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大谷翔平
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登場人物 オレステース アルゴス王亡アガメムノーンの息子。 ピュラデース オレステースの従兄で親友。 合唱隊(コロス) 王妃に仕える侍女たちから成る。 エーレクトラー アガメムノーンの娘でオレステースの姉。 従僕 王妃の召使。 クリュタイメーストラー 亡アガメムノーン王の妃。 オレステースの乳母 アイギストス 王妃の愛人、共謀して王を殺した者。 アイギストスの従僕 訳者は呉茂一。テキストはひきつづきこちら。 ギリシア悲劇全集 第1巻 アイスキュロス篇 作者: 呉茂一 出版社/メーカー: 人文書院 発売日: 2000 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 原題のchoephoroiは、「コエー」を運ぶ者たち、という意味で、劇内のコロスをさしている。コエーとは『これはだいたい、酒を混えない、蜂蜜と乳汁とオリーブ油から成る』ものだそうで、このコエーを墓に注いで供養をする。 時は、王妃ク
太宰の小説をまとめ記事にして目論見はずれてあんまりアクセスが稼げなかったおりに(『人間失格』だけじゃない!太宰治ならこれを読め──『晩年』とその他いくつか )『津軽」についてもエピソードを紹介しようと思っていたけど、文量が多すぎたので、断念した。ので、ここにメモ書きを残しておこう。 なにやら訳知り顔をして書き始めたが、手柄はすべて長部日出雄氏の取材である。 太宰治への旅 (NHK人間大学) 作者: 長部日出雄 出版社/メーカー: 日本放送出版協会 発売日: 1998/01 メディア: ムック この商品を含むブログを見る 太宰治の読者ならば、『津軽』を読んで、どうにもぬぐいがたい違和感にとらわれたのではないかと思う。 それはつまり一口に言ってしまうと、小間使いだった「たけ」という女性を自分の母のようにしているからである。『津軽』の最後で、太宰は自身とたけとの再会を、美しく美しく描いている。し
を踏まえて、いよいよギリシア悲劇を読む。例によって、人文書院のギリシア悲劇全集 第1巻 アイスキュロス篇から、登場人物を書き写してみよう。 ・登場人物 権力(クラトス)と暴力(ビアー) 擬人化された神格、世界の主神たるゼウスの部下(但し後者は無言) ヘーパイストス 火と鍛冶の神、ゼウスの息子。 プロメーテウス 自然神ティターンの一族なる巨人神、人類に火を与えたため、いま罰せられようとする。 合唱隊(コロス) オーケアノスの娘たち、海のニンフで白衣をまとう。 オーケアノス 世界をめぐる大河、また海洋の主。ティターンの一族で、プロメーテウスの叔父に大体当る。 イーオー アルゴス王イナコスの娘、ゼウスの愛をうけ、その妃ヘーラーの嫉妬から牝牛に変ぜられる。 ヘルメス ゼウスの若い息子神で、伝令役。 場所 黒海の北、スキュティアの曠野の涯、巍峨(ぎが)として聳える岩山のもと。 訳者は呉茂一。呉茂一(
0.前置き(読み飛ばし可) よくそれなりに名前を知られた小説家や、業界に名前を売った批評家、評論家が小銭稼ぎに、「小説家のなり方」とか「書き方教則」本のようなものを出すが、はっきり言ってああいうのは、ほぼすべて買ってはいけない。 なぜなら、小説家としての才能と、批評家としての才能は別物だからだ。小説家自身の自作解説を興味深い資料としてはあつかうが、それを絶対の解釈としてはいけない(一流の小説家が、自作の批評家として二流以下であることは普通にありうる)ということを言ったのはノースロップ・フライだが、よく小説家(創作者)が自作の「批評」を読んで、「俺はこんなつもりで書いてない」と言ったのをうけて、平身低頭、えへえへ笑ってごまかしそっと自説をひっこめる評論家や批評家がいるが、ああいうのは、批評家の資格がない。 では、読むとして何を読めばいいのか。それは、すでに評価の定まっている古典的名著を読めば
ために↓を手に入れていくらか前に読もうとしたが、ひどすぎて真面目に扱えるしろものではない。 小説技術論 作者: 渡部直己 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2015/06/23 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (1件) を見る 人称の変化なるもの(例:一人称→三人称→一人称)は、典型的な「俗に一人称小説といわれるもの」においても普通に行われるものである。たとえば 私は太郎だ。私には一人の親友がいる。彼の名前は次郎。次郎には恋人がいる。彼女の名前は花子。花子には、次郎のほかにもう一人、恋人がいる。彼の名前は三郎。 というように。「俗に一人称小説と分類される小説」においても、文法的に、三人称が主語の文章は数多く出てくる。したがって「移人称小説」なる造語がそもそも馬鹿げていることは間違いない。 『小説技術論』内でとりあげる、また昨今流行っている(どうももう廃れたみたいだが)と
