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大谷翔平
shoshoshosho.hatenablog.com
東日本大震災から今日で1年。地震や津波、そして原発問題に、いまなお困難な生活を強いられつづけている多くの方々の労苦はいかほどたるか。他人ごとではないとは思いつつも、被災された方々に対して直接の援助をおこなっているわけでなし、東京で暮らしている私にはその苦しみを想像すべくもありません。いちはやい復興とともに、皆さまの心身がすこしずつ回復されることを心からお祈り申し上げます。 「あの時」を忘れないようにという思いからからこのエントリを書きましたが、実にまとまりの悪い文章になってしまいました。これは外部の者からみた、被災の現状のごくごく一部です。気をつけたつもりですが、スキャンダルをあおるような過剰な脚色になってしまった部分、歪めてしまった情報もあるのかもしれません。どうかその点はご容赦いただければと思います。 2011年の3月18日〜20日の3日間、私は災害医療支チーム(精神科)として、被災直
昨日タワーレコードをぶらついていたら発見!日本を生きる数少ないホンモノのアーティスト、堂本剛がDVDを出していた。 「薬師寺」 / 堂本剛 初回盤 【DVD+CD】 出版社/メーカー: ジャニーズ・エンタテイメント発売日: 2010/06/30メディア: DVD購入: 29人 クリック: 542回この商品を含むブログ (48件) を見る 創建1300年を過ぎ、今もその姿を奈良にとどめる「世界遺産 薬師寺」へと30歳という節目を迎えた堂本剛が引き寄せられた。 その歴史に息づくメッセージを全身で感じながら言霊、音霊を生み出した珠玉のステージが遂に映像化。(Amazonの商品ページより) 多分アーティストってのは生き方を指す言葉だ。表現に向かう、内的/外的な必然性からそこへ向かわなくてはいけない人。作品のクオリティがどうだとか商業的に成功するかであるとか、それらはアーティスト本義ではない。何かを
不必要に低い自己評価、それと裏返しの尊大な自己愛、八方美人めいた軽躁的ふるまいという基本的な性格傾向はもはや変わりようもないが、それにしても少しはマシな方向に動いているんじゃないかなあなんて思っている。健全な自己肯定がわずかながら芽生え始めているような。好きな人にまっすぐ好きと言ったり、周りのペースに乱されず自分のペースで作業や勉強を進めたり、そういう「当たり前」のことが少しだけできるようになってきた。29歳という年齢は遅すぎるかもしれない、けれど僕の中では確かな一歩。 周りの人達だよなと思う。僕の中で芽吹きつつある好ましい変化をうながしてくれたのも支えてくれたのも全部。人と交わるのは楽しい。自分が変わる、おそらく相手も変わる。人の和の中で暮らそうと思う。変化を続けようと思う。もっと柔軟でふところの広い自我を身につけたい。そしてゆくゆくは飲み屋のオヤジになりたい。芋焼酎をみんなの笑顔で割っ
ちょっと今さら感が出てきたのは重々承知で、今年のM-1グランプリの感想を書く。漫才は日ごろほとんど見ず、この1年間は家にテレビすらない。けれどM-1だけは初回分から繰り返し見ている、という程度の人間の雑感。 一昨日のエントリーにも書いたけれど、M-1は「コンテスト」だ。つまり(明文化されてはいないものの)何らかの評価基準が存在していて、それをいかにみごとに消化したかで勝敗が決まる。ボケの難度・手数、ツッコミのバリエーション、声の張り方、4分間での緩急などさまざまな項目が用意されていて、基本的にはそれらを一つ満たすごとに「笑い」が高まるというシステム。今年の何がすごいって、この「M-1はコンテストである」という文脈を、つまり笑いの陰には様々な審査基準が存在するのだし審査員はただ笑っているのではなくそれらを逐一「チェック」しているのだ。ということを観客が見事なまでに熟知して視聴に臨んだことだろ
20分しか時間がないが、今日を逃したら熱がさめるので今この20分で書けるだけ書く。 漫才コンテストなんだからパンクブーブー優勝はやむなし。フィギュアスケートと一緒で採点基準を一つ一つ丁寧に満たしていけば必然的に優勝が決まる。必要なボケの数・難度、ツッコミのバリエーション、会話のテンポなどといった「採点基準」が明文化されていない点でフィギュアとは異なるものの、コンテストの基本姿勢は「チェックリストをより完全なかたちで満たしたものが優勝」であることはゆるがぬ事実だろう。それが一番上手だったのがパンクブーブー。もちろん誰にでもできることじゃない。才能に恵まれた2人が採点基準に対する研究に継ぐ研究を重ね、血を吐くくらいに練習し倒し、時の運までを見方につけてようやくたどり着ける一等賞。採点員はお笑いコンテストの思想・機微を知り尽くした人たちだから、一等賞の判断がパンクブーブーから動くことはありえない
