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コロナ下の状況は現在の日本において「文化」が危機的状況にあることを顕現化させてしまった。コロナが経済の基盤の脆弱さを表面化させ、演劇や音楽、映画といったジャンル自体が消滅の危機に瀕している。と同時に明らかになったのが、基盤の弱さと特殊な村社会故のハラスメントの問題であったことは記憶に新しい。 アップリンクやユジク阿佐ヶ谷といった有名なミニシアターで従業員に対するパワハラや労働問題が表面化したように「文化」に携わる仕事の諸々が、雇用が不安定で低賃金の中、重労働を強いる「やりがい搾取」となっている現状が伝えられている。他にもSTUDIO4℃の労働問題などもあったが、2020年は、人気の出やすくある種の宗教的な色合いを帯びやすい芸術産業が、華やかさの裏で大きな問題を抱えていたことが明らかになった年だった。ある種の人気やカリスマ性を持つ存在が「映画」や「芸術」といった旗印の下で暴君となり、その中で
ある作品に対して考える際、過去作との比較や政治的「正しさ」、或いは技術の巧拙といったものがあり、同時代的な状況と歴史的な文脈と絡めつつテクストの価値や意味を見いだしていくのが批評である。とすれば、この価値や意味がネガティブなものになりうる可能性は充分にありうる。技術的に粗雑である作品は当然存在するし、社会的な問題をはらんでいればそれに対して否定の表明をすべきだろう。勿論、批判や粗探しが優れた批評になりうる訳ではない。ないのだが、作品の価値判断をするために、そういった領域に入る覚悟を持つべきだとも思う。 だが、ここ数年、政治にせよ文化にせよ否定の言説を忌避する傾向があるような気がして、それが悪い方向に向かっているように思えてならない。殊更、悲惨な出来事の後の復活に、水を差すようなことを口にすれば嫌悪されるのも当然だと、頭では分かっている。
grapevneの新譜を買って、「無心の歌」から「1977」の流れは、最初聞いたとき作業していた手が止まってしまった。どちらも、今年の自分の心情と重なる部分が多くて、ずっと延々にリピートし続けています。 そんで、GRAPEVINEについて、二年前にまとまった文章を書いて、ブログにアップせずにいたのですが、何かヒット数もバインの記事絡みが多いので、挙げておきます。 二年前なんで、新譜の歌詞の話はまったくないのですが、最近の歌詞についても当てはまることを言っている気はする。(2chの歌詞スレに割と同じような言及はありそうだけど。)後、ラスト書いたことはブログに書いたものの反復だけど、それはまぁ許して。 GRAPEVINEの歌詞について ―またはJポップの曖昧な歌詞の多様性について 一、はじめに 九〇年代後半のJPOPにおけるロックバンドの傾向として、洋楽のリズムを如何にして日本語の中に取り込ん
最近のロキノンでのバインインタビューは酷い。 Everymaneverywhereのインタビューの時もスイマーの一節にひたすら固執して、それに田中が内心ではカケラも同意してなさそうな相槌を打つ、という感じで見るとこが何にもなかった。音人が「メジャーとマイナーの中間でどんな音を出せばいいのか分からない」という田中の本音を酒を交えて引き出しているのとは大違いで、(これはメジャーとマイナーの中間、というよりはスピッツやミスチルなどメロディバンドとブランキーやミッシェルなどロックバンドの中間だと思うんだけど、田中はドーンオブザデッドとか例に出してメジャーとマイナーの中間、と言っていた。ここで面白いと思ったのがドーンオブを「エンタメ」と定義していたとこ。田中にとってはメロディ=メジャー=客に媚びる商売でロック=マイナー=作品なのか?と笑ってしまった。) なんでここまで同じような雑誌で差が出るんかね?
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