サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
猫
ta26.hatenablog.com
■ 失敗? 次の時代への準備? 前回、平成の総括ということで、3つの失敗(政治、経済、思想)について書いたたのだが*1、私が思った以上に反響があって、様々なご意見を頂戴した。中でも、失敗というより、次の新しいものが出てくる胎動の時代だったのでは、というご意見には、少なくとも経済に関わる問題については、条件付きながら、私も同意する。本当に新しいものが出て来るためには、既存の枠の中で出来ることは最大限やり尽くして、茫然自失するくらいの方が良いとも言える。その時こそ、従来では考えられなかったようなコンセプトが現れ、状況を根こそぎ変えてしまうようなものが現れる。中途半端に現状の手直しでしのごうとしている間は、本当に新しいものは出てこない。特に日本人にはそういう傾向がある。だから、平成の『失敗』も、既存の枠内で考えられる限り、やるだけやって、やり尽くした状態と見れば、今こそ、予想もしなかったような新
■イスラム教徒が最大勢力へ 米国の調査機関ピュー・リーサーチ・センターより『世界の宗教別人口は現在キリスト教徒が最大勢力だが、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になる』との予測が発表された。人口動態等を勘案すれば、さほど目新しい予測とも思えないのだが、思った以上にショッキングなニュースとして注目されているように見える。大多数の穏健なイスラム教徒にとっては失礼な話とも言えるが、『無宗教』を公言するような現代の大多数の日本人にとってはやはり脅威であり、得体の知れない不気味さを感じたり、不安を煽られたりしているはずだ。 イスラム教徒、2100年には最大勢力 世界の宗教人口予測 :日本経済新聞 実際、このような発表がある一方で、相変わらず『失意の若者狙うイスラム過激派 戦闘員候補、巧妙に物色』という類いのニュースも引きも切らず出て来る
■ 尽きない平成に関する視点/論点 これまで2度にわたって、平成の総括について書いて来たわけだが、続々と出て来る、平成に関する書籍や記事を拝読していると、まだ自分が気づいていない、あるいは気づいていても必ずしも十分にカバーしきれていない重要な論点や視点がたくさんあることを痛感する。当面、そのようなものを見つけるごとに、備忘録の意味でもその論点にコメントを付記してブログにも書き残しておきつつ、ある程度溜まって来た時点で、あらためて『平成総括』を書いておきたいと思う。 今回特にそのように考えるきっかけを与えてくれたのは、少し前のことになるが、2017年8月に東京工業大学で行われた公開シンポジウムをベースにまとめられた『平成論「生きづらさ」の30年を考える』*1だ。シンポジウムのテーマは宗教/スピリチュアリティであり、いずれも同大学のリベラルアーツ研究教育院に所属する、池上彰、弓山竜也、上田紀行
■ 幻想としての東京オリンピック 2020年の東京オリンピックがもう目前に迫ってきているが、最近出てくるオリンピック関連の報道には目を疑うものが多い。私自身は、多少なりとも沈滞する日本のムードを変えるきっかけになるのなら、オリンピックというお祭りも悪くないと思ってきたし、そういう意味では、どちらかと言えば『賛成派』のつもりでいた。だが、その私も、次々に出てくる驚くべき報道に、さすがに認識をあらためずにはいられない。そして、ここにも、というより、ここにこそ、日本の抱える構造問題が典型例として表出している。 このオリンピックの開催地については、最終段階では、東京とマドリードおよびイスタンブールで争われていたが、その当時懸念されていた候補地としての東京の最大の障壁は、日本国内での『熱気不足』(および夏場の電力不足)で、国際オリンピック委員会(IOC)が2012年5月の1次選考の際、独自に実施した
