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〈現代哲学への招待 Great Works〉 進化論が誕生して150年。しかし進化論とは一体何か? 神が世界や生物を創造したという「創造論」との対決(第2章)から、進化論や生物学的要因で人間の社会行動までも説明しようとする「社会生物学」の試み(第7章)まで、刺激的な話題を満載。さらに「進化」「自然選択」「適応」といった概念を丁寧に解説して、進化論にまつわる数々の誤解を解き、進化論が投げかける哲学的問いと、今後も人類に与えつづけるであろう衝撃を明らかにする、現在欧米で最もホットな哲学分野のひとつ「生物学の哲学」の成果。 ★2009年という、ダーウィン生誕200年、『種の起源』刊行から150年の記念すべき年に、進化論がもつ哲学的衝撃を考察する傑作。
第十二回 唯物論的独我論者の場合 例によって、前回の議論に対する補足的考察から始めよう。 専制君主に対する臣下たちの賛同が、われわれが最初に問題にした「唯物論的独我論」に基づくものであったらどうだろうか。臣下たちは君主に「陛下はわれわれとはそもそも物理的な造りが違っているのでございます」と語るわけである。だが、専制君主という想定は、彼自身が「私のこの特別さは私のこの特別の身分によるのだろう」と考えるという要素が介入して問題の本質をわかりにくくさせる可能性があるので、ここでは最初の議論にもどって普通の平民を想定しよう。普通のと言っても「ほんとうに独我論的心配をしている(なぜ私だけこんなに他の人と違うのだろう、何か変なのではないか、というような仕方で)」平民ではあるが。なぜか(専制君主の臣下にあたる)彼の周囲の人間たちはみな(彼をからかってか、本心からか)「あなたと私たちとではそもそも物理的な
第二回 ディアスポラ元年としての明治維新、そして今 はじめに 「日本」とは何か? 「日本人」とは誰か? この大きな問いは、いろいろな意味で立てられうるし、それに対してこれが正解というものはない。強固なナショナル・アイデンティティを求めてこの問いを立て、それに満足する解答を自ら与えて誇らしげにしている者もあるが、そういう「国」や「国民」の枠組みや概念そのものを相対化するためにこの問いを立て、自らのアイデンティティを解きほぐす者もあろう。 2018年は「明治維新150年」ということで、安倍晋三首相の年頭所感をはじめとして、新年からこれを祝福する政治家の発言が相次ぎ、この2月11日の「建国記念日」は、賛否ともに例年以上に注視された。そしてこの文章を執筆している現在、韓国での平昌オリンピックが開催中であり(2月9日~25日)、スポーツとナショナリズムが交錯するなかで、南北朝鮮の分断国家の一方での開
第一回 序論 私たちが生きているこの世界は、一方では強烈な国家主義と国民主義によって囲われている。アメリカ合衆国が自国第一主義をかかげる大統領をいだき、ヨーロッパ諸国、そして日本でも、それに同調し自国第一主義をあからさまに主張する政治家たちや言論人たちや市民が目立って増えてきている。国家の正規メンバーとされる「国民」だけが権利を享受すべきであるというわけだ。 他方でこの世界には、移民や難民が溢れている。すなわち、よりよい労働条件を求めて動く移民と、戦争や災害によって故郷に暮らすことができなくなった難民とに関するニュースは絶えることがない。そして、移民と難民とに区分することのむずかしい移住者も多岐にわたる。植民地支配に由来するいわゆるオールドカマー、過疎を背景とした国際結婚ビジネス、研修や実習やさらに留学を名目とした事実上の労働移住、そして密航や不法入国や非正規滞在。 今後の連載のなかで具体
超人気アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』第2期で昂奮・悲嘆こもごもの大激論を巻き起こした「エンドレスエイト」。第12話から第19話にわたるこの空前の実験的試みに、分析哲学の理屈力が挑戦。アニメと原作の詳細な視聴・読み込みの成果をもとに、人間原理や複雑系など科学の先端理論や、デュシャンやジョン・ケージといったコンセプチュアル・アートの理念を敷衍しつつ大胆に解釈、その秘密に迫る。
