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考古に関するshig-iのブックマーク (2,255)

  • 運営団体は消滅…数十年閉鎖されていた「忘れられた考古館」を引き継げるか 地域の遺跡を伝える施設の保存・活用へ、道を探る動き(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    長野県の岡谷市内の「岡屋(おかのや)遺跡」の出土品を保管する「岡屋考古館」(町)の将来を考えるフォーラムが20日、市イルフプラザで開かれる。60年以上前に開設されたが、当時の運営団体は自然消滅し、老朽化が進む。数十年にわたって閉鎖していた岡屋考古館を2023年から期間限定で一般公開してきた一般社団法人大昔調査会(諏訪市)が、施設の継承への機運を高める機会にしたいと企画した。 【写真】岡谷考古館の内部。天井が剥がれ雨漏りもする建物内に遺跡の出土品が保管されている 岡屋考古館は、県道下諏訪辰野線沿いの脇道を少し入った所にひっそりとたたずむ。大昔調査会によると、地元有志の保存会によって1962(昭和37)年に開設され、岡屋遺跡から出土した土器や石皿、穴を掘るための石器などを保管。しかし、保存会は自然消滅して一般公開されなくなり、建物の所有者もいない状態だ。 現在は天井が剥がれ落ち、雨漏りもする

    運営団体は消滅…数十年閉鎖されていた「忘れられた考古館」を引き継げるか 地域の遺跡を伝える施設の保存・活用へ、道を探る動き(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
    shig-i
    shig-i 2025/04/08
    “長野県の岡谷市内”
  • 橿考研に保存科学センター開設、地方自治体で初 蛇行剣の保存処理で脚光(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    保存科学センターのプレートの前に立つ(右から)青柳正規所長、水野敏典センター長、奥山誠義総括研究員=奈良県橿原市 遺跡で発掘された出土品の保存修理などを行う保存科学の専門組織として、奈良県立橿原考古学研究所(橿原市畝傍町、橿考研)は1日、「保存科学センター」を開設した。これまでの「保存科学研究室」を改称し、態勢は大きく変わらないが、橿考研は「センターとして対外的に発信力を高め、さらなる機能の充実を図りたい」としている。保存科学分野での「センター」は地方自治体では初めてという。 保存科学は、文化財の保存修理のために自然科学の手法を応用した研究分野。数千年間も地中に埋もれた遺物を後世に残すには欠かせず、「文化財のお医者さん」といわれる。 昭和13年に創設された橿考研は、90年近い歴史の中で遺跡発掘だけでなく、同40年代後半からは木製品や金属製品の格的な保存修理事業を開始。同60、63年には藤

    橿考研に保存科学センター開設、地方自治体で初 蛇行剣の保存処理で脚光(産経新聞) - Yahoo!ニュース
    shig-i
    shig-i 2025/04/01
    “遺跡の出土品にとどまらず”
  • 甘樫丘で7世紀末の大型建物跡 藤原京遷都後も重要施設(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    飛鳥時代のクーデター 「乙巳(いっし)の変」(645年)で暗殺された蘇我入鹿(いるか)の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)遺跡群で、7世紀末の大型建物跡が見つかり、村教育委員会が27日、発表した。694年の藤原京(奈良県橿原市など)遷都に伴って建てられた役所跡とみられ、甘樫丘一帯は蘇我氏滅亡後も重要拠点として開発されたことが判明。当時の首都の構造を考える上で貴重な資料という。 【地図で解説】今回の発掘現場は… 大型建物跡は東西5・4メートル、南北7・2メートル以上が確認され、南北方向は調査区外にさらに延びるとみられる。柱を据え付けるための穴は一辺1・2メートルの大型で、宮殿クラスという。この場所は、藤原京(推定約5・3キロ四方)の南端にあたることから、何らかの重要施設が新たに設けられたとみられる。 飛鳥の地は、天武天皇など歴代天皇が代替わりごとに都を築いたが、持統

    甘樫丘で7世紀末の大型建物跡 藤原京遷都後も重要施設(産経新聞) - Yahoo!ニュース
  • 長岡京 朱雀大路の幅は66メートル 西側溝・雨落ち溝・築地跡確認:朝日新聞

