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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue (24)

  • 悲しくて悲しくて、寂しくて、悔しくて・・・ - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 今泉隆雄さんが31日14時お亡くなりになりました。 悲しくて、悲しくて、寂しくて、悔しくて、信じたくありません。 2008年タンロン遺跡近くの堂で昼 九月四・五日と仙台を訪れた時、丸二日間一杯一杯話しました。 初日は東北歴史博物館の展示を拝見した後、館長室で3時間以上話しました。ご退職後、宮城県の東北歴史博物館の館長をなさっておられました。 この展示を見学に来ないか、というお誘いで伺ったものだ。当は学生が一人同行するはずだったのだが・・・。 博物館での館長講義のこと、旧石器ねつ造事件のこと、地震履歴のこと、多賀城政庁の新たな調査のこと、教え子の近況のこと、秋田城の機能に関すること、木簡のこと、娘さんとイスラエルに行かれたこと、そして病気のこと等々。調子が悪いとは仰っ

    悲しくて悲しくて、寂しくて、悔しくて・・・ - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2014/01/09
    今泉隆雄氏
  • 「藤原宮大嘗宮跡」と「長岡宮西宮跡」報道にみる考古学による都城研究の現状を憂う-1の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 2010年も終わろうとする時期に相次いで都城に関する重大な発表があった。一つは奈良文化財研究所による訂正発表、もう一つは財団法人向日市埋蔵文化財センターによる新発見報道であった。 前者は今年の夏に同研究所が大々的に発表した藤原宮朝堂の朝庭から大嘗宮跡が発見されたという発表が間違っていたという報道であった。後者は発見された遺構が過去の調査成果と合わせて検討した結果「西宮」という長岡宮初期の内裏跡だったという報道であった。後者については次回詳述する。 前者の報道に関してはネットのニュースでみたような記憶があるだけで、当時超多忙で見に行こうとする元気もなく聞き流していたところである。「ま、あるべきものが見付かったと言うことか?」という程度だったのかも知れない。 ところが、これが

  • 学芸員をめざして博物館を巡ろう!!が終わっての条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 今年は私にとって最後のオリエンテーションセミナーの担当の年となった。今はスタートアップセミナーと言うらしいが、私はこの名前がイヤなので、敢えて旧称を使う。 文化学科に今年はいってきた学生に動機付けをするために8人の先生方がいろいろなテーマを掲げて募集し、集まった学生にそれぞれの分野の導入的授業や、いろいろな方法論を教えて今後に備えるのである。 私は今年はあまり学生が集まらないように「このゼミでは土曜や日曜を利用して博物館を巡ります。その交通費や入館料は自費です。それでもいいという人は受けて下さい」と断ったのであまり受講しないだろうと思っていたら、10人が集まった。私はこれで十分なのだが、代表の先生が気を利かして2人だけ第二希望の学生を相談の上回して下さったので、最終的には

    学芸員をめざして博物館を巡ろう!!が終わっての条 - yaaさんの宮都研究
  • 伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねて第1回報告の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 29日は朝から伊勢市に出かけた。 大学院の学生が年度は二人所属しているのだが、彼らの受講している授業に「三重の文化と社会」というのがある。大学院は人文社会科学研究科というのだが、そこには学部の文化学科系の地域文化論専攻と法律経済学科系の社会科学専攻という2つの専攻がある。普通は共に学ぶことのない大学院で、両専攻の学生が、県内のある自治体を舞台にそれぞれのテーマで研究を進め、研究成果を自治体職員や市民に紹介するというユニークな授業である。年度は伊勢市が舞台となった。 そこで考古学専攻の我が二人の学生がそれぞれの関心に従って伊勢市の関連する遺跡を見て回ろうということになったのである。その第1回を実施したのである。 一人のテーマが「伊勢国の交通路~度会郡の駅家を中心に~」、

