身を研いだ大崎が室内練習場の打席に向かう。弥太郎がマウンドに立った。18・44メートルの距離に、3人の男がそびえる。シート打撃が始まった。 「真っすぐいきます!」「カーブいきま
「マジ、アツイ!」 昨秋の別れから8か月。6月18日、クリス・カーターが西武ドームに帰ってきた。背広姿であいさつに訪れたカーターに、キャプテンの栗山巧が、すぐさまツッコミを入れた。「これ、去年のスーツやん!」。練習前、輪になったナインがドッと沸き、誰もが笑顔になった。「タダイマ。ヨロシクオネガイシマス」。勝負服はニューヨーカー製、移動や行事の際に着用する昨季のチームスーツだった。中にはライオンズのロゴマークが入っていた。 来日1年目の昨季は左膝痛に苦しみ、59試合の出場にとどまったが、DHや代打の切り札として勝負強さを発揮。打率2割9分4厘、4本塁打、27打点をマークした。それでも夏から秋にかけて、カーターの左膝は悪化の一途を辿っていった。グラウンドからクラブハウスへと行き来する108段の階段を上ることも、苦しそうに見えるほどだった。 悲しいけれど、寂しいけれど、球団からの戦力外通告はやむ
~日本時間5月26日午後8時45分(現地時間同日午後5時30分)ころの連絡~ 竹内洋岳から、ダウラギリ登頂に成功したと一報が入りました。 日本人初の8000m14座完全登頂を達成です! ※現地の天気は、風が強く視界がないようです。 山頂からは衛星携帯電話で連絡できず、下ったところで無線でBC経由連絡が入りました。 音声メッセージは電話連絡が入れば、アップいたします。
角界を去った親方、力士は今。 角界を震かんさせた八百長メール問題で、引退(退職)勧告を受けて今年4月、角界を去っていった力士たちは今、どうしているのでしょうか。 消息をプッツリ絶ったり、未だに身の振り方が決まっていない元力士も少なくありませんが、角界での生活を生かして第2の人生を歩み始めた人もいます。昨年年7月に加圧トレーニングジムを開業した元谷川親方(元小結・海鵬)の熊谷涼至さん(38)を訪ねました。 熊谷さんは、東京・錦糸町に「加圧トレーニングジム Bear」を開業。ジムの代表者としてインストラクターを務めていますが、ジム案内のパンフレットには、どこにも「大相撲」や「元海鵬」など元力士と分かる文字がありません。土俵の記憶を封印したいのかと思いきや、そうではありませんでした。「お客さんのほとんどがダイエット目的の女性。『元力士』じゃイメージ的にちょっとね」と苦笑いしました。 熊谷さんは4
「これからは自分のために時間を使ってもいいのかな」(鹿島GK杉山哲) 「自分は今までチームのことを考えてやってきたつもりだった。これからはその時間を、自分のことに使ってもいいのかな、とも思う。30歳の僕に残された時間はそんなに多くないから」。 11月30日、鹿島から来季契約を結ばない旨を伝えられたGK杉山哲(30)は受け入れがたい現実を前に、そう言って赤みを帯びた目を泳がせた。 チームに尽くした8年だった。2004年に福岡大から鹿島に加入。反応の速さを武器に、曽ケ端を脅かすGKとして期待された。だが、選手の入れ替えが少ないポジションの特性上、絶対的な守護神がいれば控えにチャンスが巡ってこない。結局、出場した公式戦は2年目のナビスコ杯1試合だけだった。 「普通、プロ選手は日々の練習で、試合の準備するものだと思う。始めのうちはそうしていた。でも、出番のない期間がこれだけ続くと、何のために
プロ野球選手にはユニホームを脱ぎ、「第二の人生」を迎えなくてはいけない瞬間が、必ず訪れる。ある日、うれしい着信があった。「野球スクールを開校したんです。一度、遊びに来ませんか」。声の主は西武担当時代に取材させていただいた、坂元弥太郎さん。いやいや。「弥太郎さん」って、ヘンな感じだな。親しみを込めていつも通り、「弥太郎君」と書かせていただく。弥太郎君が先生を務める野球スクール「アスリートプランニング・ベースボールワールド」に、行ってきた。