月刊酒井若菜を買ったら彼女のオリジナリティあふれるかわいさやらしさありがたさうれしさにもうメロメロですよ。という内容のことを前回書いた。その続きで「グラビア写真集を買う」ことについて。グラビア写真集を買うのって何だか気恥ずかしくて、もっと言うなら「後ろめたい」ような。中高生の時分に芽生え始めた健全な性欲が種々のエロ・アメニティ購入に自身を駆り立てたあの頃、レジの前で無性にドキドキしたあの感覚。その根源には「この感情って恥ずかしくっていけないものなんじゃないのか…」という、罪の意識と言ったら大げさかもしれないが何かこう「後ろめたさ」があったように思う。直接にエロいものを買う場合はもう、そういったたぐいの逡巡は訪れなくなった。だがしかし「グラビア」の中にはあの頃の甘酸っぱい背徳感がいつまでも保存されている。後ろめたさのタイムカプセル。 この前行ってきたロンドン旅行の写真を挟みながら。着いた夜は
買った。生まれてこの方手を出したことのなかったアレを買ったのよ。グラビア写真集ってやつ。男でも買ったことのある人って実はそんなにいないんじゃないかと思う。 月刊酒井若菜 (SHINCHO MOOK 123) 作者: 笠井爾示出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2009/11メディア: ムック購入: 2人 クリック: 39回この商品を含むブログ (9件) を見る 月刊酒井若菜。これはすごい、神様からのおくりもの。上記リンクに表紙画像が載らないのが残念でならない。中をのぞく私の頬はゆるみっぱなし、何だか落ち着かなくて椅子から立ちあがってはまた座る、そんな自分がまたカワイイ。 月刊酒井若菜。タイトルからして嬉しさにあふれ、もはや「気品」レベルだと思う。月刊酒井若菜。「マグナ・カルタ」くらいの気高さはゆうにある。 私はそれこそデビューの頃から酒井若菜大好き人間で、とにかく彼女の顔が好きなんだけれど
やれフジロックがどうだ大学時代はオーケストラサークルに入っていただ、あんなもん全部「ふり」だから。しちめんどくさいカモフラージュ。うんperfume「も」聞くよ〜っていうための。ぜーんぜん興味ないからな、perfumeの音楽以外なんて。なんとなく「も」の方がかっこいいからそうしてるだけの話で。うんperfumeも聞くよ〜。ほらかっこいいじゃない。 あ〜ちゃんは顔がでかすぎて顔ぬりかべだとか、かしゆかは水木しげるのぬらりひょんに似ているとか*1、そんな心にもないことを書いたこともあった。けれどそれらだって全て「ふり」に過ぎず、キリシタンが拳を握りしめながら口ではイエスを冒涜するのと一緒で心の中では血を流しつつ泣く泣くね。そういうことってあるじゃん、素直になれなさが逆説的に好きを語る一幕っていうのかな…あるんだよ!世間様がそうしろって言うから俺だって泣きながら『BUDOUKaaaaaaaaaa
この3月まで働いていた病院のすぐご近所に「たけのこ公園」という憩いの広場があって、昼下がりともなれば近所の子供連れや老年期のご夫婦があるいは犬などと共につどいたむろい、ウィークデイの昼間からアル中のホームレスが安いだけの酔い酒を飲み休日は夜勤明けのナースや医者たちがバーベキューを。つまりそこは実在のユートピアなんだぜ肉うますぎるぜということだ。俺が飲んでなきゃたけのこ公園じゃねえからな!飲み過ぎては肝臓をこじらせ病院に運び込まれるホームレスのおっちゃんが言ったそのセリフこそが公園のアイデンティティ、そして訪れた安息をほめ歌う謝肉のよろこびの全てだ。 だから何が言いたいのかって、この前の日曜日に病院の看護師さんたちとたけのこ公園でバーベキューをしたのがとにかく楽しかったぜビール美味すぎるぜっていう、そういうことだ。男も何人かいたが、私を含め見事なまでに公園の風景を汚してばかりいたからその存在
