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ノーベル賞
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今やるべきことを、ただやる 1.2人の大学時代 | 2.今の学生に向けて 「個性」や「自己実現」という言葉が飛び交う、現代。ただでさえ不安定な存在である学生は、何に向かっていけばよいかますます分からなくなっている。今回は、僧侶として活躍されている小池龍之介さんと松本圭介さんに、ご自身の大学時代を振り返りながら、今の学生に向けてメッセージをいただいた。 2人の大学時代 (松本圭介さん) 東大を目指したきっかけは、一応日本で一番の大学ということと東京にあるということですかね。出身は北海道ですけど、ずっと北海道にいてもなっていう感じもあったし。あとはその当時哲学・思想の本を読んで興味を持ったので、東大には哲学の方面もあるということで東大にしました。 (小池龍之介さん) 私の場合は青少年の頃の青臭い衝動のようなものでして、太宰治に惹かれていた頃があったんですが、彼が東大の文学部仏文学科だったんです
※2007年4月1日施行の改正学校教育法において、助教授が廃止され、准教授・助教が導入されました。以下の記事は、それ以前の制度に基づいて作成されています。ご注意ください。 大学の教員の中には、教授の他にも、助教授、講師、助手がいます。それぞれの位置づけは、学校教育法で以下のように定められています。 学校教育法 第五十八条 教授は、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。 助教授は、教授の職務を助ける。 助手は、教授及び助教授の職務を助ける。 講師は、教授又は助教授に準ずる職務に従事する。 つまり、助手・講師 < 助教授 < 教授と位が高くなっている訳です。なお、東大には2006年度時点で、教授が1250人、助教授が915人、講師が264人、助手が1525人います。 まず、教授になるには、博士課程を修了していることが重要です。これは必須条件ではありませんが、教授の
自分を発信して 1.フリーランスのデザイナーになるまで | 2.デザイナーとしての資質 ある日、筆者が授業の合間に秋葉原を散策していると、一冊の綺麗な装丁の本が目に留まった。表紙には『Photoshop Elements漫画テクニック』の文字。ちょうどCGを描くための教本を探していたので手にとってみると、その説明のわかりやすいこと。表紙にあった CGのタッチが好みだったこともあって、その場で買ってしまった。 家に帰って著者紹介を見てみると、何と著者は東大卒の方だった。 今回は、グラフィックデザイナーとしてデザイン素材集やCG・Flashなどの教則本を執筆している井上のきあさんにお話を伺った。 子供の頃から絵を描いていた 子供の頃から絵を描いていました。絵を描くことは本当に好きでした。が、わたしの中での比重はそれほど大きいわけではなく、工作や手芸と同じレベルでした。ジャンルとし
自分を発信して 1.フリーランスのデザイナーになるまで | 2.デザイナーとしての資質 独学で何とでもなる 本の企画は、私と編集者との雑談の中で生まれることが多いです。この取材のきっかけになった『Photoshop漫画テクニック』もそんな感じで、編集者からのメールの隅っこに「今度、某漫画制作ソフトのハウツーやってよ」という一言があったので、わたしが「Photoshopでも描けると思うけど(たぶん)」と返信したら、数日の間に企画会議を通過し、やれ、今すぐやれ、ということになったという。結果的にこの本はとてもよく売れてびっくりしたんですが、会議室で根つめて考えるより、こういった日常の隙間から出てきたのがよかったんでしょうね。Photoshopでカラーイラストを描く、という本は比較的たくさんありますが、モノクロ漫画を描く、というものはそんなになかったので。 ちなみに企画段階では、Pho
門――それはある領域の境界を明示し、内と外とをつなぐ役割を果たしている場所。また、「入門」などと使われるように、「門」には「師について教えを受けること」(広辞苑第五版より)という意味もあり、学問の場である大学にとっては非常に象徴的な場所です。特に東大本郷キャンパスはそのほとんどを塀または柵で囲まれており、一定のまとまった空間として、外部の空間とは明瞭に区別されています。 一方で最近では、私立大学の都心型キャンパスのように、明確な空間領域の境界が存在せず、門を持たない大学も増えてきています。また、ヨーロッパの歴史ある大学に見られるように、1つの町全体がキャンパスになっているような所もあります。 以前の大学、殊に旧帝国大学は、“象牙の塔”と例えられたように学問的にも空間的にも閉鎖性の高い場所でしたが、最近では学問が社会とより密に関わろうとし、また大学という場が積極的に周辺地域と関わろうとしてい
