サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.nakatani-seminar.org
早稲田大学 中谷礼仁建築史研究室 "Nakatani Seminar", Department of Architecture, Waseda University. 建築史、建築理論、歴史工学研究 Architectural History, Theory, Sci-Fi Architecture History ● 世界とは何か 『資本論』K・マルクス/岩波書店/1969年 『純粋理性批判』『判断力批判』そのほかE・カント/岩波文庫 『現代棟梁 田中文男』INAXギャラリー/1998年 『精神と自然:生きた世界の認識論』グレゴリー・ベイトソン/思索社/1982年 ● 21世紀の芸術論の幕開け 『ルネッサンス 経験の条件』岡崎乾二郎/筑摩書房/2001年 ●歴史とは何か 『全体を見る眼と歴史家たち』二宮宏之/平凡社ライブラリー/1995年 『歴史入門』フェルナン・ブローデル/太田出版/1
世界建築史ゲーム 今回は中谷による建築史授業の実際を紹介させていただきます。名付けて世界建築史ゲーム。西洋建築史の授業の第1回めにやることにしています。ちなみに相手は大学2年生です。いかに簡単に根っこ的なことを説明するかが大事なわけです。 ●世界建築史ゲーム -100枚の出所不明のカード まず100枚の出所不明の建築らしきものが描かれたカード(図)ともにこんなルール説明を行いました。 建築史I・第1回目・世界建築史ゲ-ム ある日、世界が破めつして世界中から歴史の確たる痕跡が消えてしまったとしなさい。いや、話はそんなに大きくなくてもいい。ある日、小さな地震があって世界の建築を集めた本が落っこちて、ぺ-ジ がばらばらになって、おまけに何枚かなくなってしまったとしなさい。 ぺ-ジの順序がわからないので自分で、うまいようにそれをつなぎあわせるしかない…。 ル-ル) 1:用意したおよそ100枚のカ-
1はじめに ここに公開する作庭書のテキストは本学中谷ゼミナール庭ゼミの一環として行った。テキスト化を行う対象は『嵯峨流古法秘伝書』とそれを範とした江戸時代以降の作庭書、並びに日本最古の作庭書である『作庭記』である。 作庭書とは、庭を造る際の手本とされたもので、今でいう教科書のようなものである。現在確認されている最古の書は先に記した『作庭記』であり平安時代頃に作成された。安土桃山時代頃までは秘伝書であったため世間一般に流布されなかったが、江戸時代に入ると写本等で広く流布されるようになる。また、造園学会でも高名な飛田範夫氏によれば江戸時代以前の作庭書は『作庭記』、『秘本庭造伝』、『山水並野形図』、『嵯峨流古法秘伝書』の四つであり、その他の多くは江戸時代以降に刊行されたものであるという。 今回テキスト化する作庭書『嵯峨流古法秘伝書』は江戸時代以降特に写本された数が多い。その理由として、飛田範夫氏
2011/1/23--01/28 UCHIHARA Yasuhiro's Track & more 1000 photos 写真を主に活動するアーティスト内原恭彦は、GPSをつけてひとり写真を撮り続ける日々。 日本からインドに折りたたみ自転車を持ち込み、自転車で回っている。
This is a site of project of workshop in BHOPAL 2011. NAKATANI UNIT in BHOPAL 2011 walk on Bhopal's landscape,digging up and actualizing Bhopal's invisible layer of urban form with walking, and mapping the track data.
● 世界とは何か 『資本論』K・マルクス/岩波書店/1969年 『純粋理性批判』『判断力批判』そのほかE・カント/岩波文庫 『現代棟梁 田中文男』INAXギャラリー/1998年 『精神と自然:生きた世界の認識論』グレゴリー・ベイトソン/思索社/1982年 ● 21世紀の芸術論の幕開け 『ルネッサンス 経験の条件』岡崎乾二郎/筑摩書房/2001年 ●歴史とは何か 『全体を見る眼と歴史家たち』二宮宏之/平凡社ライブラリー/1995年 『歴史入門』フェルナン・ブローデル/太田出版/1995年 『歴史家のアトリエ』ジョルジュ・デュビー/新評論/1991年 『近代世界システム』イマニュエル・ウオーラーステイン/岩波書店/1981年 『歴史主義の貧困』カール・ボパー/中央公論社/昭和36年 『地図にない町』フィリップ・K・ディック/仁賀克雄訳編/早川書房/1976年 ●ポスト建築史学 『several
『作庭記』の最も古い写本は金沢の谷村家所蔵であり、奥書に「正応第二(1289)」と書かれている。この作庭書の特徴的な点は当時の王城の相地にあたって、もっとも重視された四神相応観が庭作りの上でも重要視されており、さらに陰陽五行説に基づく理論化が極めて伺える。また王朝の住宅建築様式である寝殿造りを前提とした説明がなされている。このことから本書の成立は平安時代末期と考えられ、我が国最古の作庭書であるとされている。その内容は、前半において立石の概要に始まり、島・池・河などの様々について論じ、滝を立てる次第、遣水の次第を詳述している。後半においては立石の口伝に始まり、その禁忌を具体的に論じ、ついで樹・泉について述べ、最後に雑部として楼閣に触れている。著者については、『作庭記』(田村剛、相模書房、1964年)において森蘊氏、さらに太田静六氏などの研究を統合して、その由来と伝承を明快に論じ、橘俊綱一人に
