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衆院選
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古来より日本で遊ばれ、高い知名度を誇るボードゲームである将棋。現在に至るまで新戦術の開発などにより進化を続けてきましたが、近年では技術の発達によりコンピュータが将棋を指すようになりました。 今回はコンピュータ将棋ソフトウェアの1つである『激指』を開発された鶴岡慶雅先生(東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻)に、『激指』や現在の研究についてお話を伺いました。 激指について 先生が『激指』を開発された経緯を教えてください。 当時僕は修士2年で、コンピュータ将棋選手権(編註:現在の世界コンピュータ将棋選手権)が毎年開催されていました。コンピュータ将棋のチャンピオンを決める大会です。その話をどこかで聞いて、何か面白そうだなと思って、先輩後輩を誘って4人で見に行ったんです。 見ていて面白そうだな、じゃあ作ろうかって言って、4人で作り始めたというのがきっかけですかね。 研究というよりは遊びに近い形
自分を信頼するのは難しい 1.東大時代 | 2.講談社時代、ドラゴン桜│ 3.コルクについて 2003年から2007年まで週刊漫画雑誌「モーニング」(講談社)で連載された『ドラゴン桜』は偏差値30の高校生が東大を目指すというストーリーで話題となり、ドラマ化・小説化されました。当時『ドラゴン桜』の担当編集者だった佐渡島庸平さん(文学部卒)は2012年に講談社から独立されて作家エージェント、株式会社コルクを設立しました。今回の「東大な人」では佐渡島さんの学生時代の話やお仕事の話、そして独自の東大生論を伺ってきました。 東大を志望した動機を教えてください。 初めから僕は文学部に行きたいと思っていました。そして柴田元幸先生(※)の授業を受けたい、直に会っていろいろ教えを請いたいと思って東大を受験しました。当時、柴田先生は駒場の教養学部に所属していたんですけど、途中で本郷の文学部に移ったので、進振
ドロップアウトを強みにする 1.大検受験体験 | 2.東大受験〜37歳東大生│ 3.公認サポート・ドロップアウトという強みについて 今度はサポートの仕事について伺いたいと思います。高認の人のサポートについて楯さんにはどのような思いがあるのでしょうか。 僕が大検を受けたときは、まだインターネットが普及してなかったので、大検というものがどういうものか、仕組みもわかりませんでした。今はそれに比べると、いろいろネットとかで情報が手にはいるんですけれども、それでもちょっと制度的にわかりづらかったりします。これは語弊があるかもしれないんですけれど、あまりよくない団体というか大検を目指すような人たちを食い物にしようとしているようなところも存在します。だから、普通に今の高認という試験自体はそんなに難しくないということと、自分で勉強の仕方とかを身につけて、自分とのつきあい方を学んだほうが後で社会に出たときに
自分を信頼するのは難しい 1.東大時代 | 2.講談社時代、ドラゴン桜│ 3.コルクについて 10年間勤めた講談社を辞めて独立する、というのはとても大きな決断だと思います。講談社にとどまるという選択肢もあったのになぜ独立を決めたのか教えてください。 講談社ではずっと自由だったんです。自由にいろいろとやらしてくれました。僕が新入社員で若くてやろうとしているビジネスの規模が小さいときはそういう自由も担保されていたんだけれども、僕に関わる人がどんどん偉い人になっていったり、おもしろいアイデアを持っている人になったり、僕の考えているビジネスの構想がどんどんどんどん大きくなったりした時に、講談社は僕に自由を担保できなくなったんですね。僕が持っているアイデアや僕の実行力があれば、僕は講談社に莫大な富をもたらすであろうと思っていたんですよ。だけど、講談社側がそうは思わなくて、慎重に行こう慎重に行こうとい
