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アメリカ大統領選
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『アンクル・トムの小屋』は、じつは、こんなに難解な作品なのである。子供向けの抄訳でこの作品を「読んだことがある」読者の皆さんは、原作の全訳である本書に接して、ずいぶん趣の異なる作品を読んだような印象を抱かれたかもしれない。 原作は、文章表現そのものの難解さもさることながら、奴隷制度についていろいろな側面から考察する内容が概念としてかなり複雑なのである。物語に登場するオーガスティン・サンクレア氏の懊悩のように、奴隷制度を単純に悪と決めつけるだけでは問題の解決につながらないという厄介な現実を前にして、当時のアメリカ市民は、知識人や宗教家から卑しい奴隷所有者にいたるまで、それぞれの立場でさまざまな矛盾を抱えて魂の迷路をさまよっていた。抄訳ではそうした難解な部分は大部分がカットされて、「善人で信心深い黒人奴隷トムが極悪非道な奴隷所有者の手で残虐な殺され方をしました、だから奴隷制度はまちがっています
コラム/インタビュー〈あとがきのあとがき〉 ほんとうの「にんじん」は、どこにいるのか?──ジュール・ルナールの不思議 『にんじん』の訳者・中条省平さんに聞く 岸田國士、窪田般弥などの先訳や、子ども向けのリライト作品を数多く持ち、日本では名作児童文学の定番として定評のあるルナールの『にんじん』。「子ども向けの本」として若い頃に読んだおぼろげな記憶を、そのユニークな題名と、赤毛の少年というややエキゾチックなイメージとともに記憶に残している人も多いだろう。しかし、中身については、どこか釈然としないものを感じている人が少なくないのではないか。──意地の悪い酷薄な母、無関心を装う無口な父、母の片棒を担ぐばかりで頼りにならない兄と姉、主人公を取りかこむそんな環境が引き起こす可哀想な「いじめ」の物語──、でも果たしてそれだけか......。新訳を終えた中条省平さんが語ってくれた、もう一つの『にんじん』像
宗教の枠を越えることに寛容な人たちと、越えることを禁ずる厳格な人たちが織りなす、絡まる糸のような人間関係。息もつかせぬミステリー風の展開のなかで、宗教の枠を超えた「多様性」と‘わかったつもりにならないこと’や‘自分で自分の蒙を啓くこと’の大切さを説く18世紀啓蒙主義を代表する劇詩。丘沢さんがこの作品に注目したのはなぜだったのだろうか。 ──拝読して、訳文にいまの若者言葉を思わせる言い回しが入っていて、総じて若々しい文体であることに驚きました。これは意識的なものだったのですか。 丘沢 いえ、特別意識はしませんでした。私、若いですから(笑)。ただ、戯曲って読みにくいですよね。それで1人称を固定してしまった。たとえばサラディンなら「わし」という具合に。同じ人でも「おれ」と言ったり「私」と言ったり、場面によって使い分けるわけですが、それをやめた。ただ修道僧だけは、 途中で人格が変わるので、「わたく
純粋で真面目な青年ドン・ホセは、これまで会ったこともない魅力を持った女性カルメンに心を奪われる。自由奔放な彼女に振り回され、ホセは悪事に手を染めるようになり……。 バレエやオペラの題材としても人気が高い「カルメン」。黒人奴隷貿易を題材に、奴隷船を襲った反乱の惨劇を描いた「タマンゴ」。プロスペル・メリメ(1803-1870)の傑作中編2作を訳した工藤庸子さんにお話を聞きました。 ──『カルメン』といえば、オペラやバレエでご存知の方が多いですよね。 工藤 メリメを読んでくださる人は、そんなに多くはないでしょうね。わたし自身も、初めて『カルメン』に触れたのはオペラです。高校に「オペラ部」というのがあって『カルメン』は演し物の一つでした。 ──え、オペラ部ですか!? 工藤 今の筑波、昔の教育大の附属高校ですが、「日本で最初の高校オペラ部」らしいです。面接試験のときに「ピアノ、趣味ですか?」とか熱心
全タイトル刊行年譜 全タイトル刊行年譜 年代 BC AD 900年代 1100年代 1200年代 1300年代 1500年代 1600年代 1700年代 1800年代 1900年代 英米 イタリア・フランス ドイツ ロシア / その他 タイトル 著者 BC 4C プロタゴラス──あるソフィストとの対話 プラトン ソクラテスの弁明 プラトン メノン―徳(アレテー)について プラトン 饗宴 プラトン ニコマコス倫理学(上) アリストテレス ニコマコス倫理学(下) アリストテレス テアイテトス プラトン 詩学 アリストテレス パイドン──魂について プラトン ゴルギアス プラトン ソクラテスの思い出 クセノフォン 政治学(上) アリストテレス 政治学(下) アリストテレス BC 3C-2C スッタニパータ ブッダの言葉 ダンマパダ ブッダ 真理の言葉 BC 429頃 オイディプス王 ソポクレス
