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体力トレーニング
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A3が入る大容量のうえ、自由に可動できるインナーケース付き カンパーニュ(Campagne)とは、フランス語で「田舎」という意味。普段使いはもちろん、小旅行やピクニックをイメージしてこのサイズになりました。 自由に可動できる仕切りがついたインナーケースが付属されている事で、細かい収納も便利な上、衝撃をやわらげるので、モバイルやカメラなど入れても安心。 自由に仕切れて、マザーズバッグとしてもおすすめです 取出し可能なインナーケースで自由に仕切れるので、小さなお子さんがいる方にも、哺乳瓶やおむつ、お着替えなどが便利に収納できマザーズバックとしてもおすすめです。 口をくるくると折りたたんでフタができる、便利なデザイン 荷物の多さによって、調節できるからとっても便利なデザインです。折りたたんだ上には三脚や製図ケースをのせても良いかもしれません。 ノートパソコンやA3ファイルもインナーケースとトート
型染めユニット「kata kata」デザインによる、くまの豆皿です。眺めてついつい微笑んでしまう、なんとも可愛らしい表情と形です。一枚一枚手作業による銅版転写手法による印判手のお皿なので、絵柄にカスレやにじみ、色抜けが見られます。手作業から生まれる素朴な味わいも魅力のひとつです。 薬味入れや醤油皿、煮豆や漬物などに。少し大きめの箸置きとしても。物語が感じられる個性あふれるデザインが、日々の食卓を楽しくしてくれます。インテリア陶器としてもかわいいです。
monsen(モンセン)は民藝や作家のうつわを中心に白山陶器や波佐見焼の和食器、野田琺瑯や倉敷意匠の雑貨など、こころに楽しいモノたちを集めた和食器を通販するうつわのネットショップです。和食器のアウトレットやギフトも揃えています。
70年間以上、琺瑯づくり一筋に歩み続けてきた伝統ある野田琺瑯。 道具は人の手助けになり、心がやすらぐ、安心して使えるものでなければならないという考えのもと、様々な道具がつくり続けられています。 野田琺瑯の歩み 野田琺瑯は昭和9年、東京に設立。昭和16年に勃発した太平洋戦争の企業整備令に基づき、一旦工場は閉鎖されましたが、昭和22年に再開。再開当時は病院で使う洗面器等の衛生用品、理化学用品を中心に生産していました。 その後、琺瑯は清潔で耐久性に優れているところから、キッチン用品としても生産するようになりました。それにより多くの料理研究家などに認められ、「日本の琺瑯といえば野田琺瑯」という信用を確立し、現在に至ります。 野田琺瑯の想い 70年以上の伝統ある野田琺瑯は、エジプト時代に発祥したと言われている琺瑯の長い歴史に培われ、進化してきた琺瑯の火を消してはならないという思いのもと、創業以来、琺
中井窯の器は、美しい発色で染め分けられた独特な色合いが、心を惹きつけます。 大胆でありながら、ぽってりと素朴な質感。温かみのある暮らしに包まれます。 中井窯は1945年、鳥取県河原町に牛ノ戸窯の脇窯として個人窯を築窯。鳥取民芸運動の指導者・吉田璋也氏の指導により新作民芸に取り組みました。牛ノ戸焼より受け継ぐ緑・黒・白の釉薬を使い染め分けられた大胆なデザインが特徴です。現在は二代目坂本實男氏と三代目坂本章氏が作陶し、工業デザイナー柳宗理ディレクション作品でも注目を集めています。また、鳥取の自然と文化を取り入れた智頭急行「スーパーはくと」の洗面台の手洗い鉢も中井窯が手がけています。
益子焼は土の味わいが感じられる、厚手で素朴な器です。 柳宗悦とともに民芸運動を起こした濱田庄司により益子の町は民芸陶器の里となりました。 ここでは、「益子焼」と「民芸運動」について紹介します。 益子焼の開窯 益子焼は栃木県の東南部に位置する益子町でつくり出されています。 江戸時代の終わり、嘉永6年(1853年)に益子町の近くの茂木に生まれた大塚啓三郎により益子焼は開窯されました。 益子焼の始まりは大塚啓三郎が、益子に隣接する茨城県笠間にある風台院で修行をしていた時に陶芸に興味を覚え、やがて益子で良質の陶土を見つけてやきものを始めたといわれています。 濱田庄司と益子焼 益子焼が一躍有名になったのは、陶芸家 濱田庄司が益子に定住し、益子の素朴な土と釉薬によって民芸的な作家活動を始めたことで益子が民芸運動のひとつの拠点となり、多くの陶芸家や民芸運動の人々がここを訪れるようになったからです。濱田庄
熟練した職人の技術により繊細で上品な木村硝子店のガラスは、口当たりの感触、氷の涼しげな音など五感で楽しめます。 いろんな柄、シリーズなどで揃えるのも人気です。 木村硝子店の歩み レストランやバーなど、業務用のグラスメーカーとしても有名な木村硝子店。 1910年の創業以来、約100年間にわたり新しい風を取り入れています。オーソドックスな姿勢をくずさず、飽きの来ない使いやすさをコンセプトに木村硝子店は作り続けています。 熟練したガラス職人たち アイデアをかたちにするのは、長い歴史の中で関係を築いてきた、熟練のガラス職人たち。 その技術により、繊細な感触や、普段使いとしても使える、シンプルで飽きの来ないデザインを実現し、いつも身近な存在であり続けるもの作りには定評があります。
小鹿田焼をはじめて目にするときなんともいえない佇まいに、こころを惹きつけられます。 素朴で温かみがあり、でもどこか力強く奥が深く、伝統を守り続けてきたからこそ出せる味わいです。 小鹿田焼の開窯 小鹿田焼は大分県日田市から車で30分ほどの山中の小さな集落で焼かれています。 小鹿田焼の開窯は、福岡県朝倉郡小石原村にある小石原焼の技法が伝わり、江戸中期の宝永2年(1705年)に当時、日田郡大鶴村にいた黒木十兵衛が小石原焼の陶工 柳瀬三右衛門らを招いて開窯したのが小鹿田焼のはじまりといわれています。 現在は10軒の窯元があり、開窯当時以来、一子相伝で小鹿田焼の技術や伝統を守りつづけています。 自給自足の土と釉薬 小鹿田焼の原土(陶土)は、すべて集落周辺の山からの自給です。皿山は集落全体の地質が厚い陶土層で形成されているため、表土を少し掘り下げれば陶土を掘り出せます。採土作業は年2~3回共同で行われ
白山陶器を知らない人でも、このG型しょうゆさしを目にしたことのある人は多いのではないでしょうか。 持ちやすく工夫された上部のくびれ、注ぐ量の調節ができるように開けられた蓋の穴、液だれしにくいよう考えられた緩やかなカーブを描く注ぎ口。 白山陶器は高い機能性と無駄のない新しいデザインの両方を兼ね備えたものをたくさん生み出しています。 白山陶器の歩み 白山陶器のうつわは、長崎県の波佐見という小さな焼きものの街でつくり出されています。 400年の歴史をもつ波佐見焼を、現代風かつ機能的なデザインで製品化している白山陶器は、1951年に有限会社白山製陶所、そして1958年には白山陶器株式会社が設立され今日に至ります。 日常の暮らしにおける白山陶器のデザイン “使う人にとって使いやすいもの”、“生活の中になじむもの”であるということが、白山陶器にとっての器づくりの原点です。 “華美ではなく、かといって平
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