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書くことに関するmurashitのブックマーク (146)

  • 俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠

    Geekなぺーじ:ブログ論 最近のブロガーってどこで運営ノウハウ習得しているんだろう? - 情報の海の漂流者 ブログの運営については何も知らない。 だが、“長文ブロガー道”や“ブロガー精神論”についてなら語れる。 『シロクマの屑籠』も今年で7年目を迎え、ブログはすっかり自分の生活の一部となった。書きたい時に書きたいことを書き、誰かに声を届けたくなったら躊躇せずトラックバック記事を書く――そういう素人ブロガーらしいブログライフを楽しめていると思う。 この7年間、欲望の赴くままに書いてきたから、俺はブログの運営なるものを知らない。マネジメントを欠いているからこそ、デフォルトのままのデザインで、記事の方向性も散らかっている。じゃあそれで損をしたかと言われたら、あまり損をしていないような気がする。自分が書きたいことだけに意識のリソースを集中させることが出来たという意味では、“下手の考え休むに似たり

    俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠
    murashit
    murashit 2013/01/10
    自分にとってのシロクマ先生の好きなところと大嫌いなところが同居している素晴らしいエントリだ / これに全面的に同調する人は、いや違うんだと言いたくなる!!!
  •  僕には本来、書きたい事柄がない。  それは単に情熱が足りないのだと思っていた。  でも違ったらしい。言葉にすると、こうだ。  まず、僕はコッペパンを手にしている。  コッペパンは好物ではない。味がなくてとにかくおいしくない。  どこかに風味豊かなおいしいコッペパンがあるのかも知らないが、給食のコッペパンは味がなくてまずかった。  だからスープとかマーガリンとかをつけて食うのだが、味がついても結局まずい。  言っておく。  コッペパンは、最高にまずい食べ物。  だけど今はコッペパンくらいしか口に出来るもの

    僕には来、書きたい事柄がない。 それは単に情熱が足りないのだと思っていた。 でも違ったらしい。言葉にすると、こうだ。 まず、僕はコッペパンを手にしている。 コッペパンは好物ではない。味がなくてとにかくおいしくない。 どこかに風味豊かなおいしいコッペパンがあるのかも知らないが、給のコッペパンは味がなくてまずかった。 だからスープとかマーガリンとかをつけてうのだが、味がついても結局まずい。 言っておく。 コッペパンは、最高にまずいべ物。 だけど今はコッペパンくらいしか口に出来るものがない。 僕は飢えている。 しぶしぶ、コッペパンを頭から齧る。 余談だが、タイヤキでもなしにコッペパンに頭などないだろうという馬鹿げた疑問に一応答えておく。 足じゃない方が頭だ。 コッペパンというものは、かなりパサついている。これもまずさの要因のひとつだ。もっそもっそと咀嚼するほどに口の中の水分を奪う。 だか

     僕には本来、書きたい事柄がない。  それは単に情熱が足りないのだと思っていた。  でも違ったらしい。言葉にすると、こうだ。  まず、僕はコッペパンを手にしている。  コッペパンは好物ではない。味がなくてとにかくおいしくない。  どこかに風味豊かなおいしいコッペパンがあるのかも知らないが、給食のコッペパンは味がなくてまずかった。  だからスープとかマーガリンとかをつけて食うのだが、味がついても結局まずい。  言っておく。  コッペパンは、最高にまずい食べ物。  だけど今はコッペパンくらいしか口に出来るもの
  • 大きな文章の作りかた - レジデント初期研修用資料

    広告: 2010年に出版させていただいた「内科診療ヒントブック」の改訂版が、11月下旬に発売されることになりました。病棟業務に携わる方々に役に立つものになったのではないかと思います。手にとっていただければ幸いです。以下文。 20万字と4年間 自分は2008年頃より病院内で原稿を書きため、ネットでの公開を経て、2010年にオーム社より書籍として出版させていただいた。今回出版される改訂版の現在に至るまで、書籍の原稿はテキストデータでだいたい20万字。ファイルの大きさそれ自体は1MBに満たない。 参考書籍が改版になったり、あるいは新しい知識や経験を仕入れたり、出版していただいて以降は読者の方から指摘をいただいたりするごとに原稿は書き換えられ、今回出版される改訂版の原稿は、初代から数えて381世代目のものになる。 20万字という比較的大きな原稿を長期間管理していく上で、やっておいてよかったこと、

