大阪府・市統合本部は28日、同市立特別支援学校12校について、2015年4月に府へ移管することを決めた。市が土地と校舎を無償で府に譲渡する一方、府は教室改修費などを負担する。府市両教委は2月に始まる両議会に、学校の廃止・設置に関する条例改正案をそれぞれ提出する。 府に移管される市立特別支援学校は現在、市内にある10校と、15年度に開校予定の2校。土地・校舎を譲り受ける府はコンピューターシステムや教室の改修費、耐震強化などの工事費を負担するほか、これまでの校舎建設などで生じた市の残債約10億円も引き継ぐ。 統合本部では、大阪市立高校に関しても、今年度末に閉校する3校を除く全20校の府への移管を目指している。会合では、同府枚方市にある「大阪市立高」については時期を明示せず、条件が整い次第移管することを決定。残る19校は「市を複数の特別区に分割し、府と再編する大阪都構想が実現すれば、都に移管する
鳥取市の常松(つねまつ)菅田(すがた)遺跡で古墳時代前期(4世紀)とみられる木製の椅子「指物腰掛(さしものこしかけ)」が完全な形で出土し、鳥取県教育文化財団が29日発表した。部材が外れず元の状態で出土するのは珍しく、当時の加工技術がうかがえるという。 腰掛は座板(縦16センチ、幅61センチ)と2本の脚(高さ38センチ)からなる。脚の上部に開けた穴に、座板の端を差し込み、くさびで固定した構造で、倒れた状態で出土。周辺は弥生~古墳時代の集落跡とみられ、祭祀(さいし)や機織りなどに使用したものと考えられるという。 指物腰掛は座板の下から脚を差し込む構造が知られており、工楽善通(くらくよしゆき)・大阪府立狭山池博物館長(考古学)は「ユニークな組み方。祭祀など特別な時に使った腰掛ではないか」と話している。現地説明会は31日午前11時から。JR山陰線宝木(ほうぎ)駅の南約1キロ。問い合わせは同財団(0
住宅開発に伴って撤去する計画が持ち上がっていた大津市北部の古墳群の一部が守られることになった。隣接する市立真野北小(上野真校長、児童255人)の子どもたちが地域の貴重な歴史遺産が失われることに胸を痛め、「古墳をもっと勉強したい」と市長に掛け合ったのがきっかけ。その熱意が市や開発会社側を動かした。 周辺は地元豪族らの墓とみられる古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)の「曼荼羅山(まんだらやま)古墳群」があり、円墳など100基以上が確認されている。 同小のグラウンド北隣にあるのは直径20~10メートルの円墳5基(6世紀後半)。土地はいずれも、この一帯を1970年代から宅地開発した京阪電鉄(大阪市)が所有している。 京阪の計画では、保全している土地8800平方メートルのうち、3基を含む7300平方メートルは古墳を撤去した上で宅地化。一方、残りの1500平方メートルについては、校内に食い込むような
大阪市が、老朽化した市立美術館(天王寺区)を閉鎖し、北区中之島に計画中の新たな美術館との統合を検討していることがわかった。建設予定地は国から購入しており、契約上、3月末までに美術館を建設しなければ、市は国に最大48億円の違約金を支払うことになり、2月の幹部会議で最終判断する。 橋下徹市長が29日、記者団に「美術館を持つことは全否定していない。二つを併存させるわけにはいかず、一本化の検討が必要」と述べ、移転統合を担当部局に検討するよう指示したことを明らかにした。 市立美術館は1936年に開館し、尾形光琳や葛飾北斎の日本画など約8000点を収蔵。年約60万人が来館しているが、老朽化が進み、補修対策が課題だった。中之島への所蔵品の移転が決まれば、同美術館は閉鎖される。 市は83年、近代美術館の建設構想を発表。国から、中之島の大阪大医学部跡を「美術館を建設する」との条件で、入札を経ずに約160億円