科学コミュニケーション活動の二つの要素 1.大学院までのこと・執筆者として | 2.科学コミュニケーション活動について・現在の活動 中2の頃からの夢である執筆を続けながら、東京大学大学院理学系研究科・理学部の広報を担当され、科学コミュニケーションを専門とされる横山広美准教授。科学に興味を持ったきっかけから理学博士をとって現在に至るまでのご自身の経験や、科学コミュニケーションに対する思いを伺った。 大学入学までのこと 小学生の時は、週末に図書館で本を5冊ずつ借りて、毎週それを読むという生活でした。また、お稽古としてピアノと絵をやっていて、その教室がすごく好きでした。このように、ピアノと絵をすごく一生懸命やっていて本好きな子供でした。当時は本が好きだったので、将来は児童文学の作家になりたいなぁというような希望を持っていました。 私は幼稚園の頃からずっとカトリックの学校だったので、毎
日本に豊かな教育を 東京大学の数学科のOBであり、現在慶應義塾大学と東京大学で教鞭を執っている戸瀬信之先生のお話を伺った。教授として大学で学生に数学を教える一方で、学生の学力低下について問題意識を持ち、『分数ができない大学生』という本の著者としても知られている。戸瀬先生はどのような学生時代を送り、教育についてどのように考えているのだろうか。 学生時代を振り返って 今は数学の教授をやっているけど、10代の頃から数学の道へ進もうと思っていたわけではないです。僕は1年浪人したけど、現役の時は医学部を受けて落ちた。浪人時代に予備校でいろいろな出会いがあって、やっぱり数学か物理をやろうと思って理科一類を受けた。予備校にいらっしゃった物理の先生の影響が一番大きいかな。あとは東京に出てきて田舎では手に入らない「ファイマン物理学」なんかを読んでいるうちに、医者になろうって気分が無くなってきたからかな。駒場
すべてを「エンジョイ」という感覚で 1.研究者になるまでの道 | 2.教養は筋トレ、研究はゲーム 桁違いのスピードでの演算が可能な量子コンピューター。その基礎である量子テレポーテーションに挑み、世界初、三者間での量子テレポーテーションを成功させた東京大学の古澤明教授。今回は量子テレポーテーションで世界に先んじる古澤教授に、東大入学から企業就職、そして東大に戻ってきた経緯と、東大生へのメッセージを伺った。 高校時代はミーハーだった 東大に入学しようと思ったのは、おそらく僕がミーハーだったからではないでしょうか?実際、東大生にはミーハーが多かったですね。僕の出身高校は浦和高校だったのですが、僕の頃は現役生と浪人生合わせて5,60人ほど東大に入っていたんです。自分の学力と照らし合わせても、特に違和感なく東大への進学を考えましたね。 東大に入学してから 大学に入ってからは、ほとんどス
工学にロマンを取り戻したい 2007年7月から工学部広報室で働いている内田麻理香さん。その経歴は一風変わっている。東大工学部応用化学科で大学院博士課程に進学するも中退し、専業主婦に。その後、家庭での疑問を科学的に分析し、解説するホームページ「カソウケン(家庭科学総合研究所)」を立ち上げ、本も出版した。そして、約7年ぶりに東大工学部に戻ってこられた内田さんに、工学に対する思いを伺った。 ガンダムがきっかけで東大へ 私は小さいころから、科学が好きでした。子供図鑑を見ながら、ムラサキツユクサを採ってきて、色を変える実験をしたり、紅茶にレモンやハチミツを入れると色が変わる様子を実験したり、身の回りにあるものでいろいろと試していました。電熱器で炙り出しをする実験で火事を起こしかけたこともありますね。 その後、本格的に理系の道を志すきっかけは、実はガンダムでした。ガンダムを見て、宇宙コロニーを