    murashit
    murashit 2012/11/12
    フーム
  • 1302日目 | タンカ -バ- ケモノ

    20代最後の日々。 今月から来年までで、当にこれで俺の20代が終わってしまうんだなと思う。過ぎてしまった日々を思い返すことはないけれど、あと一年もしないうちに俺がそういう年齢の場所に立ってしまうという事実は変わらない。 結局はこの調子のまま30を迎えそうな気がする。何か30手前に3年も続いてきた私の短歌を形にしたいとは思っているけれど、これでも十分なような気がしている。まだ迷っているが、作る時は電子書籍であれ同人誌であれ、あっという間に作ってしまうかもしれない。 人に評価されないままに書き続いてきたこの短歌ブログも30で終わってしまうかもしれない。あと30歳まで一年だというのにまったく先行きが見えない状態ではある。でも、それが見えてしまうのは実にあっという間なのだった。 しかし、当にだれにも取り上げられずにここまで地味にやっていけるもんだよな。そこまで酷いか、おれの短歌は。 電柱が消え

    1302日目 | タンカ -バ- ケモノ
  •  日記の日記 - イチニクス遊覧日記

    アンテナを見ていたら、また読みたいと思ってる人の日記が、再開して1日で終わっている事を知って残念に思った。その理由のひとつは、広告が出るようになっていたことのようなのだけど、それじゃあ自分は広告についてどう思うか、というと、やっぱり無い方がいいし、せめてもう少しサイズの工夫などあってもいいんじゃないのかなとは思うんだけど、まあそのくらいで、今のところはできれば同じところでつづける方を選びたいなと思っている。 なんで日記を書くのかと聞かれた時には「備忘録だけど人に見られるところに置くことによって緊張感が云々」などと答えてきたけど、そんなのはもう往生際が悪いかなという気もしていて、つまり同じところで続けたいと思うのも、やっぱり折角書いたら人に見て欲しいという気持ちがあるからだ。でもそれを意識して書こうとしたら、自分の場合はあっという間に続かなくなるだろうし、読まれたいと書きたいのちょうどいいバ

     日記の日記 - イチニクス遊覧日記
  • 心にもないこと

    8月 2019 (1) 6月 2019 (1) 5月 2019 (1) 4月 2019 (5) 3月 2019 (5) 2月 2019 (12) 1月 2019 (1) 8月 2018 (4) 7月 2018 (11) 6月 2018 (8) 5月 2018 (5) 4月 2018 (5) 9月 2017 (1) 8月 2017 (1) 7月 2017 (7) 6月 2017 (1) 5月 2017 (3) 4月 2017 (1) 3月 2017 (3) 1月 2017 (4) 11月 2016 (1) 10月 2016 (2) 9月 2016 (2) 8月 2016 (3) 7月 2016 (2) 6月 2016 (3) 5月 2016 (8) 4月 2016 (17) 3月 2016 (9) 2月 2016 (12) 1月 2016 (10) 12月 2015 (4) 11月 2015

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』 - やしお

    http://book.akahoshitakuya.com/cmt/18010199 この小説は非情だよ。部分としては技術の高さでいくつもの場面や思想や言い方を面白いと思わせといて、全体としてこんなのまるっきり無責任です、技術が高かろうがこういう小説したらダメなんですって事だから。批判にはほらここにもう書いてあると言え、一方で全部相対的だとも言える、気だとも気じゃないとも言い得るズルさ。その両義性こそフィクションの露呈なのだと書いているとすら簡単に言い逃れ得る形。(作者の認識とは関係ない。)もはや一般論に換言できない個別の批評や作品でこの無責任さを免れねばならぬと示すわけだから厳しい。 これ読んでた時にね、あ、面白い、あ、面白いといろんなところで思いながら、でもこれ小説である必要があるんかしらってことをずーっと思っていたのね。 主人公の思考がずーっと書いてある。思考って言うより反省や

    庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』 - やしお
    murashit
    murashit 2012/04/12
    なぜ小説なんてものを書いてしまうのか
  • 性とナンパ 2012 - 公家シンジ