マシュマロもうすぐデビュー | Tweet | | | みなさん、おはようございます。写真の馬はマシュマロ(牝、父クロフネ、母シラユキヒメ)です。話題の白毛馬。吉田厩舎の高島助手にお願いして、馬房の中の様子を撮らせていただきました。吉田厩舎のみなさん、ありがとうございます。目の周りにあるホクロがチャームポイントです。今月1日に入厩して、12日にゲート試験に合格。何のトラブルもなく順調にきています。ダート、芝、色々な選択肢を考えているようですが、6回京都の2週目あたりのデビューが有力です。それでは、この真っ白な牝馬について書きたいと思います。 馬房からニュッと首を伸ばしたマシュマロです。間近で見て「きれいだな~」と思わずみとれてしましました。なかなか愛嬌のある顔をしています。「ピカピカの馬体で、すごく見栄えがしますよ。白すぎて他の馬が物見をしてしまうんです」と笑顔で話す高島助手。坂路で、この
来年のACL決勝は世界基準から外れている 13日、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝戦、城南一和(韓国)―ゾバハン(イラン)戦を東京・国立競技場で取材した。 日本サッカー協会は昨年に続き、一発勝負の決勝戦の招致に成功したが、残念ながら、Jリーグ勢は昨年に続き、決勝戦に進出することはできなかった。日本 協会関係者は当日まで決勝戦の入場者数を心配していたが、ふたを開けてみれば(観客動員の効果もあり)2万7308人とスタンドの約6割を埋めた。城南一 和サポーターが大挙して国立競技場に駆けつける一方、ゾブ・アランのサポーター約1000人も大声で応援を続けた。アジアのクラブ最強決定戦として格好が つく盛り上がりを見せた。城南一和が3―1で勝利した試合内容も白熱したものだった。 対戦カード、開催地に関係なく、常に超満員となり、世界中から注目される欧州チャンピオンズリーグ決勝戦と比べると、試合内
三宅雪子議員の転倒シーン 自民党の小泉進次郎衆院議員の猛抗議もむなしく、12日に衆院内閣委員会で国家公務員法改正案が強行採決されました。与野党が紛糾する中、援軍として委員会室に狩り出された民主党の新人、三宅雪子衆院議員がもみ合う中で転倒。履いていたヒールが脱げ、30秒ぐらいうずくまって起き上がれませんでした。 そして一夜明けた13日の本会議、三宅議員はなんと車椅子に乗って登場し、本会議では松葉杖をつきながら席に座りました。さらに驚いたことにその時、与党席からは拍手が巻き起こっていました。 三宅議員は転倒した後、国会内の医務室で治療を受けたそうです。右ひざと顔面を打撲したとのこと。お帰りになるまで激しい痛みを訴えていたそうです。 民主党は、この一件を「自民党の甘利明氏が押し倒したもの」と主張。甘利氏に対する懲罰を求めています。13日、甘利氏は取材に対し、強く否定していました。 私はこの事故の
小笠原、代表落選し静かに「さみしい」 もう何年も聞いていない言葉だった。まして30歳の、大男が口にすると、余計に切なさがこみ上げてくる。 「さみしい」。 日本代表の岡田武史監督が、バーレーン戦(3月3日)に臨むメンバーを発表した日、落選したMF小笠原が静かに気持ちを吐き出した。 1月25日から始まった鹿児島指宿合宿で、3年7か月ぶりに代表に復帰した。岡田監督から「チームの足りない部分に、色を出してくれ」と言われ、「これはやってもいいの?」とチームコンセプトを重視しながら、慎重に岡田ジャパンに足りない、サイドチェンジやDFライン裏へのパスを取り込もうとしていた。 メッシーナから鹿島に復帰して2年半年。テレビインタビューを受けたのは、数えるくらいしかない。1番は、苦手。2番目の理由は「自分が受けたら、せっかく活躍した若手がテレビに出られない」という信念を持ち、試合後のインタビューを断り続