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という書き出しの一文であまりにも有名な古典文学、万人の記憶に刻まれるあの中世の名随筆が古典新訳文庫に登場! 大火事、竜巻、遷都、飢饉、大地震といった厄災、個人的にもままならない出来事の数々を経て、この世のはかない生を、都から離れた山中に構えた一丈四方の草庵で、何ものにも縛られずに過ごすことを選んだ鴨長明。その心の声を現代のことばで表し、現代の読者にとってもどこか親しみを感じさせる人物像を浮かび上がらせた詩人・作家の蜂飼耳さんにお話を伺いました。 ──高校の古文の時間にありがたいものとして冒頭の数行を読んだ古典の名作の書き手が、突然リアルで近しい存在として浮かび上がってきて新鮮でした。 蜂飼 学校の授業の範囲でできることは非常に限られていると思うんですよね。『方丈記』の冒頭部分を読んだり、暗誦したりということだけですと、どうしても「冒頭部分
古典新訳文庫ブログのインタビュー<女性翻訳家の人生をたずねて>に、新しいシリーズが加わります。新シリーズでは、本という媒体ではなく、<映像>の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者です。 字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、そして、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読くださいませ。 第1回は、ドイツ語で字幕翻訳を手がけている、吉川美奈子さんにご登場いただきます。 構成・文 大橋由香子 吉川美奈子さんの主な翻訳映画作品 「ドレスデン、運命の日」「アイガー北壁」「ソウル・キッチン」「PINA/ピナ・バウシュ 踊りつづけるいのち」「コッホ先生と僕らの革命」「ハ
しおりダウンロード 物語の登場人物をすぐ確認できると大好評のしおりを、 PDFファイルで公開中です! プリントアウトしたり、モバイルデバイスで表示してお使いください。
〈あとがきのあとがき〉いまこそジュネが必要だ──「言葉」と「幻想」と「思考」のアラベスク 社会に刺さる棘/永遠の鏡としてのジャン・ジュネ 『薔薇の奇跡』の訳者・宇野邦一さんに聞く ジュネの一般的なイメージは何だろう? 泥棒? 反逆的な同性愛者? コクトーやサルトルに愛され、その嘆願運動で無期懲役を逃れた文学の英雄? サルトルに『聖ジュネ』と讃えられ、その後はしばらく書かなかった詩と小説と戯曲とに優れた孤高の天才? その、どれもが正しいだろう。だが、それだけでは足りない。現代にも通用する本当のジュネは、どこにいるのだろうか。40〜60年代の時代の寵児だったジュネに、80年代になってから本格的に覚醒し、その後にやってきたエッセイの時代を含めて、30年以上も彼に向かい合ってきた思想家の宇野邦一さんに、『薔薇の奇跡』新訳訳了を機に、「ジュネという現象の現在」について聞いてみた。 ──今年(201
〈あとがきのあとがき〉100年前からもうポストモダン!? 唯一無二の作家、ウラジーミル・ナボコフの不思議な魅力 『偉業』の訳者・貝澤哉さんに聞く 『カメラ・オブスクーラ』『絶望』に続き、光文社古典新訳文庫のロシア語で書かれたナボコフ作品の第三作目、『偉業』の翻訳が完結した(2016年10月刊)。『ロリータ』『アーダ』をはじめとして、1945年にアメリカに帰化した後に英語で書かれた多くの作品と、多彩な技巧を駆使した難解な文体で知られるこの大作家が、ロシア革命から逃れたヨーロッパの地で、亡命ロシア人たち向けに書いたロシア語原文の初期作品群には、どんな特徴があるのだろう。一作目の翻訳開始から都合7年をかけて三作を訳し終えた、貝澤哉さんに話を聞いた。 長い間、ナボコフと言えば「複数の言語で書く亡命作家」というイメージが先行し、7、80年代ころの一般的な印象では、貴族としてロシアに生まれ、革命後に
