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2011年1月1日のブックマーク (2件)

  • 【主張】天皇陵の治定 科学だけで割り切れない - MSN産経ニュース

    宮内庁が治定(じじょう)する(定める)天皇陵の「真偽」が問われている。 発端は、奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査である。天皇クラスの墓に限られる八角形の墳丘を持つとわかったほか、今月には古墳に寄り添うよう造られた未知の石室も確認された。「斉明天皇の陵(みささぎ)の前に孫の大田皇女(ひめみこ)を葬った」という「日書紀」の記述に合致する発見で、研究者は斉明天皇の陵である可能性は限りなく高いとみている。 宮内庁治定の斉明天皇陵(越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ))は、隣の高取町にある。「今回を機に治定を見直しては」という論調が、メディアで目立つようになってきた。 現在、188ある陵(天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓所)は、ほとんどが江戸時代から明治にかけて定められた。考古学も未発達の時代に、「書紀」などに記された墓の場所を頼りに決めたのだから、科学的な検証が不十分なことは

    shig-i
    shig-i 2011/01/01
    「100年以上にわたって大切に守られ、陵前での祭祀(さいし)も続けられてきた。こうした伝統」100年程度で伝統にされるようなことじゃないと思う
  • 「藤原宮大嘗宮跡」と「長岡宮西宮跡」報道にみる考古学による都城研究の現状を憂う-1の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 2010年も終わろうとする時期に相次いで都城に関する重大な発表があった。一つは奈良文化財研究所による訂正発表、もう一つは財団法人向日市埋蔵文化財センターによる新発見報道であった。 前者は今年の夏に同研究所が大々的に発表した藤原宮朝堂の朝庭から大嘗宮跡が発見されたという発表が間違っていたという報道であった。後者は発見された遺構が過去の調査成果と合わせて検討した結果「西宮」という長岡宮初期の内裏跡だったという報道であった。後者については次回詳述する。 前者の報道に関してはネットのニュースでみたような記憶があるだけで、当時超多忙で見に行こうとする元気もなく聞き流していたところである。「ま、あるべきものが見付かったと言うことか?」という程度だったのかも知れない。 ところが、これが