第三回 全盲の井上さんだけが知っている色 ひとくちに「中途障害」と言っても、体のようすは人それぞれです。障害を得た年齢、得るまでについていた職業、持っていた関心などによって、記憶として知っている「健常者としての体」と、いま物理的に持っている「障害者の体」の力関係が変わってくるからです。当然、幼くして障害を得た人の場合は「障害者の体」が支配的です。一方、成人してから障害を得た人の場合には「健常者の体」として積み重ねた経験や知識の影響が大きくなります。 全盲の中途障害者に関して、そんな個人差がいちばんはっきり出るのは「色」について話すときです。色をどの程度、どのように感じているかは本当に人それぞれ違っていますし、そもそも色に対する関心の度合いも、細かく知りたがる人もいれば、自分には関係ないや、という感じの人もいる。色というテーマは、いわば「全盲中途障害の試金石」みたいなものなのです。 今
第1回 はじめに この連載は、『存在と時間――哲学探究1』(文藝春秋)の続編である。だから副題は「哲学探究2」とした。とはいっても、そこで論じられたことを前提として、その「続き」がなされる、というわけではない。すべてをもう一度、最初から始めるのである。すでに何度も論じた問題を、また新たな視点から、あらたな組み合わせ方で、できるならより深く、論じるのである。だから読者は「哲学探究1」を読まずにこの「哲学探究2」から読み始められても、なんの不都合もない。 私にとって驚くべき、すなわち哲学すべき主題は、まずは、なぜかこの私という説明不可能な、例外的な存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きであり、次に、この不思議さを構造上(私でない)他人と共有できてしまう、という二次的な不思議さであり(それはまた、にもかかわらず問題の意味そのものが理解できない人が頭脳明晰な人のなかにもかなりいる
第二回 メモをとる全盲の女性 物理的には一つの体なのに、実は複数の体を持っている。前回は、障害のある人にしばしば見られる、そんな「ハイブリッドな体」についてお話ししました。いわば、「多重人格」ならぬ「多重身体」。この現象が見られる典型的なケースは、中途障害です。人生の途中で障害を得た人は、現在は障害のある体を生きているとしても、ベースにあるのは、健常者として生きてきた経験の蓄積です。そこに、先天的に障害を持っていた人とは異なる、二重化した体が生まれます。 中途障害は、以前/以後という時間的な境界線が生み出す体の多重化ですが、空間的な境界線によって多重化が生じる場合もあります。つまり体の一部分、たとえば右半分だけ、あるいは下半身だけ、あるいはひざ下だけに障害がある場合です。もちろん、時間的な境界線と空間的な境界線の両方を持っている人もいます。 共通しているのは、どちらの場合でも健常者の
最終回 知られざるビジネスマナーの歴史 上司に「ご苦労さま」は失礼なのか? ある日、人事課長の浦島太郎さんが社長室へ入っていくと、社長の桑原さんはモーニングを着込んでいた。 「おや、今日は何かあるんですか?」 「市会議員の山田君の息子の仲人をたのまれて、今日が結婚式なんだ」 「そりゃア御苦労さまです」 (源氏鶏太『三等重役』) いま現役のサラリーマンが読んだら、「おや?」と目をとめる個所です。みなさんはきっと新人の頃、部下が上司に向かって「ご苦労さま」とねぎらいの言葉をかけるのは失礼なので、「お疲れさま」といいましょう、とマナー教育を受けたことでしょう。 でも『三等重役』が書かれた昭和二六(一九五一)年の時点では、課長が社長を「ご苦労さま」とねぎらうのは普通で、マナー違反という考えはなかったのです。 それを裏づける調査もあります。平成一七(二〇〇五)年に文化庁が実施した世論調査で目上の人へ