    桓武天皇が奈良の平城京から都を遷(うつ)した長岡京(784~94年)で、メイン通りの朱雀大路(すざくおおじ)の幅が約66メートルだったことが確認された。京都府長岡京市埋蔵文化財センターが発表した。こ…

    長岡京 朱雀大路の幅は66メートル 西側溝・雨落ち溝・築地跡確認:朝日新聞
  • 飛鳥宮跡に「想定外」の大規模建物群 天武・持統朝の天皇関連施設か:朝日新聞

    飛鳥時代の歴代天皇の宮殿が築かれた奈良県明日香村の飛鳥宮跡(国史跡)で、昨秋確認された宮内最大の大型建物跡(7世紀後半)の南隣から、ほぼ同規模とみられる総柱(そうばしら)構造の建物跡が見つかった。県…

    飛鳥宮跡に「想定外」の大規模建物群 天武・持統朝の天皇関連施設か:朝日新聞
  • 宮殿外に官庁造営か 石神遺跡で天武・持統朝の大規模区画跡を確認(朝日新聞) - Yahoo!ニュース

    飛鳥時代の迎賓館跡とされる奈良県明日香村の石神遺跡で、7世紀後半につくられたとみられる塀跡がみつかった。奈良文化財研究所(奈文研)が6日発表した。 【写真】石神遺跡東側で確認された大規模区画の掘っ立て柱塀跡。調査担当者が示しているのが東南隅にあたる遺構=奈良県明日香村、塚和人撮影 律令国家成立を目指した天武天皇(在位673~686年)から、次の持統天皇(同690~697年)の時期とみられ、専門家は、宮殿があった飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の北側に中央官庁や宮殿関連施設が広がっていた可能性を指摘する。 石神遺跡は、7世紀半ばの斉明天皇(同655~661年)の時代には大規模建物群や石敷き広場がつくられ、外国使節の接待や服属儀礼などが行われた迎賓館的な施設だったとされる。660年に皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの天智天皇)がつくった漏刻(ろうこく)(水時計)跡とされる水落

    宮殿外に官庁造営か 石神遺跡で天武・持統朝の大規模区画跡を確認(朝日新聞) - Yahoo!ニュース
    shig-i
    shig-i 2025/03/08
    飛鳥浄御原宮の北側
  • 日本最南端の古墳を造った人々が住む農村は、開聞岳の大噴火に飲み込まれ…想像かき立てる大規模集落跡発見 希少品の朝鮮半島製鉄器も出土 指宿・敷領遺跡(南日本新聞) - Yahoo!ニュース

    鹿児島県指宿市の敷領(しきりょう)遺跡で、古墳時代中期から後期(5~6世紀)の50基超の竪穴建物を含む大規模集落跡が見つかった。朝鮮半島製の「鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)」と呼ばれる鉄器も出土。古墳分布の最南端にある弥次ケ湯(やじがゆ)古墳(5世紀後半)に近く、鹿児島大学総合研究博物館の橋達也教授(考古学)は「古墳を造った人々が暮らした集落と考えられる」と話す。 【写真】古墳時代の大規模集落跡が見つかった敷領遺跡の場所を地図で確認する 市教委によると、集落跡は弥次ケ湯古墳から約700メートル離れた場所にある。3000平方メートルの範囲に約4メートル四方の建物跡が集まっていた。 古墳の副葬品として出土することが多い鋳造鉄斧は長さ13.4センチ、幅5センチ、重さ約360グラムで建物跡から見つかった。当時の日に製造技術はない希少品。市教委の西牟田瑛子学芸員(36)は「広域にネットワークを持つ

    日本最南端の古墳を造った人々が住む農村は、開聞岳の大噴火に飲み込まれ…想像かき立てる大規模集落跡発見 希少品の朝鮮半島製鉄器も出土 指宿・敷領遺跡(南日本新聞) - Yahoo!ニュース
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    shig-i 2025/03/08
  • 大阪 堺の大山古墳 研究者グループが立ち入り調査|NHK 関西のニュース