    別段、美男子ということもないが、知性のある顔立ち。落ち着いた雰囲気。下品さというものがない。 ナンパは数をかければ、誰でも成果はあげられる。ある程度までいけば、上手くなることなんてない。ルーティンワークを繰り返す、どちらかといえば知性と品性に欠けた行為だ。僕自身もやりながらそんなことは分かっているつもりではいる。 そのルーティンワークの罠にはまりながら、それに快楽を見出してしまった人の声かけは醜い。佇まいも、話し方も醜い。そういうことを自分についても思っていた。 彼は吸い寄せられるように女の子に近づいて、声をかけた。ロングコートのポケットには手をいれたまま、そして、今彼に訪れている会話の機会を喜んでいるように思われた。力が抜けている。 僕はずっと考えていた。 ナンパってなんだろうって。 性とナンパについて渋谷で考えている人間について あけましておめでとうございます。新年早々、カウンセラーの

    性とナンパ 2012 - 公家シンジ
  • インターネットの文体 - マシバ}クンシッバ

    文体というか、いわゆる「あの頃のインターネット」というか、それは自分の場合テキストサイトのあの頃から存在する趣の話になる。 テキストサイト界隈における時系列やスタイルの興隆を語ろうとすると特定のサイトを指標にする必要があるので(そしてそれは望まれないので)詳しくは書かないが、どこかでおおかたのサイトが「垢抜けた」時期とそうでなかった昔があって、後者に蔓延していた文体が失われたということを嘆く人は居る。その文体は常に竹槍を構えるようで、空回りしていて、貪欲で、くどい。だけどそれが当時は格好良くてスタンダードだったし、そういうのを書きたくてネットで文章を書き始めたという経緯が私にはあるから、これを否定するものではない。だけど今になってみれば、「童貞の演武」こそがインターネットのすべてだった。今でも大好きだけれども。 そういう精神性や文体は、果たして「衰退」したのか。あるいは現存するそれは過去か

    インターネットの文体 - マシバ}クンシッバ
  •  全生命体対象ブログ - 最果タヒ.blog

    ぼくは、(なんだかこの一人称はリズムがいいけれど、恥じらいも生まれるので、疲れるのがハイリスクだ)、とにかくぼくは、ここに来る人のために、ブログを書いているのだろうかという自問自答に陥った。 そもそもブログって日記だし、でも公開するかぎりは人の目を意識するわけで、しかしなんていうか、たとえば日記の文章がはてブやらtumblrやらで拡散されて、たとえばあの「なんの役にたつの?」の暴力性、とかいうブログ記事がいまだにときどきtumblrで拡散されているのを見たときに、なんだかほんのりうれしくなる。ここに来る人、というよりは未来、どこかでだれかがこの文章を読んでくれたらいいな、というかんじで、全人類対象ブログであるのだとおもうし、夢は人類がほろんだあと宇宙人やら地底人やら第二世代人類(人類がほろんだあとに偶発的に再発した人類)に発掘されて読まれ、解読され、ナスカの地上絵みたいに勝手にファンシーな

     全生命体対象ブログ - 最果タヒ.blog
  • 無題通信#6 - 「あれも、これも」

  • 吐き出せぜんぶ - ジブリみたいな靴を履いて

    先日kubomiさんのエントリid:kubomi:20110606#p1を読んで、すごく刺激を受けた。そうそう。こういうのを読みたいんだよ!って納得しできました。  せっかくなので引用させてもらいます。最初にぼんやりと構想があって、書き始めてから輪郭や構造を明確にするような書き方が一番私にとって楽です。そして私が読みたいブログはそういうのです。別に構成や論旨がキチンとしてなくてもいいんです。書きながら考えて、書き上げた。そんなブログが読みたい。 これをkubomiさんは一言で「書きながら考える人種」の「書くことでしか整理されることのない思考」と書いていました。そしてそれがそういうブログが好きだ、と。  すごく理解できて同じように考えても、僕はそういうふうに書けない。感情を吐き出せない。書きながら推敲し自分の気持ちを抑制し、こっちの方が読みやすいのかなあとか、こうした方がかっこいいんじゃない