    伊勢の古代遺跡と昼河古墳を訪ねて第1回報告の条 - yaaさんの宮都研究
  • 奈良国立博物館大遣唐使展の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 23日(日)は大雨だった。しかし、1年生の授業であるオリエンテーションセミナー(公式にはスタートアップセミナー)で12人の一年生を案内するために10時に大和西大寺に集合して平城遷都1300年祭を見学した。 ところが予想通りというか、不安が的中し、次々とメールが入ってくる。 まず第1号は寝坊して電車に乗り遅れ、今から出ると終わった頃しか行けませんという(「もう来んでもいい!!」、と返信)、第2号が、私の移動中の電車に、乗り換え電車に間に合わず、5分ほど遅れるという軍団(仕方ない、待ってますと返事)、そして極めつけ第3号は、その同じ電車に乗っていながら、もう一度の乗り換え電車に乗り遅れたという者(着いたら電話してと返事)、結局指定の電車で無事着いたのはたったの4人。携帯という

    shig-i
    shig-i 2010/05/27
    最低4時間必要!
  • 長岡宮内裏脇殿に甲!!の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 長岡宮後期内裏(東宮)南東脇殿跡から甲の小礼発見!! 長岡宮内裏脇殿から大量の小礼が発見されたことを伝える2010年2月19日朝日新聞朝刊の紙面 2010年2月19日の関西地方の新聞各紙は、オリンピック中であるにもかかわらず、1面紙面中央にカラーで大々的に長岡宮内裏脇殿跡から確認された甲の部品の一つである小札を「天皇御物発見!」として伝えた。 昨年年6~8月に内裏内郭南東部で実施された発掘調査ではそれまでの仮説を覆す東西棟の脇殿発見のニュースが伝えられ私も早速現地を確認に行ったことがある。今回はその遺跡の資料を整理中に錆びた鉄製品をX線にかけると小さな穴が空いており、小札であると判明したというのである。小札自体はさほど珍しいものではなく、それなりの古墳を調査すると出土する

    長岡宮内裏脇殿に甲!!の条 - yaaさんの宮都研究
  • 周防国で東アジア宮都を勉強するの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 「東アジア諸国における都城及び都城制の比較を通じてみた日古代宮都の通時的研究第7回研究会」と言うとても長いタイトルの研究会が、9・10日の二日間、山口大学人文学部であった。 今回は中国から社会科学院の劉振東さんをお迎えしての漢代長安城の報告と、中国近世の宋・元・明・清代の都城(複都)に関する文献研究者からの報告であった。いずれも内容の濃い、充実した報告であった。 報告内容の詳細はいずれ刊行される図書によって知ることができるだろうが、ここでは報告の主旨とは直接関係しない、トピック的に知ることのできた内容の一部をご紹介しよう。 漢の長安城については何度(4度?)か現地を訪れ、その様相を見学してきたのだが、今回は直接調査を担当されている研究者からの報告ということで、内容も豊か

    周防国で東アジア宮都を勉強するの条 - yaaさんの宮都研究
  • 阿波国報告-1 観音寺遺跡と阿波国府の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 連休中様々な行動の報告を少しずつやっていきます。まずは徳島県埋蔵文化財センターでのシンポの様子をアップ! 5月1日、京都駅を8時10分発の高速バスに乗ると徳島駅に11時に着きます。何と便利な!! (京都駅の乗り場探しで少し焦りましたが、後は順調!ただしそれは往きしだけ!実はこの後とんでもないことに・・・・) 徳島県埋蔵文化財センター設立20周年記念シンポジウムでの報告のために前日に徳島へ向かうことに。 実は恥ずかしながら、阿波国へは行ったことがなかったのです。讃岐へは何度も、土佐へも数度行ったことがあるので、何となく行ったつもりだったのです。ところが、よくよく調べてみる(記憶をたどってみると)、どう考えても行ってないのです。 一昨年北海道に初めて行って、これで47都道府県