みなさまご存じのカーリングのストーンです 五輪の公式用なんですが、チーム青森の最終戦で思わぬ仕掛けを目撃してしまいました。 (おがはら) 試合中にデンマーク陣営が、ストーンについて何やら指摘。競技役員がやおら現れ、石を持ったかとおもったら、ハンドルをグルリと回しておもむろにパカッ! 何と中身がありました 見た目、ハンドルのついた漬け物石(失礼ですが)のようですが、実は精密電子機器が搭載されたメカだったんだぁと思いました。 間近で見てると選手がドローする際に「ピピピpっ」と電子音を発しているのも聞こえます。ハンドルの真下にランプもついていて、これもチカチカと点滅。おそらく、ですが、有効ラインを越える際のアラームのようなお知らせ機能がついてるんですかね。公式記録にはショットの精度、ストーンの位置やハウスまでの距離もミリ単位で出ていて、どうやってチェックしてるんだろ? と不思議に思ってましたが、
見習いたい元大分社長・溝畑氏の“たくましさ” 1月のある日。平和な昼下がり。静寂に包まれていたJFAハウス記者室に突如、大きな声が響いた。 「どうも! どうも! どうも! 溝畑です!」 1月4日付けで観光庁長官に就任した元大分社長の溝畑宏氏(49)が、2人の側近を引き連れて突然に現れた。大分は昨年、深刻な経営難に陥り、その責任を取る形で辞任した。チームの成績も振るわず、J2に降格。大分は、クラブ存亡の危機に陥った。しかし、前社長は、08年ナビスコ杯優勝など、それまでクラブを成長させたとして、その手腕が評価され、自らの立場を“昇格”させた。 「観光庁長官 溝畑宏」と大きく書かれた名刺を報道陣に手裏剣のように配った。さらに「あれ? この名刺には携帯電話の番号が入っていないな」と溝畑長官はつぶやくと、プレスルームにあった資料の裏に番号を大きく書き「何かありましたら、いつでも電話してください!
ガッカリ… 友人が「こんなの見ましたか?」と新聞の広告を送ってくれました。 マウンテンハードウエアーというアメリカのクライミングウエアーメイカーの広告です。 その広告によると栗城史多(くりき のぶかず)さんが「世界7大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦」残すはエヴェレストとビンソンマシーフという内容です。 最初にお話しておかなければいけないのは、私の過去のインタビューや記事などをご覧になったことのある方はご存知のことと思いますが、私は、いわゆる「世界7大陸最高峰」は登山の中の一つのカテゴリーとして確立していて、それにチャレンジしようという人にとって、それは、私が14座にチャレンジするのと同じように、情熱をかたむける価値がある目標なのだと思っています。 登山には人それぞれの思いがあるのだから、人それぞれのスタイルがあっていい。 スポーツクライミングだけに情熱をかたむける者がいるように、私のように
なぜ、小笠原はMVPに選ばれながら悔しがったのか Jリーグアウォーズ表彰式。鹿島MF小笠原は壇上で悔しさをかみしめた。「もっとウチの選手がベストイレブンに選ばれてもいいんじゃないか。残念で す」。司会者には「えっ、そうですか。鹿島からは3人も選ばれましたよ」と軽く流されたが、舞台から降りてもなお「MVPのうれしさが、かすむくらいに悔 しい」と繰り返した。 ベストイレブンを始めとする受賞者は選手投票を元に、最終的に選考委員会(J1クラブ社長ら23人で構成)で決まるが、その過程に問題がある。今季はほとんどのクラブが33節前に、選手から投票を回収している。Jリーグ事務局が定める提出期限は33節直後で、それに間に合わせるため、早々に集める必要があった。これは何も今年に限ったことではなく、昨年もその前もそうだった。 優勝も順位も決まっていない段階で「ベスト」を選ばせる。当然3位か7位で違うのに。また
厳格な記録員 鹿島が8日の山形戦で相手のシュートを0本に抑える“完全試合”を達成した。野球で言う完全試合は、9回で許した走者がゼロ。サッカーでその表現が適し ているかは別にして、相手に得点機を与えなかったこと、リーグ創設17年目で初めて刻まれた記録という実現性を考慮しても、完ぺきな守備だったと言ってい いのではないか。 それでも、記録員を務めた鹿島の大久保さん(総務部担当課長)は意外な感想を口にした。「シュート0本と打ち込んだのは初めてでしたが、仕事をこなしたという感じで」。試合後はレフェリーから公式記録にサインをもらうため、スタジアム4階から1階へと全速力で駆け下りた。感慨にふける時間も、そのつもりもなかった。 鹿島主催試合の場合、4人で記録をつける。試合を見る担当が2人。コンピューター入力担当が2人。1人が「〇番、シュート」「〇番、ファウル」と声かけをしながら記録を積み重ねていく。シュ