現代美術と天満宮 受験前は特に神頼みしたくなるもの。筆者の地元・福岡には、そんな受験生の味方である学問の神様・菅原道真公をお祀りしている太宰府天満宮がある。今回は福岡まで遠征し、権宮司の西高辻信宏さんにお話を伺った。 少年時代はどんなことに興味を持っていましたか? とにかく色々なことをしました。天満宮の境内に家があり、幼稚園も小学校もすぐそば。自然に囲まれた環境だったのでだったので、友達と子どもだけでいつも境内や山・川で遊んだりしましたね。その点では何にでも好奇心のある子どもだったかもしれません。 小学校に入ると習い事で少林寺拳法をして、初段まで取りました。他にも水泳やピアノもしていました。 あとに繋がることとしては、天満宮の宝物殿に子供の頃から入って親しんでいたことがありますね。芸術品に興味を持ったのはそのせいかもしれません。私の祖父は私が6歳の時に亡くなったんですが、それまでに太宰府の
世の中を動かす核になりたい 1. 大学時代は | 2. 今の仕事とこれから「思い」を共有できる人と仕事をしている 後輩からは「怒ると怖い」と言われます(笑)。でも、その人のいいところを見抜いて、期待して、この人なら出来ると思って仕事を任せたり相談したりしているつもりなんです。私は元来あまり面倒見のいいほうではないのですが、後輩が日々の業務に埋もれて国の仕事の楽しさを感じられなくなってしまうのが悲しくて、色々おせっかいするようになってしまいました。確かに、入省して一年目は情報の洪水に放り込まれるようなものです。意識を高くもったままその中を泳ぎきることは大変な作業だけど、どんな職場に行ってもあるだろう修行の期間です。私はその期間に、上司から細かな仕事の先にある大きな国家ビジョンをとくとくと語ってもらって、いつかその真ん中に行きたいと、それをモチベーションにして仕事が続けられたんです。だから私も
入学してから少なくとも2年間を過ごす教養学部。一つの学部の中で文系・理系を問わず幅広い研究・教育を行う教養学部を設置する大学は珍しい。2009年4月に学部長に就任された山影進教授に、教養学部の研究・教育についてお話を伺った。 ―教養学部ではどのようなことを研究しているのですか。またその目的は何ですか。 1つの大学の中で専門分野・研究分野を重複しないというのが大前提になっているので、教養学部を第2次世界大戦後に創設するにあたって、本郷で行われている研究とは違う学問をするということが必要になりました。それで、国際関係論や文化人類学や人文地理学が出来たわけですよ。本郷で行われていた既存の学問体系とは全く異なる学問体系が駒場の教養学部で行われ始めました。今にしてみれば、国際関係論も文化人類学も人文地理学も科学史・哲学も他の大学でいくつも開講されていますけれど、そういうところの出発点――日本における
気にしないこと 人気漫画「マンガで分かる心療内科・精神科」をご存知だろうか? 心療内科の症例について、マンガで楽しく紹介している異色のWebコミックで、雑誌連載・単行本発売もされている。今回は、原作者である「ゆうメンタルクリニック」代表のゆうきゆうさんにお話を伺った。 大学入学以前はどのような生徒だったんですか? 幼少時はあんまり何も考えてないような感じでした。中学生くらいからじわじわと勉強方面に向かったのかな。高校時代は、いろんなものに興味をひかれていました。 少林寺拳法部とかに入ってみたこともあります。 東大を目指したきっかけというと、通っていた桐蔭高校は進学校で周りに東大志望者が多くて、それに影響された部分もあったかもしれません。 子どもの頃はいろんなことをやってみたいなと漠然と思っていました。インディ・ジョーンズ的な冒険がしたいとか、とにかくいろんなところに行っていろんなことがし
答えを出すまで考える 1.哲学の道へ | 2.ツチヤ流「哲学」 哲学に興味はあるけど、生涯をかけて哲学に取り組むとはどういうことなのかあまり想像できないという人は多いと思います。かくいう私もその一人。というわけで今回は、文科一類から文学部哲学科に進学し、その後もお茶の水女子大学哲学科教授として哲学を続けられた土屋賢二さんにお話を伺いました。 文科一類を受験された理由を教えてください。 ぼくは両親とも小学校しか出ていなかったんですけど、その親に言わせると学者なんてまともな生活ができないと馬鹿にしていたんですよ。そんな親の価値観や当時の風潮では、とにかく官僚が偉いと言われていたんです。それで、官僚になるには東大の法学部がすごく有利だった。実際、東大法学部の威力っていうのはすごかったんです。ぼくの友達が交通違反で「免許証見せろ」って言われたとき、「ぼくは今東大の法学部で、卒業したら警察庁に就職す