第一回 体のなかの境界線 ハイブリッドな体 「多重人格」があるならば「多重身体」もあるのではないか? 障害を持つ人と関わっていると、ふとそんな突拍子もない考えが浮かびます。 たとえばある脳性まひの男性。彼は、自分の体では立つことすらままならないにもかかわらず、ダンスが好きで、見て楽しむばかりか他人にきわめて的確な振り付けの指示を出すことができます。つまり、自分ができない動作について、人に教えることができるのです。彼の中には「高速で手足を回転させるヒップホップダンサー」がいるように思えてなりません。 あるいは、目が見えなくなって10年ほど経つ女性。彼女はいつも、紙と鉛筆を持ち歩いています。話しながらメモをとる習慣があるのです。話の内容を図解したり、時系列に沿って出来事を列挙するのですが、自分では見えないにもかかわらず、「その方が頭の中が整理される」と彼女は言います。書いているあいだ、
第十回 出張は続くよどこまでも ビジネスホテルのルーツ なにかのルーツを確定する――じつはこれが文献調査のなかでも、もっともむずかしいんです。なぜなら、たとえ調査対象となるもの(こと)がすごく古い文献に言及されているのをみつけたとしても、それより古い文献に記されているかもしれないし、記録にないだけで、じつはもっと以前から存在していた可能性も否定できないので。 分野でいうと、ルーツを特定しにくいのが食品関連。この料理を最初に作ったのはうちの店だ、いいや、うちのほうが先だ、と元祖・本家争いが続いている例はあちらこちらで見られます。 私が以前手をつけたけど裏が取れずに棚上げしたのが、シベリアのルーツ。カステラでようかんをサンドした菓子パンですけどご存じ? あれをいつだれが最初に作ったのか、発売したのか、特定できる史料をみつけられませんでした。 意外かもしれませんが、もっとメジャーなメロンパンでさ
第四回 夢か悪夢かマイホーム 戦前編 社長と豪邸 歌詞検索サイトで「しあわせですか」「幸せですか」が歌詞に含まれる曲を検索したら、一〇〇曲以上もありました。さだまさしさんから、ミスチルの桜井さん、ぱいぱいでか美さんまで、さまざまなシンガーが、あんたはしあわせなのかと歌いかけてきます。 一九八〇年代後半、明石家さんまさんはCMで「しあわせってなんだっけ」と問いかけました。そこで示されていた正解は、「ポン酢しょうゆのある家【うち】さ」。 この答えには、重要な社会学的真実が含まれています。「ポン酢しょうゆのある家」がしあわせの解であるためには、ポン酢しょうゆよりも先に「住む家」を確保できていることが、暗黙の前提条件になるのです。 お金持ちにとって、住む家を確保するのは特段むずかしいことではありません。戦前には東京市内にデカい屋敷を建てて暮らしている社長、実業家がわんさかいました。 一
第五回 夢か悪夢かマイホーム 戦後編 古くて新しい問題 岩瀬彰さんが『「月給百円」サラリーマン』で、「古くて新しい問題」としているように、「賃貸か持ち家か」はサラリーマンにとって永遠のテーマです。なにしろ一九一六(大正五)年の『実業の日本』で、その特集記事が組まれていたくらいですから。 その記事では金融・不動産など四人の専門家が持論を述べているのですが、三人が持ち家を勧めてます。賃貸派はひとりだけ。 この時代、すでに彼らの主張のなかに、現在いわれてるのとほぼ同じ論点が見られるところが興味深い。ある専門家は、持ち家は自分の城である、自己の居城を築くことが社会的信用を増し、立身出世につながるとする、「一国一城の主」論をすでに唱えてます。 またべつの専門家は、毎月家賃を何十年も払ったところで単に雨露をしのぐ代価でしかなく、一物も身に残るわけでない、と世間でよくいわれる説の真偽を検討して