「長友の代役」椋原のナビスコ杯決勝の思い出とは… F東京は11月3日、2004年以来にナビスコ杯決勝の舞台に立つ。25日の清水戦直前に右肩を負傷した日本代表DF長友佑都(23)の代わりに急きょ出場し、見事なプレーを見せ勝利に貢献したDF椋原健太(20)に5年前の思い出を聞いてみた。 当時、椋原は15歳。F東京U―15に所属し、国立競技場へ駆けつけ応援していた。試合は前半29分にF東京DFジャーンが退場。苦しい戦いながら必死 に守り抜き、PK戦の末に浦和を破り、初タイトルを手にした。椋原はスリリングな試合展開に大興奮。すると、ある観客に反感を買いビールをかけられてし まったという。それが背番号33の5年前の思い出だ。 その舞台に立つチャンスがめぐってきた。「信じられないです。もしPK戦になって、自分に出番が回ってきたら心臓が止まっちゃいますよ」とちゃめっ気 たっぷりに笑う。見事プロになる夢
44歳のワールドクラスのゴール 17日の横浜M―名古屋戦(日産ス)で、今季Jリーグ最高と言えるゴールを目撃した。1―1の後半39分。横浜MのGK榎本哲也(26)が、ピッチ外に山なりのボールをけり出した。それを名古屋ベンチから出てきた、ストイコビッチ監督(44)が右足アウトサイドでダイレクトでけり返した。「ズドン!」。乾いた音を残し、GKの頭上を越え、ワンバウンドで約40メートル以上先の横浜ゴールを揺らした。 革靴に、スーツ姿の指揮官の現役時代をほうふつさせるビューティフルゴールに、横浜Mサポーターを含めた会場の2万2046人の観客からは、大きな拍手と大歓声がわき起こった。ストイコビッチ監督はベンチ前で両手を広げ、客席に振り返ってガッツポーズ。笑顔で声援に応えたが、主審はその直後に同監督に「退席」を命じた。これには、現役時代に13度のJ1史上最多退場記録を持つ指揮官も苦笑いだった。 前代未
仙台戦力外からACL4強への道 10月24日午後8時43分、韓国から1通のメールが届いた。 ごぶさたしております。 今日のKリーグの光州戦で初ゴールを決め、3ー2で勝ちました。 明日からカタールに行く上で、弾みになりました。 なんとしても、国立に行けるよう、カタールで頑張ってきます。 今年7月14日、浦項に入団した岡山一成(31)からだった。 昨季、仙台から戦力外通告を受けたが、サッカーをあきらめず、日本で自主トレしながら、現役続行の道を探っていた。JFLからの誘いもあったが、プロにこだわった。それは、04年12月、川崎から柏へ移籍する時、「等々力に戻り、成長した姿を見せます」とサポーターに約束を交わしていたからだった。そして、知人から浦項を紹介され、自分で編集したプレーDVDを送付し、テスト生として練習参加までこぎ着けた。浦項がアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の1次リーグで、川崎と
競馬ブログ「現場発!POGブログ」 スポーツ報知の競馬記者がPOG(ペーパーオーナーゲーム)ファン向けの2歳馬、3歳馬情報を取材現場からお届け! いつもPOGブログをご覧いただき、ありがとうございます。 当ブログは1月13日(水)更新分より、スポーツ報知ホームページ内に「引っ越し」します。 アドレスは http://www.hochi.co.jp/horserace/pog/ です。 今回の引っ越しにより、パソコン、スマホからの閲覧のみとし、従来型携帯電話(ガラケー)からお読みいただけなくなります。 対象の方は誠に恐縮ですが、パソコンなどからご覧いただきますようお願いします。 1月分の記事は入稿しています。試しにコメントを付ける「練習」などをどうぞ行ってください。 なお、誠に申し訳ありませんが、過去の記事およびコメントの引き継ぎはできません。 現在ご覧いただいている旧ブログ(https:/