■ 大きな転換点としての平成 平成が終了する時期が近づていることもあり、昨今では、平成を総括する著作や記事が増えて来ている。昭和と比較すると、長さも半分以下で、300万人以上の戦死者を出して国が滅びてしまうほどの戦争のような大きな出来事があったわけではないとはいえ、平成という時代には、阪神大震災、東日本大震災とそれに伴う原発事故、あるいは世界初の都市型毒ガステロ(オウム真理教事件)、さらにはインターネットの急速な普及等、過去に例のない、そして、時代を一変させてしまうような出来事が凝縮して詰まっており、つぶさに振り返ってみると実に大きな転換点であったことがわかる。 しかも、日本だけではなく、この間、日本を囲む世界も激変した。そもそも平成が始まった1989年というのは、世界的な激動の年で、6月に中国で天安門事件が起こり、11月にはベルリンの壁が崩壊し、12月にはブッシュ大統領とゴルバチョフ書記
■ 現在の生活に満足している若者が83.2%? 内閣府が行なった『国民生活に関する世論調査』で、現在の生活に満足していると答えた人は、74.7%で2年連続で過去最高を更新したという。これを18歳から29歳までに限定すると83.2%というから、どのような背景があるにしても(あるいは質問の仕方に多少問題があったとしても)、これは本当に驚くべき数値だ。*1 数々のスキャンダルに見舞われながらも自民党の安倍政権の支持率が(特に若者の支持率が)下がらない理由の一端がここにあることを感じた人は少なくないはずだ。確かに、前政権の民主党の経済運営があまりに拙劣だったとの印象が若者の間にも強く残る中、彼らが現状維持が最善と考えるのも無理はないように思える。ただし、この調査結果に安堵できる人は最早それほど多いようには思えない。どう考えても違和感がある。この違和感の正体をあらためて現時点で明らかにしておく必要が
先日(8/6)、国際大学GLOCOMに於いて『平成30年版情報通信白書読書会』が開催されたので出席してきた。 イベントの概要 www.glocom.ac.jp 概観(感想) ◼︎ 明らかになってきた大変な現状 本年のこのイベントは、ここ数年と比較して異例といっていいタイミングおよび環境下で行われた。というのも、白書が例年より早い段階でリリースされ、しかも、アマゾンで無料公開されたこともあり、一足早くそのデータの分析に着手してコメントを述べたブログが非常に大きな話題となり、そのこともあって、情報通信白書自体が『話題の書』となって、大量にアマゾンからダウンロードされることになった。 そのブログ(永江一石のITマーケティング日記)の記事とその後に飛び交った議論、および今回の説明をあらためて聞いた上で、見えてくる日本のICTに関わる『現況』を一言でまとめれば、次のように言い表せるように思う。 『迫
■ 燎原の火の如く広がる批判 自民党の杉田水脈衆院議員による『新潮45』への寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」が多くの批判を集めている問題で、私も言いたいことは山ほどあるので、すぐに何か書いておこうと思ったのだが、少し自制して、どのような意見が出てくるかまずできるだけ見てみることから始めようと考え直した。というのも、この発言を巡る反応が『批判と擁護の複雑な諸相』となるであろうことはあらかじめ予想できたし、その『諸相』は来るべき近未来に、社会を大きく揺りうごかす問題への対応能力をはかる指標となると考えたからだ。また、それが私が最近非常に気にしている問題について述べるきっかけになるようにも思えた。 本件は、先ず、名指しされた形の『LGBT』の怒りが燃え上がり、早速に大規模(5,000人!)なデモ隊となって、自民党本部前に押し寄せた。加えて、寄稿文を読むと、子供を産んで国家に貢献できるかどう