    世界文化遺産の1つで、「仁徳天皇陵」として管理されている大阪・堺市の大山古墳で、学術団体の研究者グループによる立ち入り調査が行われました。 調査が行われたのは宮内庁が仁徳天皇陵として管理する大山古墳で、7日は考古学や歴史学などの学術団体でつくるグループの研究者17人が参加しました。 大山古墳は5世紀前半に造られたとみられる前方後円墳で、2019年に「百舌鳥・古市古墳群」の一部として世界文化遺産に登録されています。 宮内庁が管理する古墳は立ち入りや調査が制限されていますが、グループでは研究や保全に役立てたいとして、各地の古墳の立ち入りを要望していて、今回、大山古墳への立ち入りが認められました。 グループによりますと、7日は2時間半にわたって墳丘全体を観察し、前方部については▼時期の推定は難しいものの、石積みが後世に整えられたことや、▼斜面に溝状のきれつが入り、崩れている部分が多いことなどが確

    大阪 堺の大山古墳 研究者グループが立ち入り調査|NHK 関西のニュース
  • 奈良で巨大な古墳跡を発見 全長200メートル、前方後円墳(共同通信) - Yahoo!ニュース

    奈良市の佐紀古墳群で、奈良時代の都だった平城京造営の際に破壊されたとみられる全長約200メートルの巨大前方後円墳の痕跡が見つかり、1日、奈良市が発表した。佐紀池ノ尻古墳と名付けた。市によると、平城京内では約30カ所で古墳が壊されているという。 【写真】仁徳天皇陵を描いた初の測量図 市によると、200メートル以上の古墳は全国で約40基あるが担当の村瀬陸学芸員は「完全に消滅した全長200メートルもの古墳が見つかるのは全国初。古墳の規模から王権中枢を担った人物だろう」と話した。 佐紀古墳群は4~5世紀にかけて奈良市北部に築かれており、成務天皇陵や神功皇后陵がある。巨大古墳の集中地域が奈良から大阪へ移る過渡期の大王クラスらの墓とみられている。 陵墓参考地・コナベ古墳(前方後円墳)のすぐ南側で発見。平城京の区域内に当たるため造営時に破壊されたらしい。 2023年の発掘で、古墳周濠とみられる溝を発見、

    奈良で巨大な古墳跡を発見 全長200メートル、前方後円墳(共同通信) - Yahoo!ニュース
  • キトラ古墳の「青龍」が赤外線カメラでより鮮明に 奈良|NHK 関西のニュース

  • 6世紀前半の奈良・割塚古墳、石室の全容が明らかに 棺は凝灰岩を使用(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    奈良県大和郡山市千日町の円墳「割塚古墳」(6世紀前半、直径約49メートル)の発掘調査で、市は石室や石棺の全容が判明したと発表した。 同古墳は、昭和43年の宅地造成工事に伴い、県立橿原考古学研究所が発掘調査を行い、横穴式石室や家形石棺、朝鮮半島由来の副葬品を発見。被葬者は朝鮮半島とかかわりのある権力を持った人物と推定されている。 近年、古墳の斜面で湧き水による崩落が見つかったことから、市が令和2年度から測量と発掘調査を実施した。その結果、石室の床に地盤を補強するための石が敷き詰められていたことが判明。また、家形石棺は奈良県香芝市の二上山付近の凝灰岩が使用され、ふたには縄をかける突起があったことが分かった。 市まちづくり戦略課の十文字健・文化財保存活用係長は「最新の技術で石材や石室構造が詳しく判明した。今後の調査や研究を進める上で大きな手掛かりになる」と話している。 現地説明会は3月2日正午~

    6世紀前半の奈良・割塚古墳、石室の全容が明らかに 棺は凝灰岩を使用(産経新聞) - Yahoo!ニュース
  • 継体天皇期の建物跡が出土「弟国宮」の候補地、しのばれる繁栄(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    6世紀初め、北陸から畿内に入り即位した継体天皇が置いたとされる弟国宮(おとくにのみや)の候補地、京都府長岡京市の井ノ内遺跡から同時期のものとみられる複数の竪穴建物跡と遺物が出土した。近くには継体天皇の支援者の墓もあり、調査した京都府埋蔵文化財調査研究センターは「謎多き継体天皇時代の地域の歴史を明らかにする貴重な史料だ」と評価する。 継体天皇は応神天皇の5世の孫とされ、北陸に居住したとされる。先代の天皇に後継者がなく白羽の矢が立ったが、すぐに政治の中枢がある大和(奈良県)に入ることなく、淀川流域などに都を移しながら勢力を拡大し、大和に入ったとされる。 日書紀によると、弟国宮は大和に入る前に置いた都の一つ。継体12(518)年から8年間居住したとされ、長岡京市の今里、井ノ内地域が有力候補地。 今回は府立向日が丘支援学校の改築工事に伴い、昨年8月から約3千平方メートルを調査。その結果、6世紀初