「井原主将」の率直さ 私の中では今でも「主将」が「監督(代行だけど)」になった。 15日、柏は、成績不振を理由に高橋真一郎監督(51)を更迭。後任のネルシーニョ監督(58)が就任するまで、20日のG大阪戦に限り、井原正巳ヘッドコーチ(41)が、監督代行として指揮を取ることになった。 初めてのJリーグ采(さい)配は、複雑で難しい状況。どんな指揮をするのだろうか―私は、日立柏サッカー場へ、駆けつけた。 私が、サッカー担当記者になった時、井原コーチは、横浜Mでも日本代表でも主将を務めており、日本サッカー界の中心にいた。スター選手だった井原主将は、一見の記者に対しても、とても誠実だった。 1999年シーズン終了後のことだった。ミスターマリノスと呼ばれた男も32歳となり、横浜Mを去ることになった。移籍先は、そのオフのサッカー界の大きな関心事。私も多方面を取材した。もちろん、本人にも。ある日、横浜市内
清掃活動でサポーターと交流 19日、川崎とF東京の選手が参加して多摩川河川敷の清掃活動が行われた。8月1日に「多摩川クラシコ」(等々力)にちなんで「多摩川“エコ”ラシコ」と銘打たれたこの活動は、両クラブ合わせて約1100人のサポーターが参加。東京都、神奈川県両河川敷を約1時間清掃した。清掃終了後には選手やスタッフ、サポーターが参加して「多摩川レガッタ」と銘打ったボートレースが開催されるなど、会は大いに盛り上がった。 MF石川直宏選手は「楽しかった。僕らも(グラウンドの)近くで、選手会としてやりたい」と話した。今年で2回目だった「多摩川“エコ”ラシコ」。今回は初めてF東京の選手も参加して行われた。この日は、ゴミ拾いを通じて、選手とサポーターが笑顔で会話する場面が見受けられるなど、直接の交流が非常に多かった。「普段、小平(練習場)とか味スタでは柵とかがあるけど、サポーターの方と直接交流できて楽
オシムさんの誠意 試合終了後に祝福メッセージ 日本代表が世界最速でW杯予選突破を決めた瞬間から、わずか約30分後の7日午前1時30分。報道各社に、日本サッカー協会を通じて、日本代表イビチャ・オシム前監督(68)の祝福メッセージが届いた。 締め切り時間が迫り、最も忙しい時間だったが、私は新聞制作の手が完全に止まってしまった。オシムさんの言葉に引き込まれ、何度も読み返した。 7日付けの最終版で掲載したが、ここに改めて、紹介したい。 日本代表のW杯2010年大会出場決定にあたり、選手たち、及び、日本サッカー協会、そして日本のサッカーファン、サポーターの皆様にお祝いを申し上げます。日本代表が南アフリカで、幸運と成功に恵まれますよう祈ります。 日本はW杯予選を世界で一番早く突破しましたが、早さそのものは目的ではありません。これからは、W杯でいかに戦うかです。プレーのバリエーションを増やすことを含
試合前の出来事 寂しさとうれしさ 昨夜(5月31日)、東京・国立競技場で行われたキリン杯ベルギー戦。試合後、記者会見で、日本代表・岡田武史監督(52)が4―0で大勝したにもかかわらず、キレたことは、本日(1日)付の本紙でお伝えした通りだが、ここでは、試合前の出来事を紹介したい。 午後5時30分過ぎ、日本代表のチームバスが到着した。ロッカールーム入り口の前では「JFAユースプログラム」の一環として、募集された小学生20人が選手を出迎えた。選手の中で、最初にバスから降りたMF遠藤保仁(29)=G大阪=が子供たちとハイタッチしながら歩いた。その後、ほかの選手たちも遠藤に続いた。試合後、チームは一時解散するため、両手に荷物がいっぱいの選手もいたが、片方の手に持ち替え、ハイタッチをした。 だが、しかし。 子供たちに目もくれず、ハイタッチもせず、イヤホンをしたまま、ロッカールームに消えていった選手が
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