元衆院議員の徳田虎雄氏が10日夜、死去した。86歳だった。日本医師会と対峙しながら全国に医療法人「徳洲会」の病院網を張り巡らせた剛腕ぶりは政治分野でも光り、平成22年には米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に悩む鳩山由紀夫首相(当時)からの協力要請を断って政権瓦解の一因を作ったこともある。ただ、晩年は難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に苦しむ最中に、公選法違反(買収など)事件で東京地検特捜部の強制捜査を受けるなど、波乱の生涯だった。 ずぶ濡れで「生命は平等だ」徳田氏は、2年の衆院選旧奄美群島選挙区で、自民党現職だった保岡興治元法相を下して初当選。選挙区だった鹿児島県奄美地方を二分し、両陣営から多くの公選法違反(同)での逮捕者が続出するような苛烈な戦いは「保徳戦争」ともいわれた。 当選後は、保守系の無所属議員を束ねた政治団体「自由連合」を結成し、6年には政党化も果たした。13年の参院