    継体天皇期の建物跡が出土「弟国宮」の候補地、しのばれる繁栄(産経新聞) - Yahoo!ニュース
    shig-i
    shig-i 2025/02/19
    “「この一帯に牧場が広がり、住人が馬を飼育していた可能性がある」”
  • トルコ中部 遺跡で製鉄起源に迫る発見 人工的な鉄など見つかる | NHK

    の調査隊が発掘を行っているトルコ中部の遺跡で、およそ4200年前の青銅器時代の地層から鉄鉱石が熱せられてできた金属や人工的に作られた鉄が見つかりました。調査隊によると、この時代にすでに人類が銅を溶かす技術を用いて鉄を作ろうと試みていたことがうかがえるということで、製鉄の起源に迫る発見として注目されています。 中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所の大村幸弘所長が率いる調査隊は、トルコ中部にあるカマン・カレホユック遺跡で、およそ40年にわたって発掘を続けています。 遺跡の北側にあるおよそ4200年前の前期青銅器時代の地層から見つかっていた数センチほどの金属の塊について、今回、電子顕微鏡で分析したところ、このうち2つは鉄鉱石が熱せられてできたもので、別の1つは人工的に作られた鉄だと判明しました。 製鉄は現在のトルコで栄えた「鉄の帝国」とも呼ばれるヒッタイトで今からおよそ3400年前に

    トルコ中部 遺跡で製鉄起源に迫る発見 人工的な鉄など見つかる | NHK
    shig-i
    shig-i 2025/02/19
    ヒッタイト以前
  • 東京・多摩川沿岸の古墳めぐりで悠久の時の流れを感じる | sotokoto online(ソトコトオンライン)

    ぶらぶら歴史さんぽ@東京(0002) 世田谷区から大田区にかけて、多摩川沿いに大小多く連なる古墳群を巡ります。およそ2時間余りの歴史ウォーキングです。 <概要> 東京の武蔵野台地の南東に広がる古墳群は「荏原古墳群」と呼ばれ、おもに古墳時代の4世紀から6世紀にかけて築造されたものになります。世田谷区の上野毛周辺から大田区の田園調布のあたりに多く集合しています。 <ウォーキングコース> 東急田園都市線「二子玉川」駅を起点に多摩川沿いに南東へ、国分寺崖線を上り下りしながら東急東横線「多摩川」駅までのおよそ6キロメートルの散歩です。 ■「二子玉川」駅から「野毛大塚古墳」まで “関東の富士見百景”「富士見橋」。 「二子玉川」駅からスタートです。改札を出ていったん駅の北側を流れる丸子川に出ます。川の流れに沿って上野毛の五島美術館に向かいます。美術館手前で東急大井町線の上に架けられた富士見橋を渡ります。

    東京・多摩川沿岸の古墳めぐりで悠久の時の流れを感じる | sotokoto online(ソトコトオンライン)
  • 高知 土器片に漢字2文字か “国内最古級 文章の一部の可能性” | NHK

    高知県南国市の遺跡から出土した、弥生時代後期から古墳時代初めごろのものとみられる土器の破片に漢字の可能性が高い2つの文字が刻まれていたことが高知県立埋蔵文化財センターの調査で分かりました。センターによりますと、この時期に2つ以上の文字が見つかるのは極めて珍しく、国内で最も古い部類の文章の一部の可能性もあるということです。 高知県立埋蔵文化財センターによりますと、土器の破片が見つかったのは弥生時代に高知県内最大規模の集落が広がっていたとされる南国市の若宮ノ東遺跡です。 大きさは10センチほどで、弥生時代後期から古墳時代初めにかけて作られたつぼの一部とみられ、表面には2つの文字が上下に続けて刻まれています。 「何」と「不」という漢字の可能性が高く、漢文で「なんぞ、ざる」と読んで、反語表現で「なぜ、しないのか」という意味になるのではないかということです。 また、破片の形から推定されるつぼの大きさ