『日本の民家』再訪1 「民家における非田園的なるもの ー今和次郎『日本の民家』再訪によせて」10+1 No43掲載 『日本の民家』再訪2 「準備編」10+1 No44掲載 『日本の民家』再訪3 「都市の水面 内郷村再訪」10+1 No45掲載 『日本の民家』再訪4 「郊外町の痕跡 甲州街道再訪」10+1 No46掲載 | 瀝青会 中谷礼仁 石垣敦子 久保響子 坂東真以 広瀬和也 (大阪市立大学) 石川初(ランドスケープデザイン) 清水重敦(奈良文化財研究所) 御船達雄(和歌山文化財センター) 大高隆(カメラマン)|
●なぜ工学なのか数年前に専攻を建築史から歴史工学へと改名し、方向性を鮮明にした。勝手にたちあげた学問領域なので社会的認知度はいまだ低いというか、ない。しかし当方はこのジャンルが今後非常に重要な学領域になると思っているので、歴史工学とは何かについてまず説明したい。その後それに関連するいくつかの活動成果を紹介させていただきたい。 当方はこれまで建築史学つまり過去の建築的事物を研究の対象としてきた。しかし、ある日散歩をしていて、当然検討すべき命題が全くの手つかずであったことに気づいたのであった。それは目の前に古墳が突然出現したときであった。大阪に生活していたときのことなのであるが、その場所は大小合わせて古墳が40を超える古墳密集地帯であった。計画道路は見事にその古墳を避けて通っていた。つまり過去の事物は、規模の大小にかかわらずこのようにして、ことさら意識もされないうちに、現在に強大な影響を与えて
成果論文 Outcomes 2021修士論文2本・卒業論文6本 2 Master Theses, 6 Bachelor Theses 2020修士論文10本・卒業論文6本 10 Master Theses, 6 Bachelor Theses 2019修士論文5本・卒業論文8本 5 Master Theses, 8 Bachelor Theses 2018修士論文5本・卒業論文12本 5 Master Theses, 12 Bachelor Theses 2017修士論文9本・卒業論文7本 9 Master Theses, 7 Bachelor Theses 2016修士論文3本・卒業論文9本 3 Master Theses, 9 Bachelor Theses 2015修士論文6本・卒業論文13本 6 Master Theses, 13 Bachelor Theses 2014修士論文8
…邊りは真っ暗になつて、水面の白光も消え去り、信号燈の青と赤が、大きな鰻の濡れた胴体をぎらぎらと照らした。 (内田百間「東京日記」その1)
*本論は新建築社『住宅特集』2001年6月と建築資料研究社『住宅建築』2001年11月に掲載された論をもとにしたものです。
■はじめに 近ごろコンバージョン(conversion=転換、転用=本来の目的を転じて別のように役立てること)という言葉をよく耳にする。しかし、コンバージョンはことさら新しい概念ではない。耳かきがわりにマッチ棒を使うこと。これもりっぱなコンバージョンといえる。コンバージョンという行為は、高等なものではなく、ましてや低級なものでもない。人間社会にとっての基本的能力のひとつなのである。 しかし、日本の近代建築とその生産様式の展開において、このような日常的能力は疎外されていった。その一つは「公明」で個別的ではないがゆえに限界のある法制度であり、商品化のサイクルを被りかつ「高度化」した建築存在である。それにともない、以前の建物を「転用」して使い回していく文化は、意識的になすべきものに変質してしまった。皮肉なことに、日常的な「転用」は、現在の建築文化に対し確固たる批評的位置を占めることになったのであ
好きな原稿 お台場公園の攻防 1995年ぐらい すまいの先生 2001年 現場日記 1997年ぐらい バブル・震災・オウム教 1996年ぐらい 旧満州国の伊東忠太 1996年ぐらい 平内廷臣はいかにして日本建築を終わらせたか 1998年ぐらい ステンレスのバケツ 1999年ぐらい 歴史工学の紹介論文「住まいは誰のものか」 2001年 内田百間「東京日記」論 1996年(絵付き)020314追加 戦後建築史学の射程と現代建築史研究会研究の早急なる必要性 2001年 亀裂の保存 中村達太郎『日本建築辞彙』を読む 2000年 歴史の中のコンバージョン 2002年(ゼミナール全員の成果です) 空飛ぶアーカイブ 2002年(ゼミナールで最近やっている連鎖都市研究の一部がちょこっと反映されています。) 都市は連鎖する 2003年(10+1 No30掲載) 主要著作リストへ(2001まで)
平成 14年 2月 20日中谷礼仁記 ここではこれから執筆することになる卒業論文とは一体何者であるかを、かいつまんで説明します。 ●学術論文の位置づけ 卒業論文は学術論文の一つにあたります。では学術論文とは、建築史研究の場合ノ ・大学が発行元となるもの 博士論文、修士論文、卒業論文 ・しかるべき学会にて審査を経て、公開を許されたもの。 日本建築学会論文報告集(いわゆる黄表紙) 建築史学会査読論文 住宅総合研究財団年報・助成研究報告集 ノここまでが研究者としてのキャリアになる 日本建築学会支部報告集(黄表紙と慷慨の間に位置するもの) 日本建築学会大会学術講演集慷慨(本来的に学術論文とはいわないが、それに準じるもの) ノ練習と補佐的なキャリアになる。 ・そのほかの論文 様々な建築界雑誌への寄稿、懸賞論文(『建築文化』の年一回の懸賞論文が有名)ノ研究者としてのキャリアにならないが、より本質的なこ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『早稲田大学 中谷礼仁建築史研究室』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く