時代は「新しい」ものを求めている。誰も彼もが、「新しい」人を、技術を、思想を、組織団体を、政治を、社会を、求めている。今さら生み出されるものの中で、「新しく」ないものに何の意味が、何の価値があろうかというわけである。 文学といわれるものでも事情は同じだ。「現在の文学」が求めているのは、ということはつまり、現在の「文壇」が求めているのは、ということはつまり、現在の出版社・編集者が求めているのは、新しい人、新しい文学、新しい小説である。もっとも人については、現在活躍している作家でもいつかは死ぬと決まっているから、いくらかでも「新人」は補充されなければならない。ただし、当然のこととして、新人の作品の内容には、「新しい文学」が求められている。 web上には、「純文学とは前衛文学だ」という無邪気な定義を、無邪気にふりかざす人たちが散見され、それは筒井康隆あたりが言ったことを、真に受けているのじゃない
神話、とよばれるものは、文明の黎明期に誕生する。神話が語る主なものの一つは、世界の始まりについてである。どうして、どうやって、海は生まれ、山が隆起し、大地は豊かに実り、われわれはここに在ることとなったのか。神話は、万物の誕生を、始原を語る。 始まりがあれば、いつかは終わりがやってくる。世界各地に神話が生み出されていた時期(年代のばらつきはあろうが)を人類の幼年期とするならば、現代を生きるわれわれは、その老年期を生きているのではないか。ともかく、いつかは終わりがやってくる。世界の始まりが神々の物語であったのなら、世界の終わりもまた神々の物語であって不自然なことがあろうか。事実、われわれは神々になろうとし、また滅びようとしているかのごとくである。 ともあれ神になるためにも資格や条件といわれるものは必要だ。われわれ人類が有資格者たり得るかどうか検証するために、その条件を一つずつ挙げていこう。 ・
要は自分が偏愛する小説を紹介しようということです。 「百科全書的」という言葉があって、それは「文学」のジャンルというか分類というか(同じ意味か)とにかく、ある特徴をもった「作品」をまとめてそう呼ばれる。 特徴というのは、網羅的であるということだ。百科全書(辞典)は、世の中の森羅万象ことごとくを取材し、記述し、説明しようと意欲されたものである。しかし「百科全書的文学作品」は、世の中のもの全てについて作品の中で言及する必要はない。それでは「百科全書そのもの」になってしまうからである。あることがらについて、網羅的でありさえすればいい。 例えば平安後期の貴族の生活様式について網羅的に記述してあるとか、一章ごとに文章の調子を変えて、一作品内であらゆる文体を試してあるとか、色々のギリシア哲学を下敷きにして書かれているとか、「あることがら」はなんだっていい。 なんだっていいというからには、80年代に活躍
2016 - 05 - 29 おすすめKindle無料本④「悟浄出世」中島敦 kindle無料本 読書 唐土(もろこし)に伝わる「西遊記」伝説では、沙悟浄は河童の姿をしていないということです。もともとは、天帝に仕える「捲簾大将(けんれんたいしょう)」という高官であったのが、つまらない失策によって天界を追われ、「流沙河(りゅうさが)」という砂漠で人を食う妖怪になったといいます。この「流沙河」が川と誤解されたことから、「河伯(かはく)」という水にちなんだ妖怪の名前を与えられ、わが国に伝わると、河童と混同されて、最後には岸部シローと同一視されるに到ったわけです。 悟浄出世 作者: 中島敦 発売日: 2012/10/01 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る 中島敦の「悟浄出世」は、もちろんこの「西遊記」をもとにし、原本では端役であった沙悟浄を主人公にすえて書かれた短編連作(とい
はじめに 数年前に村上春樹を一冊読んだ。読んでいろいろ思うことがあったが、村上春樹は、きっとアイロニー的ロマンスの様式に属する作家だ、と思いついたのは、われながら悪くない考えだと思った。それで、これから村上春樹(ほぼ)全作品を読み、「今さら村上春樹を読む」というタイトルにすれば、一冊(弱)分くらいの文章が書けるのではないかと思っていた。書けたとしても、発表媒体を持っていないから、Kindleにして自己満足かなと考えていた。 しかし「今さら村上春樹を読む」というタイトルで書くには、どんなに個人の考え(偏見)を前面に押し出すとしても村上春樹作品の主要なものには目を通さなくてはいけないという時点で面倒だし、村上春樹が作家としてすぐれた技倆をもっていると分かったあとでもなお、あのナルシシスムの強い文章をつづけて読むと想像しただけでもうんざりする。それよりもなによりも、柄谷行人という人が、終焉をめぐ