    高知 土器片に漢字2文字か “国内最古級 文章の一部の可能性” | NHK
    shig-i
    shig-i 2025/01/23
    “弥生時代後期から古墳時代初めごろの”
  • リニア駅予定地近くの遺跡から特殊な「L字形カマド」 東日本には少ない特殊な古墳時代の遺構、朝鮮半島から来た人の影響か?(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    長野県飯田市教育委員会は、同市でのリニア中央新幹線県駅(仮称)周辺整備に先立ち昨年7月から実施している「ママ下遺跡」の発掘調査結果を報道公開した。縄文・古墳・奈良平安時代の20軒超の竪穴建物跡を確認し、朝鮮半島の影響を受けた「L字形カマド」の遺構1基も出土。同カマドの出土例は東日では4件あるが、長野県内では初めてという。 【写真】カマドの登場は古墳時代の「キッチン革命」。長野県の遺跡から見つかった遺構。

    リニア駅予定地近くの遺跡から特殊な「L字形カマド」 東日本には少ない特殊な古墳時代の遺構、朝鮮半島から来た人の影響か?(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
    shig-i
    shig-i 2025/01/15
    “暖房の役目”
  • 蝦夷の墳墓か、九州初確認 強制移住「防人」可能性も(共同通信) - Yahoo!ニュース

    福岡県那珂川市で約20年前に発掘された3基の古代墳墓が、石の積み方などから古代に東北などで暮らし、一部が九州に「防人」として移住させられた蝦夷の長らの墓とみられることが分かった。九州で蝦夷の墳墓が確認されるのは初めてという。分析に当たった「大野城心のふるさと館」(同県大野城市)の上田龍児氏は「今回の発見をきっかけに、各地で研究が進めば」と話した。 構造や規模などから末期古墳である可能性が極めて高いと考え、昨年11月に九州考古学会で発表した。末期古墳は主に北海道や東北で確認され、蝦夷の墓とされる。 墳墓は2005~06年度、九州新幹線の工事に伴い福岡県教育委員会が調査した。

    蝦夷の墳墓か、九州初確認 強制移住「防人」可能性も(共同通信) - Yahoo!ニュース
  • 年輪年代測定データをネットで初公開、研究者の追検証や利活用に期待 奈文研(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    奈良文化財研究所(奈良市)は19日、木材の年輪幅から建造物や仏像の年代を特定する「年輪年代測定」の基礎データをインターネットで20日から初めて公開すると発表した。年輪幅のデジタル画像を含めた公開で、外部の研究者らによる追検証や利活用が期待されるとしている。 公開するのは、奈良市の平城京跡で出土したヒノキ科樹木の井戸枠や曲げ物、木簡18点について、年輪幅を時系列に並べた数値データ(342~775年)とデジタル画像147点。数値データだけでなく、木材の高解像度画像とどの部分を測定したかを示す画像も含まれる。 年輪年代測定を巡っては、大量の基礎データをもとに測定の「物差し」となるグラフ「暦年標準パターン」が作成され、論文などで公表されていた。一方、根拠となるデータについてはデジタル化が進んでおらず、公開しにくい状況だった。今回、デジタル技術の向上や研究データ共有化の潮流の中で公開することを決めた

    年輪年代測定データをネットで初公開、研究者の追検証や利活用に期待 奈文研(産経新聞) - Yahoo!ニュース
  • 大田原 「侍塚古墳」東日本では珍しい埴輪の破片が複数出土|NHK 栃木県のニュース

    shig-i
    shig-i 2024/12/12
    4世紀後半
  • 仁徳天皇陵、明治期に「威厳」増幅…列強各国へアピール狙い濠の堤2mかさ上げ

    【読売新聞】 宮内庁は29日、日最大の前方後円墳・ 大山 ( だいせん ) 古墳(仁徳天皇陵古墳、堺市)を囲む 濠 ( ほり ) の堤が、明治期に約2メートルかさ上げされていたとみられると発表した。5世紀頃の築造当初から大幅に改造

    仁徳天皇陵、明治期に「威厳」増幅…列強各国へアピール狙い濠の堤2mかさ上げ
    shig-i
    shig-i 2024/12/01
    堤のかさ上げ