SF小説の金字塔が2013年になってぐっと面白くなってきた! オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』の魅力を担当の傭兵編集者Oがたっぷり紹介します。 本書はSFの金字塔として知られていますが、世界が進む方向性を(80年前に書かれたとは思えないほど)的確に予測し、そこに潜む危険性を見事に提示している作品であり、まさにいま再び読まれるべき作品であると断言できます。 また、ユーモアに満ちあふれる筆致、魅惑的な登場人物、そしてスタイリッシュでさえある社会情景の描写は、古典であることを忘れさせるほど現代的です。いまだに世界中で熱狂的なファンがいて、本作がたびたび引用されるのは、本書が鋭い洞察と批判精神に満ちているのみならず、胸躍るような読書体験を提供してきたからに他なりません。 あらすじ 舞台は26世紀ロンドン(フォード紀元632年)、資本主義と科学によって輝かしい発展を遂げた人類は、幾度かの激し
光文社翻訳編集部の傭兵編集者Oです。 私はこれまでの仕事人生で翻訳ノンフィクションの本を少なくとも100冊くらいは作ってきたと思うのですが、この『子どもは40000回質問する』ほど、人生の見方が変わるほどに強烈な、素晴らしい本はなかなかないと断言できます! 本書の原題はCurious: The Desire to Know and Why Your Future Depends on It、直訳すると『好奇心──知りたい欲望、そしてなぜ未来はそれにかかっているのか』といったところ。人間の好奇心がどんなもので、どんな働きをしているのか、を豊富な事例を引きながら検証した本です。セールスポイントとしては 「いますぐに、すべての親が読むべき本」かつ「読んだすべての親が青ざめる本」であり、 ビジネスパーソンにとっては、イノベーションや新しいビジネスの創出を促すしくみを考えるうえで、大変参考になる本で
コラム/インタビュー〈あとがきのあとがき〉アンドレ・ジッドは 本当に、愛と信仰の相克の物語を書いたのか 『狭き門』の訳者・ 中条省平さんに聞く 『狭き門』は、愛と信仰の相克を描いた物語として、ずっと読まれ続けてきた作品です。 主人公であるジェロームは、美しい従姉アリサに恋心を抱きます。彼女もまたジェロームに愛情をもち、周囲の人々も二人の愛が成就することを願うのですが、しかしアリサはジェロームとの結婚に、ためらいをもちます。 神の国にあこがれをもつ彼女は地上での幸福をあきらめ、遂に……。 ある意味理不尽な展開をするこのラブストーリーが、多くの人に読み継がれてきたのは、やはり作者アンドレ・ジッドの才能によるものだと思われます。 今回は、『狭き門』を新訳した中条省平さんにお話を聞き、才能あふれるジッドの小説の書き方や、この愛と信仰の物語の根幹にある特異な神のあり方などについて語っていただきました
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉 (毎月1日更新) *"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉 *"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳
光文社古典新訳文庫の「絶品」を紹介する、小冊子ができました! 光文社古典新訳文庫で読める名作と、それをつくるうえでのこだわりをまとめた新しい小冊子が出来上がりました。その名も「編集長がお勧めする78冊の絶品料理、古典は新訳で召し上がれ!」。 この小冊子では、「短篇小説」「不倫と恋愛の文学」「児童文学」「ドストエフスキー作品集」「読まれていないことが本当に惜しい3冊」などのトピックごとに本を選んで内容や読みどころを紹介し、編集部の出版意図やその本への思いなども述べさせて頂いています。 ぜひこの機会にダウンロードして頂き、読書ガイドとしてご活用頂ければと思います。 また、印刷した小冊子は、古典新訳文庫のフェア「夏の古典新訳」(6/22頃から)に合わせて、書店にて配布予定です。
