ベルギーに行った 先日、ベルギーに行きました。 マグリットの絵とルーベンスの絵を見るのが目的。 あまり時間もなく、ブリュッセルとアントワープを駆け足気味で巡ることに。 ミュンヘンから車で10時間近くかかり、なんでこんな無茶をしてしまったのかとも思いましたが、ヨーロッパの方…
山形県の吉村美栄子知事は17日、世界遺産登録を目指して県民運動を展開してきた「最上川の文化的景観」について、登録を断念する可能性も含めて大幅に見直す方針を明らかにした。理由について吉村知事は「県内経済が厳しい現在、県民の足元の生活が大事だ」と説明。「(岩手県の)平泉でさえ実現できないように登録自体が厳しい」と、現実的な対応との考えも示した。 県の2009年度当初予算案は骨格予算となり、最上川関連は約1700万円と、本年度当初の約4000万円から半分以下に減額された。 新年度は、国の重要文化的景観の選定に向けた調査や、ルーマニアなど東欧諸国を流れるドナウ川を対象とした国際比較研究シンポジウムの開催、流域の小学生同士の交流事業などが予定されていた。 吉村知事は新年度事業について「相手があっての事業で、既に約束したものもあり、継続せざるを得ない」との認識を示すとともに、「海外との交流を山形
山形市山寺の立石寺で戦後、発見された第3代天台座主、円仁(慈覚大師、794−864年)の木彫り頭部像が故郷、栃木県の県立博物館(宇都宮市)特別企画展で21日から展示が始まった。5月13日まで。 円仁にとって約1200年ぶりの“里帰り”。寺は像を門外不出としてきたが、博物館側が1年以上かけて清原浄田住職(78)を説得。企画展のサブタイトルを「お帰りなさい ふるさとへ」に決め、「故郷の栃木なら」と了解を得た。 円仁は下野国(栃木県)都賀郡出身。15歳で比叡山に入り45歳で遣唐使として渡航、日記「入唐求法巡礼行記」を残した。860年に円仁が開いたとされる立石寺に遺体を納めたとの伝説があり、1948年の調査で寺に安置されていたひつぎから人骨と頭部像が見つかった。像は円仁の肖像画とそっくりだった。 県立博物館は2008年が円仁が故郷を離れ1200年に当たることから企画展を計画。
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