    阿波国報告-1 観音寺遺跡と阿波国府の条 - yaaさんの宮都研究
  • 緊急最新情報・肥後国編 国史跡池辺寺が面白い!!の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ランキングに御協力を! 西海道古代官衙研究会事務局の山村さんから、こんな情報が届きましたのでお知らせ致します。 西海道古代官衙研究会会員の皆様 ご無沙汰いたしております。 肥後熊の古代山林寺院である国史跡地辺寺跡が、史跡整備前の最後の再調査で、伽藍中心建物(9世紀)部分を調査中で見学可能となっております。建物は、床じきまで残っている稀有な例だと思われます。さらに、後背部の斜面に分布する「100メートル四方に100個の石塔が迫りくるロケーション」は見応えのある必見の資料です。多数お誘い合わせの上で下記要領に従ってご見学下さい。 史跡池辺寺跡 百塚地区堂建物跡 見学会 のご案内 史跡概要 熊県熊市に所在する史跡池辺寺跡(9世紀の山林寺院)では、整備事業に伴い百塚地区C

    緊急最新情報・肥後国編 国史跡池辺寺が面白い!!の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2009/06/12
    「建物は、床じきまで残っている稀有な例だと思われます」
  • 鬼の霍乱・どこまでも不肖の息子の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 「一周忌 果たせぬ息子 床にあり」 昨日から急激に体調がおかしくなり、今日は歩くのもやっとという状態。藪医者はインフルエンザじゃないというのですが、発熱、悪寒、関節の痛み、体のだるさ、嘔吐の繰り返し、どう見てもインフルエンザ。朝からずっと寝てました。お蔭で少し楽になりました。というより、ずっと寝ているととても足腰が痛くて、寝てられないので、姿勢の変換も兼ねて少しパソコンを眺めてます。 実は昨日は母の1周忌でした。親戚の皆さんにお集まり頂いたのに肝心の施主がダウン。久しぶりに会える従姉妹もいて、とても楽しみにしていたのですが、津からの移動の電車の中で吐くばかり。といっても出るものがないので、胃液ばかり。そのまま医者に直行してドクターストップ。情けない、相変わらずの不肖の息子

    鬼の霍乱・どこまでも不肖の息子の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2009/02/15
    「鈴鹿関第2次発掘調査成果のまとめ」あり 
  • 聖武天皇東国行幸都市サミット-1 東国行幸の謎に迫るの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 聖武天皇東国行幸都市サミットに出かけてみようと思ったら・・・ (こんな冊子ができました。余分がありませんので当日中になくなると思います。参加できない方のために少し内容をご紹介していきます) 今回のシンポジウムでは近年の発掘調査によって明らかになった河口、赤坂、朝明、石占、禾津の頓宮及びその出発点となった平城京、到着点となった恭仁京の発掘調査に関わる関係教育・研究機関からパネラーをお呼びし、聖武東国行幸の謎に迫ろうと考えています。既にこの様に立派な資料集も刷り上がり開会を待つばかりですが、その内容の一部をご紹介しておきたいと思います。 第1回は私の拙文による全体像の提示です。 (総カラー24頁の資料集です。) 聖武東国行幸の謎に迫る  山中 章 天平十二(740)年十月二十

    聖武天皇東国行幸都市サミット-1 東国行幸の謎に迫るの条 - yaaさんの宮都研究
  • 藤原宮の幢立て跡-1 :久しぶりに宮都らしい話題を書きました - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 宮都研究も怠る事なかれ!! 先月末に奈良文化財研究所が発掘調査している大極殿前の状況を見学に行ってきました。事前に見学をお願いしていたので、研究所のTさんにとても丁寧にご解説頂きました。有り難うございました。 (新聞にもこんな感じで二度にわたって掲載されました。上が幡立て施設を伝える記事です。下が運河跡発見の記事です。) しばらく悪戦苦闘していた原稿が先週末で完了し、少しゆとりができたので久しぶりに宮都の話題をご紹介します。残念ながら現地説明会には行けませんでしたので、パンフレットはご紹介できませんが、奈良文化財研究所のホームページに掲載されているのでそちらから入手して下さい。 以下にスライドショウーをセットしておきます。全体の流れはこれで見て下さい。まだスライドショーの

