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衆院選
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悪夢のような「3.11」から、早くも9ヶ月が経った。 福島第一原子力発電所事故に関する東京電力の危機管理についても徐々に全容が明らかになりつつある。 危機が発生したら、初動における迅速な決断と果断な処置がいかに大切であるか、今更ながら痛感される。 他方、「初動における迅速な決断と果断な処置」を採ったとしても、これが後日、人に評価されるとは限らない。危機管理の宿命である。 「迅速な決断と果断な処置」によって、危機が無難に収まると、人々は最悪の事態が発生する可能性が存在したことまで忘却してしまう。このため、往々にして「過剰反応をした」あるいは「不必要なことをした」といった批判が後日出てくるものだ。 仮に今回の原発事故で、早々にベントを実施して圧力を下げ、消火系から海水注入を実施していたら、廃炉にはなっただろうが、放射能漏れの被害はこれほど深刻にはならず、水素爆発も生起せず、事は既に終息に向かっ
ジョージ・ワシントン大学のケイトリン・タルマッジ准教授(現在)が、マサチュセッツ工科大学の安全保障研究プログラムの一員として在籍中(2007~2008)に発表した論文「Closing Time-Assessing the Iranian Threat to the Strait of Hormuz」(*1) があり、この中に、今話題となっている「ホルムズ海峡における機雷戦」について述べられている部分がある。 その内容は、ペルシャ湾における1991年と2003年の二度に亘る機雷戦を引き合いとして、包括的かつユニークな見積もりを行っており興味深いものがあるので、先ずはその部分を抄訳し紹介する。 またその内容には、現場を知る者にとって、或いは、軍事作戦を知る者にとっては、机上の研究の域を超えないと思われるところも多々あることも事実である。しかしながら、そうした疑問や反論を通じて改めて再認識すると
平成12年8月、バレンツ海で訓練中のロシアの原子力潜水艦「クルスク」が沈没するという事故がありました。 ご記憶の方もあると思います。この時、ロシアだけでなく外国からも潜水艦救難艇の派遣申し入れがあるなど、様々な努力がなされましたが残念ながら乗組員全員の命が失われました。 昭和38年に沈没したアメリカの原子力潜水艦「スレッシャー」のように潜水艦が水圧によって押しつぶされてしまうような深さより浅い海域で事故が発生し、潜水艦が沈没した場合、乗員は艦内で生存している可能性があります。 「クルスク」の場合もそうでした。 この乗員をいかに救助するかが、潜水艦救難ということになります。 明治43年4月に日本の国産潜水艦の第1号である第6潜水艇が岩国沖におけるガソリン潜航訓練中に沈没、潜水艇は翌日(翌々日との説もあります)に引き上げられましたが、艇長佐久間勤大尉以下14名が殉職しました。 大正13年、演習
これは今年の8月8日に講談社から出た単行本である。戦後旧軍高級将校らが、私利私欲からではなく、純粋な気持ちで国防軍を創設したいと願って行動するが、それに対し内務省出身者や一部の政治家たちが、自らの勢力の回復・維持・拡大などのために反対したことが述べられている。 服部卓四郎大佐(陸士34期:元参謀本部作戦課長)がGHQの目を逃れ、いかに必死で大東亜戦争史料を収集し隠匿したか、また、国防軍創設のために尽力したかなど、大佐の行動を巡る出来事が実に詳細に描かれており、警察予備隊、保安隊そして自衛隊がどのような経緯で成立したのかが、よく理解できる。証言記録も多数あり、説得力に富む。著者・阿羅健一は「20年間材料を温めてきたが、国防軍の創設が叫ばれるようになった今、初めてこれを世に出した」と述べている。 この本の最後に、自衛隊の上級幹部を独占していた内務省出身者が、服部らが作成した『大東亜戦争全史』に
あの「3.11」から1年。海上からの救援活動であまり知られていない、海上自衛隊出動部隊の指揮官に対するインタビュー第2弾を2回にわたりお届けします。 「東日本大震災出動指揮官インタビュー(3)」として、今回は発生直後海外派遣任務を中止し、帰国後いち早く現場に出動した当時の第1輸送隊司令佐々木俊也元1等海佐にお聞きしました。 佐々木司令は、輸送艦「おおすみ」に乗艦指揮し、宮城県沖に進出、輸送用エアークッション艇(LCAC)を上陸させ救援物資の輸送等を実施しました。この任務を最後に、平成23年5月海上自衛隊を退官、現在はNTTコミュニケーションズ(株)に勤めています。 退官後の24年1月14日、横須賀市内でお話を伺いました。 第1輸送隊司令 1等海佐 佐々木 俊也ささき しゅんや 昭和30年北海道室蘭市出身。 防衛大学校卒(23期)。 同54年海上自衛隊入隊。 護衛艦・練習艦3隻の艦長、第25
日頃から当ウエブサイト「チャンネルNipponアーカイブ」へのアクセス、誠にありがとうございます。 「チャンネルNipponアーカイブ」は、「NPO法人平和と安全ネットワーク」が平成21年から令和2年まで11年間運営しておりました安全保障関連情報発信サイト「チャンネルNippon」を引き継ぎ、令和2年10月から活動しています。 「チャンネルNipponアーカイブ」は配信当初、年間約15万件のアクセスを記録しておりましたが、現在は年間約6万件程度のアクセスに激減しており、今後もこの傾向は続くものと思われます。 この状況下当事者としては当サイトの社会的使命はほぼ達成したものと考えており、ボランティアとして参加しているメンバーの高齢化もあり、令和4年10月15日をもって当サイトを閉鎖することといたしました。 僅か2年間の活動でありましたが、この間ご利用・ご指導・ご支援・ご協力いただきました皆様に
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