大阪・今城塚古墳 幻の陵墓参考地、昭和初期に指定検討 「真の継体天皇陵」 進む公園化、歴史身近に 〈真の継体天皇陵〉と呼ばれる大阪府高槻市の「今城塚古墳」(6世紀前半)。宮内庁は、茨木市の「太田茶臼山古墳」(5世紀中頃)を継体陵とするが、大正から昭和初期、今城塚を継体陵とみて陵墓参考地の指定も検討していたことが、研究者の調査で明らかになった。同庁の陵墓指定古墳は現在、原則立ち入りも許されていない。しかし、今城塚は市が2011年春の完成を目指して史跡公園整備を進めており、事実上、公園として一般開放される唯一の大王墓(天皇陵)となる。真の継体陵とされるに至る、経緯をひもといてみた。 (関口和哉) 日本の古墳は、名前が記された墓誌などが納められていないため、被葬者をほとんど特定できない。それは、陵墓も例外ではない。では、今城塚はいつ頃、誰が「継体陵」と説いたのだろうか……。高木博志・京都大准教授