初めてのニューヨークは初めてのアメリカ合衆国でもあり、極東の島国で育ち「秋刀魚にいい具合のあぶらが乗ってて嬉しいねえ」なんてなつつましい価値観の中でぬくぬくと育った身には到底正気の沙汰と思えない、それこそ気の利いたアメリカン・ジョーク的なボリュームとカロリーでせまる彼の国のパスタやサンドイッチ。それらが何らかのメタファーであるかのような、胃もたれする程に刺激的な経験がたくさんできた。今は手元にないのだけれど、今度の機会に写真をアップしたい。 今日は道中に読んだ「1Q84」がべらぼうに面白かったということを。以下、ネタばれです*1。 村上春樹の小説って朝のテレビ・ニュースの星座か血液型占いみたいなもので、「そう読みたい」「そう解釈したい」と思えばどうとでも読めるところがまったくもって苦手だ。もっと言えば嫌いだ。文学的素養も知識もさっぱりない私には、氏の文章に多発する「まるで○○のように。」と
バレンタインに「チョコレート」が手段として採用されているのには、毎年ひっかかりを覚え続けています。義理だ友だ逆だと各種亜型はあるにせよ正統派のジャパニーズ・バレンタイン・デイは「女性が男性に思いを伝える」日なわけです。だからこそ、このチョコレートに気持ちを込めて意中のあの人に…と、ここでハートがひっかかる。チョコが好きなのはむしろ女子…意中の人に気持ちを伝えようというのに、なぜ「相手の好み」が考量に入れられてないのでしょうか。中にはチョコ好きもあるにせよ、男の大半は甘い物がそれほど好きなわけでなく「まあもらったら食べるけど、日頃自分からチョコ買ったりしないよなあ」くらいが関の山でしょう。 相手のハートをつかまんとするとき重要なのは「もらう側をいかに喜ばせるか」であるのに、つまり「何を、いかにして贈るか」といった戦略面こそがもっとも考慮されて良い局面なのに、世の女子たちは常にいつだって「どの
宇多田ヒカルは今までひたすら「『あたしのこの孤独なんて誰にも理解できるわけないんだわ!』っていうこの気持ちを世界中の人にわかってもらわずにはいられないの!」を歌ってきた人だと思う。受容と共感のややこしい入れ子構造。それを歌にしたい、ではなくて「しなければいられない」あたりに表現者としてののっぴきならない業を感じる。憑きものが落ちてすっきりした感触の新譜でもその印象は依然として変わらない。 「一人じゃ孤独を感じられない」という歌詞があったのは『For You』だけれど、孤独を感じるためにも孤独に関するこの気持ちをわかってもらうにも、とにかく宇多田ヒカルは無数の「きみ」「あなた」を必要としていて、でもひょっとするとそれは必ずしも「特別な誰か」である必要はなく、奇妙な言い方になるけれど「『きみ』でありさえすれば誰でも良い」のではないか。彼女の曲を聞いているといつもそんな気がしてくる。あなたしかい
サニーデイ・サービスの丸山晴茂さんが今年の5月に逝去されていたと、所属事務所のスタジオ・ローズが本日発表した。多感な時期を支えてくれた、そして今でも大好きで仕方ないバンドに訪れた突然の訃報ということで、自分でもそんな自分におどろくほどに、気持ちが揺れている。 rose-records.jp 上記リンクにある食道静脈瘤破裂・アルコールの問題という記載から、アルコール依存症とアルコール性肝障害(おそらくはその末期としての肝硬変)をわずらい、困難な闘病生活をおくられていたのだろう。ファンの通例にならい親しみの情を、そしてすばらしい音楽でぼくの人生に伴走してくれたことへありったけの感謝をこめて、やはり彼のことは「晴茂くん」と呼びたい。晴茂くん。すてきなドラムの演奏をありがとう。そしてお疲れさまでした。 ひとつの、あまりに悲しい別れに際して5年ぶりのブログ更新をしようというのだから、ぼくもご多分にも
まあクリスマス・イヴの最大関心事はM-1グランプリという、日本人男子の平均的な聖夜スタイルに忠実な私であるからしてM1の感想を書こう。と思ったけれど今年心からゲラゲラ笑えたのはチュートリアルくらいだ。あと部分的には「マグロをはく」「西日」「うがいてあらい」が最高だった。 麒麟が僕はどうにも苦手というか全然面白いと思わなくて(ボケが全部理詰めで漫才素人の僕でも先がほとんど読めるし驚きや発見が何もないから)、彼らのせいで決勝が一枠減っているかと思うと、爆笑の機会が一つ失われているかと思うと残念でならない。一番の大ネタが「物まねを似せない」というのはお粗末すぎる。トータルテンボスも好きではない。「聞き慣れない言葉を選ぶこと」が自己目的化しているように思い、僕の一番好きな「発想への驚き」が前景化してこない。内モモ叩くのとかレポーターの食いつきポイントずらしとか普通に面白いのに。「ボキャブラリーを豊
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