  • もはや「問題」を描くだけじゃ小説は成り立たないのだろう。 | CUT 2003/12 Book Review

    もはや「問題」を描くだけじゃ小説は成り立たないのだろう。 (『CUT』2004 年 2 月) 山形浩生 ぼくが日にいない間に、なにやらねいちゃんが二人して芥川賞ととったとかで、2ちゃんねる方面では大騒ぎしているようだ。これで芥川賞は終わったとか、あんなのブンガクじゃない、とか、可愛いけりゃいいじゃん、とか、これは実は確信犯的な選出なのだとか。そしてそれを期に、ブンガクって何なのか、みたいな古くさい話がちょっとは蒸し返されたりしているようで、まああと一ヶ月くらいはネタになりそうかな、という気はする。 実は、村上龍が最近になってその手の話をちょっとしているのだ。近刊の『十三歳のハローワーク』は、職業案内書としてはまあまあのできではある。記述の多くはあたりさわりないし、また村上龍のあまりおもしろくない学問のすすめや、大して意味があるとも思えないNGO翼賛はうっとうしいだけなんだけれど、いくつか

  • 人牛のメモ - これからの日記

  • 旦敬介「ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ 」 - my bookish life

    " Love ? What is it ? The most natural painkiller what there is . Love. " William Seward Burroughs 「愛とは何だ?この世で一番自然な痛み止め。愛」(p.141) バロース加算機(現ユニシス・コーポレーション)の御曹司でハーバード卒。ちなみにお兄さんはプリンストン卒。同性愛者。極度の麻薬中毒で、当局からの逃亡先のメキシコや南米やタンジェで、新種のドラッグを探し求める。を”ウィリアム・テルごっこ”で誤って射殺した…しかし学生時代から親交のあったケルアックやギンズバーグと共に、ビート文学の代表格であり、ニルヴァーナらの崇拝を集めた。 という彼のキャリアは模範的な学生生活を送った身にしてみれば相当格好良いのだが(いや、今すぐにでもドロップアウトできるのだが、順調さに対して微塵の未練もないというのは、

    旦敬介「ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ 」 - my bookish life
  • おじいちゃんメソッド - hakanashika

    正月に祖父の家に行くといろいろな話を聞いた。祖父はライフロガーであり、趣味人だった。僕が生まれる前から日誌をつけており、それは一日一行程度の簡単なものだったのだが、それでも50年以上続けていたらしく、膨大な量になっていた。そして、それを頼りに記憶を手繰り寄せ、自分史だとか回顧録というようなものを作っていた。僕はそれを読ませてもらった。A4にして50枚くらいの文章で祖父の生まれから今までの歴史や、趣味について、自身の考えなどがまとめられていた。ボケ防止と自己満足で作っているそうだが、僕には大変価値のあるものであると思ったし、面白かった。僕が生まれる前から続く祖父の超長期的趣味や、歴史文化などを知ることができたのだ。思ったままを伝えたら、祖父は大変喜んでいた。余談だが、祖父は最新パソコンを使いこなし、自分史を作っていたのだが、ネット環境には無かった。祖父曰く「電話でこと足りる」。祖父のグーグ

    おじいちゃんメソッド - hakanashika
    murashit
    murashit 2011/01/24
    みんながおじいちゃんみたいになってもいい
  • リディア・デイヴィス『話の終わり』(1995) - キッチンに入るな

    《もしも誰かにこの小説のテーマは何かと訊ねられれば、いなくなった男の話だと私は答える。》p12 《そういう景色も気候も私には目新しかったので、熱心に観察した。》p34 大学教師であり、翻訳の仕事もしている「私」が、何年もまえに付き合って別れた男、「彼」とのあいだの話を、小説として書こうとしている。 当時の「彼」は学生で、「私」と年齢に12歳のひらきがあった。交通事故のような恋愛のはじまりから、唐突な終わりまで――その後「私」が終わりを受け入れるまで――の小さな出来事の数かずと心の動きの連なりを、できる限り正確に文章化するのが「私」の目標であるようだ。 いつ、どこで、何があったのか。起きたことを正確に描くには、周囲の様子も詳細に書き込まねばならない。どう考え、どんな感情が生じたか。昂揚、冷めた思い。うねる疑心、期待と嫉妬。「私」は当時の揺れる自分をピンセットでつまみあげ、明かりに照らしてしげ

    murashit
    murashit 2011/01/01
    思い出すことを突き詰めると必然的に偏執狂的になってゆくことは誰もが経験することで、それをこれまた精確に思い出すと……という構造か。
  • 今年のまとめ - あれも、これも

  • 森の路はずれ - 思わせぶりな僕らの空気と行間に