「いい図書館」のために膨大な数の蔵書を擁し、大学の知を象徴する大学図書館。本を読んだり勉強したりと普段から利用する学生も多いと思いますが、貸出返却カウンターの裏でどんな人がどんな仕事をされているのかを知る人は少ないのではないでしょうか。今回は、東京大学駒場図書館の茂出木理子図書課長と合田美惠子専門員にお話を伺いました。―お仕事の内容を教えてください。 茂出木 学生さんの目にふれるのは、カウンターでやりとりをする仕事がほとんどだと思うのですが、実は図書館の仕事というのは、カウンターの裏側の地味で泥臭いものが8割くらいで(笑)、目にふれているカウンターの仕事というのは2割くらいかもしれません。 この図書館には今40名弱のスタッフがいます。「図書係」には10数名のスタッフがいますが、ここでは、本を買ったり、そのために書店さんとやり取りをしたり、支払い処理をして図書館に入れる「受け入れ」という作業
今やって無駄なことはない 1.「大学時代」 | 2.「服飾史家」 ひょんなきっかけから『英和ファッション用語辞典』が手元に転がってきた。見れば、日本経済新聞に長らく連載されていたエッセイ「モードの方程式」の著者が監修しているという。今回はその著者である中野香織さんにお話を伺った。 どのような高校時代を送られていましたか? 本が好きでしたね。近くに県立図書館があって、高校時代までに開架の本はほとんど制覇しました。富山の高校だったので、東京のように誘惑がなくて、健全に過ごせたかなという感じです。自慢できるような悪行があるわけでもないです。 本が好きだったためか、作文も得意でした。高校2年のときに、数学者の広中平祐さんが審査員をつとめていた読売新聞主催の作文コンテストに入賞して、その頃から「ものを書く仕事をやりたいな」という考えをぼんやりとは持っていました。そのコンテストで新聞のインタビューを受
工学部は16の学科を持ち、学部学生約2000人が在籍する東京大学で最も大きな学部であり、産業界との結びつきも強い。そんな日本を支える工学部として今後どこに力を入れていこうとしているのかを、今の日本は大きな転換期にあるとおっしゃる北森武彦工学部長に、その時代認識とあわせてお話を伺った。 編註:この取材は2010年に行われたものです。 1. 研究と教育〜博士課程のススメ〜 | 2. 人材育成と国際化 ―工学部の研究とその特色を教えて下さい。 工学部というのはものすごく広大だから一言でいうのはものすごく難しいね。大体東大の5分の1ぐらいは工学部なんだからそりゃもう大きいわけだよ。ここでは言い尽くせないぐらい多くの分野があって、それらを総合して出来ているものなので一言で「工学部の研究は何ですか」と聞かれても答えられないくらいの大きさだね。 しかし、僕のは大きく4つに分類できると思ってる。まず物理学
2011年1月現在。入学試験日・長期休暇期間など営業時間が異なる場合があります。 本郷・弥生・浅野キャンパス 東京大学HPリンク:本郷キャンパスレストランマップ[pdf] 生協購買部・書籍部・パンショップ 本郷第一購買部(法文2号館地階 平日 10:00-18:30 03-3816-0711) 文具・パソコン・印刷を取り扱っています。 本郷第二購買部(安田講堂前広場下 平日 8:00-21:00 土曜 10:00-17:00 日曜祝日 10:00-17:00 03-3816-3971) 食品・薬・日用雑貨を取り扱っています。東大グッズも扱っています。 本郷書籍部(第二食堂建物1階 平日 10:00-19:00 土曜 10:00-17:00 03-3811-5481) 書籍、雑誌を取り扱っています。 本郷トラベラーセンター(安田講堂北側1階 平日 10:00-18:00 03-3813-51
都バス学01・学07とは 東京大学本郷キャンパスの安田講堂から少し東、第2食堂と理学部化学館の間にあるロータリー付近にバス停があります。 これは東京都交通局の学01・学07系統の「東大構内」バス停です。東京大学の中心部の近くまでバスが乗り入れているのです。学01はJR上野駅と東大構内を、学07はJR御茶ノ水駅と東大構内を結ぶ路線です。 東大本郷キャンパス付近のバス路線図(東京都交通局ホームページより) 学01・学07とも、東京大学附属病院へ通院する人の利用が多いのが特徴です。実際に乗ると高齢者の率が高いと感じると思います。東大病院から上野方面・お茶の水方面はいずれも徒歩20分程度ですが、JRの主要駅から病院まで直通で行けること、上野・お茶の水からはいずれも途中に決して緩くない登り坂があるのがその1つの理由でしょう。運行本数も比較的多く、2011年では、学01は平日に44本、休日に22本、学