■ 柿内芳文氏という傑物 先日(7/7)、アメリカ出版研究会の勉強会への参加を誘われて出席してきた。それまでの自分の経歴の中ではあまり縁のない世界でもあり、興味津々ではあったが、事前の予想を遥かに上回る、驚くほど素晴らしいお話を聞くことができた。少し時間が経ってしまったが、是非とも何か書き残しておきたいと思っていた。 登壇者は、編集者の柿内芳文という人であることは事前に知らされていたが、業界に疎い私は失礼ながらそのお名前はまったく存じあげなかった。だが、当日わかったのだが、柿内氏が編集に関わった本は8割方購入して読んでいたし、そのうち何冊かは、ブログに感想を書かせていただいていた。いずれも非常に面白かったし、他の本とは違う『何か』を感じてもいた。そして、どの本も出版不況の渦中にありながら、非常に多くの部数が売れて注目された本ばかりだ。これらがすべて柿内氏が編集者として関わった本であることを
◾️ 薄れゆくリアルタイムの感情 スマホのポップアップに突然、『オウム麻原処刑』のニュース記事が出て以来、久々にオウム真理教関連の情報がメディアに溢れて来て、かつて本件について考えていたことを次々に思い出すことになった。処刑については、一つの区切りであることは確かだが、これは第一幕の終わりではあっても、続く第二幕が始まってしまうのではとの懸念が咄嗟によぎった。同様の懸念を表明する人は多い。よく気をつけていないと、当事者(旧信者や後継団体)とは関係のないところからでさえ『歴史が繰り返す』恐れは多分にあるように思える。 1995年にあの事件が起きてから、本年で23年目ということになる。リアルタイムにあの事件を見ていた私たちには、何らかの報道があるたびに、当時感じた何とも形容しようのない戦慄、怒り、嫌悪、悲しみ等の入り混じった、濁った絵の具のような『感情』が蘇って来る。もちろん、直接の被害者や関
■ 知識社会で充実して生き、社会にも貢献するには ここしばらく、現代日本における教養の重要性について何度も書いてきたわけだが、『大学の深窓にいる人たちは教養ある人たちのはずだが、そこにも日大アメフト部のような権力構図があったり、新しいことを頑固に否定するばかりでとても未来を切り開くような人種に思えない』という類のご意見や質問をたくさんいただくことになった。 実は、記事中に、今の日本の教養教育には問題があり、決して現代日本のいわゆる『教養人』をそのまま肯定しているわけではないことを指摘しておいたつもりなのだが、伝わっていなかったとすれば、あらためてこの場を借りて強調しておきたいと思う。 ただ、今度は、『お前のいう教養とは一体何なのか』『どうすれば教養を培うことができるのかよくわからない』、あるいは、『結局問題を嘆くだけで解決策は示さないのか』、というようなご意見をいただくことが予想されるし、
■ W杯で世界から賞賛された日本人のマナー サッカーのW杯はいよいよ佳境に入ろうとしている。日本は直前で監督が交代する等の混乱もあり、下馬評では一次リーグで全敗する可能性が高いと酷評されたものだが、それを見事に跳ね返して決勝トーナメントに進出したばかりか、有力な優勝候補とされたベルギー(同じ優勝候補のブラジルも撃破した!)を相手に堂々と渡り合って、後一歩のところまで追い詰め、世界の賞賛を浴びた。 賞賛と言えば、日本選手やサポーター(掃除をしてからスタジアムを後にする等)のマナーの良さは、試合での健闘とあいまって、今回も世界から高い評価を受けることになった。*1やはり日本は世界に誇れる『礼節』の国であると誇らしく感じた人も多かったと思う。世界に、『日本、ここにあり』との強烈なメッセージを届けてくれた選手や関係者、現地で応援していたサポーターにあらためて感謝したい気持ちだ。 ただ、この日本人の