近つ飛鳥博物館(大阪府河南町)は、大阪府四條畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡で見つかった古墳時代(5世紀後半)の馬の骨から、当時の馬を模型で復元した=写真=。古代の馬の姿や生態を考える資料になるという。 模型は体高1・3メートル、体長2メートルで、現代の馬と比べて頭は一回り大きく、脚は短い。宮崎県・都井岬に生息する御崎馬(天然記念物)に近い体格という。 同遺跡は日本書紀にある飼育場「河内馬飼(うまかい)」に関連するとみられ、2003年に馬1頭分の骨が完全な形で見つかった。07年に同博物館が合成樹脂で骨格を再現。今年6月から粘土で肉付けし、アクリル絵の具で彩色した。 日本列島に馬が来たのは、副葬品として朝鮮系の馬具が見られるようになった4世紀末頃とみられる。 市本芳三副館長は「ポニーのようなかわいらしい姿で、朝鮮半島から馬が入ってきた当時を想像してもらいたい」と話している。 模型は、29日から同
全国で4番目に大きい岡山市北区の造山(つくりやま)古墳(全長350メートル、国史跡)で、墳丘上にある石棺に線刻があったことが文化庁によって認められ、装飾古墳の一つに含まれることになった。装飾古墳としては国内最大となり、文化庁は19日に開かれる「古墳壁画の保存活用に関する検討会」で報告する。 石棺は、江戸時代に偶然掘り出された。1990年代の調査で、長さ約1・5メートル、幅約80センチのふたの破片に、長さ5~15センチ、深さ1~2ミリ、間隔約1センチの平行な線などがあることが確認されていた。文化庁が昨年、装飾古墳の全国調査を行ったのを機に、造山古墳も含めることを決めた。線刻は風化が激しく、何が描かれていたのか復元するのは困難とみられる。 造山古墳は、古墳時代中期(5世紀)に築かれた前方後円墳。線刻を発見した岡山県文化財課の宇垣匡雅・総括副参事は「装飾古墳の先駆的な史料となる貴重なもので、保全
京都府京丹波町に約1600年前に造られた蒲生野(こもの)古墳群で、腕輪を模した副葬品「石釧(いしくしろ)」が出土し、町教委が11日発表した。石英の結晶が固まった「碧玉(へきぎょく)」製で直径は11・6センチ。西日本で発見された中で最大級という。 石釧はドーナツ形で、埋葬者の権威を示すとされ、七廻塚(ななまわりづか)古墳(千葉市)から直径16・4センチ、島の山古墳(奈良県川西町)から同11・4センチが出土している。 今回の出土品は、内周に沿って放射線状の櫛歯(くしば)模様、外周は三角形の鋸歯(きょし)模様の彫刻が施されていた。立命館大の和田晴吾教授は「完成度が高く、保存状態もよい。丹波地方にも中央政府とつながりの深い有力者がいたことを示している」と話している。14~27日、町役場で展示される。
唐招提寺(奈良市)の国宝・鑑真和上(がんじんわじょう)坐像(ざぞう)(高さ約80センチ)に、表面を指で整えた跡があることがわかったと、調査した美術院国宝修理所(京都市)が7日発表した。仏師ではない〈素人〉が手作りしたことをうかがわせ、鑑真の弟子の僧らが像を作ったという伝承とも一致するという。 唐の高僧・鑑真和上(688~763年)は、日本に戒律を伝え、同寺を開いた。像は土の原型に麻布を漆で貼り合わせて形作る脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)。奈良時代の伝記「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)」には、鑑真が亡くなる直前の763年、同寺講堂の梁(はり)が折れる夢を見て師の死期を悟った弟子の僧・忍基(にんき)らが集まって、この像を作ったとする記述がある。 2013年が鑑真の1250年御諱(ぎょき)(御遠忌(ごおんき))にあたることから、同寺は像の複製「お身代わり像」の制作を同修理所
兵庫県教委、停職処分 美術館の招待券をインターネットのオークションサイトで売りさばいたとして、兵庫県教委は24日、県立美術館(神戸市中央区)に勤務する橋本尚人指導主事(43)を停職3か月の懲戒処分にした。橋本主事は2007年7月〜今年8月、3524回にわたって横流しし、約390万円を稼いでいた。調査に対し、「異動前より残業代が減って出品を始めた。子どもの養育に使った」と話しているという。 発表では、橋本主事は県立美術館の招待券のほか、職場から他の美術館の招待券も持ち帰って出品。落札者の1人が、一部の招待券の所属欄に同美術館の名があったことなどを不審に思い、8月14日に県立美術館に連絡し、不正が発覚した。橋本主事は県教委に、不正に得た利益分の金を預けている。