コラム/インタビュー〈あとがきのあとがき〉内村鑑三が書く英文テキストは、どんな英語なのか 『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』の訳者・河野純治さんに聞く 2015年3月の新刊は、明治大正期を代表するキリスト教思想家、内村鑑三(1861-1930)が書いた『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』。 『余は如何にして基督信徒となりし乎』という題名で知られている本です。 この本は、内村の日記を基に綴った若き日の自伝。武士の家に生まれた内村が、札幌農学校に入学、そこでキリスト教に改宗。その後にアメリカに渡り、働きながら大学で信仰を深め、神学校で学んだ後、帰国するまでのことが書かれています。本書は1895年に日本そしてアメリカでも刊行。内村は最初からアメリカでの出版を想定し、そのため原文は英語で書かれています。 今回の新訳で見えてくるものは「内村くん」と思わずいいたくなる若き明治人の姿。素朴
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉 (毎月20日更新) お待たせしました。vol.1の小尾芙佐さんから3ヶ月余、連載シーズン2は、中村妙子さんにご登場いただきます。1923年生まれの中村さんは、翻訳を手がけて70年近くになられます。ロングセラーの『サンタクロースっているんでしょうか?』「くまのパディントン」シリーズ(ともに偕成社)『ナルニア国の父 C・S・ルイス』(岩波書店)をはじめとするたくさんの翻訳のほか、『アガサ・クリスティーの真実』(新教出版社)『鏡の中のクリ
イベント/講座リルケ『マルテの手記』を読むー講義と対談ー松永美穂さん、斎藤環さんを迎えて レポート 9月3日東京ドイツ文化センター 東京ドイツ文化センター図書館で行なわれている連続講座「ドイツの古典図書を古典新訳文庫で読む」。第6回目となる今回は、古典新訳文庫で『マルテの手記』を翻訳されたドイツ文学者の松永美穂さんと、精神科医として活躍される一方で、幅広い批評活動でも知られる斎藤環さんをお招きしました。 講義の前半は、松永さんとリルケとの出会い、そして『マルテの手記』の読みどころについてお話をうかがいました。 大学時代に『マルテの手記』を初めてドイツ語で読んだときの新鮮な驚きを、今でもとてもよく覚えていると語る松永さん。とりわけ印象深かったのは、次のような一節だったそうです。冒頭で、マルテが街角で女性とすれ違う場面---- 『マルテの手記』にはこのような、現実とも白昼夢とも思われる不思議な
「かつて日本語に翻訳された『チャタレー夫人の恋人』は発禁処分にされたけれど、今読めば、性的な描写は猥褻なんかではなくてフツーに読めてしまうんだよね」と考える人はきっと多くいるでしょう。実際そうなのだけど、そのことによって、この小説が古くさいものだと思えてしまうのなら、とても惜しい。 そう、物語は、上流階級の夫人が領地の森番の男と関係を結び、地位や立場を超えた愛の世界へと突き進むというもの。 猥褻とかタブーを破るといったことに過剰に反応せず、今回新訳されたこの長編小説をゆったりと読んでいくと、一人の女と一人の男が出会い、そこで生まれた恋愛の全体性を、独特なタッチで描いた作品であることがわかってきます。 主人公の女と男の背景をD・H・ロレンスは書いていきます。20世紀初頭の工業化社会、イギリスの階級社会、そしてチャタレー夫人の夫を下半身不随にさせた第一次世界大戦など......その描き方が独特
「東洋のルソー」と呼ばれた中江兆民が1887年に発表した『三酔人経綸問答』。 封建社会から近代社会に移り変わっていった明治期の日本、国際的には西欧列強が東洋に進出していった時代の中で、政府、在野を問わず国を担おうとする者たちは、強い危機感をもって対外関係を考えようとしていました。 自由民権運動を通して近代化の道筋を考え実践してきた兆民も、日本がどのように国際社会の中で活動をしていけばいいのかを考える時期にありました。また、明治政府の国会開設(1890年)を前にして、変質していく自由民権運動に対しても何かをいうべき必要があったのです。 とはいっても、兆民が書きあげたテクストは決して深刻なものではありません。タイトル通り三人の酔っぱらいの対話劇が笑いを交え展開します。自由平等・絶対平和の追及を主張する洋学紳士君、軍備拡張で対外侵略をと激する豪傑君の二人の客人、そして迎えるのは両者の論争を現実主
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉 (毎月5日・20日更新) *"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナー
幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代に出版界に飛び込み、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。 〈取材・文 大橋由香子〉 *"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保
コラム/インタビュー〈あとがきのあとがき〉「『自由論』を普通に読めるようにし、 哲学を普通の言葉で語ること」 斉藤悦則さんに聞く 個人への自由への干渉はどこまで許されるのか。反対意見はなぜ尊重されなければならないのか。こうした問題をじっくり考察しているのがミルの『自由論』。 情報化社会の渦の中で、自分とまったく違った意見の持ち主や、とんでもないことをしている人たちに出会ったりすることが多い私たち。カーッときて何か主張をしようとする前に、少し頭を冷やすためにも読んでおきたい......だけでなく、市民社会を生きるための基本的考えを身につけるためにも読んでおきたい本です。 今回の「あとがきのあとがき」は、『自由論』を訳した斉藤悦則さんに登場していただきました。現代の日本で、ミルの文章がどう読まれるかなどの話について聞きました。また、斉藤さんは、アナキズムの思想家プルードンの研究者でもあります。
〈あとがきのあとがき〉「『1984年』ではなく、この小説のようなソフトなディストピアになるのでは」 『すばらしい新世界』の訳者・黒原敏行さんに聞く オルダス・ハクスリーが、1932年に発表したディストピア小説『すばらしい新世界』。時代は自動車王フォードにちなんだ「フォード紀元632年」という未来。フリーセックスとソーマと呼ばれる快楽薬の配給により実現した、誰もが人生に疑問を抱かない楽園のような社会が描かれます。しかし、その世界を構成する人間たちは、受精卵の段階から孵化器で「製造」されていました。さらに、そこでは階級ごとに選別され、体格、知能などが決定されていたのです。 こんな未来社会を描いた『すばらしい新世界』を翻訳した黒原敏行さんに、今回はインタビューしてきました。ディストピア小説というとすぐに思い浮かべるジョージ・オーウェルの『1984年』 (スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義
カフェ光文社古典新訳文庫 Blog:毎月のトークイベント「カフェ光文社古典新訳文庫」のレポートなど 光文社古典新訳文庫からのお知らせを中心に、翻訳書籍についての 情報をお届けし、読書の楽しみをみなさんと分かち合う場です。 ウラジーミル・ナボコフがロシア語で書いていた初期作品のひとつ『カメラ・オブスクーラ』は、『ロリータ』の原型ともいわれてきた小説です。 ナボコフの作品の楽しみは、ただストーリーを読むのではなく、その巧妙な仕掛けを発見していくところにあります。そこで翻訳者の「あとがき」を思わず熟読してしまうのですが......今回の「あとがきのあとがき」は、『カメラ・オブクーラ』を訳した貝澤哉さん(早稲田大学教授)です。 ------まずは「訳者あとがき」の文章を読んで、読者が絶対知りたいことをお聞きします。「(日本の)現役で活躍するプロの作家たちのなかにも、ナボコフについて熱く語る熱烈な崇
カフェ光文社古典新訳文庫 Blog:毎月のトークイベント「カフェ光文社古典新訳文庫」のレポートなど 光文社古典新訳文庫からのお知らせを中心に、翻訳書籍についての 情報をお届けし、読書の楽しみをみなさんと分かち合う場です。 ホーム > コラム , ホーム > 翻訳者 > サルトルの読み違い--ジャン・ジュネ『花のノートルダム』の新訳をめぐって サルトルの読み違い--ジャン・ジュネ『花のノートルダム』の新訳をめぐって 中条省平氏がジュネの『花のノートルダム』を新訳した(光文社古典新訳文庫、2010年)。2008年に河出文庫版(鈴木創士訳)が出ているが、'60年代末から多くの文学好きの間で人口に膾炙してきた堀口大學訳の新潮文庫版(1969年)から数えると、実に41年ぶりの「壮挙」だ。大仰に「壮挙」と言うのは、訳文そのものの現代性や素晴らしさに加えて、堀口版の解釈と表現に縛られて滞りがちだったジュ
毎月のトークイベント「カフェ光文社古典新訳文庫」のレポートなど 光文社古典新訳文庫からのお知らせを中心に、翻訳書籍についての 情報をお届けし、読書の楽しみをみなさんと分かち合う場です。
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