    藤原宮の幢立て跡-1 :久しぶりに宮都らしい話題を書きました - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2008/11/02
    「藤原宮大極殿南門前から発見された幢立ての跡と運河跡を見に行ってきました。」
  • 「慰労詔書」に桓武朝の画期をみるの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 慰労詔書を勉強してみなくては、と思ったら よろしくお願いします。 『延喜式』もっと勉強しろ!という激励を受けて??早速慰労詔書の研究状況を確認しました。当にお恥ずかしい限りですが、あるはあるは山ほどあることが解りました。そしてもっとお恥ずかしいことに自分でその論文の載る雑誌を持っていたのであります。 『延喜式研究第10号』(延喜式研究会1995年3月15日)であります。 丸山裕美子「慰労詔書・論事勅書の受容について」という論文がありました。済みません丸山さん。いかに日頃勉強していないか、雑誌を取っていても積ん読だけかが露呈しました。 早速読みました。するとその引用に中野高行「慰労詔書の「結語」の変遷について」(『史学』55-11985年)という、そのものズバリの論文のあ

    「慰労詔書」に桓武朝の画期をみるの条 - yaaさんの宮都研究
  • 2708洛陽見聞録-3  永通門を歩くの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 永通門の礎石、すごいなと思ったらよろしくお願いします。 18・19の二日間、亀山市関町に所在する笹ヶ平古墳周辺に認められる高まりが古墳であるのか否かについての確認調査に参加していました。 同市の市史編さん室及び教育委員会の分布調査の一環で、他にも分布調査で見つかった「転び石古墳」(仮称)の確認も行うことになっています。詳細は後日報告することにして、とにかく久しぶりの山歩きにガタの来かけている私の膝が悲鳴を上げてしまいました。昨日は平地を歩くのも難渋するくらい腫れ上がってしまったのです。歳ですね(内の卒業生から昨日我が家に誕生祝いが届いたそうです-誕生日を一人職場で過ごすというのは私にとっては普通のことなんですが・・・今年も仕事に追われて大学におりました-。ナナナント1年早

    2708洛陽見聞録-3  永通門を歩くの条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2007/09/23
    礎石が残っている
  • 喜界島報告-1  国境の島・喜界島の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 大変長らくご無沙汰してしまいました。それだけ忙しかったことをご理解下さい。 前回の書き込みの後、朧谷先生古希記念事業の打ち合わせ、放送法改悪に対する抗議活動、大学の前期日程試験の監督、娘の急病・入院・留学出発延期、卒業生の結婚式、東アジア都城比較研究会出席、ヴェトナム社会科学院考古学研究所チン博士の京都案内と、休む暇もなく超多忙な毎日でした。やっと明日チン先生が帰られて、私の任務は終了。怒濤の2週間でした。 もちろんまだまだしなければならないことはいっぱいあるのですが、たまにはブログの更新を!と、原稿に疲れた頭を冷やすために少し書き込みを始めました。 まずは初めての喜界島報告から始めましょう。 とっても

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  • 近況報告  心身共に辛かった!の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 しばらくブログを書く気にもならなかったのです。それくらいこの1週間はとても辛い日々が続きました。 折角前回、私の友人の順調な回復をお伝えし、ベトナムハノイの四鎮のお陰と感謝したばかりなのに、その直後に鎌田元一さんの訃報が届いたのです。 鎌田先生と呼ぶべき学恩多き方なのですが、前職でお付き合いするときに、 「先生はやめて!」、と言うことで、「鎌田さん」「山中さん」になったのです。 鎌田さんとの出会いは『長岡京木簡二』の刊行過程においてでした。毎日、毎日、新幹線下のプレハブに通ってもらって、左京第八〇一八次や左京第二〇八次の木簡の釈読に当たってもらったのです。もちろんそれらの木簡の大半は、長岡京木簡研究の第一人者清水みきさんが既に読み尽くしていたのですが、二人ともとても慎重で