二〇一〇年はサンデル・ブームのおかげで、それまでごく少数の専門家が細々とやっていた「政治哲学」という分野が、急にポピュラーになり、書店の人文書コーナーで“政治哲学関係”の本が目立つようになった。そして、翻訳されてあっという間にベストセラーになったサンデル(一九五三― )の著書『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)の影響で、英米の政治哲学のメインテーマである“正義”に対する関心も拡がった。 しかし、サンデル先生とほぼ同業者である私からすると、昨今の日本の“正義論”ブームは、二つの見当違いに基づいている。第一に、俄かサンデル・ファンのほとんどは、英語の〈justice〉と日本語の「正義」の違いを理解していないし、理解しようと努力さえしていない。日本語で「正義」と言うと、私たちはすぐに、ウルトラマンとか仮面ライダー、月光仮面のような「正義の味方」を連想する。「正義の味方」は、善の化身とし
第三回 秘密の秘書ちゃん 女秘書を手籠めにした老重役 秘書といえば愛人。そんな淫靡なイメージがいつごろ広まったのかは、はっきりしません。戦前はまだ女性秘書という職種が一般的ではなかったので、おそらくは、女性の社会進出が一気に進んだ戦後のことと思われます。 ただ、戦前の日本でも、ごく少数ながらそれらしき例はあったようで。 大正一五年の読売新聞が報じた、女秘書を手籠めにし、生き恥さらす老重役という記事。 丸の内の大会社に勤める六〇歳の重役が、二二歳の秘書を手籠めにして愛人同然に時計や指輪を買い与えていたことがバレ、警察に呼び出されて大目玉を食ったという内容で、いまならテレビのワイドショーの守備範囲に属するネタです。でも戦前の新聞には、およそどうでもいい庶民のゴシップ記事が、けっこう載ってるんです。どっかのジジイとババアが駆け落ちした、とかね。そんな記事を好きこのんで読んでる私も私です
第一回 昭和の社長よ、いまいずこ 日本人は会社より社長が好き? 明治八年六月一九日付読売新聞より。富士川で渡し船が沈む事故がありました。乗員乗客のほとんどは助かりましたが、「運輸会社の社長秋火源兵衛はいまだに行方が知れぬという事であります。」 源兵衛さんの安否が気になるところですが、百数十年前の事故ですから、いまさらどうにもなりません。私はべつのところに注目しました。 商行為を目的とする団体の名称である〝会社〟も、それを取り仕切る〝社長〟という役職名も、世間のほとんどの人は明治時代になってから知った新語・流行語だったはず。なのに維新からまもない明治八年という段階で、経済とは無関係の事故を報じる新聞記事で〝社長〟という言葉がなんの注釈もなく、あたりまえのごとく使われてます。 同時期の紙面で〝会社〟という単語には「なかま」とルビがふってあります。つまり会社という言葉・概念が馴染まない
医療が語り得ぬもの。質的研究の実践、食体験準拠論の試み。4年間111時間に及ぶインタビューを通し、6人の「語り」のなかに食の本質を探る試み。 お茶の水女子大学名誉教授 波平恵美子氏 推薦! 「摂食障害」という病名の先に彼女たちを待ち受けていたのは、「本質主義」の罠であった。文化人類学を超えた現代的思想への警告の書。
第一回 「ハーメルンの笛吹き」は若者を動員するのか、それとも民主主義の危機か ――2013年、ネット選挙解禁の裏側で 2013年の公選法改正に伴うネット選挙が解禁されたことによって、「ウェブサイト等を用いた選挙運動」が可能になった。2013年の参院選、2014年の東京都知事選は、早くもそれらを活用した選挙運動が繰り広げられた。 ところが、蓋をあけてみると、「興味深い、新しい取り組み」は登場したものの、マクロの傾向は事前の予想通りだったし、ネット選挙のポテンシャルをもっとも引き出したのは、自民党であれ、共産党であれ、基盤を持った勢力であった。 「興味深い、新しい取り組み」は行われたものの、マクロで大きな影響をもちえない、という事態は、これまで日本の社会運動が繰り返してきたことの反復でもある。 ネットは、日本でもビジネスを大きく変えた。かつてのITベンチャー企業が、今では一部上場企業