■ 大量の書評が書かれている新井紀子氏の新著 発売からだいぶん時間が経ってしまったが、数学者の新井紀子氏の新著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』*1 は非常に評判が良く、この種の書籍としては異例の販売実績を誇り、版を重ねているという。私も発売と同時に読ませていただき、何か書いておこうと思いながら、ついタイミングを失してしまった。だが、どうやらこのタイミングの遅れには思わぬ効用もあったと言えそうだ。というのも、多くの人に注目された本書には非常に多くの書評が書かれていて、それが第三者視点として大変参考になる。 書評の中には、多くの批判も含まれ、それこそ新井氏が本書で述べる、日本人の読解力の低下の証左と言えそうなものも多いが、それでも、それなりの論拠を持つ『断固たる批判者』も少なくない。断固たる批判者とは一体誰のことなのか。どうしてそのような断固たる批判者が出て来るのか。今回は主として
▪️ 不透明な時代の指針とは? 人工知能(AI)のような先端技術に関わる報道は、そのインパクトが強烈だったこともあり、『仕事がすべて機械に奪われてしまう』から始まって、『人間の知性を上回る存在になる』『人類は滅ぼされてしまう』というような極論まで、この数年、大変センセーショナルな言説がメディアを賑わせてきた。さすがに最近では比較的冷静な現状分析も出てきて、トーンダウンしてきたが、今度はその反動もあってか、先端技術の影響力を過小評価する論調も目立ち、また、さらにはアンチ先端技術を標榜する立場も勢力を盛り返してきている(欧州のGoogle嫌い、トランプ大統領のアマゾン嫌い等も広い意味ではここに括られると思う)。加えて、昨今ではフェイクニュースまがいの真偽が不明確な情報もすごく多いため、先端技術のもたらす未来像に関わる不透明感は以前よりむしろ濃くなってしまったように思える。 こんな時代に、これか
■ 暴力志向は日本人の国民性? 前回、日大アメフト事件に言及するにあたり、これが主として今だに残存する『昭和的価値/意識』に起因する問題であることを指摘しておいた。ここでは、昭和といっても、戦後の高度成長期以降の後期~末期の昭和を想定していた。では、その『昭和的価値/意識』は一過性で、ある時期に特徴的なものなのなのかと言えば、そうではない。少なくとも、先の戦争(太平洋戦争/日中戦争)における帝國陸海軍には、いたるところに同様の類型を見つけることができる。そのあたりの事情は、経営学者の野中郁次郎氏らの共著である『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』*1 や評論家の山本七平氏の一連の著作に非常にわかりやすくまとめてあるので、是非ご自分であたってみていただきたいし、私のブログでも何度となく取り上げてきたトピックでもあるから興味があれば読んでみて欲しい。 実のところこれは今では比較的よく知られた論点
■ 根深い構造問題から浮かび出た氷山の一角 今、メディア騒がす大問題となっている、日大アメフト部の反則タックルの問題は、次々と新しい展開が出てきて、どのように収束するのか、どこまで広がるのか現段階では予想がつかない事態となっている。おそらく何らかの第三者委員会の調査は始まるだろうし、被害者は刑事告訴にも言及しているようだから、今よりは真相がクリアになることは期待そうだが、それでも臭いものに蓋をされてしまう可能性もあり、真相がはっきりするまで発言を控えているといつまでたってもその機会が来ない恐れもある。よって、見切り発車ではあるが、今言えること、言いたいことを述べておこうと思う。 本件に対する世間の注目度は、異例と言っていいほど高い。それは、おそらく、大半の人の身近に、多かれ少なかれ同様の事例があることを感じているからだろう。すなわち、本件は日本の根深い構造問題から浮かび出た氷山の一角と考え