世界の知の頂点を目指して 2005年4月、東京大学の総長に就任した小宮山宏さん。「知識の構造化」などを打ち出し、世界の知の頂点に立つ大学を目指している。学生時代はアメリカンフットボール部に所属し、スポーツに打ち込んでいたが、スポーツをすること以上に大切なことがあったという。 1.学生時代 | 2.東大の総長として のんびりとしていた時代 僕は小さいときからスポーツが好きで、やっぱり文学青年というよりは運動青年だったと思う。戦後間もない頃だったから、当時の小学生はほとんど勉強をしなかった。小学生の頃、父兄の間では「先生は宿題を出すべきか」という議論もあったくらい。もちろん親は一生懸命だったとは思うけど、まだ塾なんてものはなかったんじゃないかな。今よりは、のんびりとしていた時代だったよ。 東京に来たのは三歳の頃だったんだけど、今の駒場キャンパスのあたりは格好の遊び場だった。小川が流れている野原
「帰国子女」と聞いたとき、何を思い浮かべますか?「英語ができるけど、日本語があまり上手ではない」というイメージを持つ人が多いと思います。果たしてそうなのでしょうか? まず、当然のことながら帰国子女は全員英語圏出身とは限りません。もちろん、英語を習っているとは思いますが、英語より中国語、ロシア語、フランス語を話すのが得意な人もいるでしょう。小論文の試験(後述)はアラビア語でも解答することができます。 次に、「日本語があまり上手ではない」について考えてみましょう。帰国子女によって海外滞在年数は大きく異なります。それまでの人生18年間を海外で暮らしている人もいれば、数年間だけ滞在している人もいます(但し、東大に出願するには海外に最低3年間いないといけません)。海外に滞在していた期間が短ければ日本語力は劣らないでしょう。余談ですが、平成19年度からは帰国子女枠での出願資格がない帰国生は一般選抜
デザイナーという生き方 身の回りにあるデザイン…それは、いつも「機能」と「美」のバランスを求めながら日々進化している。工業デザイナーという生き方を選択した山中俊治さん(Leading Edge Design代表)は、いままでにsuicaのタッチパネルや身障者のためのキーボードづくりなどで「使いやすく」、「美しい」デザインを作ってきたが、山中さん自身はこれまでの人生をどうデザインしてきたのだろうか。 1. デザインとの出会い | 2. デザイナーという生き方 絵を描くことが好きだった 昔から絵を描くことは好きでした。工作も好きでしたね。凧揚げのたこを作ったり、紙飛行機を作ったりしていました。おもちゃを作る本、『日常の科学』の類の本も大好きでしたね。ある時、ブーメランを本に書いてある通りに作って、うまく完成したところで、もっと大きいブーメランを作ればもっと飛ぶんじゃないかと思って、ベニ
今回の講義紹介は、毎年夏学期に開講されている「科学哲学」について紹介する。この講義を担当している野矢 茂樹 助教授にお話を伺った。 「科学哲学」で扱う領域 「『科学哲学』とは何か」と尋ねられると、まず基本的には「哲学」なんです。「哲学」というのは、学問の一領域というより、一つの方法です。そしてその「哲学」という方法には「ある対象について根本的に考える」という特徴があるわけです。例えば、言語の成り立ちを言語学とは違う形で、ある根本的な問いを立てて考えていく場合「言語哲学」となるし、心について心理学とは違う形で根本的に問うていくと「心の哲学」ということになります。同じように、「科学」という対象に対して「科学って何だろう?何をやってるんだろう?」とか「今ある科学が唯一絶対のものなんだろうか?」あるいは「これから先、科学はどうなっていくのだろうか?」というようなことを根本的に問おうとするのが「科学
自分でやってみる 普通の受験生にとって、9月や10月は夏休みも終わりさらに気を引き締めて勉学に励む時期だ。しかし、その時期に勉強など放っておいて、レゴブロックを組み立てていた男がいる。TVチャンピオン(テレビ東京)の「レゴブロック王選手権 本場デンマークまで行っちゃうよ決戦」(2005年11月17日放送)に出場し、準優勝を果たし、そしてそのまま東大に現役合格。これはとても行動力のある秀才レゴ少年のお話である。 レゴに熱中するまで 小さい頃からレゴをやっていましたが、別にはじめからレゴに熱中していたわけではないんです。はまるようになったキッカケは中学3年生になって、野球部をやめたので時間が出来たから。その頃、ある程度英語に自信が出て来ていたので、思い切って海外に4,5万円する基本ブロックばかり入ったバケツを注文してみたんです。英語を使ってしかも個人取引だったので、ちょっとした挑戦でした。海外
