吉野ケ里遺跡(神埼市郡)を通じて、森浩一さんと親交のあった佐賀県内の関係者からも「遺跡保存を後押しした吉野ケ里の恩人」と悼む声が上がった。 吉野ケ里研究の第一人者、高島忠平旭学園理事長は「遺跡が脚光を浴びる以前に現場を訪れ、遺跡の重要性を指摘されていた。客観的な吉野ケ里評価が保存を後押ししたのは間違いない」と振り返る。「さまざまな分野を横断した最後の博学」と評し、「独り善がりにならず、一般の人にも分かりやすく考古学を伝えようとする姿勢を学ばなければ」と森さんの功績をたたえ、思いを新たにした。 吉野ケ里遺跡の発掘現場を担当した七田忠昭佐賀城本丸歴史館館長は「新聞で寄稿を見て、お元気だと思っていたのに」と突然の悲報に驚いた。10年以上会っていなかったが、その間も著作はすべて贈られてきた。「『もっと勉強しなさい』と叱咤(しった)されているようだった。地域を重視する庶民感覚の考古学者だった」としの
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北海道開拓の村、老朽化深刻 開園30年、24施設の修繕追い付かず (08/24 15:21) 屋根と2階部分が壊れた北海道開拓の村の「旧小川家酪農畜舎」。立ち入り禁止で、復旧のめどは立っていない 道内の歴史的建造物を展示している札幌市厚別区の「北海道開拓の村」が今年で開園30年となり、建物の修繕が追い付いていない。屋根や柱などの補修が必要な建物は全体の4割近くに上るが、設置者の道は財政難のために対応できていない。 「ミシミシと音がして、1時間以上かけて屋根がつぶれていった」 道から運営を委託されている指定管理者「一般財団法人北海道開拓の村」(札幌市)の担当者は3月上旬、巡回時に「旧小川家酪農畜舎」が雪の重みで壊れていく様子を目の当たりにした。「見学者がいたら大事故になっていたかもしれない」と振り返る。 この畜舎は大正末期に建てられ、米国の建築手法を取り入れた造りが人気だが、現在立ち入り禁止
住宅開発に伴って撤去する計画が持ち上がっていた大津市北部の古墳群の一部が守られることになった。隣接する市立真野北小(上野真校長、児童255人)の子どもたちが地域の貴重な歴史遺産が失われることに胸を痛め、「古墳をもっと勉強したい」と市長に掛け合ったのがきっかけ。その熱意が市や開発会社側を動かした。 周辺は地元豪族らの墓とみられる古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)の「曼荼羅山(まんだらやま)古墳群」があり、円墳など100基以上が確認されている。 同小のグラウンド北隣にあるのは直径20~10メートルの円墳5基(6世紀後半)。土地はいずれも、この一帯を1970年代から宅地開発した京阪電鉄(大阪市)が所有している。 京阪の計画では、保全している土地8800平方メートルのうち、3基を含む7300平方メートルは古墳を撤去した上で宅地化。一方、残りの1500平方メートルについては、校内に食い込むような
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