前置き 「選挙に興味がない若者は、次の選挙で「白票」を投じればいい」というタイトルでブログを書こうと思っていたら、すでに2014年時点でこういうサイトができていた。 黙ってないで、NO!と言おう。| 日本未来ネットワーク このサイトや「白票」を投じる行為を批判する声ももちろんあって、まとめサイトが取り上げている。 入れたい候補者がいなかったら「白票でも投票した方がいい」って本当なの?戦略的投票って? - NAVER まとめ 批判する側としては、白票を投じる行動は与党を助けるだけだとしている。そうかもしれない。しかし、だからといって、「戦略的投票」なる言葉をかかげて、与党候補を落とすために、野党に入れろと主張していては、同じ穴のムジナだろう。あの「3年3ヶ月」以前ならば、「自民党にお灸を据える」(笑)という言い分にも、人を惹きつける効果があった。しかし、現在は今は亡き民主党政権誕生と崩壊以後
蓮實重彦が三島由紀夫賞を取った。 (※これは朝日新聞の記事のブコメ欄) 蓮實重彦は受賞会見で終始不機嫌だった。 記者の質問のレベルの低さを指摘する声があるが(ブコメに限らずに。確かにそれは否定しようのない事実かも知れないが)、会見のしょっぱなから「ご心境という言葉は私の中には存在しておりません。ですからお答えできません」とぶちかましているから、受賞が決まった時点で(ということは候補になった時点で?)受賞会見では、仏頂面をとおすと決めていたのだろう。別に「ご心境」くらい語ってあげてもいいではないか。 蓮實重彦は、この受賞が「はた迷惑」で「暴挙」であると言った。 もっと若い人に与えられるべきものだと言った。順当ならばいしいしんじに与えられるべきだと思っていたと言った。しかし、そう思っていながら候補時点でハスミンは断っていない。彼が候補になることを断れば、おそらく山下澄人が受賞したはずである。
ずいぶん前のことになるが、TVで大島渚が、スピルバーグについて「彼はずっと巨大な何かに追いかけられるという物語を撮っている。デビューしてからずっとだ」という意味のことを、まるで誰かを叱りつけるような口調で言っていた。 僕は子供心になるほど確かにそうだなあ、と感心した。 その時の大島渚の言葉がやけに印象深かったのか、折に触れて思い出すのだが、いつの頃から、ただ思い出すだけではなく、こういう考えがくわわった。 「宮崎駿のジブリ映画って、『バルス的なもの』がよく出てくるよな」 しかも、物語の結末のほうに。(映画マニアでなくても、ジブリは日テレでよくやるから、ほとんどの作品を見ているわけだ。「ハウル」は見てないな……) 「バルス!」という現象、より正確を期すれば、バルスという「滅びの呪文」によって引き起こされる現象というものを、「圧倒的なエネルギーの放出、爆散」によって引き起こされる「(ある)世界
2016 - 05 - 12 おすすめkindle無料本③幸田露伴「雁坂越」 kindle無料本 読書 幸田露伴 の短編といえば、まず「 五重塔 」を多くの人が思い浮かべるだろうとは思います。ただ、一応ブログでおすすめするコンセプトとして、なるだけ有名どころは避けようということではじめたのですから、「 五重塔 」については書きません。「一口剣」という短編も印象深いですが、 青空文庫 でテキスト化されていないので、今回おすすめする kindle 本は、 露伴 の「雁坂越」にしようと思います。 雁坂越 作者: 幸田露伴 発売日: 2012/10/03 メディア: Kindle 版 この商品を含むブログを見る 露伴 は、職人物をたくさん書いた人で、「 五重塔 」も「一口剣」も職人が主人公ですが、「雁坂越」はそうではありません。書き出しはこのようにはじまります。 ここは 甲州 こうしゅう の 笛
われわれ選ばれたる民であるところの大多数のバカは、一般的に、「難問」ということについて、こういうぐあいに考えている。 難しいことを簡単に話せるのが、頭のいい人間だ。 と。 しかし、われわれは頭が悪い、その上教養のないバカなのであるから、本当には彼が頭がいいかどうかは分からない。本当には分からないことは、われわれにとって、本当にはどうでもいいことである。したがって、もっと実状に即して、われわれの心情を表現するならば、 どんな難問でも、われわれにも分かるように話をしろ。それができないのなら、われわれはお前たちを認めない。 となる。 われわれは、自身がバカであることに安住するバカであるから、新書を読み、入門書を読み、自己啓発本を読み、ビジネス書を読んだとしても、それらの大元になっているであろう学問的な領域までは踏み込みはしない。 われわれは、自分たちがバカであることを知っているが、自分たちが全然