駒場・本郷キャンパス移動レース トップ | レーススタート | 10分後 | 20分後 | 30分後 | 40分後 | 50分後 | 1時間後 | 2時間後 | 3時間後 | 4時間後 | レースを終えて 駒場キャンパス・本郷キャンパス間を移動する人は、実は多いのです。例えば本郷で練習のある運動系の部活は多いですし、それから2年生の後半からは駒場生にもかかわらず本郷で授業が行われることもあります。また、教養学部後期課程の人が本郷の他学部の講義を聴講することや、本郷の学生が駒場キャンパス時に取り落とした単位を取りに戻る「駒場バック」「こまばっく」もあるようです。 このように、思った以上に需要のある駒場−本郷ラインですが、ほとんどの人は電車と地下鉄を使って移動するようです。でも、本当に電車が効率がいいのでしょうか?みんな、流されすぎじゃないか?そんなあまのじゃく的な疑問からこの企画を考えてみま
世の中を動かす核になりたい 1. 大学時代は | 2. 今の仕事とこれから弁護士になるものだと思っていたら… 小学校高学年の頃、アメリカの法廷で陪審員を熱く説得している弁護士の話を映画かなにかで知って、国際弁護士になりたいなと思って。どうせならトップを目指そうと、東大法学部を漠然と考えました。私が幼稚園から15年間通っていた女子校は、受験もなく好きなことばかりやっている環境でしたから、勉強が出来ることに大した価値はなかったんです。おしゃれであることとか友達思いであることとかと同じように、勉強が出来るという特徴を持っていた、そのくらいのものでした。そんな学校にいたので、東大受験のためのノウハウが必要で塾に通うようになり、それから本格的に東大に受かるための勉強をコツコツとし始めて、受かりました。勉強面では塾で助けられ、勉強以外の大切なことに気づかせてくれたのは高校でした。 私は自分自身が納得す
現役東大生から、東大を卒業してすでに社会で活躍している方まで、幅広くスポットを当てて紹介する「東大な人」。
“ブランド”を活かして 1.これまでを振り返り | 2.東大について 東大生って… 東大生って、モノの考え方や行動がごく普通だと思っています。僕自身がそうであるように良くも悪くも平均的。例えば法学部なら官僚か法曹か大企業のサラリーマンか…って、結局就職の段になったら世間一般に安定してると言われてるところへ大挙して押し寄せるんですよ。 あと、学外の人に言われてはっとしたのは、「東大生って何で食堂で一人でご飯食べてるの?」ってことです。何だか、良くも悪くも東大生はつるみたがらないんじゃないでしょうか。大学卒業して社会人になってからも事情は同じで、みんな大学ベースの同窓ネットワークが欲しいとは思っているはずなのにどうにも結束が弱い。 最近は、東大OBと東大生の交流を促進する知の創造的摩擦プロジェクトのために東大OBの集まり「三四郎会」が結成されたりして、だんだんよくなってきてはいると思
チャレンジを恐れずに 第一回目の「The東大卒」は、「ウルトラスーパーハイテクカンパニー」として多岐に渡る分野で活躍中のチームラボ株式会社代表取締役社長猪子寿之さん、ウェブサイトユーザビリティの第一人者である株式会社ビービット取締役副社長若林龍成さん。 猪子さんが起業を考えていたころ、起業家の先輩であった若林さんにアドバイスを貰いに行ったときから、話をするようになり、今でもときどきアイディアを出し合うなど、お二人の関係は続いているようです。 若林龍成さん(以下、若林): 猪子さんは何で東大に入ろうと思ったの? 猪子寿之さん(以下、猪子): 僕が東大に入ろうと思ったのは、逆玉に乗ろうと思ったから。官僚になる友達をたくさん作って、将来は大企業の社長の娘と結婚して、逆玉に乗ろうとか思っていた。そのために一番有利なのが、東大だったんです。 若林: なかなか変わった動機だね
日本再生へ チームラボの目的は「日本再生」。情報革命によってもたらされる「新しい価値を創造できる人が美徳とされる、新しい美意識」について考える若き社長。周囲の人間によると彼は、「変態」。 日本再生へ 僕は小学校の時すごくやる気のない小学生で、夢もなくって、同じ学年の子が将来はサッカープレーヤーとか花屋さんとかを夢見ていた頃に、自分は家が歯医者だったからそのまま歯医者になると思っていたのね。「10年後の自分はなにをやっている?」と小6の時に聞かれて、22歳の自分は「歯科大学に通っていると思う」って、可愛げもなく答えていたね。そんなさむい、現実感溢れる子供だったよ。 ところが中学校の頃、「日本を再生しろ」って電波が届いちゃったんだ。よくわからなくて、面倒だって思った。だけれど、僕は届いちゃったっていうファクトに素直だった。 高校の時、日本再生のためにマーケットにコミットしようと決めた
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