滋賀県文化財保護協会は28日、大津市神宮町の宇佐山古墳群から、古墳時代前期末(4世紀末)から中期前半(5世紀前半)にかけての未盗掘の石棺が見つかったと発表した。内部には人間の頭骨がほぼ完全な形で残っており、魔よけなどの意味がある赤色で鮮やかに着色されていた。被葬者は20〜40歳代の小柄な男性とみられ、副葬品は少なかった。協会は「琵琶湖を一望できる立地などから、水運などで豪族に仕え、日本海側の文化に影響を受けた職能集団の墓ではないか」とみている。 同古墳群は宇佐山(335メートル)中腹にあり、これまで古墳時代後期(6世紀)の円墳12基を確認。古墳群内で砂防工事が計画され、協会が4月から1600平方メートルを調査していた。 箱式石棺(長さ158センチ、幅36〜24センチ、高さ30センチ)は板状に加工した花こう岩を何枚も組み合わせた形で、表土から深さ約40センチで確認。床石はなく、蓋(ふた)石は
奈良・巨勢山古墳群 巨勢山古墳群、11年春にも修復工事 奈良県御所市のゴルフ場運営会社「秋津原」が無許可工事で国史跡・巨勢山古墳群(5世紀中頃〜7世紀中頃)の一部を損壊した問題で、今後の対策などを協議する市教委の復旧委員会が30日、市役所で初会合を開き、来春にも修復工事を始める方針を決めた。 会合には、市職員5人のほか、ゴルフ場、工事を担当したコンサルタント会社から関係者6人が出席。市教委の倉本英孝事務局長が「国民の財産である文化財がこれ以上損なわれないために知恵を出し合いたい」と述べ、続く協議は非公開で行われた。 終了後、記者会見した倉本事務局長は、8月にも開く次回会合で防災・地滑りの専門家も交え、掘削された斜面(約5400平方メートル)の復旧方法を検討することを明らかにした。今後、崩落防止の擁壁や排水設備など、宅地造成等規制法に基づく技術的基準を満たした復旧案をまとめる。 また、ゴル
奈良市の奈良国立博物館は16日、館蔵や寄託の仏像を中心に紹介する特別展「至宝の仏像」(読売新聞社特別協力)を7月21日から、同博物館で開くと発表した。寺外初公開の東大寺法華堂(三月堂)の国宝・金剛力士立像2体(阿形(あぎょう)、吽形(うんぎょう))など国宝6件、重文58件を含む104件を展示する。9月26日まで。 同像は奈良時代に作られ、粘土の原型に麻布を漆で張り合わせた脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)。阿形は高さ約3・2メートル、吽形は約3メートルでよろいの一部などに金箔(きんぱく)や彩色が残る。 同博物館本館は特別展から、名称を「なら仏像館」とし、照明設備も新調。仏像修復の歴史をたどる「仏像修理100年」(読売新聞社など特別協力)も同時開催し、104件を展示する。問い合わせは同博物館(050・5542・8600)。
大阪府泉大津、和泉両市に広がる弥生時代の代表的な環濠(かんごう)集落・池上曽根遺跡(国史跡)などの調査に参加したことがある府立泉大津高で、「情報科学」を選択する生徒らが、同校で所蔵する貴重な遺物のデータベース化に取り組んでいる。7日は府教委の学芸員から指導を受け、計測や写真撮影などを行った。 1948年に創部した同校の地歴部は、同高教諭だった森浩一・同志社大名誉教授らが顧問を務め、池上曽根遺跡をはじめ多くの遺跡の調査や保存運動に携わり、収集した遺物のうち約200点は校内の展示室に並べている。遺物のデータベース化は、2008年度から選択科目「情報科学」の授業で取り組み、既に13点を同校のホームページに掲載。この日は3年生82人が、縄文〜鎌倉時代の埴輪(はにわ)や瓦、鉄刀など21点の大きさや口径などを計測し、形のスケッチや特徴を記して、電子カメラで撮影した。 今年度内に電子データ化し、うち6点
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く