第三回 僕はパスタのゆで方に命を懸ける 自転車を降りてから、マンション5階の部屋に戻るために階段をのぼった。エレベーターは避けることにしている。誰が乗り込んでくるかわからないからだ。たとえ同乗者がいなくても、いつのまにか監視カメラが設置されるようになってからはもっと怖くなった。世の中の人間は、僕のことなんか居なくてもいい存在だと思っているに違いない。いつか抹殺されるかもしれないのだ。だから人の目に触れないようにしなければならない。もう1年以上電車には乗っていない。 42歳のタカシさんは髪を刈り上げている。理容室に行かなくても済むように、自分で電動バリカンを使っている。短い髪だと毛が薄くなったり白髪になってもわからないだろう。それも理由になっている。 午前6時少し前に眠り、お昼すぎに起きるのが日課だ。ときどきのコンビニ往復と、気が向いたら深夜の荒川堤防をサイクリングする。それが唯一の運動
第一回 不穏な宅配便 玄関の入口には先ほど届いた宅配便の段ボール箱が置かれている。不気味に思えて、ユカリさんはなかなか開けることができない。 魔法が解ける瞬間 夏休みをとった夫と2歳の娘を連れて、36歳のユカリさんはひさびさに実家にもどった。3泊するうちに激しい頭痛に襲われるようになった。正月に関西の夫の実家に泊まった時はこれほどではなかったのに。 8月になると盆地である故郷は35度を超える日が続くので、そのせいかもしれないと夫は言ったが、でもユカリさんにはわかっていた。それが母との接触がそろそろ限界に近づいている合図なのだということが。 3年前、妊娠がわかって帰省するまでは、母からの魔法はまだ解けていなかった。母に妊娠の報告をし、喜ばせたかった。職場も産休を十分とれるので、育児をしながら証券会社の第一線で働き続けるつもりだった。そんなライフコースを母も期待していると信じていた。 ひ
10本の指を自在にあやつり、目にもとまらぬ超高速で1分間に数千個もの音符を打鍵するピアニスト。その超絶技巧と驚異の記憶力を支える脳の神秘のメカニズムとは? 医学博士にしてピアニストという異才が、最新の実験成果から明らかにします。 装丁:高木達樹 ●本書は電子版もございます 第1章 超絶技巧を可能にする脳 第2章 音を動きに変換するしくみ 第3章 音楽家の耳 第4章 楽譜を読み、記憶する脳 第5章 ピアニストの故障 第6章 ピアニストの省エネ術 第7章 超絶技巧を支える運動技能 第8章 感動を生み出す演奏
楽しくわかるマンダラ世界 正木晃著 マンダラ、特に日本の胎蔵マンダラと金剛界マンダラについて、誰でも理解できるような、できるだけやさしく書かれた本がほしい。こんな声に応えたのが本書です。多数の伝統的な図版に「マンダラ塗り絵」をミックスさせて、〈見ても楽しく〉〈塗っても愉しい〉しかも〈よくわかる〉という画期的なコンセプトのもとに誕生した「マンダラの超入門書」。 マンダラ事典 100のキーワードで読み解く 森雅秀著 マンダラを総合的に理解するのに必要な分野を「歴史・思想」「様式・種類」「尊格」「実践・儀礼」「アジア」「日本」「文化」の7つに分け、各章から合計100のキーワードを選び出して、写真や図版を多用しつつ簡潔明瞭に解説します。キーワードの一つひとつが見開き完結型にまとめられていて、好きな項目から読んでいけます。 ウェブサイトの構成上、応募いただいたすべての作品を掲載することができません。
こころに響く音の謎。日本人の脳と身体に眠る驚きの秘密とは。 倍音 いま「感じているのに聞こえていない」音、倍音。 とても身近にあるのに、いまだその存在が知られず、またほとんど利用されていないもの。あらゆる音の「音色」を作り、深層心理・脳・身体に強い影響を与え、感情や思いを伝えるもの。私たちの聴覚の世界を源から創造しているもの。それが倍音です。 その不思議で豊かな世界を、いまから少しだけご紹介したいと思います。 ※横スクロールのページのため右にお進みください。
突然爆発音が聞こえる、目の前を鳥がよぎるのが見える――われわれの日常感覚では、知覚とは受け身のものという印象が強い。しかし本書は、何かが見えているといった知覚でさえ、もっと能動的であり、あえていえば「行為」であると力説。実際には目はたえずすばやく動いているのに視角像は安定していること、何か映像を見ているとき映像の一部の色や形が徐々に変化してもなかなか気づかないことなど、多数の具体例をあげながら、知覚とは一種の行為であり、われわれの知覚経験はその行為(運動)の技能によって構成されるという「エナクティヴ・アプローチ」を提唱して話題の心の哲学のニューウェーヴ。