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  • 大越国報告-2  南郊殿を訪ねるの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 12月30日には1490年作成(黎朝期)ハノイ地図にも明記されている南郊殿跡を訪ねました。往きは案内してくれた西野さんと一緒にタクシーでしたので、車を降りてびっくり!突然、大阪や名古屋のツインタワーのような(さすがにあそこまで高くはないんですけれど)、ビルの前でした。彼女によるとハノイ一の「高級」百貨店の入っているビルだということです(ちなみにこの百貨店に入っているスーパーでいつもの生春巻きの皮になるライスぺーパーを大量に買い込みました)。 (こんな近代的ビルの真横が現場なんです。) このツインタワーの乗っている方形の建物が百貨店。そこから現場を見るとこんな感じです。 (昼べたレストランからは現場

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  • 大越国報告-1  社稷壇を歩くの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 新年明けましておめでとうございます今年もよろしくお願い申し上げます ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 年末に突然思い立ってベトナムに行って参りました。ハノイで見学した社稷壇と南郊殿はいずれも工事に伴う事前調査であり、いつまで見ることができるか不明ということで、やむなく新年を跨いで飛んでいきました。 (「社稷径」(Ngo(径) Xa(社) Dan(壇))の名の残る細い道を、現在幅50mに拡張する工事中なんです。それにしても背後の道のもうもうたる砂塵?排ガス!たまりませんね。) わずか5日足らずの滞在でしたが、とても充実した日を過ごすことができました。社稷壇や南郊殿もさることながら、急な旅立ちで通訳の手配もままならず、丸二日分は一人で初めて

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  • 高橋さんとの思い出-3  木簡研究への道の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 私は長岡京研究を振り返る時いつも、中山修一先生が長岡京研究の創始者だとすれば、浪貝毅さんがその継承者、そして高橋美久二さんが発展者だと位置づけている。この三人の偉大な研究者なくして今日の長岡京研究はあり得なかった。 中でも今日の科学的研究の基礎を築いたのは紛れもなく高橋美久二さんだと確信している。 私が強く思う高橋さんの最も大きな功績は、誰にもまねのできない全体像を確実に描いた上での構想力だ。戦略があるというとどこか堅苦しいが、研究者には数少ない正確な洞察力に基づく戦略と戦術の明確な方だったと思う。その俎上に乗せていただいたのが長岡京だった。 まず、長岡京全体の調査を全て再点検され、年代順に並べられて、

    高橋さんとの思い出-3  木簡研究への道の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2006/12/13
    その木簡が長岡京から発見されなくなって久しい。これは決して偶然ではない
  • 講演会報告  壬申の乱と縄生廃寺の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 昨日は三重大学の主催する文化フォーラムで標記のような講演をしてきました。 大学というところは当に宣伝がへたくそで、今回はまだ40人ほど来られていましたが、聞くところによると伊賀でやったフォーラムには一桁の参加者しかなかったとか、信じられません。もっともそれを深刻に受け止められないところも大学の沈下の原因なのかもしれませんね。 私の話がどれだけ人々の期待に添うものだったかは後ほど公開されるアンケートに記されていることでしょうからとても心配ですが、まずは内容をご紹介しておきましょう。 縄生廃寺は塔心礎の舎利孔に唐三彩の碗やガラス製の舎利容器を埋納していたことで知られるお寺です。昨年ドイツでの日展に出品さ

    講演会報告  壬申の乱と縄生廃寺の条 - yaaさんの宮都研究
    shig-i
    shig-i 2006/10/17
    縄生廃寺。壬申の乱と関連か