■ 経済やビジネスの明るい話題が少ない日本 最近、巷では政治的な話題がものすごく賑やかだ。モリカケ問題のようなスキャンダルで騒がしいということもあるにせよ、長く蔑ろにされていた未解決の問題がこの時とばかりに次から次へと暗い穴の底から這い出して来ている感じだ。長い間の日本人の政治無関心のつけが一気に出て来ているように見えてしまう。やはり日本は長い間、「経済一流、政治は二流」の国だったのだなとあらためて思う。 ところがその経済、あるいはビジネスに関わる話題も、ウキウキするような明るい話題は昨今本当に少なくなった。もちろん、人工知能等、技術に関わる話題は毎日溢れるように出て来るし、そういう意味ではその関連のビジネスに関わる情報も山のようにあるとも言えるのだが、よく注意して見ていると、それで日本企業が、これならやっていけるという確信を持てるような話題はほとんど含まれていない。その逆に、このままでは
■ 創業時のソニーこそ今後の日本の道標? 書店でふと、元ソニー社員でGoogleの日本法人の社長も務めた、辻野晃一郎氏の名前を見つけたので、思わず手に取ってみた。なんと、評論家の佐高信氏との対談本である。*1 両者の個別の意見については、他所でもずいぶん読んできたこともあり、それぞれどのようなお話しが出てくるのかある程度想像できるのだが、この異色の組み合わせとなると、どのように議論が展開するのか予想できない。その点に興味を感じて読み始めてみることにした。 辻野氏と言えば、創業時代のソニーの遺伝子を受け継ぎ、それをGoogleという場でも見事に開花して見せた、今や日本では貴重かつ希少な存在となっている、世界に通用するビジネスマンの一人だ。一方、佐高信氏と言えば、歯に衣を着せないバリバリの左派の論客で、言及しただけで、右翼系のアンチ佐高が殺到してきて、炎上してしまいかねない強面の人、というイメ
◾️構造的な政治無知/音痴の大量生産 今の日本人の多くは(誰よりも私がそうなのだが)政治に関心が薄く、知識も乏しいから、国家運営や民主主義が健全に機能するために期待されるレベルに達しているとは到底思えない。もちろん日本にも政治に高い関心を持って真摯に取組む人たちが少なからずいることを否定するものではないが、問題は政治への無関心や無知が個人の性向とか趣味嗜好ではなく「構造」として再生産されてきたと考えられることだ。 例えば私のような昭和生まれの中でも、学生運動が実質的に消滅してしまった後に大学時代を過ごした年代は、政治に関わることのメリットより無力感、さらにはデメリットの方を感じて育ってきたと言える。(それどころか、「連合赤軍の総括」*1を例に挙げて露骨に嫌悪感を口にする者さえ少なくなかった)。多少は興味が持てる政治的なトピックがあっても、それを人前で語ったりすると、それ自体、周囲から浮き上
◾️激変する中国のイメージ 昨今では、経済であれ政治であれ、何がしかを議論する場では、中国の最新事情を勘案せずにはすまないことが多くなって来ている。私自身、何かを語ったり、こうしてブログを書くににあたっても(特に私の場合、経済やビジネスをトピックとすることが多いわけだが)、中国の動向を常に把握しておく必要があると感じることが非常に多くなって来ている。この数年特に、中国の情報に驚かされる頻度が激増しているが、表面的で脈絡のない賑やかしのような情報だけではなく、一つ一つが非常に大きな構造変化(あるいはこれから起きて来るであろう構造変化)を示唆するものであることも多くなってきており、受け入れる自分の方もその都度、根本的に自分の理解の体系全体を見直し、更新せざるをえなくなっている。そうしているうちに、わずか数年前に持っていた中国のイメージが、今ではすっかり変質してしまった。 先日、あるイベントに参
■ 2025年くらいまでをどう予測するのか 2018年が明けた。昨年後半は特に、ブログを描くペースを落としたこともあり、恒例にしていた年末のその年の総括も書かなかった。言い訳がましくなるが、この1〜2年というもの、変化のあまりの速さにショートレンジの予想の難しさを痛感することしきりで、2017年に起きたことを列記するのはいいが、それに対するコメントを書くことに戸惑いがあった。それは今も変わらないのだが、せっかくの年初なので、それでも何か書いてみようと思う。 将来の見通しを聞かれたとき、最近いつも答えているのは、「2030年くらいの未来については、シンギュラリティとは言わないまでも、テクノロジーの影響がかなり浸透して、否応なく、世界は大きく変わっていることは間違いないと考えている」、ということだ。だが、本当に予測が難しいのは、テクノロジーの過激なほどのスピードと、短期間に変化を迫られる社会や