われわれは言語や表象に媒介されず世界とダイレクトに繋がっている。また、言語がコミュニケーションに依存しているのであって、その逆ではない――「墓碑銘のすてきな乱れ」や「真理の復権」など世評も高い重要論文を収録し、デイヴィドソンの真理論・言語論の到達点を示すほか、「プラトンの哲学者」「ソクラテスの真理概念」などにおいて、みずからの哲学と過去の偉大な哲学を連結してその哲学史的位置を鮮明にする、デイヴィドソンの巨大な業績を締め括るにふさわしい傑作論文集。
『TOKYO 一坪遺産』で、路上に存在する極小空間の魅力をつたえてくれた、坂口恭平さん。 およそチャーミングとはいいがたい雑然とした東京も、若き「建築探検家」にかかれば、宝島と化す。 あたらしい世界への扉をみつけだすこの嗅覚は、一体どのようにして養われたのか? その意外なルーツとは? 『TOKYO 一坪遺産』ファンにおくる、ウェブでしか読めないとっておきエピソード! TOKYO 一坪遺産 坂口恭平 著 四六判 200頁 発行日:2009年6月 ISBN:978-4-393-33296-2 税込定価:1,680円 猫の額ほどの家に高い家賃を払う私達。一方、ビルや公共建築は今日も建ち続ける…これって何だか変じゃないか? けれど、そんなことはどこ吹く風、狭い日本で自分の理想宮をつくりあげる達人たちが路上にいた! 宝くじ売場。駅前の靴磨き屋。アングラ蚤の市…。コンパクトながらも芸術的な空間を建築探
文化人類学・社会学はもちろん、教育学・心理学、医療・看護・福祉の臨床現場で、さらにはマーケティングの分野で 欠かせない質的調査手法となった「エスノグラフィー」。第一線の人類学者による実践ガイド『エスノグラフィー入門』を ご紹介しつつ、「エスノグラフィーって何?」という疑問に応える入門一歩手前のWEB特集です。 エスノグラフィーとは、人びとが実際に生きている現場を理解するための方法論です。 キーワードは 『エスノグラフィー入門』では現場で出会う問いを解き明かすための方法論としてエスノグラフィーを捉えています。 この方法論を用いて生みだされるのが 人間が生きる現場に近い知です。従来の研究方法が生活と現場から離れてしまう傾向があることへの反省が高まる中で、 エスノグラフィーへの関心がさまざまな分野で集まっているのです。 エスノグラフィーは、文化人類学・社会学、心理学・教育学の学生や研究者のみなら
人間に本当に自由はあるのか。自然が物理法則によって決定されるならば、自然の一部である人間の行為も思いも実は物理法則によって決定され、自由なんて幻想ではないのか。あるいは、人間は自分の意志で行為するという。だが、意志が行為を決定するなら、何が意志を決定するのか。古代からの根本問題であり、科学の進歩が人間の脳や精神にもおよぶなかでますます重要性を帯びてきたこの問いをめぐるさまざまな見解を、現代最高の哲学者たちの論文で包括的に紹介するアンソロジー。序論として、野矢茂樹氏のわかりやすい解説を付す。
〈現代哲学への招待 Great Works〉 プラトンのイデア論以来、西洋哲学を悩ましつづける「述定」の問題。形而上学的には個物と普遍はどのように関係するのか、意味論的には名前と述語はどのように関係するのか、をめぐって展開されるこの難問に、アリストテレス、ヒューム、ライプニッツ、ラッセル、クワインなど偉大な哲学者が挑み、敗れていった。だが、デイヴィドソンは、この問題はすでに解けた、という。ただ、みんな気がつかないだけなのだ、と。真理概念の再考から、タルスキの真理理論を逆手にとった述定問題のどんでんがえしの解決まで、一気に読ませるデイヴィドソンの遺作。謎は本当に解けたのか?
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