今ははっきりと凋落していることを自他共に認めるフジテレビだが、まだ十年前くらいなら、いい仕事だなと思えるものが個人的にはあった。はじまったばかりの頃のノイタミナ枠とか(今はどうだか知らない)、まあ僕の場合はほぼ「墓場鬼太郎」の評価(というと大げさか)面白さにつきるのだが。 あとは、リメイク版の「白い巨塔」とか。 そう、「白い巨塔」だ。フジテレビ開局45周年記念ドラマと銘打たれた本作は、作り手側の並々ならぬ本気度がうかがえた。まず何よりアイドルやらモデルあがりやらの、「もどき」が出演者に見当たらないことである。(なんじゃそりゃ) と書くと、田宮二朗版を持ち出してリメイク版(唐沢版)を物足りないとする人が出てきそうだが、唐沢版本放送より少し後くらいか、UHF局で田宮版をやっていたので、チラッとだけ見たが、いちいち眉間にしわを寄せる田宮二朗が、唐沢版を見た後では重すぎると感じたし、太地喜和子にい
人は、ときに愚かで、ときに美しい。 もしくは、ときには愚かしいにもかかわらず、なおかつ同時に美しい。 こういう考え方に、説得力を与えてくれるような人間の営みの一つは、明らかに「恋愛」と一口によばれるものの諸相だろう。 記事のタイトルは、書籍からの引用だが、記事タイトルになるべくふさわしいように、私が勝手につづめている。したがって正確でない。まずは、該当部分を、正確に引用してみようと思う。 女性は、その恋人が 自分たちにふさわしくないかもしれないと想像して青ざめる。男性は、自分たちがその恋人にふさわしくないかもしれないと想像して青ざめる。 (略)男性は、情熱の状態になると、はにかみ、自分を疑う。 しかしそういう女性は、(略)情熱という高潮した例外のときになると、誇りをもち、力の感情をもつ。──このようなものとして女性は問う。だれが私にふさわしいか? (理想社 ニーチェ全集第七巻「曙光」四〇三
訳あってカワウソ(特にニホンカワウソ)に関する情報を必要としている。 web上の情報(主にwikiとかになるだろう)ではあまりに心許ないと思い、こういう本を買った。 ニホンカワウソ―絶滅に学ぶ保全生物学 (National History Series) 作者: 安藤元一 出版社/メーカー: 東京大学出版会 発売日: 2008/11 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 34回 この商品を含むブログ (5件) を見る 目次を書き出してみる 第1章 ニホンカワウソと人間の関係史ー古くからのつきあい 第2章 カワウソという生きものー形態・分類・生態 第3章 日本のカワウソー絶滅の過程をさぐる 第4章 韓国のカワウソー自然保護の象徴種へ 第5章 世界のカワウソ保全活動ー教育と啓発 第6章 再導入を考えるー教訓に学ぶ カワウソについて知りたいだけだったので、主な興味は1章と2章にしかなく、
と聞かれて ワトスン!(君もしくは博士) と答えられたあなたは合格です。合格ですが、満点はあげられない。 ワトスン君以外の語り手は、はやくもシリーズ第一作の『緋色の研究』において、はっきりと姿を現している。この作品は二部構成をとっていて、第一部がワトスン博士の回想録、そして、第二部の「聖徒の国」第一章から第五章までは、いわゆる客観小説風の書き方になっている。つまり、物語外に存在する<何者かである>語り手が物語るのである。 ちなみに第一部の時点で、探偵小説として読者の感興にうったえるような場面はほぼ書きつくされており、第二部では、事件の背景、犯人の動機といったものが長々と書き連ねられている。第二作目の『四つの署名」でも同じような構成といえる部分があり、事件自体がすっかり解決したあとで、事件の背景が読者に明かされる。 これは少なくとも娯楽探偵小説としては、あまり成功しているとは言いがたい構成
幻獣を題材にした短編小説をシリーズで書きたいと思っていて、題材を探している。 いや、題材はたくさんたくさんあるんだけれど、どうやって書くかということが問題だ。 古代ギリシア に、カエルとネズミの戦いをえがいた喜劇風の 叙事詩 風の読み物があって、これは ホメーロス が歌った『 イーリアス 』のパロディになっている。かつては、これ自体も ホメーロス の作といわれていたらしい。ということは、現在では『 イーリアス 』と『蛙鼠合戦』(とか『蛙鼠戦争』とか『蛙鼠のたたかい』とか訳されている)の作者は別人だと考えられている。 で、私はこのパロディのパロディを書こうと思いついた。カエルをカッパ(河童)に、ネズミをカワウソ(獺)にして、『河童獺戦争』という題名で一編書けそうな気がしたのである。 ただ、ギリシア語なんて辞書があったとしたってとても読めはしないから、翻訳がないものかと探してみた。見つからない
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