◾️ 日本の異界 「日本の異界 名古屋」*1という本のタイトルの奇抜さに思わず目をとめてしまった。私も、昔、仕事の関係で7年くらい愛知県に住んでいて、その文化の特殊性に、辟易し、反発しながら、時に包摂され、それまで真面目に振り返ることのなかった「文化」という非常に高い壁に直面して悶々としていた体験がある。そのためもあってか、当時のことが走馬灯のように浮かんできて、つい購入してしまった。 よく見ると著者は、かつて「蕎麦ときしめん」*2という名古屋の特性を非常に巧みに表現することで喝采を受けた本の著者でもある、清水義範氏ではないか!だとするとこれは単なる上滑りのマーケティング本でも、単なるルサンチマンのはけ口でもなく、洒脱でリズミカルな文章の妙味を期待できると直感した。そして、実際その通りだった。 ◾️ 誰も名古屋には行きたくない? 名古屋ネタですでに何冊かの著作のある清水氏が、今回また名古屋
◾️優良企業の品質偽装事件 神戸製鋼所の品質データ改ざん事件は内外に非常に深刻な影響を与えている。偽装は非鉄金属のみならず、主力事業の鉄鋼にも及んでいることが判明しており、さらに別会社である建設機械の「コベルコ」等にも飛び火しているというから、特定部門に限定された問題ではない。しかも、OBの証言によれば、偽装は40年前から常態化していたということなので、そうなると、経営を含めて会社の体質自体の問題ということになる。偽装の悪影響を被る出荷先企業は500社を上回り、しかも顧客は海外企業にもおよび、訴訟の可能性も取りざたされており、直接的な損害だけでも 膨大な金額が積み上がる恐れがある。だが、それ以上に、顧客に対する信頼が失われたことによる将来の損害は計り知れない。もはや、神戸製鋼所は単独では生き残れないと指摘する向きもある。 ◾日本企業の️高品質イメージを毀損してしまう 世界の市場がつながって
◾️ 異彩を放つ豊田真由子議員 今、日本中が注目しているといっても過言ではない強烈キャラである、豊田真由子議員の謝罪会見がとても印象に残ったので、忘れないうちに感じたことを書き残しておこうと思う。(といっても大分旧聞になってしまったが・・) 今年は(今年も、というべきか)、国会議員の失言・スキャンダルの類が非常に目につく年となった。そもそも組織のトップ(安倍首相)自体が疑惑の中心にいて騒がしかったわけだが、自民党の議員の醜聞も実に多かった。 だが、その中でも、特に異彩を放ち、強い印象を残した筆頭と言えば、何と言っても、豊田議員をおいて他にはない。不倫であったり、政治的に不適切な発言等については、醜聞と言ってもすでに慣れっこになってしまった国民は、ニュースを聞いた途端に、自分の頭の中にある分類箱に放り込み、すぐに誰が誰だかわからなくなってしまうのが普通だろう。おそらく、どんなに記憶力の良い人
先日(9/8)に国際大学GLOCOMに於いて「『平成29年版情報通信白書』読書会」が開催されたので出席してきた。少々遅くなったがレポートしておこうと思う。 概要は、以下の通り。 日時 2017年9月8日(金)14:30~16:30 講師 高田義久(総務省情報通信国際戦略局情報通信経済室長) コメンテータ 庄司昌彦(国際大学GLOCOM主任研究員/『情報通信白書』アドバイザリーボード) 会場 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 概要 国際大学GLOCOMは公開コロキウム『平成29年版情報通信白書』(総務省発行)読書会を開催します。編集を担当した総務省情報通信経済室の室長の高田義久氏にポイントを解説いただき、参加者と議論を深めます。 今年の白書の特集テーマは「データ主導経済と社会変革」です。データ主導経済下での社会経済活動の再設計・課題の解決等の展望をしています。第1章「スマート