「逆評定」「恒河沙(こうかしゃ)」――東大生でその存在を知らない人はまずいないといっていいでしょう。これらの制作を行っているのが、「時錯(ジサク)」ことキャンパスマガジン発行サークル・時代錯誤社です。今回はそんな時代錯誤社の活動拠点であるキャンパスプラザB棟311号室で、編集長の三輪宗さんにお話を伺いました。 ―はじめに、時代錯誤社とはどんなサークルですか? 1979年の設立以来、キャンパスマガジン『恒河沙』を、夏学期と冬学期の間、月刊ということで年に6回、発行しているサークルです。あとは年に 2回、ご存知の『教員教務逆評定』を学生へのアンケートを基に作成しています。時々増刊号を出したりもしますが、基本的な活動としてはそれがメインになります。規模としては1学年8〜10人、活動場所は主に駒場となっています。普段は週に1回の編集会議が主な活動で、それ以外のときは何やってても構わないというような
偶然を「掴む」 1.学生時代 | 2.市長になって 佐賀県武雄市市長の樋渡啓祐さんは、総務省の官僚を務め、全国最年少(当時)で市長になり、テレビドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」のロケ誘致など地域活性化のために精力的に働いており、全国から注目を集めている。これまでの人生について学生時代と市長になってからを中心にお話を伺った。 東大に入るまで 中学校は面白かったです。田舎の中学校だったこともありいろんな人がいて話していて楽しかったです。部活はバスケット部に入っていたのですが、しごきがあまりに理不尽で、あるとき「ふざけるな」って部長に掴みかからんばかりに抗議したら、「お前がふざけるな」って言われてやめさせられました(笑)。 そのあと元気をもてあまして、あまりよろしくないことをしていたので、担任の先生に何かの部活に入ってくれと言われて廃部寸前の卓球部に入れられました。水泳部を辞めた人とかバスケット
東大生なら誰でも知っているようなあんなことから、一部の関係者しか知らないこんなことまで…。東京大学にまつわる様々な「ハナシ」を紹介していきます。 東京大学の色といえば、ライトブルー「淡青」だが、その起源は意外なところにあった。 大正9年9月24日に瀬田川にて行われた東大、京大の両大学ボート部による第一回対抗競漕。両大学の乗るボートをくじ引きで決めた。その際、京都大学はダークブルー(濃青)、東京大学はライトブルー(淡青)に決まった。 当時の新聞には、京都大学は「ダークブリウ(濃青)にて牛津(オックスフォード)大学の使用せるものと同色」、東京大学は「ライトブリウ(淡青)にて剣橋(ケンブリッジ)大学のそれと同一」に決まったという記述がある。オックスフォード大学は濃青、ケンブリッジ大学は淡青をユニバーシティー・カラーにしている。ボートに限らず、両大学のスポーツ対校戦に出た選手には、「ブルー」の称号
いい出会いを見逃すな 1.学生時代 | 2.「出会い」と脚本家という職業 攻殻機動隊シリーズや、ヱヴァンゲリヲン新劇場版。いろんなところで話題に上がるこれらのアニメのスタッフロールにも、実は東大卒の人物の名前がある。 脚本家として活躍なさっている櫻井圭記さんだ。今回は大学時代のお話や、今のお仕事に進まれた経緯などを伺った。 日本を勘違いしていた小中時代 小学生のころはロンドンに住んでいて、中学の時日本に戻りました。そのため、日本について間違った知識を植え付けられていました。例えば、「日本男児たる者は女性に一途な思いを伝える時に、和歌を贈るもの」だと思っていたんです(笑)。だから必死に古文や和歌の勉強をして、いつも電車で見かける女の子に和歌を贈ったりしていました。でも、いくら待っても全然返歌がこない。「OKでもNGでも返歌はあるんじゃないか」と思い悩んでいたんですが、友達に「お前ばかじゃない
1.「史料論」について | 2.学生に対して教養として歴史を学ぶことの意義 歴史系の科目を学ぶことは、文科1・2類や理科の諸君にとって教養学部の前期課程2年間で人生最後の教育になります。確かに個々の歴史である建築史や経済史などはありますが、高校で教えられているような、「それ自体の学問」としての歴史を最後にしっかりと教えることは私達教養学部の教員にとって重要な使命だと考えています。将来どの世界に行くにしても、行動するための基準の中に歴史の教訓が蓄積されていることで、その選択肢が豊かになると考えるからです。もし東大を卒業して企業や官庁に入り、さまざまな経験を積むことになっても、色々な過去の例を知っていることで自分の考えや行動に深みが生まれるのではないでしょうか。 それから、同時に国際人としての自覚という意味で、東大生が歴史を学ぶことは大切です。外国に行ったときに、日本の文化である弥生土器から歌
すべてを「エンジョイ」という感覚で 1.研究者になるまでの道 | 2.教養は筋トレ、研究はゲーム 帰国、再び大学へ 日本に戻ってきて、僕は会社に戻りたかったんです。ただ、帰ってきた時期が悪くて、ちょうど日本が不況に襲われていた時期でした。大手の証券会社が潰れたりしてましたね。僕のいた会社も実は危なくて、不況のあおりでベーシックリサーチから撤退してしまったんです。僕がいた研究所が、戻ってきたらなくなっていたんです。だから違う部署に配属されて、冷や飯食いになってしまったのです。お世話になっていた上司も誰もいなくなっていて、みんなばらばらになってしまった。自分の居場所がわからない、いわば「浦島太郎状態」でしたよ。じゃあ転職してやろうと思って、東大に戻ってきました。 東大に戻るって言っても生易しいものではなかったですね。公募があってそこに応募したんですけど、何十倍という倍率で。書類選考や面接など
東大生といるのが楽しくて 駒場キャンパスの裏門を出て左へ歩いていくと、青いのれんのラーメン屋がある。その店の名は「山手ラーメン」。豚骨ベースのスープにスパゲッティのような細麺、そして他のどの店にもない美味しさ。開店から15年来、東大生に愛され続けている。そして、この店を開いた坂田達朗さんもまた、東大生を愛していた。 趣味が転じて本業へ 僕は三流の大学を卒業してから1年ぐらいサラリーマンをやっていまして、23,4歳の時に独立しました。学生の時からずっとアルバイトでやっていた貿易関係の仕事で、当時はテニスが流行っていたので、テニス用品や洋服の輸出入をやっていました。そのうち洋服はオリジナルブランドで作ったり、それから自分の店を持ったりというので、5,6年やってましたね。その間に恵比寿で和食の居酒屋もやってたんですけど、それが山手ラーメンの原点みたいなものかな。もともと飲食業は本職じゃなかったん
教養学部(前期・後期)在学生、後期課程または大学院在学中の外国人留学生、日本人大学院生(ただし、宿舎で外国人留学生のチューター活動を行うこと)のいずれかであることが入居の条件で、入居可能期間は在籍課程における最短修業年限となっています。つまり、前期課程から教養学部後期課程に進学する予定で引き続き入居を希望する場合などは、再度入居手続きを要するということです。女子学生の割合は全体のおよそ4分の1、日本人学生と外国人留学生の比率はおよそ7:3となっています。基本月経費は右表の通り、これに電気・ガス(給湯)使用量に応じた料金が加わりますが、それでも合計15000円程度と都内としては安く定められています。毎年入居者募集があり、選考によって入居許可・不許可が決定されます。 居室 A棟からF棟まで6棟合計605室あり、全室洋式個室となっています。広さ約13平方メートルで窓が1つ、ベランダはありません。
8月の特集企画、第2弾は「本棚特集」です。 普段から接する機会があっても、家に行かないとわからないのが、他人の本棚。でも、選ぶ本は人それぞれですから、本棚に入る本たちも人の趣味や専門によって変わるはず。 この企画では現役東大生の本棚の写真を実際に見てみることで、「東大生ってホントにたくさん本を読んでいるの?」「どのような本を読んでいるの?」という疑問から、「東大生って、普段どんなことを考えているのだろう」なんてことまで想像を膨らませられるでしょう。 さて、真実はいかに。実際に見ていきましょうか。 9月22日更新 都市工学科の人 電子情報工学科の人 文Ⅰの人(2人目) 8月27日更新 文Ⅰの人 理Ⅲの人 文Ⅲの人 理Ⅰの人(2人目) 8月12日更新 物理学科の人 美学藝術学の人 文Ⅱの人 理Ⅰの人 理Ⅱの人