■ 気になった臨死体験の本 この夏の異常な暑さの影響もあって、しばらく持病の片頭痛に悩まされ、ブログ更新のペースも落とさざるを得ないでいるが、加えて、帰省でお休みしていると突然叔母の死去の知らせが入り、急遽、通夜や葬儀に参加することになり、通常の生活への復帰も遅れることになった。このようにイレギュラー続きだった直近の1~1.5月というもの、「仕事脳」をほぼ休止状態にして過ごしてきた気がする。こんなことはここ数年には例がなかったことだ。 だったら、しばらくブログ断筆宣言でもして、しばらく休養したらどうかと言われてしまいそうだが、おかしなもので、「仕事脳」は活性化していなくても、今書ける何かを書いておきたいという欲求だけは、意識の底から突き上げてくる。突き上げてくるからには、何か書きたい内容でもあるのだろうと、半ば自分自身を突き放しつつ、こうして書き始めてみることにした。 しばらくの間、仕事関
◾️ セミナー概要 7月19日に、レクシスネクシス・ジャパン社主催で、『競争戦略としてのコンプライアンス~攻めのコンプラはオモシロい~』というタイトルのセミナーが行われたので、出席してきた。 ※満席のため受付終了【Executive Seminar】 競争戦略としてのコンプライアンス~攻めのコンプラはオモシロい~ - LexisNexis 下記に、開催概要を引用しておく。 通常、「コンプライアンス」という言葉を聞いて元気が出る人はいません。コンプライアンスという言葉は不祥事を起こした企業の謝罪や、マスコミによる非難という場面で用いられるものだからです。また、細かい法令解釈ばかりのコンプライアンス・マニュアルは、見ているだけで食欲がなくなってしまいます。このように、コンプライアンスは、ビジネス活動を委縮させるものと理解されがちです。 本セミナーは、そのような古い概念を打ち破ることを目的として
◾️ 交通ジオメディアサミット 先日行われたイベント、『第二回交通ジオメディアサミット』は是非参加したかったのだが、スケジュールが合わずに見送った。やむなく、終了後のレポート等を読ませていただいた。 「交通ジオメディアサミット 〜 IT×公共交通 2020年とその先の未来を考える〜」発表資料と反応 - niyalistのブログ 交通ジオメディアサミット 全ツイート#gms_2017 - Togetterまとめ ジオメディアサミットというのは、『ジオ関連業界(位置情報・地図情報)を盛り上げる目的で、2008年に有志で始まった、オープン、中立、交流重視を掲げて開催している日本最大の位置情報フリーカンファレンス』である。最盛期には200~300人規模の参加者で会場が一杯になるほどの盛り上がりを見せたイベントだ。ただ、近年残念なことに発信するメッセージに全盛時ほどの切れ味がなく、コンセプトがやや曖
◾️ 千葉雅也氏の『勉強の哲学』 買ったまましばらく放置していたのだが、ふと読んでみると非常に面白くて、また自分自身を振り返るきっかけとなった本がある。哲学者の千葉雅也氏の『勉強の哲学 来たるべきバカのために』*1である。勉強といっても、受験勉強だとか社会人の実務的な勉強のためのノウハウ本ではない。そのような本と間違えて買うと、がっかりするか驚いてしまうと思われるのだが、もしかすると、まったく新しい人生を始めるきっかけになるかもしれない。 千葉氏は、まず冒頭にガツンと、こう言い放っている。 『勉強とは、自己破壊である』 多くの人(大抵の人と言っていいと思うが)にとっては、勉強とは新しい知識やスキルを付け加えるためにするものだろう。だが、千葉氏はそういうイメージを捨てろというのだ。では、勉強して何の得になるんだという当然の質問が出るわけだが、これまでの『ノリ』から自由になるためにやるのだ、と
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く