『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』 筆者が授業の合間に生協書籍部を覗いてみると、ポップつきで平積みされている本があった。『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』。その本は軽快に毒を吐き世間を斬っていた。その本を書いたのは東大卒で編集者かつライターかつマンガ批評家かつ大のタイガースファン。そんな彼自身は東大とどう接してきたのだろうか。 なんとなく入ってしまった東大 東大生に関する本を出しておきながら言うのもナンだけど、自分自身は東大にそんなに強く思い入れがあるわけじゃないんです。灘高校に通っていて周りの大多数が東大に行くから「じゃあ俺も」ぐらいのノリで。それに親元からは離れたかったから家から通える阪大や京大はダメで、かといって田舎は嫌だし私立はお金がかかりすぎる、と消去法で考えても東大しか残らなかった。親も東大か医学部に行けって言ってたしね。文系なのに医学部は無理だろ
第一の迷いは、大学の進路決めでした。文科系に行くか、理科系に行くかという迷いですね。数学や物理が得意だったから理系かなと思っていたのですが、職業としてのイメージがなかったのです。むしろ政治家の方が面白いかな、なんて思っていました。第二は、漫画にのめりこむ前です。「自分は何がしたいのだろう」ってことで悩んでいましたね。一度スピンアウトして漫画漬けの日々を送った後、デザイナーになろうとか、日産からフリーへ活動を移そうとかの場面ではほとんど迷わなくて、むしろ気軽にレーンチェンジできました。日産に行くことも、「なぜ日産?」というよりは「出会い」や「縁」があったからでしたし。フリーになってしばらくしてから、東大の助教授としてデザインを教える立場にオファーされた時も、守るべき生活があるような気もしていなかったので、二つ返事でした。実際、学生時代にお世話になった教授からは怒られました、「条件や処遇を聞い
デザイナーという生き方 身の回りにあるデザイン…それは、いつも「機能」と「美」のバランスを求めながら日々進化している。工業デザイナーという生き方を選択した山中俊治さん(Leading Edge Design代表)は、いままでにsuicaのタッチパネルや身障者のためのキーボードづくりなどで「使いやすく」、「美しい」デザインを作ってきたが、山中さん自身はこれまでの人生をどうデザインしてきたのだろうか。 1. デザインとの出会い | 2. デザイナーという生き方 絵を描くことが好きだった 昔から絵を描くことは好きでした。工作も好きでしたね。凧揚げのたこを作ったり、紙飛行機を作ったりしていました。おもちゃを作る本、『日常の科学』の類の本も大好きでしたね。ある時、ブーメランを本に書いてある通りに作って、うまく完成したところで、もっと大きいブーメランを作ればもっと飛ぶんじゃないかと思って、ベニ
海外大学院への留学という選択 1.留学の動機、留学後の苦労 | 2.アメリカの大学と日本の大学の違い 読者の中には、大学卒業後、海外大学院に進学すること、または高校からそのまま海外の大学に入学することに興味を持っている方もいることだろう。 前半では、東京大学工学部を卒業後、マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学し、昨年、修士課程を修了、現在、同博士課程に在学中の小野雅裕さんに、留学の動機や留学後の苦労について、お話を伺った。 後半では、東京大学経済学研究科修士課程を修了後、ハーバード大学に留学中の山本裕一さんも加わっていただき、アメリカの大学と日本の大学の違いについて、お話を伺った。 宇宙の道を志す 東大に入る前から、理学部物理学科か工学部航空宇宙工学科で、宇宙について勉強をしたいと考えていました。物理学や天文学は宇宙を見ることを学びますが、航空宇宙は宇宙に飛ばすモノを作ることに主眼を
今やるべきことを、ただやる 1.2人の大学時代 | 2.今の学生に向けて 今やるべきことを、ただやる (小池) まだ学生の皆さんは今すぐ道を決めなきゃいけないような局面ではないのでしょうけれど、ただそのうち決めなければならない時がやってきて、その時に初発の動機として自己実現といった社会の煽りのようなものに汚染され(笑)、洗脳されながら選ぶのも致し方ないようなところはあると思うんです。それを克服して非常に強い意志を持って自分のやるべきことをやればいいといった心持ちにいきなりなってくださいと言っても、おそらく多くの人はなれません。 ただ、やり始める時はそういう気持ちに汚染されていたとしても、やってるうちに自分の適性や本当にやるべきことが見つかって、自己実現といった力んだ気持ちが消えていって自分の居場所のようなものが自然に見つかる人と、見つからないままずっと焦りに駆られ続ける人とがたぶんいるん
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